2017年
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12月
12月31日 チビが添い寝で年越し
退院した日は僕を気にも留めなかったチビが一昨日嫁さんが僕の布団の上に投げ込んでからチビが僕のベッドに 近づいて来るようになった。そして昨日からベッドに上がってきて布団の上ベッドの隅で眠るようになった。嫁さんに よるとチビは洗濯物や新しい服なんかが好きですぐその上で眠るそうだ。今の布団は退院してから卸したもの、チビは においがしない布団だから来たと嫁さんが…。
今日は大晦日なのに夕方から何もする気がしなくなった。9時過ぎにテレビを点けて紅白歌合戦を見ようとしたが1曲で 嫌になりテレビを消した。何もする気が起きず目的も無くパソコンを操って2時間、チビがベッドに上がってきて 壁際の隅へ。今年はチビと添い寝で年越しだな。
それにしてもチビは良く元気に回復してくれた。嬉しい〜ぃ。

12月30日 嫁さんに長年の想いをメール
今回の入院中には何故だかわからないが嫁さんと巡り合ってからの27年間の事を色々思い出したしいろいろ考えた。 そしてありがとうの感謝の言葉とともに27年間の僕の嫁さんに対する想いをメールで送ろうと決めた。
思い出と僕の長年の嫁さんへの想いを綴るのに3日かかった。結構な量、これでもまだ書き足りないくらい。これが僕の 嫁さんへの愛の大きさ なんてね。結論として言える事は嫁さんが傍にいてくれなかったら僕は今生きてはいないって 事かな。

12月29日 年賀状終了
夕方下の息子が帰ってきたので息子に手伝ってもらって年賀状の印刷に取り掛かった。年賀状はプリンタートレイへの 葉書の入れ替えが多いから誰かに手伝ってもらわないと印刷出来ない。それが僕はとても歯がゆくて仕方がない。まあ 僕が年末に世帯主として出来る事はこれくらいしかない。僕としてもこれで正月が迎えられる。

12月15日〜28日 レスパイト入院
病室は前回の隣りの部屋(一人部屋)、カーテンを半分開けてもらっていても壁しか見えない。まあほとんどの 看護師さんが癖でカーテンを締めてしまう。諦めたらこの閉鎖空間(窓の方を向いていれば光を感じられるから解放感も あるのだろうが)にも慣れた。部屋に入るとすぐに看護師さんがオーバーテーブルの底の梁に僕用のナースコール スイッチを貼り付けてくれた。今回は準備万端だった。
初日血液検査と検尿を受けた。今回の検査はそれだけ、胸のレントゲンも心電図もなかった。前回入院から3ヵ月 経っているのに…珍しいなあ。
看護師の異動はおそらく2人、産休で休みを取っていたTさんが戻って来ていた。どうしても旧姓しか思い出せず「苗字 何だっけ?」と聞いた、失礼しました。でもそんな失礼な事を聞けるほど僕が親しみを感じている看護師の一人だ。 もう1人は筋ジス病棟で出会ったことのあるOさん、いつも忙しげ(何かに追い立てられているよう?)に見える性格は 相変わらずだった。副看護師長さんは二人ともわざわざ顔を見せに来てくれて「今回も宜しくお願いします」と丁寧に 挨拶してもらえた。逆に病棟看護師長からは今回も声掛けが無かったがこれがこの方の資質だろうと諦めて?いる。 今回の入院中の受け持ち看護師はT君、僕の信頼している(多くの)看護師の中の一人、よく話をしに来てくれたし 気が楽だった。
今回の入院では看護師の接し方は変わらなかったのに違和感を覚える事がいくつかあった。一つ目はテレビの音声、 一人部屋でもイヤホンが義務付けられた。新病棟ができて病院のルールが変わったのなら仕方が無い事だと思うが 気に入らなからなかったのはこのルールが看護師の間に徹底されていなかった・ほとんどの看護師がこのルールを 知らなかったという事。なんか急遽決めたor僕の入院中に急遽徹底されたって感じ。だいたいそこまでする必要が あるのか、昼間は病棟内の騒音が結構大きな音で部屋に入ってくるし夜中でさえ看護師さんたちの交わす会話だって 聞こえるというのに。二つ目はナースコールを鳴らさないと看護師さんがほぼ来なくなった。以前はフリーの看護師が いて時々様子を窺いに来ていたと思うのだが。象徴的なのが髭剃り&歯磨き、特に歯磨きは9月のレスパイト入院までは 煩わしい?程「歯磨きはいつします?」って尋ねていたのに今回は2回、何か病棟内でシステムの変更があったとしか 思えない。三つ目は昼の経管栄養の時間が遅くなった事、これは日勤の勤務時間が8:45〜17:45と30分後ろにずれた事が 関係している様だ。とはいえリハビリが14時半からの僕にとってはこの30分遅れは結構きつい。
今回もほぼ毎日看護師さんたちに車椅子に座らせてもらったしほぼ毎日寝る前に夜勤の看護師さんに手足を動かして もらった。その継続で今の僕がある。看護師の皆さん ありがとうございました。リハビリは入院した翌週の火曜から。 先生がリハビリの指示を忘れていた様なのだが月曜にリハビリが来なかったので受け持ちのT看護師に確認を頼んだら 先生に連絡してくれたから翌日からリハビリが始まった。今回もリハビリの担当は作業療法士のK先生、入院中2回 立たせてもらったし平日はいつも関節の可動訓練をしてもらった。K先生のリハビリは時間的にも肩は可動的にも 少し物足りなく感じたけれどまあそんなものだろう。毎日リハビリしてもらえただけで感謝だ。
23日(土曜日)外出届を出しコミケンフォーラムへ参加、移動は介護タクシー。午前9時前嫁さんと娘が到着、着替えを してもらった。病棟では朝会の真っ最中のため看護師の手伝いなし、車椅子に乗るまでに思っていたより時間が かかった。介護タクシーで20分ぐらい移動し会場に着く、すぐさまフォーラム会場へ移動、福岡の特別支援学校の 福島先生の特別講演はもう始まっていた。会場を眺めると今までのフォーラムにはない光景が見えた、親子連5-6組も いたのだ。おそらく福島先生の講演を聞きに来たのだろう。それほど現場に即した講演だった。
福島先生の講演が終わると昼食タイム&福祉機器・コミュニケーション機器の見学の時間。経管栄養を落としながら 親子を見ていたが「母は強し」である。経管が終わった頃K先生が顔を見に来てくれた。知り合いに会えるところも このコミケンフォーラムの良い所である。訪問リハビリの話になったのでK先生に肩関節の具合を診ていただいた。 すると「肘は固くなっているけど肩は柔らかいですね」って、継続は力なりだ。その後展示会場へ移動。僕が興味が あったのはやはり視線入力の体験、でも見学者の少ないブースから見ていくことにした。まずはエアーマット。実は 僕が初めて使ったエアーマットは背中が暖かくなるタイプで背中に汗をかいて痒くなって…だからエアーマットは 苦手なのです。このエアーマットは周囲が幅20cm?のウレタンで囲まれていてエアーが入る部分は六角柱の組合わせで… リハビリで人がベッドに乗った時にエアーのバランスが崩れるのではと気になった。次に興味を引かれたのは車椅子用の 座布団、座高の高さ調整が出来るのではと思ったから。最後にU先生のブースの視線入力体験、orihimeの視線入力の キャリブレーションは点が現れ爆発し花火になり淡く消えるというもの。消えるまで目が離せない、良い キャリブレーションだと思った。「こんにちは」と入力してみた。見つめると目的の文字のまあ近くに視線のマークが いった。まあまあの視線入力アプリだと思った。もう1機種視線入力を試してみた。orihimeと同じキャリブレーションを 利用しているのに視線マークが定まらずなかなか入力が上手くいかなかった。U先生が「設定を変えてみましょうか」と 言ったところで時間切れ。それにしても視線入力は設定でそんなに状況が変わるのか。難しいなあ。
午後のフォーラムに参加し最後の懇親会会場へ、そこでHeartyAIを体験。キャリブレーションは成功したものの視線 マークが見ている位置より左上辺りに3cmばかりずれた。視線マークにもAI補正が効けばいいのに。 キャリブレーションの時にマークが消える前に視線を動かしたのが原因かな。マークの変化が終わったら消える前に つい視線を動かしてしまう、せっかちな僕の悪い癖だ。そのためか入力に結構時間がかかった。けれどロックオン モードにしてもらったらかなり入力がしやすくなった。いろいろな視線入力の体験 ありがとうございました。
いろいろな人とも会えたし…楽しかった。
退院した日はとても忙しかった。朝の経管栄養を6時から入れてもらい9時半から浣腸。でも今日の浣腸はいつもと 違ってあまり効かなかった、昨夜寝る前にラキソベロン(下剤)もちゃんと6滴入れたのにいつものようにはすんなり 出なかった。排便は少し不解消のまま11時半過ぎから昼の経管栄養を入れ午後1時過ぎに着替えをしてもらい迎えを 待った。今日のお迎えは訪問看護S NのO主任、だのに今日の部屋担当は初めてのO看護師、色々と気を使い疲れた。
家に帰ってもモモもチビも姿なし、猫は待ってはいなかった。

12月12日 チビ、回復基調?
昨夜も今朝もチビは餌を食べたとの事、鳴き声が聞こえるようになったし少しずつ動き回る(僕の部屋の窓際の棚の上に 寝に来る)様にもなった。少し元気になったみたい。
動物病院から帰ってきた嫁さんが「チビの○○が±0だった」と言った。白血病検査か免疫不全検査の事らしいがよく 分からなかった。ともかくチビが回復してきている事は確かのようだ。これなら入院中にチビの身に何かある事は ない様だ。ひと安心。
チビは生まれてしばらくした頃から病院にかかっていて年に1度は免疫不全で体調を崩し病院に通っていたらしい。 これからもこんな事があるだろうが…チビ 頑張って。

12月11日 チビ 猫白血病、ショック!!
今日の朝までチビはずっと餌を食べていないらしい、チビ大分軽くなったそうだ。チビを連れて動物病院での検査から 帰ってきた嫁さんに「チビは白血病」と告げられた。猫の白血病って人間の白血病と同じ?って思ってネットで「猫 白血病」で検索したら免疫不全の延長線上にあるとの事。でも嫌な文章が書いてあった、「寿命は長くとも3-4年」 って。落ち込んだけど涙は出なかった。この2日間でいっぱい泣いたもの。
朗報がひとつ、チビが夜餌を食べたって。少しは良くなっている…と思いたい。

12月9日 リン、チビを連れていかないで
チビは夜も餌を食べなかったそうだ。そう聞いて嫁さんに「明日の朝チビが餌を食べなかったら(動物)病院に連れて 行って」と頼んだ、まあ嫁さんは僕が何にも言わなくてもチビを病院に連れて行くつもりだったようだが。
病院から戻ってきた嫁さんと娘にチビの状態を聞くと免疫不全で白血球が激減していたらしい。けれどよく 分からなかったからネットで「猫 免疫不全」で検索したら完全な治療法はない・対処療法を施すのみと悲観的な 事ばかり。そして嫁さんに先ほど「チビネコはあまり長生き出来ないかもしれない」と言われた事が頭の中に 浮かんできた。それって今チビが危ないって事。そう気づいた瞬間僕は落ち込んで何もする気がなくなった。
リン、お願いだからチビを連れていかないで。僕の寿命を削っていいからさ。

12月8日 チビ、具合が悪いの?
チビが朝餌を食べなかったらしい、いつもは朝方居間で物音がしたらすっ飛んで行って餌をおねだりしていたのに…。 そう聞かされて初めて「チビ、具合が悪いの?」って思ったし知った。
朝の経管栄養の時珍しくチビがベッドに上がってきて(チビが来るのは普段は夜)脚の間に眠った。しばらくしたら 驚いた事に今度はモモがベッドに上がってきた。モモが上がってきたら普段ならばチビは遠慮してベッドから下りて しまうのだが今日は違っていた、動かなかったのだ。そしてモモはベッドの隅の定位置へ。モモとチビの揃い踏みに 僕はとっても嬉しくなってはしゃいでしまって嫁さんを呼んで写真に撮ってもらいFacebookにもアップしたのだけども …、動かなかったのは実際には病気できつかっただけじゃないのかなあ。

12月7日 gacco講座「オープンサイエンス時代の研究データ管理」追いついた
2週間近く遅れて始めたgacco講座「オープンサイエンス時代の研究データ管理」、毎週の講義が30分ぐらいだった事も あって今週Week4(最終週)でようやく追いついた。専門用語も結構出てきて横文字もあって内容もあまり理解出来て いない。でもWeek4の理解度確認クイズで修了点は突破出来た。後はWordのまとめをするだけ、今週中には終わりそう。 後は入院するまでに年賀状作り、出来るかな。
この講座で今年は受講収め、今年は13講座受講した。がんばった。けど知識としてはほとんど残ってはいない、雑学 程度かな。今年印象に残った講座は「解明オーロラの謎」、面白かった。これで3年間で32講座、いい暇潰しに なっている。

12月5日 臀部が痛い
今日のリハビリでの5歩の歩行訓練、その後ベッドに横になったら右臀部と左すね外側側面に筋肉痛みたいなものを 感じた。きっと今日の歩行訓練でそれらの部位を使えたのだろう。この痛みに心地良さと何となく充実感を感じた。
今日もH先生に車椅子から立ち上がらせてもらった際膝と腰を伸ばした時も歩行で2回右足に身体の重心を置いた時も 右腰は痛まなかった。最後に左足重心で身体を左に90°回してもらった時に少しバランスが悪くなりかけたけど 踏ん張れたし、歩行時膝にも力が入って後ろ足の親指も意識出来た。調子は悪くない。

12月3日 久しぶりの福岡国際マラソン
久しぶりに福岡国際マラソンをまともに見た。昔はテレビであるほとんどのマラソンや駅伝を見ていたが最近は 見なくなった(見るのは実業団駅伝と箱根駅伝それに都道府県対抗駅伝ぐらい)。何故って最近の選手は知らないから 面白くない←このところ全国高校駅伝の時期はレスパイト入院してて高校駅伝を見れてない。高校駅伝で目立っていた 子が大体大学・実業団で活躍しマラソンに進むパターンが多い。高校駅伝観戦こそ長距離走観戦の原点なのだ。
日本男子フルマラソンで2時間6分台を出したのは高岡と藤田の2人しかいないそうだ。今回大迫選手が再び我々に その夢を見せてくれた。このマラソンでの大迫の課題を挙げるとすれば40km以降あと2.195kmの走り、優勝した ノルウェーの選手が6分25秒(3分/km以下)で走ったのに対し大迫はよく粘りはしたが6分58秒(3分11秒/km)かかって しまった。大迫はマラソン2回目、大健闘なのだがこんな走りを見せられたらつい次を期待してしまう。

12月1日 まだインフルエンザの予防接種は不足らしい
今日は往診日、午後2時丁度に我が家の掛かりつけ医T先生が来た。そしてすぐにカニューレ交換、その後嫁さんが T先生と話し始めた。それを横から聞いていると…(妻)「明日(土曜日)娘とインフルエンザの予防接種を打ちに 行きたいんですけど。」(先生)「明日じゃあ間に合わないかもしれません。出来れば今日の内に…。」(先生)「今週の 分○百本を今日入荷したんですけど半分が午前中に無くなってしまいました。」。予防接種不足は未だに続いる様だ。 先生は受験生を心配していた。
ちなみに僕は10月末に予防接種は打ちました。


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11月
11月30日 車椅子に座ったら息苦しい?
火曜日車椅子に座っている時に息苦しさを感じた、この日突然に。この時は首の装具が上手く合ってなかったと 判断したが違っていた。首の装具をきちんと装着してもらえた今日も息苦しかったのだ。こうなってくると考えられる 事は一つ、僕の肺の自発能力が更に弱って今の呼吸器の(空気の)押し圧設定じゃあ車椅子に座っている時には肺がよく 膨らまなくなって息苦しく感じる様になってきたという事。この状態が続く様なら来月15日からのレスパイト入院で 検査して悪くなっていたなら設定を変えてもらわないといけないなあ。

11月28日 今日は暖かいから痛みが出ないの?
今日の11時前からのリハビリ、腕を上に上げてもらう時に痛みが出るのが少し遅かったし歩行訓練の際に右足に重心を 置いた時にも右腰に痛みが出なかった。何故だろう。この1週間で変わった事と言えば昨日今日と暖かい事、こんな事で 変わるとは思えないのだけど。不思議な事があるものだが長続きするとは思えないなあ。

11月27日 モモ どうしたの、具合が悪いの
昨夜寝る時に嫁さんにモモを連れてきてもらった。モモは僕の脚の間には入らずにベッドの隅に行って寝た。いつもは 夜中目が覚めるといないのに今日は朝になってもそこにいて朝の餌も食いに行かないでそのままずっと寝ていた。 もしかしてモモ どこか具合が悪いの。
と一人心配していたが1時間もするとベッドから下りていき、そして餌を食って外にパトロールに出て行ったそうだ。 全てモモの気まぐれ…だったのかなあ。

11月26日 急遽 gacco講座「オープンサイエンス時代の研究データ管理」受講開始
gacco講座で現在「情報セキュリティ基礎」を受講中。今週の火曜日が最後の配信でそれを終えて次の講座(12月5日 配信)を受講しようと思っていたのだが今日確認したらこの講座が来年まで延期。このままではレスパイト入院までの 10日以上完全に暇になる、と思い急遽「オープンサイエンス時代の研究データ管理」を受講する事にした。この講座は もうすでにWeek2まで配信が終わっている、忙しくなり過ぎる事は分かっている。なんせ4週間分を2週間強で やるのだもの。それに今週は2講座重複するし…。
本当はこの時期暇にを作って年賀状をやるべきだと思うのだが年賀状を作るのに10日はかからないし…。でも逆に やる事が多過ぎて年賀状が出来ないかも…。

11月25日 右耳がさらに遠くなったみたい
今日の午前中のケアで清拭の時に左を向いたら音がかなり小さくなった、左の耳が枕で塞がったから。音量を急に 絞った様にテレビの音が小さくなった。右耳がおかしい事はもう何年も前から気付いていた、以前痛みがあって 耳鼻科に診てもらった事も数回あったし。聴力が少しずつ落ちている事は自分でも4-5年前から分かっていた。 でも「呼吸器を着けている人では時々起る現象」って言われちゃあもう諦めるしかなかった、諦めたのはもう 何年前の事かな。しかしここまで落ちているとは思わなかった。最近急速に落ちているみたいだ。右耳の聴力は左耳の 1/5〜1/10ってとこか。そういえばこの頃嫁さんの言っている事が解からなくてよく聞き返すようになったもんな。
全くこの身体は目といい右耳といいそれに肺も全身の筋肉もポンコツだらけ。その上去年からは糖尿病まで。栄養は 経管1200ccだけなのに糖尿病だなんてやってられない。これはいつまで続くの?、リン。 もう飽きたって言っていい?。

11月24日 通院日、痰がいっぱい出た
今日は通院日、外は曇り模様、陽射しは感じられなかった。病院に着いて道を見ると濡れていた、2つ隣り町川棚町は 雨が降ったのか。救急処置室に入いると無人、今日は外来の看護師さんはばたばたの様だ。すぐに担当看護師Sさんが 来て僕を車椅子からストレッチャーに移しバイタル測定。測り終えたところへ主治医がもう来た、早っ。そして診察と  カニューレ交換を終え「次は病棟で」と声をかけ出て行った。血液検査をした前回より1時間以上早い終了。驚きだ。 毎朝測っている血糖値が少し高くなっているそうだ。
今日は痰がよく出た。リフト車に乗る直線アンビューで押して痰を出して吸引しておいたのに病院へ向かうリフト車の 中で硬い痰が出てきて気管に引っかかった様な気がした。それで病院に着くとすぐに痰を吸引してもらった。処置が 終わって帰る前に吸引してもらったしリフト車の中でも家に着いてベッドに横になっても吸引してもらった。3時間に 5回の吸引、それも1回の痰の量は程々に多かった。あの短時間にこれだけの量の痰が出るなんて初めてかも。その為か 空気が肺の隅々まで入ってる様な感じがするしその分肺が冷える。良い事なのか悪い事なのか…。

11月23日 祝日、でもいつも通り
今日は勤労感謝の日(=旧新嘗祭)で祝日、いつもなら訪問看護はお休み。しかし今日は訪問看護ステーションNの 担当の日だからいつも通りの午前のケアと昼からの車椅子移乗をしてもらえた。平日が祝日になると立ち上がる時の リズム?や力の入れ方を忘れそうで不安が頭をもたげそうになるから訪問に来てもらえて助かった。

11月22日 お風呂 気持ち良い
今日も朝は寒かった。僕はいつもの事だが目が覚めてしばらくすると肺が冷えて雪山で深呼吸した様な状態に陥る。 いつもは身体が慣れてきて(パソコンしてると)気にならなくなるのだが今日はいつまでも肺が冷えている感じが 残っていて気分がもうひとつ優れなかった。でも今日はお風呂の日(入浴車)、お湯の中でいっぱい温もったから身体も 気持ち良くなってくれた。
今日の入浴車のスタッフは看護師はW・Yさん・ヘルパーはKさんとTさん?(かな)+見学の看護師さん、温かいお風呂に ゆっくり入れてくれた。この二人の看護師さんが担当だと何も考えなくて済むからとっても楽だ、まあ毎回スタッフが 変わるから喜怒哀楽いろいろあって面白い?しいいんだろうけど。

11月21日 右腰が…
今日の11時前からのリハビリは車椅子に座った状態から、右肩の関節可動域訓練で右手を左肩の方に近づけた時右手の 爪の裏が見えた。特に中指の爪の裏の皮膚が盛り上がってる。これでは爪切りは難しいだろう事を再度悟った。
5歩の歩行訓練、H先生は「立ち会が時には力の入り具合はもうひとつだけどその後はちゃんと力が入っている」と 褒めてくれたが僕は気になる事があった。H先生が立ち上がらせてくれた直後腰と膝を伸ばして体勢を整えようとする 際に右腰の痛みが少し増したのと右足重心になった時に右腰に少し痛みが出始めた事、これはどう考えれば いいのだろう。

11月20日 詰碁
5日前から「囲碁上達 今日の詰碁」というサイトで詰碁をしている。今日の詰碁というこのサイトでは1日3問詰碁の 問題が出題される。これらを解いているのだが僕にはまだ難しくてなかなか解く事が出来ない、せいぜい1問解ければ いいってところか、今はね。でも毎日やっていれば少しずつでもピンとくるようになるだろう。僕の問題点は頭の中に 4-5手目までしか白黒の石が置けない事、それ以上置くと色が消えちまう。全くこの頭は囲碁とか将棋とか先の手を 読まなければならない勝負事には向いてないみたいだ。しかし〔継続は力なり〕とも言うし続けてみよう。脳の老化 防止のトレーニングぐらいにはなるだろうしね。

11月19日 暇な?日曜日
今日僕は朝からこの『日々の雑記帳』を書いている。ただ今日は右足の親指と人差し指の間に挟んだPPSスイッチの タイミングを上手く合わせきれなくてちょっとイライラ気味だ。最近こんな風に自分の中でイラついてる日がよく ある。身体の調子がいまひとつ・パソコン画面の文字が見づらい・友人の体調に対する心配事(メールも打てない 状態?)などがイラつきの原因かも。
入力に時間がかかるって事は暇じゃないって事か。だけど今日は雑記帳の中身がなかなか頭の中に浮かんで こなかった。それでYahoo GyaOのアニメ・見逃しテレビを見ながら結構長い時間を使って書いた。まあそのおかげで 外は暗くなったみたいだけど。これでほぼ一日が過ぎた。

11月18日 Mさん 奮闘
昨日の朝のケアの時珍しく担当としてきた所長が「(僕に)明日紅葉を見せに連れて行きたい」と言っていたが結局 リフト車を運転してもらうドライバーが見つからなかったそうだ。
今日の担当は朝のケアも昼からの車椅子移乗も看護師のFさんとヘルパーのMさん、Mさんは単独での洗顔と洗髪助手は 初めてらしいので緊張していたそうだ。時々看護師さんに次の行動を指導・催促されてはいたけれど無難に こなしてくれた。そのMさん 年は僕より少し上らしいのだが積極的で元気なお姉さん、車椅子からベッドに戻る時に 僕を立たせる方の役割をしてくれるしベッドに戻った後はパソコンまで僕が使えるようにセットしてくれる。僕の所に 来てくれる訪問看護師さんやヘルパーさんには色々な性格の人がいるが僕はそれぞれの人に支え助けられて 生きている。

11月17日 寒い、体調悪し
昨日から急に寒くなった様だ。車椅子に座った後や夜になると寒さがこたえる。肺が冷える感じは相変わらずなのだが 最近は太ももが冷える感じがして寒い。車椅子からベッドに戻ったらくしゃみが連発して出る事も度々、夜風邪対策の 漢方薬を服用する事も多くなった。
この数日夜寝る時に嫁さんに「太ももが寒いからモモを連れてきて」と訴えるとモモを抱いてきて僕の脚の間に置いて 寝かしつけてくれる。モモが脚の間にいると脚全体がポッカポカになってよく眠れる。夜中目が覚めるとモモはもう いないけど…。モモ ありがとね。

11月15日 訪問理容
1週間ほど前訪問看護師さんに床屋さんを頼んだら「(11月)29日になる」との返事、僕の場合入浴車が水曜日の 10時過ぎでその前に床屋さんとかなり限定されているから日にちが開くのもしょうがないと思っていた。ところが昨日 午前中のケアの時に電話があり「明日はいかが?」と、僕はもちろん「お願いします」、これからますます 冷え込むだろうから早いほど良かった。
午前9時過ぎ訪問理容Rさんのいつものお二人が「おはようございます」の挨拶とともに登場。髪型はすべてお任せ、 Kさんもそれを承知で嫁さんにベッドの高さを合わせてもらったらカット開始、僕自身どう切ってもらっているかは 見えないから分からないけどかなり上手く切ってくれている様だ。その後の入浴車で頭を洗ってもらった時に髪が すっきりなっているのを感じた。いつもありがとうございます。

11月13日 gacco講座「囲碁の上達法」終了&身体がしんどい
gacco講座「囲碁の上達法」、数多くの画面の取り込みにとっても苦労したし大分時間もかかったけどWordによる まとめもようやく終わった。修了点も無事クリアした。子供の頃にこの講座の様に親父が教えていてくれたな囲碁に もっと興味が持てて囲碁を続けていたかもしれない。19路盤があまりにも広すぎて…すぐ決着の着く五並べしか やらなかったなあ。このままこの講座だけで囲碁を止めちまうのは勿体ないという気がしているから詰碁のサイトを 見つけて詰碁だけは続けていこう。そしてもっとやりたいって気になったら囲碁のアプリに挑戦だ、このパソコンにも 囲碁のアプリも折角インストールしているんだから。強くなったらインターネット対局もやってみたいが…僕は入力に 時間がかかり過ぎるから・・・。
9月29日に退院してからずっと2講座受講、ずっと無理を続けていたから体力的にも精神的にも疲れた。それも今日で 終わりだ。

11月11日 言い訳…
gaccoの講座に夢中になり過ぎて、と言うかそれ以外やる気が起きなくて足のスイッチ操作では思い通りにマウス ポインタが動かせなくて作業が進まなくて…この雑記帳も3週間あまり放置してしまった。それだけ集中してやっていた つもりなのに情けない事だがまだgacco講座「囲碁の上達法」も終わっていない、火曜日の午後3時配信されたgacco講座 「情報セキュリティ基礎」Week1は無事終わらす事は出来たけれど。「囲碁の上達法」もあと2-3日はかかるかな。まだ しばらく苦労しそうだな。

11月10日 通院日
今日は3週間ぶりの通院日、良い天気。外に出て日が当たるとポッカポカ、気持ち良かった。病院に着くとまず池を 見た。亀が甲羅干ししていた。3匹いたかな、親亀の上に子亀がいて…状態だった。救急処置室に入るとバイタルを 測って血液検査、その血液検査の結果が出るのに時間がかかって帰るのが遅くなった。
事件はリフト車に乗り込んだ時に起こった。痰が出てきたので吸引してもらおうとしたが吸引器の吸引圧がまた 挙がらなくなった。今日は救急処置室に入ってからも一度も痰が出てなくて そしてカニューレを交換した時もほとんど 痰が出なくて…。嫁さんが外来の看護師さんに吸引器を持ってきてもらって事なきを得たが…場所・時間が違ったら 死んでいたかもと思うと空恐ろしい。やはりリフト車に乗り込む前に最後にもう一度外来で吸引してもらうべきだった、たとえ痰が出ていなくても。

11月8日 サボり? 息苦しかった
午後3時半下半身のリハビリを始める前から少し息苦しさを感じていた。リハビリが進むごとに息苦しさが少しずつ 強くなっている様な感じがした。この息苦しさの感じは熱がある時の息苦しさに似ていたから立位訓練をパスした。 でもリハビリの後に熱を測ってもらったら平熱、蘇生バッグで押して痰を取ってもらったら肺が広がり楽になった。 ということは肺に痰が貼りついていたから苦しかっただけなんだ。それなのに熱があるって考えるなんて気合が 乗ってない。気分が乗ってないだけであんなになるなんて…情けない。
しかしリハビリの立位訓練を止めるなんていつ以来だろう。

11月4日 ホークス 日本一
福岡ソフトバンクホークス 日本一奪回。劇的な試合だった。9回裏 4番内川のソロホームランで3-3に追いつき11回裏 川島のライト前ヒットで2塁走者が帰りさよなら勝ち。運が良かったのひと言だ。DeNAの外野は極端な前進守備を敷き 川島の打ったボールはそのライトの前に落ちた。ライとはバックホーム、タイミングはアウトだった。しかしボールは アンツーカで跳ねキャッチャーの上へ、セーフ。劇的な勝利となった。
DeNAは思っていたより攻撃力も投手力も強かった、セ・リーグペナントレース3位とは思えないくらいに。3連勝した 時には楽勝と思った。そのあと2連敗して今日も劣勢、やばいと思った。諦めかけ明日の千賀投手に期待しようと 思っていた時にサファテが9回表をピシャっと押さえその裏内川が起死回生のホームラン、それが勝利に繋がった。 良かった。

11月3日 文化の日
今日は文化の日、嫁さんと娘は町主催の文化の日のコーラスの舞台へ行った。僕にとっては文化の日は昔からただの 祝日の一日なのだが二人にとっては何かが違うのだろう、僕にはよく解からない思考なのだが。という訳で家には僕と お袋の二人(親父は居るのか居ないのか分からなかった)。僕は最近お袋の吸引に不安を感じている、アイコンタクトが 通じないし痰がどこにあるか探り当てるのに時間がかかるかるから苦しいし痛い。だからできるだけ日曜祝日嫁さんが 出かける時には娘にいて欲しいのだが…。昨日もこの事でもめた。二人ともいない事が分かっているのならせめて誰か 介護してくれる人を頼んで欲しいものだが「誰か来てくれる人がいる?」と返されたら言い返す言葉が見つからなくて 黙るしかなかった。


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10月
10月31日 gacco講座「memento mori-死を想え- 」無事終了
gacco講座「memento mori-死を想え- 」、今日丸1日かかって「最終レポート」を書き送信、無事この講座を終えた。 確認クイズで何とか修了点60点を超える事が出来たから最終レポート36点枠は修了点の上積み分、でも結構真剣に 書いたつもりだ。レポートの冒頭で自分が筋萎縮性側索硬化症を患っていて15年間呼吸器を着けてるって書いたから 同情点がもらえるかもね。自己採点は大甘にして30点、同情点?を得られれば90点を突破するかも。今回の講座では 「死」って言葉をあまりにも聞き過ぎたから気がめいった。
残すのは同時受講中の講座「吉原由香里六段と学ぶ、囲碁の上達法 」、11月7日にもう一つ他の講座を受講したいから 「囲碁の上達法」も7日午後3時までに終わらせたいがWordでの講座のまとめのために講座で模範対局してる碁の進行の 様子の分かる画面を差し込んでるから時間がかかりそうな雰囲気。

10月30日 初暖房
今日は朝から寒げ、それに体調がもう一つ。だからなのか午前中の清拭の時に肩と胸に寒気を感じた。昼の経管栄養を 入れる時にくしゃみが連発、肺から身体が冷える感じはなかなか誰も解からないだろう。
その上午後の車椅子移乗の時間に車椅子に座っていると両脇の下あたりに寒さを感じた。だからもう痩せ我慢を止めて この秋初めての暖房を入れてもらった。暖房は本当は11月からにしたかったのだけど…仕方ない。

10月27日 散歩
今日の朝のケアの時訪問看護師さんから突然「午後の車椅子に座る時間を少し早くして散歩に行きましょう。」と 意外な提案があった。「今年の看護学校の実習生今日で最後だから」とも所長は言った。僕は当然すぐ承知した。
フリースの上着を着て車椅子に座っていつもの赤い毛布を防寒のために掛け庭に出ると風はあるものの陽射しが顔に 当たり暖かくって心地良かった。家の近くの道を500mぐらいかな 30分ぐらいかけて回っただろうか、陽射しと風が とっても気持ち良かった。その後庭でしばらく日向ぼっこ、所長と実習生を見送った。ありがとうございました。

10月23日 夕方 下痢
今日の朝のケアの時から腹の調子がおかしかった、いつになくお腹が痛かった。なんでだろう。今までにこんな事 あったか。浣腸で下りてきている便は出た。しかし何かがいつもと違っていた、ガスが便汁が出来らなかった。 その分は残っているなら車椅子に座っている時に出るだろうって思っていた。けれど車椅子に座っている間はガスも 出なかった。しかし夕方 車椅子移乗の1時間ぐらい後に大量に下痢した。どうせなら訪問看護師さんたちがいる間に 出たらよかったのに。こんな事めったにないから嫁さんに「何かサプリメントでも入れた?」って聞いたら答えはNo。 何で下痢したの?。

10月22日 プロ野球 ソフトバンク 日本シリーズ進出
クライマックス 楽天に二連敗した時には負け方も悪かったしもう駄目かなと思っていたが、第3戦7回裏中村の本塁打で 勝利した事で打線がようやく復活し第4戦・5戦をものにして日本シリーズ進出を決めた。良かった。
入院していたからリーグ優勝後のソフトバンクの試合は見ていないのだが何か将来を見据えた選手起用を工藤監督が していた様だったので気になっていた。その影響が二連敗に出たのではと思っている。

10月17日 今度のgacco講座は難しい
今日の午後3時gacco講座「memento mori-死を想え- 」Week3が配信、この講座は各週の講義時間100分以上+内容も 僕の苦手分野みたいでなかなか思考が複雑だ。内容もその時は覚えていてもすぐ忘れちまう。最終レポートに 苦労しそうだ。この講座「memento mori-死を想え- 」の配点は確認テスト 1問2点×8問×4週=64点+最終レポート 36点で修了点が60点だから確認テストだけで修了点を越えたかったのだが…もう2問間違えて後がない。 追い詰められている。Wordによる内容確認にも時間がかかっていてパソコンで他の事をする余裕がなくなってきてるし 難しいなあ。

10月16日 寒い 掛け物交換
この数日肌寒さを感じている。暖房もまだ入れずにまたホッカイロもまだ貼らずに我慢しているが今日になって太もも 辺りに寒気を感じた。それで嫁さんに毛布を冬用のいつもの赤い奴に替えてもらった。嫁さんが今年用に買ってくれた 毛布は軽くて気持ち良くて暖かいと思っていたが…赤い毛布の暖かさとは全然違っていた。清拭の時・車椅子に 座っている時にあまり寒くなかった。やせ我慢せずにもっと早めに掛け物を替えておけば良かったかな。
それにしてもチビが僕の部屋の回りをちらりともしない。もしチビが僕の脚の間寝てくれたら掛け物を替えずに 済んだかもしれないのに。

10月14日 Iちゃん連続
今日の車椅子移乗のヘルパーもIちゃん、先週に引き続いてだ。今日のIちゃんは不安を抱えていた、立たせてもらって 車椅子に座らせてもらうために身体を左に90°回す時の右足の足運びに不安を感じ始めたという。Iちゃんによると 僕の介護をやり始めて9年目になるらしいが今頃なぜっていう感じ、やっぱり僕の足腰が弱ってきているせいだろうか。 申し訳ない。
実際以上をやってみると身体を回転させてもらう際あとちょっとの所で右脚装具のつま先がほんの少し床に 引っ掛かって右足が完全には前に出なかった。この日はお尻が車椅子の奥まで行ったけど両足がそろわないとお尻が 浅くなることがよくあった。車椅子移乗の時にヘルパーでつま先が引っ掛かる人がいたが…Iちゃんだったのかな。 僕はIちゃんがくるとケアにしても車椅子にしても完璧に安心しているのに。

10月12日 Kさん初看護
今日の朝のケアもYさんとKさんが一緒、今日のケアはKさんが主体でやってくれるらしい。髭剃りとリハビリは弱め、 アンビューは肺に入れるエアーの量が多過ぎた。浣腸は差し込みが少し浅かったのかな、下りてきていた便が全部は 出なかった。吸引は初めてにしてはまあまあかな。まあ僕に対するケアはそのうち慣れてくれるだろう。

10月11日 入浴車
午前10時過ぎから入浴車、今日の入浴車の看護師はYさんとY君、一番気楽にお風呂に入れるコンビだ。スタッフの たわいない会話を聞くのもいつもの事ながら楽しかった。お風呂のお湯が心地良い季節になった。しかしもう少し 寒くなったらお風呂のお湯が冷えるのも早くなるし入浴車と浴槽をつなぐパイプの中のお湯もさめて冷たい水になる。 そういう季節が間もなく来る。嫌だな。今年も…勝負だ。

10月10日 看護学校実習生
今日から訪問看護師さんに同行して看護学校の学生さんが実習に来た。朝のケアの時は娘ぐらいの年の女性 Iさん、 今時の若い女性らしくどちらかというと細身だ。病院でもそうだがここ数年の新人は細身の女性が多くて心配になる。 今週の実習生はあと1日 金曜日、昨日が祝日だったから…。何かの役に立ちたいがあと1日じゃあどうにもならない。 実習生と会話を楽しむ時間が物足りないなあ。
リハビリの歩行訓練は今日はもうひとつ。H先生に立たせてもらっている途中は相変わらず膝に力が入らなかったし 立った時には腰と膝はある程度でしっかり伸ばせたが5歩目ベッドに腰掛けるために90°身体を回転させてもらった際に よろけてしまった。ベッド上での自主トレ?の効果は見られないな。

10月9日 体育の日
今日は体育の日、未だにハッピーマンデーにはなじめない。祝日という事で嫁さんに浣腸・摘便だけしてもらい後の ケアはヘルパーさんたちにお任せ。ヘルパーさんたちももう慣れたもので1時間もかからずに下の処理そして洗顔・ 清拭をしてくれた。今日のヘルパーさんは完璧に近かった。ありがとうございます。望むらくは社協もヘルパー吸引を 許可してくれればいいのになあ。

10月8日 余裕が出来たのでgacco講座「囲碁の上達法」Week1
gacco講座「死を想え」Week1のまとめが終わりひと段落して余裕が出来たので講座「囲碁の上達法」Week1を覗いて みる事にした。講師の由香里先生は簡単そうに説明してたので分かった風になっていたのだが…いざ確認テストに 取り組んでみるとかなり考えさせられた。何て先を読む事の苦手な脳だ。これはWeek2の確認テスト・最終テストはさぞ 難しいんだろうなと思い知らされる。出来るかな、頭がついてゆくかな。
それにしてもWeekの講義で使っている6路盤・9路盤は初心者にとってなんて良い方法なんだ。昔親父に囲碁を教えて もらった時は正盤(@9路盤)の広さに考えるのを止めてしまった。もしあの時1/4の広さの9路盤で教えてもらっていたら 諦めなかったかもしれないな。

10月7日 爪切り
僕の手の指先と爪の間には皮?が盛り上がっている、というより爪先まで皮が張り付いている。先日指先を写真に 撮ってもらってみたがひどいもんだった。こんな風になっていたらみんな爪切りをやりたがらないはずだ。普通 (浅め?)に切っても爪切りの刃先がちょっとでも皮に触れたら血が出てしまう。厄介だ。
僕の手の爪を切ってくれる人が3人だけ?いる。その中で一番上手い(短く切ってくれる)のがヘルパーのIちゃん。その Iちゃん手看護師のIさんが今日の午後の車椅子移乗の担当だった。それでIちゃんが着くとすぐに「手の爪を切って」と 頼んだ。そして車椅子に座っている時に切ってもらった。流石Iちゃん。

10月6日 珍しく所長
今日の朝のケアの担当は珍しく所長、「ケアにしばらく来ていないから」と来てくれた。そして可動範囲が広くて 力強いリハビリ(流石所長)と洗顔・背中拭き・歯磨きをしてくれた。それに紅葉orコスモスを見に行くドライブを 計画中とも。楽しみ。ありがとうございます。
ただいま自分しか行けない患者を受け持っているから土曜日はしばらく来れないと。あれぇ―、この前土曜日に来たのは何月だったっけ、覚えてないなあ。上段、構いませんよ。

10月5日 訪問看護 お初登場
今日の朝のケア、Yさんが新しい看護師Kさんを連れてきた。Yさんが今月で訪問看護の応援が終わりだからその交代 要員かもしれない。雰囲気は僕は合いそう。文字盤も使ってくれた。ひと目見て僕の看護に対応してもらえそうな気が した。昼からの車椅子移乗にも主任がKさんを連れてきた。主任は今回Kさんを車椅子移乗に参加させるつもりなのかも しれない。楽しみ。その前に僕に慣れてもらわなきゃならないけど。
主任も身体の調子が良いのか力強くなった、首の装具を着けるために上半身を持ち上げてもらう時背骨?に少し痛みが くるぐらいに持ち上げてもらえる様になったもの。

10月4日 M君 久しぶりのリハビリ
水曜日の夕方近く M君の下半身のリハビリ、20日ぐらい間が空いたかな、この力強いリハビリ 久しぶり。我慢出来る 範囲でまあ痛いけど精神的には心地良い。訪問リハビリのH先生にも病院のK先生にも左脚の方が可動範囲が狭いって 言われたし…このくらいやってもらわないと僕の可動範囲は維持出来ないよなあ。
今日の立位訓練、ベッドサイドに座らせてもらった時お尻がちょっと浅かったけど立つのは調子良かった。でも 何でかな、膝を完全に伸ばそうとすると膝が小刻みに震えるのは。昨日のH先生の時には膝を伸ばしても 震えなかったのに。
退院した日以来チビをゆっくり見た日はなかった。それどころかクロがいなくなった6月中旬以来チビは僕の部屋に 近づこうともしなかった。それなのに今日の夜の経管栄養を落としている時にチビが突然ベッドに上がってきて脚の 間に寝てしまった。どうなっているの?。嫁さんは「外が寒くなってきたから」って言ったけど…理由は どうでもいい。チビが傍にきてくれた それだけで嬉しい。なあ リン。

10月3日 gacco 2講座配信開始
今日の午後3時過ぎgaccoの講座が配信になった。今回は無理して2講座受講を予約していた、「memento mori-死を 想え- 」と「囲碁の上達法 」、囲碁の方は面白そうだったから2講座ともどうしても外せなかった。かなり身体に 無理をさせなければならないと覚悟していたけれど幸い「囲碁の上達法」の方は締切りが11月20日だと分かったから 「memento mori-死を想え- 」を優先に。「memento mori-死を想え- 」は今月末までに終わらせて「囲碁の上達法 」は 空き時間と来月に楽しみながらやろう。
今年中に他に2講座受講したいが(年末年始もあるし)…難しいかな。

10月1日 gacco講座「土木・建築構造に関する最近の研究」無事修了・Youtube live 見られず
ALS治験勉強会「治験の仕組みから最新情報まで」のインターネットlive配信、入院する前から楽しみにしていたのだが 結局エラーが出て見れなかった。Facebookで島根大学のI先生とやり取りした結果「Widows7でyoutube liveは 見られない事がある」との結論に。うちにはWindows10のパソコンが2台もあるのに、惜しかった。こんな時だけ Windows10にしておけばよかったと思う勝手な自分がいた。
その代わりと言ってはなんだが…gacco講座「土木・建築構造に関する最近の研究」は今日で無事終了。専門用語が多く 難しい講座だった。修了出来たのは「理解度確認クイズがものすごく易しく作ってあった」このひと言に尽きる。でも 橋梁や鉄骨造・鉄筋コンクリート造の建物に対する雑学をほんの少しだけど蓄えた。これで一区切り。火曜日からは 新しい講座を二つ受講する。出来るか?、勝負だ。


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9月
9月30日 手の爪が伸びた
病院でK先生にリハビリしてもらっている時に右手の指先をよく見ていた。指先の第一関節辺りからどの指も赤くうっ血 しているし親指なんか爪先が黄土色に変色していて醜い。掌の方から見ると指と爪先の間になにかゴミみたいなものが 挟まっている。これが爪切りする時にいつも問題になる爪の裏先にくっついている薄皮だろう。少しでも深爪すると 血がいつまでも出るし僕も結構痛い。出血を恐れてほとんどの人が爪切りしない。出来るのは入浴車スタッフのAさんと ヘルパーのIちゃんぐらい。だから僕は退院後の土曜日はIちゃんが来てくれるといいなって心の中で期待してる。
今日の担当は朝のケアも午後の車椅子移乗もI看護師とヘルパーのFさん、ヘルパーは残念ながらIちゃんではなかった。 Fさんの良い所は真面目で研究熱心そして力持ち、きちんとアキレス腱を伸ばしてくれるから脚の装具付けはヘルパーの 中でたぶん2-3番目に上手い。久しぶりに時間をかけて力強い清拭をしてもらった。立ってからの車椅子移乗もたぶん 問題なかった。今回の入院では衰えてはいないと思う。

9月15日〜29日 レスパイト入院
新病棟へ初めての入院、心少しワクワクだけど新病棟まで意外と遠かった。そしてエレベーターを経由して5階病棟に ようやく着いたら今回はなんと一人部屋、僕って一人部屋嫌いなんだよな、5階病棟の四人部屋は人工呼吸器を着けた 患者が車椅子に座ってテレビを見る様なスペースはないらしい、みんな看護師さんたちの僕を毎日車椅子に座らせる ための配慮だった。それなのに最初「一人部屋は嫌だ」って涙をこぼしながらぐずってしまって…T君・Sさん両看護師に 迷惑をかけた。申し訳ない、そしてありがとうございました。
皆さんは「一人部屋って良いなぁ」と思うかもしれないが僕の場合はちょっと違う、僕にとって一人部屋は恐怖の 巣窟なのだ。一人部屋はナースコールを鳴らさないとルーティーン以外には看護師が来ない、もしオーバーテーブルの 底の梁に貼り付けたナースコール用のスイッチに足が届かなくなったら看護師は1時間も2時間も来ない。もう10年近く 前だけどテーブルが動きナースコール用スイッチが押せなくて苦しい思いをしたことが数回ある。四人部屋でも そうなのだ。その過去のトラウマが僕の涙を流させた?。それほど一人は恐怖かつ不安なのだ。実際今回もスイッチの コードが外れたり接触が悪くてナースコールが鳴らない事が3-4回あった。その恐怖を少しでも取り除くため僕は景色の 見られる窓の方ではなく人の通る入口の方を向かせてもらい病室の向こうを通る人の流れをずっと見ていた。たまに 看護師さんと目が合う、それだけで嬉しかった。
今回の受け持ち看護師は5年目のTさん、真面目でひとつひとつ確実にこつこつやるタイプ。よく病室に顔を出し 話しかけてくれた。それに珍しく病室担当の日もあったのでまあゆっくり話せた。2年ぶりに本当の受け持ちに あったって感じで嬉しかった。新5階病棟は1病棟と3病棟の一部が統合したという事で看護師が7名増えた。2週間 かかって顔と苗字を何とか覚えた。と言っても2名は旧1病棟出身で以前看護を受けていたし1名はどこかの病棟で 見た事のある顔だった。またF君は以前看護学校の訪問看護研修生としてうちに来た事もあり文字盤も使えた。だから 3名と知り合いになるだけで済んだ。特にUさんは初日に挨拶に来てくれて…嬉しかったし心強くもあった。だって Uさんは僕のお気に入り看護師の1人だったから。これで病棟看護師長さん以外の病棟の看護師はみんな覚えたはず、 師長さんはあの方だと思うけど師長服を着た人が何人も病室の前を通ったしこの2週間一度も僕の所に来なかったから。 これで3代続けてあまり病室(僕の所だけ?)に来ない看護師長、もうこの病院はこんな風になったんだなと 思う様にした。
5階病棟の看護師はとにかく若手が多い、恐らく看護師の半分以上が僕の年の半分以下だろう。僕にとってはほとんどが 息子・娘みたいな年齢の看護師さんばかり。そんな中堅?・若手の看護師さんたちが僕の車椅子に座る時間になると 代わりばんこに集まってきてくれてスライドボードで僕を移乗させてくれた。お陰で毎日車椅子に座る事が出来て痰も いっぱい出て肺もすっきり、お陰で人工呼吸器を着けてもうすぐ丸15年になるがまだこんなに元気?。またほとんど 毎晩寝る前に手足の関節を曲げ伸ばししてくれるから15年間ほぼ寝たきりでも関節の可動域はまあまあを保てている。 看護師の皆さん 本当にありがとうございます。
検査は初日胸のレントゲンと心電図、翌日血液検査と尿検査、翌週の火曜日(19日)1日7回の血糖値測定。午後からの 血糖値が260台から余り上下しなくて高止まりだったから朝のインシュリンが16単位に戻った。後は異常なしかな。
平日は毎日作業療法士のK先生か来てくれてリハビリしてくれた、力加減は少しばかり物足りなく感じたが。立位訓練で 週2回立たせてもらっていたから家に帰ってからの立っての車椅子移乗も難しくはなっていないだろう。良かった。 もちろん自主訓練もやったつもりだ。前回の入院の時に加えお尻上げをしたつもりだ、人はお尻を上げているつもりで いる事は分からないだろうけど。でもこの訓練 結構お尻の両端の筋肉の上の方を使う。腰がベッドから離れたら 背筋にも来る、下の方だけだけど。いつまで続くか出来るか分からないが。
最終日の看護師はB君が担当、まだ若いけど(6年目かな)僕とも付き合いが長いから何かと忙しい退院日でも段取り良く 進めてくれてスケジュール通り退院させてくれた。たいしたもんだ。でも気質は鹿児島人そのもの。ここでもっと もっと偉くなるには肥前特有の何かが必要な気がする。本当は見た目よりずっと優しいだけど。
帰りのリフト車の車窓からは頭を垂れつつある稲穂と時期を過ぎた彼岸花が見えた。入院した時の彼岸花はまだ 咲き初め?だったのに。寒くなったはずだ。だけど家に着いてもモモもチビもお出迎えなし。寂しいなぁ。

9月13日 (下半身)リハビリ
今日の入浴車のスタッフはほぼ気を回す必要のないメンバー、ゆっくりお風呂を楽しむ事が出来た。井戸端会議の 話題は病院前の池の亀の事、あまり盛り上がらなかったが。
よく温まったからかすぐにひと眠り、そして経管栄養を落としながらパソコン開始。経管中も後しばらくも眠いから 効率が悪い、本当は経管中は効率が悪いから眠った方がいいのかもしれないが…出来ない。そのまま訪問リハビリの M君が来るまで続行、申し訳なかった。
M君のリハビリは僕だからかもしれないが力強い、部位もよく伸びている。今は口を挟む事もなくなった。だけど 立位訓練はもうひとつ上手くいかない、膝を伸ばすと膝が震えるのだ。たしかにM君に立たせてもらう時には爪先立ちに なっているから一番膝に力が入ってる。だからといって…。何故だろう。

9月12日 歩行は好調?
訪問リハビリのH先生は11時前に到着、車椅子に座ったまま右肩をまず動かしてもらった。右腕がどのくらい 上がっているのか自分では分からなかったけど今日はよく痛みを我慢出来た、ま 残る痛みじゃな〜だけど。立たせて もらうのは今日ももうひとつ、膝に上手く力が入らなかったけど先週よりはましだったと思う。ただ腰は一気に 真っすぐ伸ばす事が出来なかったので鈍い痛みがあった、残らなかったけど。その代わり5歩の歩行は多分好調、前脚の 膝にちゃんと力が入り膝を伸ばせたし後ろ足の親指にも意識があって身体を前に押せたし体重移動も出来た。H先生に 褒めてもらえた。左腕もいつもより上がった様でこれも褒めてもらえた。今日のリハビリは概ね満足。
2週間のレスパイト、これが立位や歩行訓練が吉と出るか凶と出るか。

9月11日 外は雨
天気予報では今日は雨、そのためかモモは朝7時過ぎに僕の部屋の窓の外から家の中に戻って来てから珍しくずっと家に いたらしい。モモはまず8時前に僕のベッドに上がってきて僕の脚の間で熟睡、10時半前訪問看護師さんが部屋の中に 入ってきても微動だにしなかった。洗顔してもらっている途中嫁さんが部屋に入ってきてモモを連れていくまでモモは ずっと眠ったままだった。モモはそれから台所に連れていかれた様だ。午後5時半ごろ嫁さんに「モモはどこ?」って 聞いたら「まだ台所」って。
チビは午後3時頃帰ってきた、ちゃんと雨が降る前に。僕はチビに嫌われている様だけど…やっぱりモモもチビもうちの 飼い猫だ。

9月10日 下の息子 帰る
今日の午後下の息子が大学のある自分の町へ帰っていった。結構長い間家にいてくれたから今週末僕が入院するまで いてくれたらいいなと思っていたが…しょうがない。一人いなくなっただけで思っていたより寂しいものだ、まともに 大学生活の事など話してはくれなかったけど。モモもチビも猫好きの息子がいないと寂しがるだろうな。
gacco講座「土木・建築構造に関する最近の研究」もWeek3で修了点を無事突破、後はWeek4で点数の上積みを図るのみ。 問題は1.5日弱でWordでの内容確認がどこまで出来るか。10月3から次の講座受講を決めているし、4-3までは今週までに やり終えたいな。

9月9日 車椅子 すっかり眠ってた
今日のケア、看護師のFさんとヘルパーのFさんのWFコンビ。朝のケアの時から相変わらず眠かったけど昼の経管栄養の 後は目が覚めていた。それなのに車椅子に座った途端眠っちまった、WFさんが一緒にテレビを見ていたにもかかわらず 部屋を出て行った事も知らなくて…たぶん熟睡状態だったのだろう。疲れてるのかな。
今日もモモが昼の経管栄養の途中ベッドに上がってきて脚の間で眠っちまった。嬉しかった。午後3時 WFさんが僕の 部屋に入ってきてもモモは動く気配はなかった。寝起きのモモは機嫌が悪い、引っ掻いちまう事もある。だから 嫁さんにモモを連れていってもらった。車椅子に1時間座って(正確には眠って)ベッドに戻ってモモを待っていたが 来なかった。嫁さんに聞いたら「モモはもう活動の時間に入った」って。また朝帰りかな?。

9月7日 どうしたの? モモ
昨日の夜中も帰ってこなかったモモ、今朝の大雨や雷・停電をどこで過ごしていたのか…。雨があがった昼頃 帰ってきた様だ。昼の経管栄養の前に嫁さんがモモを僕の脚の間においたら…初めはイラついていた様だがすぐに 寝入ってしまって熟睡。。3時前お袋が「訪問がくるから」と一度モモをベッドからおろしたのだけれど…看護師さんと ヘルパーさんが車椅子移乗の準備をしている時にモモがベッドに上がってきて脚の間で寝てしまった。困った 看護師さんとヘルパーさんは布団ごとモモを床に下し車椅子に座った後ベッドに戻った時にまた布団ごとモモを僕の 上に置いてくれた。その2時間後モモは突然むくっと起きて部屋から出ていった。
合計7時間あまり、モモはよっぽど疲れていたのかな。

9月6日 入浴車
最近気候が良くなったからかモモが朝帰り、夜の餌を食べたら外にパトロールに出かけていって夜中になっても 帰ってこない。でも朝の餌を食べに帰ってきてしばらくしたら僕のベッドに上がってきて眠ってしまう。今日も 入浴車のスタッフが僕の部屋に入ってきても微動だもせずに熟睡、かわいそうに追い出されてしまった。 可愛い奴だ。
今日の入浴車の井戸端会議の話題は女子バレーボール、昨日試合がテレビで放映されたらしく選手の名前が次々出るが バレーに興味がない僕は中田久美監督だけしか分からなかった。昔はバレーボールの試合もテレビで見ていたから 見れば分かると思うのだが。我が町は昔(40年前ぐらい?)からバレーボールが盛んな地域、今日のスタッフのお子さんも バレーをやってるみたいだった。

9月5日 火曜日の過ごし方
毎朝僕は5時頃からパソコンする。その反動もあって午前中は眠くて堪らない。火曜日は午前9時半ケア開始・ 10時半までに車椅子移乗完了、10時50分頃に訪問リハビリのH先生が来て車椅子に座ったまま右側の上半身関節可動域を 広げてもらってから5歩の歩行訓練。だから歩行訓練までに目が覚めるように車椅子で眠る必要があった。今日は少し 眠れたかな。それで車椅子から立たせてもらう際にはもうひとつ膝に力がいれきれず膝と腰を伸ばすのに少し まごついたが、歩行は体重移動は上手くいったし後ろ足の親指もちゃんと意識しきれたし…良かったと思う。
正午過ぎから昼の経管栄養を入れ午後2時から訪問歯科、いつもの様に口の中をきれいにしてもらった。訪問歯科に毎週 来てもらっているおかげでこの1-2年急所の左下奥歯が痛む事もない。感謝。
訪問歯科の後はテレビを見ながらうとうとしながらパソコン三昧…?。

9月4日 気候変化に身体がついていかない
この数日の間に夏の気候から初秋の気候に変わってきて朝晩は涼しくなってきているそうだ。布団に入ってばかりの 僕の脳はこの気候変化が感じ取れてないが身体の方はこの変化を感じ取っている様で清拭の後や車椅子に座った時に 鼻水やくしゃみが出る事が多くなった。そろそろ子供たちのお古の赤い毛布の出番かな。
大体この肺がつまらん、眠りから目覚めた時や痰の吸引がすっきり取れた時一年中肩や背中に寒気が襲ってくる。 呼吸器を着けてるお陰で肺機能そのものは正常に働いてる様なのだがこの肺の寒さがたまらん。気温が下がってくると 肺の寒さに拍車かかる。加齢による体力or免疫力の衰えからかこの現象が年々少しずつきつくなってきた。まだ 心配する時期じゃないけれど今年の冬越せるかな。

9月3日 gacco講座「土木・建築構造に関する最近の研究」Week2 終了、順調?
gacco講座「土木・建築構造に関する最近の研究」、2週目まで無事?終わった。講義の内容は相変わらず専門用語が多く 難し過ぎるけど、理解度確認クイズが簡単に作ってあるので助かっている。今の累計点数が50点、あと2週(レスパイト 入院するまでの8.5日)でもう10点(50点中)取れれば修了点に届く。油断しなければ何とか修了出来そうな 雰囲気なのだが…。

9月2日 日向ぼっこ
昨日陽射しを浴びた時から今のうちに出来るだけ多くポカポカ日向ぼっこをしたいと思った。今日の朝のケアの時の 看護師さんとヘルパーさんの会話の様子から「今日は風は少しあるが良い天気」と感じた。これはチャンス。ただ 看護師のIさんが主導で今まで外に出た事はない。でも庭に出るくらい問題ないと判断した。
日向ぼっこしようと決めたのは昼の経管栄養の間、けれど娘と下の息子を呼んで聞いたら3時頃は出かけてるとの事。 それで息子に「出かける前にスロープをかけて」と頼んだ。午後3時ヘルパーさんと看護師さんは玄関にスロープが あるので驚いた風だった。僕が「庭で日向ぼっこしたい」と告げるとOK.車椅子に座らせてもらって外に出ると… 陽射しと風のバランスが気持ち良い〜ぃ。しばらく庭を眺めていた。鶏頭 赤系統の花が多い。トンボが飛んでいた、 シオカラトンボにしては大きいがなんだろう。空にツバメが飛んでいるとヘルパーさんが教えてくれた。陽射しが風が 気持ち良い。
日向ぼっこ時間40分。ありがとうございました。

9月1日 通院日
通院日、車椅子に座らせてもらって玄関から外に出ると陽射しが…あれぇ…もうじりじりしなかった。陽射しが とっても気持ち良かった。病院への行き帰り車窓からずっと雲を見ていた。うろこ雲とすじ雲になりかけの雲が一杯、 そこにも秋が来ているんだなと感じた。
病院に着きリフト車から降りる時に外来の看護師さんが見えたけど上着のピンクが気にならなくなっていた、この ピンクの上着になって見るのはまだ4回目なのに違和感が無くなった。もう見慣れたというのか。2週間後レスパイト 入院の時にはどう感じるのかな。


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8月
8月31日 サッカー W杯、出場決定
サッカーW杯最終予選 vsオーストラリア戦、2-0で勝った。1-0で後半に入った時から胸はドキドキしかもとっても 息苦しくなってきた。後半30分過ぎ いつも同点・逆転されている時間帯、それがピークになって大変だった。井手口が 2点目をゴールしてやや落ち着いたが最後まで心配してた。勝因はハリルホジッチ監督の若手起用だろうか。岡崎・本田・ 香川がベンチスタート、今の若手日本代表はフィジカルが強い。世代交代の時期が来たかなあ。

8月30日 今日のリハビリは
今日午後からのリハビリは3週間ぶりにM君、やっぱりやり方が独特でたまにどこの関節・筋肉・腱を伸ばしたいか 分からない事がまだある。それでも目標としている?部位は確実に伸びている。課題は立位訓練の安定度かな、僕を 立ち上がらせる時僕の力を使わせ過ぎる。今日も爪先で立つ様な感じだった。こんな風だとM君もかなり腕の力を 使っているだろうに。ベッドからの立位訓練なのだから僕もM君ももう少し楽な力で立ちたいものだ。今日の立ち方だと 僕は疲れちまう。

8月29日 今日のリハビリは?
今日の朝のケアは所長と男性研修生、所長に洗顔してもらっている間研修生に脚を動かしてもらった。彼も最初は 遠慮しているのか力加減が物足りなかったが所長が「僕が強めを希望している」と伝えると僕の表情を窺いながら 動かしてくれた。なかなか勘のいい看護師のようだ。車椅子移乗も彼と、ヘルパーさんが来てるのにこれでいいのかと 思いながらも。
車椅子に座ってしばらくすると訪問リハビリのH先生登場。まず右肩・腕・肘・手の可動域運動をしてもらって次に 歩行訓練、立つ際には膝に力は入らなかったが立たせてもらった時には膝と腰は伸ばせた。ただ右腰に少し痛みが、 これがこれからの課題になるかもしれない。歩行の2歩目、膝が少し窮屈な気がしたが右膝にちゃんと力が入って 踏ん張れ右足に体重が移せた。歩行自体は今日も良好、ただ今日は後ろ足の親指に意識を残せなかった・意識 しなかったのはまずかった。

8月27日 日曜日
今日の日曜日もやっぱり暇だった、gaccoの講座「土木・建築構造に関する最近の研究」Week1も昨日終わっていた。 朝からYahoo GyaOの無料ドラマ4本・映画1本を見て昼前に暇になった。昼の経管栄養を落としながらちょっとだけ ひと眠り。午後1時から4時まではテレビでプロ野球(ホークスVSロッテ)観戦、その後もテレビをつけたままパソコン、 でもテレビの番組があまりも面白くなかったのでついに消した。日曜日は夕方になるとだいたい体調が落ちてくる。 この日もそう。パソコンでする事がなかったから気もまぎれないしなお更だった。こんな時は人寝入りすると体調が 幾分戻るのだが…眠れなかった。
パソコンでもやる事がない、どうしよう。そしてある事を思いついた。こんな時こそ百人一首だ。今89首はだいたい 覚えてる。今日は90首目、「見せばやな(見せてやりたいな) 雄島の海人の 袖たにも 濡れにぞ濡れし 色は変わらず」 今日はこれを覚えよう!。
今日嬉しかったのは嫁さんが昼から出かけたから娘が介護・手足の可動運動をしてくれた事、それと夜中モモが一緒に 眠ってくれた事かな。

8月26日 友 来たる
K子が実家に戻って来たついでに短い時間だったけど僕の所にも遊びに来てくれた。K子が自由気ままに話して僕が たまにパソコンで相づちを入れる。僕にとってはそれで十分嬉しいし楽しいのだけどK子は物足りなかったかも しれないな。K子 今日はありがとね。
K子とは小学校から中学2年まで一緒のクラス、算盤塾でも2年間一緒にいた。いわゆる口ゲンカ友達だ。ケンカするほど 仲が良いと思っているのは僕だけだったかもしれないが。なんせK子は中学2年でも一緒のクラスと知った時「また同じ 組」って泣いたという話を聞いた気がする、
K子は計算は今でも算盤でするという、流石だ。「僕も入院していて暇な時には指の動きを頭の中で確認しながらよく 暗算してるよ」って言いたかったけど…。

8月25日 研修生
今日の朝のケア、所長が自分でも言っていたが 久しぶり、研修生も同行。昨日訪問看護S NAのケアの時に「研修生が 病院が忙しくなったという事で(今日は)呼び戻された」と聞いたからこっちも同行はなしかなと思っていたのに。 今年の研修生は元気はあるし礼儀正しいし本当に熱心。朝のケアの時は文字盤で「脚をリハビリして」と頼んだら 所長の説明を聞きながらもずっと動かしてくれていたし、午後の車椅子移乗の時も行きと帰りは別々の研修生だったが 2人とも移乗補助の役を十分に果たしてくれた。みんな娘ぐらいの年齢だしとっても良い子だ。何か研修生の役に 立ってあげたいものだが…。

8月23日 Nさん 最後のリハビリ
昨日H先生から「明日のリハビリはMが来る」と聞いていたので午後のリハビリの時間にNさんが顔を見せたので僕は ビックリ。僕としてはNさんが辞める前にもう一度Nさんにリハビリをして欲しかったので嬉しいやら大歓迎。
Nさんのリハビリは3年目と思えないほど上手い。H先生の教えもちゃんと活かしているし自分独自のやり方も 持っている。僕の股関節症も考慮に入れて動かしている様だし攻めるところは十分攻めるしもう中堅・ベテランの領域に 近いと僕は思う。装具の装着も上手いし立位訓練にしてもすんなり立たせてくれた。今日は立つ時に膝に上手く力が 入ったので3回目に膝に力を入れるタイミングをほんの少し早めてみたら…「3回目は自分から立ちましたね」と。また 立っている時も腰骨の上に上半身が乗っていたので楽。
Nさんが帰る時涙が溢れそうだった。Nさん ありがとうございました。またいつかリハビリして欲しいな。

8月23日 gacco講座「土木・建築構造に関する最近の研究」開始
約ひと月ぶりのgacco講座、土木・建築にはあんまり関心はないのだが言い方は悪いのだけど他に目ぼしい講座が 無かったのでこの「土木・建築構造に関する最近の研究」講座を受講する事にした。今日の午後3時から配信だけど どうなる事か。一番心配なのは第4週(最終週)、9月13日に配信だけど15日からレスパイト入院だ。この2日間で理解度 確認クイズが出来るか。各週の理解度確認クイズの配点が25点だからWeek3までに修了点の60点をクリアするのが 理想だが。
講義の内容は専門用語がどかどか出てくるので本当に理解するのは難しそうだが、理解度確認クイズは講義さえ 聞いていれば簡単に答えが出るように作ってある様なので絶対なんとかしたい。

8月22日 気合が足りず申し訳ない
今日は朝のケアの木から気合が乗っていなかった。同校で来た研修生は男性、体が大きくがっしりしてて真面目そうな 看護師さん、彼がいれば病棟は助かるだろうという風に見えた。この彼もFさんがちょっと文字盤の使い方を教えた だけで使いこなした様に見えた。それなのに…Fさんが車椅子移乗後会話の機会を作ろうとしたのに承諾しなかった。 「何年目?」と聞こうと思っていたのだけど気乗りしなかったのだ、申し訳なかった。
H先生のリハビリの時も気合不足、ケアの時ほどじゃなかったけど。右足の装具を着けてもらって両足に力を込めても 気合は満タンにならなかった、先週・先々週と大違いだ。そのまま歩行訓練に突入。H先生に車椅子から立たせてもらう 時やはりしくじった、腰を伸ばした瞬間右腰から腰折れしかかったのだ。これで目が覚めたのか5歩の歩行訓練は上手く いった。やはり気合は大事だなあ。

8月21日 秋はもうすぐそこに−清拭で肺が冷えた?
今日の朝のケア、また新しい訪問看護研修生を同行。ショートカットのはきはきとした娘さん、僕は女性の年齢は 見ても解からないが20代後半 正看(護師)になって4-5年 そろそろ中堅看護師の仲間入りと見た。文字盤もFさんが ちょっと教えただけで使いこなしたし僕は十分伸びる要素をもった看護師と見た。ただし育て方次第、あの病院に それだけの指導ができる色々な経験を積んだ指導看護師がいるかどうか。
やはりもう気候は秋に変わって来ている様だ。朝のケアは洗顔・清拭・排便介助、上半身の清拭の時に肺が冷えた気が している。ほんの2-3℃の室温変化でも僕の身体は変調をきたす。情けない身体だが今の僕の現状の様だ。特に肺が 弱い。SpO2では正常値を示しているがわずかの気温差に反応する。目が覚めて呼吸器から送られてくる空気の暖寒差に 反応するし痰をきれいに吸引してもらった時の空気の奥までの入り具合にも反応する。要するに肺が少しでも冷えると 身体や脳にすぐに「寒いぞ、変化しろ」と伝わるのだ。今日だって昼からは少し寒気がしてきたし車椅子に座ったら 鼻水がパタリポタリと出てきた。ベッドに戻ってしばらくするとくしゃみ連発・気切からの横漏れドロドロ、完全に 風邪の前兆。こんな時は漢方とひと眠り、眠ると呼吸が浅く遅くなるから肺が温まる。今日はひどくなる様な予感が したからすぐに漢方を入れてもらい夜の経管中にひと眠り、そうしたら気切の横漏れも止まった。 これでひと安心。
また友人?を1人なくした。Facebookのメッセージで名前を呼び捨てしたのが気に障ったらしい。「君に呼び捨てされる 筋合いはない』との返事が戻ってきた。10回ほどやり取りしたらすぐ友達気分になる、僕の悪い癖だ。相手には そこまでの気持ちはなかった様だ。もう彼の投稿を見るのはやめようと思った。こんな風にして友達を減らして きたんだな。

8月20日 やはり日曜日は暇だ
今日は日曜日。日曜日は何をして時間を過ごしたらいいかいつも迷ってしまう。
夏の高校野球は今日が準々決勝、面白い試合が続いている様だ。だけど僕には興味が湧いて来ない、地元が絡んだ試合 ぐらいしか横眼でも見ない。プロ野球もそう、ホークスの試合しか見ない。どうやら僕は本当の野球好きでは ないらしい。なんにしても中途半端、これが僕の人生のようだ。子供たちにはこうはなって欲しくないのだが…。 昨日だったかお袋にK子が来週来る事を伝えた時に「僕が同級生の訪問を嫌がっているから来ないんだ」的な言葉が 返ってきた。お袋は何にも分かっちゃいない。今の北は誰の訪問も拒んでいない。ただ来てくれる人がいないだけ。 僕の人望がないってことの表れさ。
日曜日という事で朝からパソコン。まずFacebookを見て次にYahoo GyaOで無料動画を見るつもりだったのだがここ 2-3週間GyaOの動画がいくつもどうしてだか早送り?される様になって見れる動画が少なくなったのであまり時間 つぶしにはならなかった。途中で娘に手足を動かしてもらってまたパソコン、やる事がないと困ってしまう。しかし 今週の水曜日から新しいgaccoの講座を入れたから日曜日もそれなりに忙しくなるだろう。

8月19日 腰くだけ
今日の車椅子移乗の時間、ベッドから車椅子に移るために看護師IさんとヘルパーTさん似立たせてもらった時に 腰くだけした。このところ立たせてもらった時に腰を伸ばすためにお尻を押され過ぎると腰が安定しないなあと感じる 事がよくあった。今日は立っている時間が少し長かったのと左右の持ち方が少し違う感じでバランスを崩したんだと 思う。しかしあんな形で崩れるとは…。もっと膝を踏ん張って難しいけどもっと腰を意識して腰に力を入れるように しないと駄目だな。

8月18日 一八夜
一八夜は以前は旧我が町最大のイベントだった。部落(今でいう地区)の人々は朝から皆うきうきしていた。僕が子供の 頃はこの日が年に一番の楽しみだった。社会人になって仕事をしていてもこの日は故郷が気になっていた。出来る 事ならば帰りたかった。今の僕の家では一八夜ももう普通の日、娘は「今日飲み会だから泊まり」と言って出かけて 行った。この10年来我が家ではご馳走を作った事もないしお客さんも来ていない。我が家では祭りの雰囲気ゼロ、 何故だ。みんな僕がこの病気になったから。悪いのはみんな僕だ!!。
夜になって下の息子に「一八夜は行かないのか?」と聞くとなんだかんだ言っていたが結局は行くと。だから「写真を 撮ってきて」と頼んだ。午後9時前に花火の連打の音が始まった。浮立が龍泉寺に着いた様だ。後で聞いたのだけれど 龍泉寺が現在改修中のため「ジャーモン」は中止との事、道理で今年の花火の量が多いと思った。でもジャーモンが なかったなら今年の一八夜の魅力は半減だっただろうと思う。しばらくして息子が花火の写真をメールしてきた。 これで少しは一八夜気分を味わえた、かな。

8月16日 H先生の下半身のリハビリ、久し振り
昨日の訪問リハビリの終わり際H先生から「NもMも病気で出てこれないので明日も自分が来ます、少し遅くなると 思いますが」と説明があった。
午後4時半過ぎH先生が来て久しぶり(1年半?)の下半身の可動域訓練、やはりリハビリのやり方ってのは個人技術 三者三様だ。H先生のは結構股関節や腰にきた。しかしその痛みってえのが不思議な事に我慢できる範囲に納まるのだ。 アキレス腱伸ばし&踵関節の可動域運動にしてもかなり痛かったが…ここまで動かしてもらっていたら脚の装具も 簡単に入った。
立位訓練での手の位置もH先生は両手が?腰、NさんとM君は片手がお尻、手が腰だと立った時に膝が安定しない はずなのにH先生の場合は僕を簡単に立たせてくれて膝も安定している。不思議だ。それにH先生は腰骨を下に 押し付けて腰に上半身を乗せようとしてくれている。背中を伸ばし続けるのは僕にとってきついしほぼ出来そうもない 運動なのだがH先生の褒め言葉が僕を頑張らせる。経験の差かな。

8月15日 5歩の歩行訓練を上の息子に見せる
一昨日の日曜日上の息子に手足の関節を動かしてもらった際に息子が「思っていたより(間接)動くんだね」と 言われた事を車椅子に座っている時に思い出し、今日は5歩の歩行訓練を息子に見てもらおうと思った。この息子が 僕の歩行訓練?を見る事なんて最初で最後だろうし、呼吸器を着けて15年になる親父が他のALS患者がやらない様な事 (歩行訓練)をもやって現状を維持しようとしている姿をこの息子には見せておきたいと思ったのだ。
午前11時前H先生到着、車椅子に座ったまま右肩・右肘・右手首・右手の指の可動域訓練。そして歩行訓練、息子には 事前に時間を伝えていたのだが現れない。それで嫁さんに呼んでもらった。まずH先生に車椅子から立たせてもらう。 立ってる途中から両ひざに力が入り腰も伸びた。今日は調子が良い。次に僕が右足に重心を移し(H先生少しフォロー) H先生に左脚を前に出してもらって僕はその左足に重心移動。更にH先生に右脚を前に出してもらって僕はその右足に 重心移動。これをもう一度繰り返し最後に左足重心で90°回ってベッドを背にしベッドに横にしてもらう。見てた 息子は「ここまでは出来るのか」と感心。それが狙い。

8月14日 気温変動?
昨日の夜嫁さんが「気温がいつもより2℃ぐらい低い、寒くない?。」と言っていた。今日の午前中のケアの時も「雨が 降ったから気温が少し下がったね。」と看護師さんとヘルパーさんが話してた。けれど僕の脳はその寒暖差を 感知出来なかった。が、身体は少しずつ反応してきた。寒気がしている様な気がしてきたのだ。そして午後の1時間の 車椅子移乗からベッドへ戻った後にはくしゃみ連発・気管切開部から横漏れする痰はドバドバ(嫁さんによると肩まで 漏れた痰でびっしょり)、体調は急降下した。ほんの数℃の気温変化でこうなるとは、基礎体力がすっかり 弱ってきているな。

8月13日 T 来たる
同級生のTが今年も遊びに来てくれた。(小)中学の同級生で僕の所に遊びに来てくれるのはTとあと2-3人ぐらいか。僕は その程度の存在だったのだ。
Tは今年も高校3年の同窓会が出来たと言っていた。毎年何人集まっているかは知らないがこれだけ続けれるってのは たいしたものだ。これもTの人望というものだろう。僕に無いらしい人望がTにはたっぷりあるって事だ。そういえば 二十歳の夏休み旧我が町の祇園(地区の祭)の時に色々な同級生の家に連れて行ってもらったな。
それにしてもTは僕の隣のクラスだったけどTの口から出た同級生の名前を僕はほとんど知らなかった。 それが僕の高校生活。

8月12日 さすがIちゃん
Iちゃんが僕の所に来る様になって何年になるのだろう。K会のヘルパーでは一番の若手だけど僕には一番の古株だ。 そのIちゃん さすがだ。
今日は朝のケアも昼からの車椅子移乗も看護師のFさんとヘルパーのIちゃんのコンビ。Iちゃんが土曜日に来るのは 何ヵ月ぶりだろう。久しぶりにもかかわらず段取りがいい、爪も切ってくれたし看護師さんの指示が無くても先に 先にと動いてくれる。車椅子からベッドに戻る時の右足の装具着け、これも要領を得ていた。踵を装具に押し込む時 膝を程よく曲げたのだ。膝を伸ばしたままじゃ踵が装具に合わない事を覚えているのだ。さすがだ。Iちゃんには月に 一度は来て欲しいのだけれど…。

8月11日 山の日
誰が作るように求めたのか「山の日」、11日で固定されているのなら山関係の希望を聞いたふりをして政府が盆休みの 連休を長くしたかっただけじゃないのか。こんな日を山の日にしても山に登る人が増えるとは思えない。どうせなら 「山開き」の時期にすればよかったろうに。
我々介護を受ける者にとっては祝日で介護機関が休みになる事もあるし迷惑なばかり。僕の場合は訪問看護が休み、 誰も来ないから1日をベッドの上で寝て過ごす事に。暇だから1日パソコンだ。入力している足 1日もてるかな。
昨日は昼前から嫁さんがジブリ作品をかけてくれてそれを見ながら聞きながらパソコン、『バウルの動く城』?『千と 千尋の神隠し』『となりのトトロ』。やはり『となりのトトロ』が一番思い出が深い。昔娘と手をつなぎ大きな声で 「あるこー」を一緒に歌いながら散歩に行ってた、未来にこんな過酷な人生が待ち受けているとは知らずに。あの頃は 無邪気に楽しかったなあ。
夜嫁さんは同窓会に出かけていった。うちの中にはお袋と僕の二人だけ。最近の僕はお袋が信用出来ていないから不安 一杯、だからといって年中看てもらっている僕が嫁さんのわずかな楽しみを奪う訳にはいかぬだろう。ここは僕が 耐える番・時間という事だ。オシッコは尿取りパットを巻いてもらっているから大丈夫だが問題は気管の痰、嫁さんが 戻ってくるまでもつかどうか。出来ない時はお袋の吸引だな。
結果からいうともてなかった。

8月9日 立位訓練 今日はナイス
午後3時半過ぎからのM君のリハビリ、今日の立位訓練であることを試そうと思っていた。先週Nさんが片手を僕のお尻 辺りにあててお尻から上半身を持ち上げる様にして立たせていたやり方をM君にもやってもらおうと思ったのだ。
下肢の可動域訓練・10回のお尻上げが終わりいよいよ立位訓練、その前にM君に「片手をお尻にあてて立たせて」と 告げた。すると[この前のN先生の様にですね。]との返事。そして3回とも上手く立てた。膝の震えも起こらなかった。 ただ腰(骨盤)の上に上半身が完全には乗ってなくてM君の肩に寄り掛かっている様で自分の足で立ててない気がした。 これが次の課題だな。

8月8日 5歩歩行訓練 今日は好調
リハビリ中間の5歩の歩行訓練は絶好調、今日はH先生に車椅子から立たせてもらう際途中から膝に力が入ったし歩いて 2歩 体重を右足に移す時膝が少し重なっている様でやりづらさを感じたが右膝に力を入れて踏ん張れた。これには 理由がある、研修生という見学者がいてこの娘の前では無様なところは見せられないと気合が入っていたのだ。
もう一人もそうだけど今年の訪問看護研修生は珍しく最初からちょっと違って見えた。鍛えようによっては上物に なる様な気がしたのだ。今日の朝のケアの時なんかも訪問看護師さんに洗顔してもらっている間に脚の可動域運動を してもらったのだが細い身体にもかかわらずその力強い事、足首は少し物足りなさを感じたけど股関節と膝の 動かし方は訪問看護師さん並みで大満足。いくら言われてもなかなか出来るものではない、驚いた。この熱心さ・ 真っすぐさには応えなければならないと思った訳だ。

8月7日 アンケート作り、もう止めてもいーい?
フォローアップ佐賀(7月23日)の帰り際県支部のYさんから相談を受けて始めた佐賀県内のALS患者向けのアンケート 作り、今回の目標は@アンケートを5ページ以内に納めることA回収率を何とか上げたい(前回の郵送方式は約60%)、 それに主成分分析を生データでやりたいので5段階スケールの問いを4-5項目考えてアンケートに入れ込む事。
まず前回のアンケートからどの項目を除くかだが僕個人の感覚で質問項目を省いたのでは不都合が起こりやすいと思い 神経内科の医師の意見を聞こうと考えた。でも僕の主治医は長崎県の医師、佐賀県に関する事を聞く訳にはいかない。 そこでフォローアップ佐賀にも参加されていた佐大医学部の先生(医師)に日本ALS協会本部を通して尋ねる事にした。 これが事を複雑にしてしまった。本部が僕に「今何故アンケートを実施するのか?」と聞いてきたのだ。「そんな事は 県支部事務局に聞けよ」と思いながらも自分の考え・意見をメールした。それでようやく佐大医学部の先生に本部から 聞いてもらえる事になるのだがこれではいつまでたってもアンケート作りは終わらないと思いもう自分の感覚で質問 項目を選択する事にした。後日帰って来た佐大医学部の先生のアドバイスも完全に抽象的内容だったので僕の頭の レベルでは質問項目の選択作業に生かす事は出来なかったと思う。
5段階スケールの質問の1番目はもう決まっていた、経済的な不安に関する事。支部長に経済的な不安を抱えている方も いる事を理解させたかった。他の質問を考えるのに1日かかった。すべてのALS患者に共通する不安を見つけるのは 難しかった。
5段階スケールの質問を入れて僕の完成させたアンケートのページ数は6ページ、多い。U先生からもその事を 指摘された。ページ数=質問数を減らすには5段階スケールを除くしかない、残念だけど。最後に確認しきれなかった 福祉制度の項目を除いて僕としてのアンケートの完成。僕の考え方ではこれ以上アンケートの内容の変更をする事は 出来ないし後は事務局に渡して向こうに諸々判断してもらった方がいいと思う。

8月6日 広島 原爆の日
大学時代4年間広島に住んでいたのに『8月6日』への意識が薄い。今日も夜の報道が流れて思い出した。大学時代の 知り合いに(同学年)被爆二世だっていたのに・元安川の灯篭流しだって見たことあるのにこの意識の低さは何なんだ。 平和公園の傍は大学時代自転車で何度も通ったが見向きもしなかった。いわんや原爆記念館にも当然行った事がない。 いつの頃かは忘れたが広島市の街中に住んだ事のある者にとってこんな事は恥ずべき事と思うようになった。 それなのに今もこんな風、自分でも嫌になる。この辺が表面上の友人しか作れなかった原因に 繋がっているんだろうな、きっと。

8月5日 親父、一時帰宅?
今日(土曜日)の午後3時半頃看護師さんとヘルパーさんに車椅子に座らせてもらった丁度その時に、僕の部屋の障子が 開いて親父が顔をのぞかせた。今回は僕に会いに来てくれたんだ。親父の顔を見るのは何ヵ月ぶりだろう。4ヵ月かな。 相変わらず痩せこけて、ご飯しか食べないそうだから…。何とかおかずも食べさせないと力も出ないだろう。 どうすれば…。しかし病院でたくさんのお年寄りを見ている僕に言わせれば親父の脚はしっかりしている。見守りも いるのかな?レベルだ。だからおかずさえ食べさせて体重が増えてくれば体力も戻ってくるはずだ。 一体どうすれば…。
親父が僕の部屋から去った後は親父の音も影もなし、居るのか居ないのか それも分からない。

8月4日 通院
今日は多分真夏日の中通院日、車椅子に座って廊下に出るとモモが廊下に長々と伸びていた。遊び好きのモモが外に 出ないなんて…きっと外が暑くて堪らなかったのだろう。玄関からその外に出ると熱気がむーん、リフト車に乗り込む 時一瞬陽の光を浴びたのだが肌がじりじりした。若い頃はこのじりじりが大好きだったのだが今は…、寂しいなあ。 まあ行きのリフト車の中ではよく眠れたが。
救急処置室に入るとやはり看護師さんの上着の濃いピンクばかり目立って顔が霞んでしまう。看護師さんの表情がよく 分からなくなった。この上着はまだ好きにはなれないな。
還りのリフト車では雲ばかり見てた。青空に雲がいっぱい浮かんでいた。積乱雲になり切らない雲、昔見た南の海の 島の上に浮いていた雲にもくもくを少し加えた様に見えた。こんな雲昔からあったかな。

8月3日 訪問看護研修生A
今日のケアは訪問看護ステーションNの担当、朝のケアの時にH看護師さんが訪問看護研修生を連れてきた。予想は していたけど電話でもいいからひと言欲しかった。今回の研修生は若そうだけどきれ可愛いそろそろ中堅かという 看護師さん、例によって文字盤で「何年目?」って聞くと「正看(護師)になって10年」との答えが帰って来た。道理で 背中を拭いてもらった時フォローする彼女の身体の使い方ひとつとっても違うと感じた。この彼女は使えると思った。 それにしても今回の研修は正看1年目の訪問看護研修ではなかった様だ。
昼からの車椅子移乗の時は主任が別の看護師さんを連れてきた。彼女もそろそろ中堅って風に見えた。車椅子に 座ってから主任が会話タイムを作ってくれた。研修生の看護師さんとお話し、不思議な事に彼女の文字盤の使い方は 所長と同じ。僕の目と文字盤を同時に横から見るなんて難しくないのかな。

8月2日 リハビリ
先週?訪問リハビリのH先生から「8月でNが家庭の事情で辞める。」と聞かされた。もったいない が仕方ない。せめて 辞める前にNさんのあのリハビリをもう一度受けてみたいと思っていた。
午後3時半過ぎM君が顔を見せた時に「最後の方にNさんが来るかもしれない。」と聞かされた。そして右の脚・左の脚・ 腰上げ(腰が上がるのはほんのちょっとだけど)と終って脚に装具を着けてもらっている時に玄関の開く音がしてNさんが 現れた。Nさん笑顔、つられて僕も笑顔。この明るさもNさんの良い所だ。立位訓練、最初の2回がM君・最後がNさん。 M君の立位訓練、まあまあの調子だったが立って膝を伸ばした時右膝がまだ少し震えた。また腰を完全に伸ばす事は 出来なかった。Nさんの立位訓練、すっと立たせて骨盤の上に上半身を乗せた。当然頭−腰−膝―足は一直線、Nさん 上手い。僕は二人のやり方の違いが分からなかった。後で嫁さんに違いを聞くとお尻の位置が違う様だと。そうか、 M君の時が少しへっぴり腰なんだ。

8月1日 訪問歯科
今日の午後2時からは訪問歯科、いつもの様に歯科衛生士さんが来て口の中を診て清潔を保ってくれている。ここ最近は 左下奥歯[ブリッジ]の歯茎が腫れて痛む事が無くなった。これも歯科衛生士さんが毎週来て歯間ブラシ・歯ブラシ・口の 周りのマッサージと口の中を清潔にしてくれているおかげだろう。
その歯科衛生士さんが先週から奇妙で結構気持ち良い事を始めた。ソフトグローブに目一杯空気を入れて手の下に 置いたのだ、指の間ににもソフトグローブの指の部分を挟んでくれて。手がプワンプワン浮いた様で気持ち良かった。 時にはこんなのもいいな。


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7月
7月31日 訪問看護研修生@
朝所長から出羽があり「今日からY(病院)の研修生を連れてくる」と、突然に。そしてF(看護師)さんが初々しそうな娘( 看護師?)さんを連れてきた。洗顔が終わった時に僕が(文字盤で)「何年目?」と聞くと「準看を経て今年正看(護師)に なった」との事。うちの娘と同じくらいの年齢だろうか、清々しく感じた。彼女はどうやら僕とFさんが文字盤で 会話しているのを見て文字盤のやり方を理解した様だ。まあFさんから事前に文字盤の使い方は簡単に聞いていた かもしれないが、現物を見るのは初めてだろうしこれだ文字盤を使えるとはたいしたもんだ。病院での看護も 熱心なのだろう。
午後の車椅子移乗についてきたのはちょっとボーイッシュな感じな娘、彼女も初々しい。彼女にも文字盤を使って もらって「何年目?」と聞くと午前中の彼女と同じような答え、もしかすると今回の訪問看護実習は正看1年目の実習に なっているのかもしれない。でも早いうちに訪問看護の様子を知る事はいい事だと思う。彼女たちの勤めている病院は 家と病院とを行き来する患者さんが多いと僕は認識しているから。彼女たちがこのまま素直にそして技術を身に着けて 立派な看護師として育ってくれたらいいな。

7月29日 ちはやふる2
今日朝の経管栄養が終わった頃から嫁さんBlu-Rayに録画していた『ちはやふる2』を再生してくれた。これにより僕は 一日中『ちはやふる2』三昧、『ちはやふる2』はYahoo GyaOで以前鑑賞したはずなのだが所々しか覚えていなかった。 やはり『ちはやふる』は1も2も面白い、特に百人一首を(中途半端にでも)知っていればビデオの中に毎回何首か和歌が 出てくるから尚更だ。。ちはやふるは半年放送で1も2も26話まであったはずなのだがBlu-Rayには25話までしか 入っていなかった。続きを見たい。テレビで高校2年生の夏の全国高校選手権+αまでだけど冬には競技かるたの 日本選手権もあるはずし(千早・太一・新)3年生もある。まして新が大学進学で東京に出てきたなら太一と新の恋の 争いは…、原作はどうなっているのだろう。見た〜い。

7月28日 疲れかな
日曜日の外出の疲れが月曜から出て火曜日ピークに。ともかく眠たくて午後11時前に「もう寝る」と言って嫁さんが 驚いたほど。その疲れがまだ残っているのか昨日今日の車椅子移乗の時に立たせてもらう際腰と右膝の動きが鈍い様な 感じがして安定感に欠ける風があった。ちょっと気を抜けば腰折れor膝折れしそう。これが疲れからならまだいいが 加齢による気力散漫ならどうなるか。慢性的な睡眠不足もある様で絶えずまぶたが重い。幸いgacco講座「宇宙開発を 通してみる私たちの社会」も終わったし8月のgacco講座にはめぼしいのがないからしばらく暇になりそう。経管栄養の 時間は寝る様にするかな。

7月26日 リハビリ(下半身)
水曜日は10時頃から入浴車・15時半過ぎから訪問リハビリ。入浴車では先週ぎっくり腰で話題に挙がっていたY看護師 (男性)が元気そうな顔を見せた。僕が「大丈夫?」と聞くと「ばっちり。先週笑もんにしてたでしょう。」との返事。 今日の看護師スタッフはWYのコンビだったから色々バカ話もしてくれたし楽しくて楽な入浴だったなあ。
昼からはパソコンをしてリハビリを待つ。ところがメールの内容を作っていて一区切りつかない内に3時半が来て…。 水曜日のリハビリは下半身の可動域訓練と立位訓練、担当はずっとM君、M君も狙った部位をほとんどの確率で伸ばせる 様になって…M君の動かし方にも慣れてどのくらい我慢すればいいかも分かって。狙った部位と違う所や股関節が痛んだ 時に説明してた文字盤もほとんど使う事もなくなった。立位訓練では膝と腰を伸ばそうとするとまだ膝が震える。 今日は足の歩幅を決めるためにベッドを上げて座位をとらせてもらってからベッド下げた。これが僕のベストな歩幅。 そして立った。それでもまだ少し膝が震えた。それで次回はもっと早く立たせてとM君に頼んだ。今のM君の立たせ方は 上体を前に倒し膝に重心を置いたまま引き上げるやり方。僕は膝の運動に十分なっているからこれもありかと 思ってた。でもこれって膝の負担が大き過ぎる…。

7月25日 いいの?
今日の朝のケアは久しぶりに所長、しょっぱなから「排便を週3回に変更して月・木・度にしましょうか。」と提案を 受けた。僕が最近土曜日によく排便をお願いするようになった事への配慮だろう。たしかに僕の身体の中の便通事情は この半年で変わってきている、浣腸・摘便してもらっても翌日には領の大小の違いはあるものの便が下りてきている 感じがあるのだ。だから提案は僕にとって大変ありがたいものだった。しかしそれならヘルパーさんの拘束時間を 変更しなくていいの、だいたい正午近くまでかかるのに。木曜日いつも規定時間をオーバーしているし僕としては木・ 土はヘルパーさんとの契約時間を15分ずつ伸ばして欲しいと思うのだが。

7月23日 外出
今日は佐賀フォローアップに参加のため外出、朝6時過ぎから経管栄養を始め8時前に終了 9時過ぎから着替えを 始めた。今日は訪問看護がいないから時間がかかるかもと思っていたがそうでもなかった。それより心配したのは 脚の装具の装着、嫁さんも娘も着けた事がないから。けれど町の移動サービスの同行のヘルパーさんがYさんだったので 安心、娘も偶然かもしれないが上手く入った。それからスライドシートで車椅子に移動し10時過ぎにリフト車に 乗り込んだ。今日も良い天気だなあ。
11時15分頃に会場に入れた、やはり高速道路を使っただけの事はあった。すぐにYさんそれに前回のシンポジウムで 顔見知りになった日本ALS協会本部のHさんとHさんが挨拶に来てくれた。しばらくして僕の指定位置に移動し昼の 経管栄養を開始、その場所でミーティングが開かれた。その後O会長が挨拶にみえられたのだがそっけない態度をとって しまった。本当に申し訳なかった。まずかったと反省したのはしばらくしてから、僕はどうしちまったんだろう。
会議開始。ます佐大医学部のE先生の講演、この中でE先生はALSの進行は様々でALS患者の中でも発症から10年経っても 人工呼吸器を着けなくて済む患者が10%いると説明された。その典型的な例がYさんだろう、Yさんと知り合ってもう 15-6年になるが僕から見ればYさんの症状はほぼ止まっている様に見えていた。僕はALSになると進行に早い遅いの 違いはあるものの最終的にはみんな全身の筋肉が動かなくなり胃ろうと呼吸器に繋がれた生活になると思い込んで いたので大いなる驚きだった。こういう目で見ると僕はこの会場にいる8人のALS患者の中で一番重症なんだと改めて 感じてしまった。
次に島根大学附属病院リハビリテーション室 作業療法士 森脇さんの講演、テーマは「深化した島根の コミュニケ―ション支援について」、本当に島根県のコミュニケーションは進化していた、我々ALS患者 僕にとって 恐ろしいのはスイッチを使えなくなる事それに誰に相談していいか分からない時、島根のシステムはこれを クリアしていた。良いなあ。佐賀は難病支援相談センターはあるし難病支援コーディネーターもいるがどちらも僕には 影が見えない、ついでに言うと申し訳ないが保健師も今の僕には伝言係に近い。僕はこの病気を20年以上やっているの だから経験とこの病気に関する知識に差があっても仕方ない。県内の他のALS患者はどう感じているのだろうか。 島根県はこのシステムに関しては保健師がきちんと機能している様だ。羨ましい。
ついでフォローアップミーティング、本日のメイン。参加者が3つのグループに分かれて課題を話し合って最後に 発表するというもの。すばらしい企画なのだが僕はそれよりも同じグループにいた2組のALS患者が気になった。 2組とも何かを訴えているのだが右耳の聴力が落ちている僕には聞こえなかった。1組は同じ保険管区の患者さんだから これからも保健師を通して話も出来るがもう一組は福岡県から、今聞かないとお別れだ。そう思って焦っていたが 結局聞けなかった。気になる…。
県支部総会の後帰宅、帰りは我が町の介護タクシー、これが三回目の利用かな。帰りは高速道路を使わず下の道を、 佐賀市-小城市-多久市-武雄市(若木-飛燕窯?-黒髪:初めて)-我が町 我が家、何十年ぶりに通ったか。時々昔の記憶が 蘇った。懐かしかった。介護タクシーの運転手(社長)さんが家に着くと車椅子からベッドの移乗まで手伝ってくれた。 お世話になりました。
疲れたけど新しい人と知り合いになれて楽しかった。

7月22日 ガスと一緒に なんで?
今日のケアの担当は一日看護師のFさんとヘルパーのFさんのWFコンビ、朝10時看護師のFさんの顔を見た時「明日 外出だから浣腸する」と頼んだ。そして洗顔・洗髪・清拭 最後に便処理(浣腸)をしてもらった。その際屁は出なかったが 便汁は出たのでたぶん大丈夫だと思って尿取りパットは当てないでいた。
ところが午後2時半頃ガスと一緒に残便(便汁)が出た。なんで…。僕は少しと思っていたが看護師のFさんはかなりと。 という事は一昨日車椅子に座っている時に出た便は大量だったという事か。まだお腹にガスが残っている気がした僕は 車椅子に座ってる間パットを当ててもらっていたが必要なかった。残便は出尽くしたか、良かった。
夕方親父が一泊帰宅した様で顔を見せてくれた。足取りは聞いていたよりしっかりしていてこれなら状態にあった 自己運動さえすればまだまだ強くなると思えた。問題はおかずをどうやって食べさせるか。今度親父がどんな形態の 食事まで摂れるかケアマネージャーに聞いてみよう。それにしても痩せた親父はみっちゃんに瓜二つ、驚いた。

7月21日 通院日
今日は通院日。車椅子に座って部屋から出たらむわーっ、玄関の外に出て陽の光を浴びたらあっちっち。嫁さんや 訪問に来る看護師さんやヘルパーさんが僕の部屋に入ってきて「この部屋は天国」って言うのが分かった。病院への 移動中リフト車の車窓から田んぼを見ると苗が青々と育っていた。若い頃はこの暑い夏が大好きだったのに 今は…。
病院に着き救急処置室に入ると看護師さんの看護服の上着のピンクが真っ先に目に入ってきた。これが噂に聞いていた ピンクか。たしかにきつい、部屋の中でピンクだけが浮いて見えて見慣れている外来の看護師さんたちの顔も違って 見えた。レスパイト入院中こんなピンクに囲まれたら目がちかちかしそう。慣れるかな。それにVネックが深すぎて 見るつもりがないのに見えちまった。これは働きにくいだろうな。

7月20日 多過ぎた
今日の朝のケア、今日も看護師のYさんが一人、かなり慣れてきたことが挨拶からも分かった。便意は昨日の夕方から あるのだが少しだけ、実は昨夜ラキソは使ったはずなのだが朝から便が下りてきいない気がしてた。浣腸・摘便して もらって下りてきている分は全部Yさんに出してもらったのだけど下腹部にガスなんかが残っている気がした。だから 尿取りパットを当ててもらったのだけれども…。
昼3時からの車椅子移乗の担当は主任とヘルパーのNさん、車椅子に座らせてもらってしばらくしたら柔らか過ぎる 水便がいっぱい出た。残便の便汁じゃないの、なんで…。危険水位にかかるのは分かった。でも左上に流れたから しばらくは大丈夫と思った。そして車椅子からベッドに戻る時にその危険度合いを伝えたつもりだったが甘かった、 量が多過ぎた。新聞紙は敷いていたのにベッドに戻った際にシーツが汚れたらしい。それからは僕をベッドの上に 残したままマットレスを引き抜きシーツを替えマットレスをもう一度差し込む大作業、主任とNさんに規定以外の時間と 多大な迷惑をかけてしまった。真に申し訳なかった。すみません。

7月19日 入浴車、オシッコが止まっちまった
午前10時過ぎ入浴車の時間、まず最初にオシッコするのが恒例。尿瓶(尿器)を当てたまま吸引してもらったら尿器が ずれちまった。文字盤を使って「尿器が外れた」と告げて尿器を当て直してもらったら慣れていない看護師さんが 尿器を抑えたままだったり足をなでたり、ただでさえ入浴車のスタッフが部屋の中でそれぞれの仕事をしてるのが 見えるから出にくいのに足なんか触られたら…オシッコが止まっちまった。思わず文字盤で「邪魔」と言って しまった。瞬間スタッフ全員の雰囲気が冷えた。申し訳ない。
入浴前のひとコマでした。

7月18日 5歩歩行訓練、今日はバッチシ
先週の5歩の歩行訓練、とても眠かったのと気合不十分で膝折れしH先生に迷惑をかけた。今日はそれを反省し車椅子に 座っている時に20分ぐらい眠った。H先生が部屋に入って来た時には眠気は少し、後は気合いだ。車椅子に座ったまま (右)肩・肘・手を動かしてもらっていよいよ5歩の歩行訓練、立ち上がらせてもらった時右膝を伸ばすのに少し時間は かかったが腰に上半身は乗せれたし左右の足に交互に体重も移動出来た。今日はほぼ満足。ベッドに横になってから H先生に目で「今日は満足」の合図を送ったらうなずいてくれた。良かった。

7月17日 全く情けない僕の身体
今日は海の日、旗日だ。今回もヘルパーさんが2人洗顔・清拭・下洗いをしてくれた。ありがとうございます。
今日も午後になって気管切開部から唾液や痰が漏れ出てきて右の首や肩の後ろがドロドロ、こうなるのは体調が 悪くなってる証拠だ。清拭をするとよく体調が落ちてくる。多分身体が冷えたからなのだろうがあんな短時間でしかも 掛け物もしっかりかけてもらっているのに…。最近体力(免疫力?)がどんどん落ちていってるなあ。全く情けない 身体だ。

7月16日 SAS Studio やってみた
今日は朝一番から統計の日、前から決めていた様にgacco講座「統計学V」の積み残し SAS University Edition の SAS Studio で主成分分析と多重回帰分析をやってみた。よく分からなかったけど解は出た。中途半端な使い方だけど 一応僕にも何とか使える事は分かった、主成分分析をどんな場合に使ったらいいのかはまだよくは分からないけどその 糸口は見えた。一応だけど満足した。次に進めそうだ。
親父は今日いっとき家に帰って来たらしいのだが僕の所には顔を見せなかった。なぜ…。親父の体重は35kgとの事、 気管切開する前の僕とほぼ同じ。それじゃあ体力もないだろう。食事が入らないから。どうすれば……。

7月15日 訪問理容
今日は午前9時から訪問理容。先週の土曜に所長に頼んだら最初は26日(水曜日)と。最近頭が暑くてたまらないから 洗髪前の「土曜日に出来ない?」って聞いたらリリアンさんが今日にしてくれた。ありがとうございます。
今は朝の経管栄養を7時ぐらいから始めているからそれ程でもないが朝早いのはやはり少し辛いかな。しかしこんなに 早い時間に来てくれるのだか眠い顔をしている訳にはいかない、なんとか目は開けていた。今日もKさんと綺麗そうな 人(もう10数年の付き合いだけど名前も知らない)が2人で来てくれて髪をいつもの様に短めに切ってくれた。ずい分 さっぱりした。いつもお世話になりますね。

7月13日 Yさん、3回目
朝のケアはYさん、今日で一人3回目、お互い大分慣れてきた。浣腸と摘便も結構上手くなった、特にお腹を押して便を 出すのが。今日はYさんがお腹を押してくれた時に便がうまくぬるっと出て便汁も出たから後はもう出ないと思ったので 尿取りパットは当てていなかったのだが…午後2時過ぎにまた少し便が出てまた車椅子移乗の時に主任やH看護師・ ヘルパーさんに迷惑をかけてしまった。何でかなあ、昨夜の寝る前のラキソ(下剤)がまだ少ないのかなあ。
今日の車椅子移乗の時の看護師さんとヘルパーさんの年齢の合計は120数歳。ちょっと不安だったけど無事移れた。 良かった。

7月12日 入浴車、Kさん久し振り
朝10時過ぎ入浴車の時間、ヘルパーさんに引き続き障子を開けて僕の部屋に入ってきた看護師はYさんと…Kさん。Kさん 久しぶり。本人によると3年ぶりとか。Kさん いつの間にかたくましくなった、でかくなったという訳ではなく良い 意味で本当にたくましくなった。何があったのだろう。
Kさんの対応は昔と一緒、3年もブランクがあったとは思えなかった。おかえり、Kさん。

7月11日 gacco講座「統計学V」ほぼ終了
退院した日から「統計学V」Week5に取り組んでいたがいたが今日でほぼ終了、Week5「パス図作成と(多重)方程式・ 共分散構造分析」もやっはり理解出来ず、それでも修了証は手に出来た。こんな理解度で修了証をもらっていいのかと 思うがそこはgaccoのe-learningのサービス部分、いただこう。統計の知識は幾分増えたと思う事にしよう。でもSAS University Editionの多重回帰分析と主成分分析は一度は使ってみたい。今度の日曜日やるつもり、頑張ろう。
今日の5歩歩行訓練は膝折れして失敗した、今まで退院直後の火曜日の歩行は好調だったのに。H先生はかばって くれたけど気合不足だった。ただ片方の足に重心をかけようとした際もう片方の膝が邪魔になったなあ。

7月9日 一般教養なのに下の息子は大変だ
昨夜下の息子が住民表を取りに戻ってきた。「ただいま」と挨拶には来たがそれ以降姿なし。今朝嫁さんに「何を してるのか?」と聞くと「部屋にこもってレポートしている」と。昼前息子を呼んでもらって「何のレポート?」と 尋ねると「化学と生物、もうすぐ締め切り」「一般教養でも忙しい?」って。大学生になっても大変だ。僕も1年の時 電気実験のレポートがあったが電気に弱い僕は実験はパートナーに任せっぱなし、大変さを比べるまでもない。一体 医学部の教養課程はどんな講義が並んでいるのか。がんばれ。

7月8日 鰻テボ
夕方お袋がPP(ポリプロピレン)バンドで編んだ鰻テボを持ってきて「これ何だかわかるか?、(お父さんが)昔竹で 編んだこれで鰻を撮ってきていたのを覚えていないか?。」と聞いてきた。どうやらお袋は僕が親父から教えられて 一人でも鰻を取りに行っていたのを知らなかったらしい。僕が取ってきた鰻を食べた事もあるくせに…。
僕は山の事・川の事・海の事、何もかも親父に教えてもらった。その僕が鰻テボを忘れるはずがないのに…、お袋は 何にも知らないな。親父、いつ帰ってくるのだろう。


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6月
6月30日〜7月7日 レスパイト入院
7月のレスハイト、嫁さんのコーラスに合わせての入院だ。初日は血液検査と検尿、良かったのか悪かったのか 知らないがいつも通りだったらしい。主治医から「今回は(糖尿病の)錠剤を増やしてみる」と説明あり、僕のお腹は もてるのかという懸念があった。案の定翌々日したら便が少しずつ緩くなってきた。月曜日(7月3日)の朝主治医には 「もう少し様子を見る」と答えたのだが…午後3時から車椅子に座っていると水にちかい様な便が出た。それで薬を元に 戻してもらった。
5月以降看護師の転出異動はなかったようだ。3-4日顔を見ない看護師がいてどうしたのかなと思っていたが後半で病室 担当に、休みをもらって旅行に行ってきたと話してくれた。去年新人として入った看護師さんの名札を見たら苗字が 変わっていたので驚いた。娘より1つ下の年代(23才)、もっと自分だけの時間を楽しんでも良かったろうにと思った 次第だ。今回も僕をよく知らない看護師が病室担当になるケースが多く本当に何にも考えないですんだのは数日、まあ ぜいたくを言える立場でないのは分かってはいるが。今回も看護師長さんと話をした記憶はないなあ。
車椅子にも毎日座らせてもらったし就寝前の手足の運動もほぼ毎日してもらった。看護師さんたちに感謝。リハビリは 立位訓練は1日だけだったが手足の可動訓練は海老蔵先生と小藪先生に平日毎日してもらえた。みんなのおかけで 体力が衰える事なく?家に帰れた。
この病棟で過ごした最後の8日間 感慨深いものがあった。特に窓の外の桜の木はリンを失った僕の悲しみを少しずつ 吸収してくれた。次のレスパイトから新病棟、どんな雰囲気だろう。

6月29日 雑感
Yさん一人で2回目のケア、今日は浣腸液の管を今までよりずいぶん?と奥まで入れてもらったつもりなのだが… 肛門近くまで降りてきた分しか出なかった。まだお腹の中にガスが残った感じ、この一部が午後2時半ごろ便汁と一緒に 出たのか?。難しいなあ。
チビが今日も僕の部屋に寄ってこない。というより気配さえほとんど感じない。マジで嫌われたか。
嫁さんに聞いたが親父が退院準備段階にに入っているらしい。状態はよく分からないが良かった。音はなくとも やっぱり親父はこの家に居なくちゃあ。
統計学3 Week4 内容は依然として全然解からないけど明日の朝で終わる見込み、さらーっと流した感じ。確認テストは 累計 34/40点、修了証まであと26点、どうにかできるか。

6月28日 入浴車の時に目が開かない
この数ヵ月入浴車の時に眠くなる。特に今日は朝4時半からパソコンを始めたから入浴車の時に目が開かなくて困った。 時々いろいろ目で合図する必要があるのだそれも出来ないほど瞼が重たくて目を開けるのに必死だった。どうして?、 お湯に浸かっていて気持ち良かった事もあるのだろうが…疲れがたまっているのかな。統計学V やるだけやって… 今度のレスパイトではゆっくり眠る事にしよう、もちろん車椅子には毎日座らせてもらってリハビリも自主 トレーニング?ももちろん頑張って…だけどね。

6月27日 gacco講座「統計学V」Week4 配信
午後3時 gacco講座「統計学V」Week4が配信された。今週の講義の内容もほとんど理解出来なかった。難し過ぎる。 本来なら各週のテーマを講義の表題に取り上げて4週かけて解説して欲しいところだ。今日からレスパイトする日の 朝まで統計学VWeek4に専念する事になる。4日かかっていた内容整理を2.?日(?は金曜日の朝)で整理しなければ ならないからこの雑記帳を書く時間はないだろう。何とかこの2日でWeek4の整理&確認テストの送信が出来ればいいが 出来なければ退院してからのWeek5の60点分の最終テストの出来に支障が出るかもしれない。ここが今回のgaccoの 勝負どころ、頑張らねば。
今日のリハビリの歩行訓練は眠気が残っていて気合が入っていなかった。H先生に申し訳なかった。立ち上がらせて もらう時に腰を伸ばすのに時間がかかったが歩行?はまあまあ。ただ…立ち上がらせてもらった際右膝がすんなりと 伸びていない。1年前右股関節の右側面の痛み止めの薬を出してもらう前とほぼ同じ現象。痛みはないのに… なんで?。

6月26日 月曜日はやっぱり午後から下り坂
昨日先輩が訪ねてきてくれた時は いや一日中調子が良かったのに今日は午後から下り坂、月曜日は大体そう。やっぱり 清拭で身体が冷えているのかな、訪問看護師さんは大分気を使ってくれているのに。本当にやわで情けない身体だ。 去年はここまでひどくはなかったと思うのたが加齢?、僕としてそうは考えたくないのたが。なんでもかんでも加齢の ひと言で済ませるのは寂し過ぎるだろう。
一番の解決策は1時間ぐらい昼寝をする事、寝ると呼吸がゆっりになるから回路の中の空気の流れもゆっくりなるし 加湿器のゆっくらした加温でも空気は温まる。結果肺が温まり身体も自然とあったまり回復。分かっちゃいるけと パソコンを止められない僕のこの性格、だって昼はFacebookと情報収集の時間なんだもの。

6月25日 会社時代の先輩 遊びに来たる
午前中会社勤務時代の先輩(遊び仲間) Nさん夫婦とFさんが遊びに来てくれた。3人とも気軽に接してくれたしそれに さりげなくどんどん話を進めてくれたので僕は居心地良く感じていた。ベッドに寝たままで声を発する事も出来ない、 それが今の僕の普段の生活スタイルなのだから。かなりの病人のだが病人扱いは居心地が悪いのだ。
昔話に僕は時たまパソコンに入力して読み上げソフトで返答するのだがその時にはもう話が別の話に移っていて…、 でも認めてくれた。下手に返答を待たれると焦って余計に入力に時間がかかって…辛いのだ。勝手に話が進んでいる 方が気楽でいいのだ。
とても楽しい1時間半でした。ありがとうございました。

6月24日 統計学V 未だ理解出来ず
今日のケアは午前中はF看護師さんとヘルパーのTさん&Sさん(Sさんは3回目−僕のケアは難しいのだろう)、午後の 車椅子移乗は所長とヘルパーのMさん、看護師が代わる土曜日は珍しい。朝から少し便意があり朝は便を出してもらうか 迷っていたが月曜までもてると思って言わなかった。ところが車椅子に座っている時に少し便が出て便意も少し 残ってた。そこで摘便を希望し残便とガスを出してもらった。お腹はすっきり、やはり上手い。また所長に迷惑を かけてしまった。ゴメン。
統計学V Week3 までほぼ終了(統計ソフト SAS University の使い方を理解するだけ、しかし難しいので後回し)、 確認テストは現在のところ13/15、あと2週で(おそらく)35問中17問正解できれば修了出来る。確認テストは途中で 諦めないよう優しく作ってあるからまあまあの出来だけど講義の内容はほとんど理解出来ていない。gaccoの講座を 受け始めて2年以上 26講座目になるが1-2を争う難しさだ。月末から1週間のレスパイト入院だが日程的には何とか なる。何とかしなければ。

6月23日 チビ 来なくなった
ここ2週間チビが僕の部屋にほとんど顔を見せなくなった。僕がチビの機嫌を損ねる様な事をしたのかとつまらぬ事を 考えるまでもなく、部位をほとんど動かせない僕がチビに悪さなど出来る訳もないだろう(チビの頭をなでる事も 出来ないのに)。大体チビが僕の事を人間と認識してるかでさえ疑問なのだから。
もしかしたらチビは僕のせいで遊び友達のクロがいなくなったと思っているのかもしれない。今日なんか車椅子に 座っている時にチビは隣の部屋を通ったが僕の部屋を見向きもしなかった。寂しいなあぁ。

6月22日 Yさん ひとり
今日の朝のケア、玄関が開いた時一人の声しかしなかった。障子の間から見えた顔はYさんのみ、一人のデビュー戦。 でも問題なし、今日は運が良かった。朝方は「嫁さんは昨夜寝る前にラキソベロン(下剤)注入してくれたかな?」と 少しばかり疑っていたが10時半頃から便意を催して差し込み便器を据えてもらったら浣腸前にポロリ、肛門近くまで 降りていた分が出てしまった。ラッキー。後は浣腸・摘便・洗ってもらって無事終了、流石嫁さんだった。次のYさんは どうかな?。
昨日から吸引器が新しくなった、なんでも前の吸引器がレンタルの機種から外れたらしい。昨夜嫁さんが使い方を お袋と娘に教えていたが僕はお袋が理解出来たかどうか危惧していた。その心配がよる本物になった。出来るだけ お袋には吸引してもらうまいと思っていたが嫁さんと娘が不在の時に気管からの痰の吸引の必要に迫られた。長い時間 (僕にとってはかなり)耐えたつもりだったがついに我慢出来なくなってお袋を呼んで吸引してくれるよう頼んだ。 そしたらやっぱり間違えやがった、口の吸引の時に鑷子(ピンセット)を使いやがった。これで再度の気管からの吸引は 出来なくなった。それで鑷子を変えるよう文字盤で注意したらそれを文句と受け取ったようできつく悲しい言葉を。 「あんたは(僕は)文句ばかり言うからこの部屋には来たくない」、それはお互い様だろう、僕もお袋には吸引は 出来るだけ頼みたくないと思っている、最悪の時以外は。親父にも「病院でもベッドに横になって黙ったまま、面白く ないし足も痛い。本当は行きたくなんかない。」と思いやりのかけらもない。僕は入院した時病室でいつも老夫婦の 仲睦ましい姿を見ている。我が親は…冷たい…。我が母親ながら情けなか。
6月20日 掛け物
昨日の暑さに耐えかねて掛け物からついに毛布を外したのだが途端に体調が落ちてきた。環境の変化に今のこの身体は 適応出来るのに時間がかかる、情けないところだ。今日も午前中は大丈夫だったが午後の訪問歯科が終わった頃は 気管切開部の横から唾液と痰の混ざった液?がじゃじゃ漏れ。この量が僕の体調のバロメーター、こんなに多い日は 僕の体調はかなり落ちてるという事。夕方嫁さんが「毛布に戻す?」って聞いてきたけど僕はNo、だって頭や背中や 腕には汗をかいているんだも。肺は寒いって感じていてくしゃみが時々出るけど身体は暑いって、この身体の矛盾する 動きは自分でも嫌になる。ただ身体が気候に適応するのを待つのみ。梅雨前線も北上してきたようだし そろそろ28℃ 除湿入れようかな。
クロが顔を出さなくなって1週間、もう逝ったのかな、嫁さんは「黒は結構な年配」と言ったもんな。10日ほど前に 車椅子に座っていて見たのが最後、クロが家の中をしばらくうろうろしててお袋に追い出されたな。

6月19日 月曜日の所長のケア、久し振り
今日のケアの担当は所長、久し振り。今日のケアは洗顔・清拭それに便介助。所長のケアは独特だ、特に便介助が。 所長だけが下半身を持ち上げヘルパーさんに差し込み便器を差し込ませる。今日は浣腸の管の差し込みがいつもより 少し浅く入ったと僕は感じたが便は何とか出た。そのあとが所長の上手いところだ、 いつもの事ながら僕のお腹に 残った便をお腹を押しながら摘便する事で出口に導いてくれた。腸の中にわずかに残った便汁とガスもしばらく 待ってもらう事でほとんど出た。今日はめでたしめでたしだ。
午後の車椅子移乗の時にはI看護師となぜかリハビリのH先生の顔が見えた、所長の代理との事。ベッドから車椅子に 移る時にH先生に立たせてもらったが腰が落ち着かなかった。車椅子からベッドに戻る時はH先生による歩行訓練、 立った際腰が落ち着くのにも時間がかかったが膝と足には十分力が入った。立ち上がった時の腰の安定度は今 ひとつだったが歩行はまあ満足。

6月18日 娘が介護
嫁さんが地域コミュニティサークルのコーラスの関係で朝早く出かけた様で、朝の経管栄養から夜の経管の時間帯まで 娘が一日家にいて介護対応してくれた。昼の経管栄養が終わった頃からオシッコが近くなって申し訳なく感じたが 対応してくれた。午後3時過ぎカニューレのカフが少し抜けた様になって娘にカフの入れ替えをしてもらったのだが… 娘は初めての事だったのでシリンダーがなんなのかから使い方・やり方まで説明するのに苦労した。来週の日曜日の 午前中会社時代一番世話になった(遊びの方で)先輩Mさん夫婦が来るから娘にもいて欲しいな。
娘が吸引を覚えたのは確か中学2年の時、10年前かな。その頃はまだ唾液を飲み込む力があったから嫁さんは娘に 口からの吸引は教えなかったけど…今は唾液諸々が口に溜まって時には溢れだしそうになる。それで嫁さんに「娘に 口からの吸引を教えて欲しい」と頼んだ。娘が早く出来るようになって欲しいなぁ。

6月17日 汗をかいて着替え
昨日今日と車椅子に座っていると背中に汗をかいて上半身を着替えさせてもらった。今年初めて着替えるほど汗を かいた。これは良い事だと思うのだが最近車椅子に座っていると肺がだんだんきつくなってくる。何故だろう。やはり 加齢による体の衰えと病気の進行による肺等々の筋力の低下がまた進んだか。まあ僕も来年60だしそれにALS歴 20年以上、仕方ないか。

6月17日 クロが来ない
この2年1ヵ月ほぼ毎日朝夕餌を食べに来ていたクロネコが3日前から顔を見せなくなった。嫁さんはとても心配してる。 僕ももう家族のようなもんだと思っていたから夕方になると窓の外が気にって仕方がない。どこかで生きていて くれればいいのだが…。そしてまた遊びに来て嫁さんを安心させてくれよ。チビも遊び相手が急にいなくなって 寂しそうだよ、なぜだか僕の部屋に近寄りもしなくなった。
春からうちの家族は減っていくばかり、下の息子・みっちゃん(うちの家族じゃないけれど顔見ると安心してた)・親父、 その上クロまで居なくなるの?。耐えられない、心が寂しくて…。
クロネコがうちに来たのはリンが亡くなって少ししてかららしい。だから嫁さんは「寂しがらないようリンが連れてきたのかも」とよく口にする。野良猫だけどどこか愛らしく猫らしい猫だ。だからクロ戻って来て。

6月16日 なにーぃ
一昨日お袋から「(親父が)嫁さんが顔を見せてくれないと言っている。嫁さんに見舞いに行くように言ってくれ。」と 頼まれた。毎日傍にいて世話をしてくれている嫁さんに僕がそんな事を言える訳がない、自分で言ってくれよと 思ったが…。その時から僕はいつ・どうやって言おうかと憂鬱になった。まあ僕が親父の顔が見たいと切り出せば一緒に ついてきてくれるだろうと思って段取りをお願いした。どうせその内親父と顔を突き合わせて「飯を食べれる様に なって元気になって家に帰ってこい」と言いに行くつもりだったから。
ところが今日の昼僕が見舞いに行く準備をしていると知ったお袋から「あんたたちはあの病院の悪口を言うから 行かんでいい」って。それなら初めからあんな事口にするな。

6月14日 親父 肺炎ぶり返す
今日は晴天、暑いそうだ。それでも僕と同じ掛け物。こんなに掛け物をかけているのに今年はまだだらだら汗を かかない、やはり身体がおかしいのか。僕の免疫力もさらに弱ってきているのかもしれないな。
親父がまた肺炎をぶり返した。肺炎を起こすのはこの2ヵ月でもう4-5回目、誤嚥性肺炎じゃないらしいから体力や 免疫力が弱くなっているからだろう。この数年酒で栄養を摂ってご飯しか食べてなかったらしいし入院して何回かしか 完食出来ていないそうだから。今後どうやって親父に栄養を摂らせるかが問題になる。嫁さんはIVHを口にしたが あれは短期 せいぜい1週間、つなぎの栄養補給だろう。今そしてその後どうするか・どうなるか。やはり親父はもう 家には帰れない…か。何とか食事を食べれる様になって歩ける様になって家に帰ってきて欲しいな。そうでないと 僕まで…どうにかなってしまうかも。

6月13日 「統計学V」難解
午後3時に配信されたgacco講座「統計学V」、9時にテレビ放送されるサッカー中継までには「統計学V」Week2字幕の ダウンロード・講義動画の視聴/ダウンロードそして確認テストまで終わらせるつもりだった。ところが講義を 視聴してみると??? 講師の言っている事がさっぱり解からない。この講義は今までで一番難解、この講義を修了出来る 人はどんな人だろうと考えて僕には無理だと諦めかけたが…、とりあえず確認テストを一度見てみようと思って見たら 最初は7つある講義動画のどの講義の中のどの内容にあたるのかでさえよくは分からなかった。そこで講義動画を 繰り返し見て3時間かかってテストに取り組んだら5問全問正解(2問は勘?)、これで累計10問中8問正解、もう少し 続けてnみようか。
5歩の歩行訓練は上向きかも?、立った時腰の上に上半身を乗せ安定させるのに時間はかかったけど歩かせてもらった 時は交互の足に体重は移せた。訪問歯科の後体調が落ちそうになったけど踏みとどまった。このまま何もなければ なんとか・・・。

6月12日 親父 逆戻り
親父はまた逆戻り、食事も半分しか摂らなくなり点滴に繋がれてまたベッドに縛りついたそうだ。理由として 考えられるのはお袋が2-3日病室を訪ねていかなかったから寂しくてすねたのではと看護師さんに言われたらしい。 情けない話だが有り得る話だ。病人ってちょっとした事で家に帰りたいとか生き続けたいって想いを諦める・もう いいやって気持ちになる事もあるもの。僕だって時々「もう十分頑張って生きたからリンに迎えに来てもらっても いいだろう」って思うもの、特に体調がもうひとつの日が続く時は。それにしても親父がミキサー食だって初めて 知った。ミキサー食って美味しくないもんな。親父の嚥下はそんなに落ちていたのか。

6月12日 見えない
この数ヶ月目の調子が悪い。パソコン画面の文字が二重に見えるのだ、見にくい・入力しにくいッたらありゃしない。 誤字脱字が増えた。昨日娘に片目ずつ隠してもらって視力検査みたいな事をしてもらったら左目は度があっていない・ 右目が二重に見えている事が分かった。まずは眼鏡屋さんを呼んで目の度数を測ってメガネのレンズを入れ替えて もらうべきなんだろうが…、あと何ヶ月・何年で尽きるかもしれない命 このままでもいいかなと思ったりもする。

6月11日 日曜日は暇?
日曜日、朝5時にお袋にセットしてもらってパソコン三昧。日曜日はケアがないし誰か訪ねてくることもないから他に やる事がない。Facebookを眺めて[いいね]をクリックし自分のホームページの雑記帳を書きあげアップしたらやる事か 無くなった。しょうがないからYahoo GyaOで無料の見逃しTVと映画を見て昼からテレビでホークスVS阪神戦を 見終わったら…またやる事かなくなくなった。
日曜日は夕方になると体調が落ちてくる。今日もそうだった。やる事がないのならひと眠りすりゃあいいのだがこんな 時に限って眠れない。難儀だ。
火曜日午後3時にはgacco講座「統計学V」が配信、この日は9時過ぎからサッカーも見なくちゃいけないししばらく 忙しくなる。暇な日と忙しい日を平準化すればいいのだけれど配信されたらまとめ・確認テストまで一気に やってしまわないと気が済まないのが僕の良くも悪くも癖。「統計学V」は今ほとんど理解出来ていないのだから ディスカッションに質問投稿したいのだが、自分の解かってない内容をどう表現すればいいのかさえ分からない。 難儀だ。

6月10日 肺がきつい?
土曜日の午前中のケアは洗顔・洗髪・清拭、担当は看護師のFさんとヘルパーのTさん、本当に久しぶりのコンビ。洗顔は Tさんか受け持ち、僕の所に来る様になって何年になるかもう忘れちまったが慣れた手つきでスイスイと終わらせた。 その間Fさんは手足の運動&マッサージ、結構強めだがそれが心地良い、動かす手順も分かってるし(所長は読めない)。 洗髪はFさんが主体、訪問看護ステーションMの3人の看護師は三者三様だけどみんな僕の要望通り強めで気持ち良い、 病院でこの強さは望めないか。清拭は2人のコンビネーション、息の合った動き?で時間内に終わった。盛りだくさんの 内容でいつも時間オーバーするから申し訳なく思っている…。
昼からの車椅子移乗ではFさんとヘルパーのIちゃんが担当。Iちゃんも土曜日は久し振り、待ってたよ。Iちゃんほど 僕の手の爪を上手く切れる人いないんだもの。「爪切って」とお願いしようと思ったが…、僕の手の爪を見て自分から 「後で爪を切りますね。」と言って車椅子に座っている時に切ってくれた。Iちゃん ありがとね。出来れば月に一度は 土曜日に来てほしいな。ちょっと弱気になる事も出てきた僕の車椅子移乗もIちゃんの補助なら自信が持てるから。
この頃時々肺の具合が良くないなと感じる事がある。今日も昼過ぎからその兆候が出てきた。SpO2が 下がってないから苦しい訳ではない様だ。だけど…肺が冷えるし背中寒い、肺がきつがっている様な気がする。 なんとなくいつも風邪引きそうな感じ…かな。今日も漢方頼り。

6月9日 通院日
通院日、良い天気。なのに病院への移動中まぶたが重たくて…。目を開けたのは場所確認のための数回だけ、最近 こんな通院日だからあんまり楽しくない。この頃すぐ体調を崩すし、なんにもしてないのに疲れてるのかな。
今日の外来の看護師はSさんとFさん、いつもながらスムーズで安心。久し振りに(1年以上?)O看護師さんと目で挨拶、 それだけで嬉しかった。待ち時間に嫁さんに「コーラス(の出番)いつ?」と聞くと7月2日と、それで6月30日からの 1週間のレスパイトを頼んだ。これならgacco「統計学V」の最終テスト提出期限まで退院してから10日ある。間もなく 主治医が来ていつも通り診察とカニューレ交換、「オシッコの量は少なくなってはいませんか?」のひと言が 気にはなったが。
変える時も眠かったが頑張って目を開けて車窓から田んぼの様子を眺めた。水を張った田んぼが何枚か、あっ田植えの 終わってる田んぼが1枚、その後眠りに落ちた。リフト車で寝ていたおかげで…今6時間連続パソコン中。

6月8日 難しいなあ
今日の朝のケアもHさんとYさんが顔を見せた。ケアはYさんが主体、便介助もYさんにしてもらった。昨夜寝る前に下剤 ラキソベロンを先週よりも1摘増やして7滴にしたから今度は便も出ると思っていた。でも浣腸してもらっても出た便は わずか2粒、なんで出ないのだろう。下までは降りてきてはいないもののそこそこ降りてきている感じはあったのに。 家でラキソベロンを8滴に増やすのは怖いし…。浣腸液が月曜ほど奥まで入っていないような気がする。まだ浣腸の 挿入が浅いのかな。ステーションMの看護師さんにどのくらい差し込んでるか聞いてみようかな。

6月7日 リハビリ、個々の先生に信念と個性があるなあ
今日の下半身のリハビリ、M君が休みという事で本当に久方振りにNさんが顔を出した。Nさんの脚のそれぞれの部位の 動かし方・筋(すじ)の伸ばし方はM君のそれと違っていた、Nさん股関節もは結構回して動かしてくれた。Nさんの リハビリを受けながら思った事は・・・。
病院のリハビリの先生たちもそうだが…理学療法士同士でもそれぞれ固有の動かし方がある、時にはその先生の 信念(自分独自のリハビリ方針?)という様なものまで感じる様な。Nさんにもその信念の様なものが出てきたような 気がするな。

6月6日 gacco講座「統計学V」開始、超難しい、修了無理かも
今日配信が開始されたgaccoの講座「統計学V 多変量データ解析法」、難しかろうとは思っていたが視聴してみると さっぱり解からん。最初の講義で行列と線形代数って言葉が出てきた時には「こりゃあきついな」と思った。他にも 知らない単語がちらほら…。統計学UとVの間にはこんなにも大きな差があったのか。確認テストをやっても5問中 2問も間違えた。幸先悪いスタート、この講座は今まで受けた中で三本の指に入るほど難しい。こんな調子でこの講座 修了出来るかな。
今日の5歩の歩行訓練、上半身が上手く腰に乗らない時もあったけど無事歩けた。H先生にも立たせてもらう時以外 迷惑はかけなかったと思う。
親父は手すりにつかまって自分で歩行訓練をしてると言う。かんばれ!。

6月5日 体調戻らず?
午後3時半 車椅子に座らせてもらってから肺の調子がもうひとつだなって思ってた。ベッドに戻ってしばらくして脚の 股関節から下全体がけだるく感じ始めた。夜になると腰が痛くなった。熱でも出てきたかなと思って嫁さんに体温計で 測ってもらったら36.4℃、これでは漢方しか使えないか。
先週の月曜日に体調を崩してから戻ってこない。かといってひどくなる訳でもない。もうひとつ体調が上がって こないし気分がすぐれないって程度。漢方で抑え込んでいるのか。こんな不調?が1週間も続くなんて珍しい、それも 朝は何ともないが夜が近づくにつれて体調が落ちてくる。それに腰と膝が…気になるなあ。
親父は昨晩と今朝は食事をようやく完食(今までは食べてもご飯だけ)し自分で手足の運動も始めたらしい、ようやく 家に帰るにはどうすればいいか考え始めた様だ。

6月4日 日曜日は・・・
午前中は快調だったのに午後になると体調が落ちてくる…、今日もそうだった。全く日曜日ってやつは厄介だ。 日曜日は一日中ずっと寝たままだからな。
親父はよくこんな選択をしたな、本当に動けないって事を知らないからな。手も腕も肩も動かせる、脚も動かせる、 頭も動かせる。寝返りも打てる。一日中上をむいて手も足も動かさずじっと寝ていてみろ、僕の気持ちが少しは 解かるから、動ける事に感謝したくなるから。

6月3日 力が入らない?
月曜の夕方体調を崩して以来このところ立つのがずっと不調だ、と思う。腰がフニャフニャして力が入らない感じで 時々背中が寒くて、それに肺がますます冷えてて…、不安が増している。あれ程調子が良かったのにどうして。 この身体 悪くなるのは簡単だなあ。

6月2日 親父
親父はもう駄目かもしれないなあ、ベッドに寝てばかりだなんて。歩ける力をもっているのに歩かないなんて僕には 信じられない。人間は歩き座って生活するのが基本、それを寝てばかりいるなんて体調が悪くなっても何の不思議も ない。便が下りていかないのもそのためさ、そんな事も知らないなんて、いい見本がずっとそばにいたのに。僕は これまでもずっと便を出す努力をしてきた、生きていく努力をしてきたつもりだ。それなのに親父はなんだ。もう 生きるのに飽きたのかなあ。その気持ちも分からないではないが…。
医者の方針はどうなんだろう、歩く or 座るのを許可しているのか居ないのか?。リハビリは?。

6月1日 Yさん 再び
木曜日の朝のケア、今日もHさんとYさんが来た。今日こそYさんの出番。まず洗顔、髭剃りは思ったより上手い。僕の ケアが初めてする人にはありがちの事なのだがブラシングしてもらうとソフト、僕は程よくガリガリして欲しいのに。 さて浣腸してもらったけど便は出なかった、確かに今日は便が下りてきてない感があったけど。昨夜のラキソベロン (下剤)が1滴少なかったか、それとも浣腸がまだ浅かったか。結局摘便で出してもらった。
もう少し腹圧があれは便を押し出せる様な気がするのだが。着けるだけで腹筋を動かし鍛えてくれるというSixPadを 試してみたいが…高いし主治医の許可が出るかどうか…。


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5月
5月31日 リハビリ(下半身)
午前10時過ぎから入浴車、今日の入浴車の看護師さん2人は W Y さん、久し振りだ。この2人だとなんにも考えないで 済むから本当に楽だ。今日♂Yさんが話してくれたのは息子さんの話、息子さんの寝返りがゴロゴロ激しくて掛け物を すぐにはねのけるから風邪引かないかっていつも心配してるって。良い話だ、僕はうちの子供たちが幼かった時 どうだったのだろう。一緒にお風呂に入った思い出はあるが…なぁ。
午後3時半前 ギリギリまでパソコン、すぐにM君が来てリハビリ。脚を動かしてもらっていて狙いと違う所が伸びてると 思ったから文字盤を使ってそう告げたらすぐに修正してきた。やっぱり上手くなっている。今日はヒラメ筋も アキレス腱も伸びた。どうやら足のどこを持つかで変わってくるらしい。立位訓練では膝を伸ばしきろうとすると 今日も両膝がブルブル震えた。なんでだろう。解からん。立たせてもらう時M君に負担をかけすぎると思って3回目は ベッドの高さを上げた。立ちやすくはなったけど膝のブルブルは変わらなかった。????。

5月30日 リハビリ 不調?
朝目が覚めるとすぐに昨日の影響が残っているなと感じた、体調はまだ回復していない様だ。折角の火曜日なのに なんてこっだ。
午前10時15分過ぎF看護師さんとMヘルパーさんに車椅子に移乗してもらう時立たせてもらった際に腰が落ち着かない 感じがあった。そしてH先生のリハビリ、肩関節の動きは調子良かったのだが歩行訓練はもうひとつ不調 少し腰が ふらふらして腰に上半身が上手く乗っていない感覚なのだ。それで歩く時にやはり踏み出してもらった片足に上手く 体重を乗せきれない一歩があった。H先生に更に余計な負担をかけたなあ。

5月29日 体調下り坂
昼の経管栄養を落としている時に気管切開部から首に痰や唾液?が大量に?流れ出してきた、それも珍しく左右同時に。 どうやら体調が急激に?落ちてきている様だ。清拭の時は裸になるからどうしても身体が冷えやすい、それが体調の 低下につながるらしい。こんなに温かくなっても!。実に情けない身体だ。嫌になる!!
車椅子移乗の時間になっても体調はもうひとつ、だけど車椅子に座って(1時間の)半分以上寝てたから体調は余り 悪くならずに済んだ。しかしベッドに戻ったらくしゃみ連発、まだまだ悪くなっていく様な気がした。こんな気分 久し振り、だから嫁さんに風邪予防の漢方薬を頼んだ。すると嫁さんが「夜の経管栄養早めにする?」と聞くので Yes。夜も早めに寝るつもりが…パソコンが止められなくていつもより遅くなってしまった。馬鹿だなあ。

5月27日 散歩
今日のケアの担当は久し振りに所長。今日は天気が良さそうなので朝のケアの後に所長に突然で申し訳ないかなと 思いながらも「昼 車椅子に座る時に晴れていたら庭を見にいきたい」と告げた。すると所長は乗り気の様で嫁さんに 「帽子はなーい?」と聞いていた。
午後3時過ぎ所長が来てまずスロープを準備(15年前ほぼ車椅子生活になったのでみっちゃんが作ってくれた)、そして 所長がアンビューバッグを押しながら外へ。ヘルパーのMさんが手助けしてくれた。陽射しが暖かくて心地良い。庭に いくと思ったら道路の方へ。僕の行きたい方向へ向かってくれるらしい。今日はお寺へ向かう事にした、お寺の屋根を 覆うブルーシートが見えたから。お寺から桑の木原へ向かう道、十数年ぶりに通った、懐かしかった。大分変わったが 変わらない所も。親父の同級生の家(無人?)の道路に面した石垣と僕の同級生の家のはいり口にある石でできた洗い場。 本当はお寺の池まで見たかったのだけど…それを言い出したらきりがないとあきらめて戻る事にした。
陽射しも温かくて…本当に楽しい散歩でした。M所長・Mさん、本当にありがとうございました。庭でゆっくりと 日向ぼっこもしたかったけど・・・。

5月26日 アカウント設定 ようやく終了
1週間前に始めたOutlook2016の導入、プロバイダーのサポートデスクとの何回ものやり取りでようやくアカウント設定 出来てメールが使えるようになった。アカウント設定等技術的な質問は電話をしてくれと返信があった時はここも またかと思ったけど、僕がALSで呼吸器を着けているから声が出ないとこちらの事情をメールしたら珍しくきちんと僕が 解かる形でメール対応してくれた。これまで「電話で」の言葉に何回泣かされたことか・・・。 ありがとうございます。
それにしてもOutlook2016は機能が多過ぎて解かりづらいし見にくい。もっとシンプルなメールソフトないかな。

5月25日 久し振り Yさん
今日の訪問看護はステーションN、9時半丁度玄関を開けて入って来る2人の声がした。僕の部屋に入ってきた2人 Hさんと「あっYさんだ、お久しぶり「。Yさんが来るのはこれで3回目かな、今日はYさんがケアの主体をするらしい。 まずバイタルを測って…血圧計を忘れたって、血圧測定はヘルパーさんの到着を待つ事に。その間にYさんは洗顔を HさんはYさんの指導と手足の運動、そして2人で背中を拭いて薬を塗ってもらった。
ヘルパーさん到着、ところがヘルパーさんは血圧計を持ってきていなかった、いつもは僕の所では必要ないもんな。 それでYさんが血圧計を取りに戻った。その間にHさんとヘルパーさんが僕の排便介助を。Yさんの出番は またの機会に。

5月24日 立位訓練、僕が変?
水曜日の午後3時半過ぎからのリハビリは下半身の可動域訓練と立位の練習、担当は2年目のM君、M君もいつの間にか 上手くなった。特にヒラメ筋は時には痛いと感じるくらいよく伸びている。ただアキレス腱はもうひとつかな。 ヒラメ筋を伸ばすのとアキレス腱を伸ばすのではどういう技術的な違いがあるのか。それに太ももの内側の筋肉(筋?)を 伸ばす時に少し遠慮が見える、Nさんはその辺遠慮がなく厳しかった。M君のリハビリには概ね満足しているが要望を 挙げるとすれば曲がって丸まったままの足の指を反りかえして欲しい。きっと気持ちが良いだろう。
今日の立位訓練はもうひとつ、立位を保持している時に右膝も左膝もぶるぶる震えて上半身を腰に乗せるどころか膝を 伸ばして立っているのがやっとの始末、どうしようもなかった。最近調子が良いというのにどうして…。久し振りに 立った時左膝が震えるのは病院でのリハビリなんかで時々あるのだが両膝がこんなに震えるのは初めてかも。後で 考えるとお尻が少し浅かった気もするし足の幅も少し広かった気もする、第一僕が立つ事にいつもより集中して いなかった。みっちゃんの死は僕の心根にも大き過ぎる影を落としている、昨日の歩行練習が調子良かったのが おかしいほどに。

5月23日 親父 入院
今日がみっちゃんの葬式、都城からI兄ちゃんとその息子(従弟)のKが参列するために駆けつけてきたからみっちゃんが この世からいなくなってしまったのはもう間違いないのだろう。その場かどうかは分からないが親父が倒れて救急車で 病院に運ばれたとの事。病名は軽い肺炎(これから悪化する恐れありと) それから貧血と脱水、白ごはんしか食べて いなかったらしいから栄養不足による体力低下から来たのだろうと容易に想像できた。その上弟(みっちゃん)の死で 相当落ち込んでいたらしくて…。
親父よ、このままみっちゃんの後を追うつもりか、そんなんで親父の人生を終わらせていいのか。あの強かった親父は どうした、夜暗い中僕を小屋の柱に縛り付けまた僕を牛小屋の中に投げ入れた親父は。僕はそんな親父の背中を見て 育った、親父のような強く厳しい男を目指した。この20年近く僕はALSと戦っている、I兄ちゃんも癌と戦っている。 二人の見本たる親父が病気から逃げていいのか、生きる事を簡単に諦めていいのか。そんなんじゃん誰も喜ばない、 天国のばあちゃんもそしてみっちゃんも。元気になって自分の足で歩いて僕の前に来い。

5月23日 リハビリ、好調?
今日のリハビリでの歩行訓練、嫁さんに事前に動画を取ってくれるよう頼んでおいた。いつまで続くかは分からないが 今はそれほど調子が良いのだ。今日も調子は悪くなかった。2歩目と4歩目を踏み出した後右脚に重心を移した時に少し 不安定さの様なものを感じたからつま先にぐっと力を込めた。いつもは膝を伸ばし足の裏全体で体重を支える 感じなのだがこの時はつま先に力を入れたからH先生の身体を少し押し返す感じになったかもしれない。それはH先生も 「妙な力を受けた」と言っていたし後で動画を見ると右足のつま先の向きが変わっていた。こんな力もあったの。

5月21日 みっちゃん 逝く、どうして?
みっちゃん 楠の木原のM叔父さんが亡くなった。あっという間だった。午前中に様態がよくないと連絡があってお袋が 様子を窺いに行こうとしていた。そこにまた電話がかかってきて…。僕は何が何だか分からなくなった。事実?を 忘れたくて僕はパソコン逃げた、下記メール修復に集中した。何にも考えたくなかった。
みっちゃんの具合がよくない事は知っていた。だけど急にどうこうという話じゃあなかったはずだ。みんなの話から 覚悟はしておかなきゃあならないもののまだまだ先の事・また会えると思っていた。それなのにナゼ なぜ 何故!。 義母の時の事もあり…民間病院への不信は募る。
ここには大工だったみっちゃんの作品がいくつもある。まずこの家、30年ほど前に作られた。まだ十分綺麗だ。階段の 手すり、2000年夏 この家に家族で帰って来た時に脚が不自由になった僕のためにつけてもらった。僕の部屋、僕が 2階に登れそうになくなったので親父と相談の上で縁側の半分を改造・増築して作ってもらった。スロープ、僕が車椅子 生活を余儀なくされたから作ってくれた。ルーター整理BOX、僕の最後のお願いとなった。
まだ生きてて欲しかった、また会いたかった。

5月21日 メール不能状態
午前中突然下記メールが送られてきて…メールが使えなくなった。
『  ○○サポートデスクです。
現在、(アカウント名)様のメールボックスのサイズが制限値:50 MB の 91% を超過しております。このままの状態が 続きますとメールボックスに空き容量が無くなり、新しいメールを受信できなくなる恐れがございます。
現在のサイズ : 45.69 MB
メールソフトの設定でサーバにメールを残さないようにするか、ネッチュウメールで不要なメールを削除し、十分な 空き容量を確保していただくようお願いいたします。

▼ネッチュウメール
  http://webmail.●●.ne.jp/
ご不明な点などございましたら○○事務局までご連絡ください。今後とも○○をよろしくお願いいたします。 』
なにこれ、何の事?。サーバーにメールを残すよう設定した覚えもなく途方に暮れていましたが、しばらくして とりあえずネッチュウメールのHPを開いて見たらログイン画面。ユーザー名とパスワード、こんなの知らないぞ…。 またしばらくして(4-5時間後?)「あっ」と思いついて…ユーザー名にアカウント・接続パスワードを入れたらメールの ような画面が出た。そこで受信・送信済みトレイに残っていた(年間ではなく時期が中途半端な)メールメッセージを 削除したら・・・メールも回復しました。
疲れた〜。

5月20日 Outlook2016 解からん
今までは Windows Live Mail2011 を使っていたのだが、2017年1月でサービスが終了しメールを起動する度に毎回 カレンダーエラーが出るのでいい加減嫌になったので新しくメールソフトを買う事にした。それで娘に金を借りる事に してアマゾンで Outlook2016 を買って娘にコンビニ払いをしてもらった。
僕はパッケージ商品が来ると思い込んでいたのだが着いたのはプロダクトキーが書かれたただのカード、この Cardという言葉に騙された。プロダクトキーだけならダウンロード商品を買ったのと同じ事、これで1,000円も 高いなんて納得がいかない。その上ダウンロード→インストールにも一日がかりで苦労して。実は僕が プロダクトキーを読み違えていただけなのだけれど…Microsoftコミュニティで「国と言語が選択できない」と騒ぎ立て 迷惑をかけた。申し訳ない&恥ずかしい。
Outlook2016を起動させてまず感じた事は「ごちゃごちゃしてる」。最初にアカウントをインポートしようとしたが… どこにもない。何て事だ、同じMicrosoftのメールなのにこんな事かあるなんて信じられなかったがネットで調べたら そう書いてあった。アカウント設定なんてもう忘れたなあなんて思いながらやってみたらPOP設定でつまづいた。次に 連絡先のインポート、Windows liveメールからcsv形式でのエクスポートは上手くいったがそのcsvファイルの Outlook2016へのインポートは保存先をOutlookの連絡先にした後【次へ(N)】がアクティブならず途中で断念。結局 フリーメールOutlook.comを経由してフォルダーコピーした。ただいま名前を追加中。マウス操作がいっぱい、 ものすごく時間がかかる。しんどいなあ。
Outlook2016へのメッセージのインポートはネットで調べたらMicrosoft liveメールからのMicrosoft Exchangeを 使ってのエクスポートで自動的に一気に入るようだ。やってみたら上手くいったはすなのだが…メッセージがOutlook フォルダのどこに入ったか分からなかった。だがよくよく見たらOutlookデータファイルの中に見慣れたサーバー名を 発見、そのフォルダを展開して僕のアカウントの名がついたフォルダの受信・送信済みトレイにそれぞれの年別の フォルダをひとつひとつ移動させせて・・・ようやく終わった。
さてアカウント設定、どうしよう。

5月19日 モモ 寝不足?
モモは夜遊び?、朝の経管栄養を落としている時に嫁さんが僕の脚の間にモモを置いていった。いつもはすぐに逃げる モモなのに今日はぐっすり眠ってしまった。どうしたの モモ?。
時々寝返りを打つ者のモモはぐっすり。10時半 訪問看護師さんが来た時もモモはお腹を上にして伸びていたらしい。 そんなモモを看護師さんは携帯電話でパチリ、こんなモモは愛らしいから。けれども寝ているモモを移動させようと すると唸り声をあげて怒る、怖い。どうなるかなと思っていたら洗顔が終わる頃動き始め手足を動かしてもらう直前に ベッドから下りていった。ナイス タイミング。お利口さん。どうしたの モモ?。

5月18日 訪問看護
木曜日の訪問看護はステーションNの出番、午前中のケアは訪問看護師のHさんとヘルパーのTさん、排便介助&下洗いを してもらった。午後の車椅子移乗、3時に「あれぇ―」Hさんの声がした。珍しい、Hさんが車椅子移乗に来るなんて。 半年は来てないな。o主任も一緒に来てくれていた、それにヘルパーのKさんも。今日はHさんが主体、でも脚の装具の 着け方のコツも忘れていた様だ。でも…一度ちゃんと立ってから車椅子に座れた。
最近はもう一人の看護師 Yさん 見ないな。

5月17日 背中が痒い
今日は朝からメール対応、それが終わったらすぐ入浴車、気温がかなり上がってきたからお湯が冷えなくなってきた。 退院する少し前から背中が痒くなった。退院したら痒みが増した様だ。お湯に浸かったら一層痒くなった。温まると 痒くなるって現象は経験した事があった、たぶん汗疹の出来初めだろう。これから背中に薬を塗ってもらう日々が 続きそう。申し訳ないなあ。
夜中目が覚めた時に脚の間にモモが寝ていた。寝る前に嫁さんに「モモは?」と聞いたら「まだ帰ってきてない」って 言っていたのに。モモが自分から来てくれたのなら嬉しいな。

5月16日 リハビリ 依然好調
火曜日のリハビリは車椅子に座って右肩・腕・手の可動域訓練、そしてベッドまで5歩の歩行訓練、次にベッド上で左肩・ 腕・手の可動域訓練、最後に呼吸リハビリ。課題は歩行訓練、@車椅子から立ち上がれるか A膝と腰を伸ばして腰に 上半身を乗せれるか B左右の片足に体重をかけてもう一方の足に体重を移せるか(歩を進めるのはH先生が やってくれる) だ。@はかなりH先生の力を借りたがAとBは思いの外上手くいった。これも入院中毎日車椅子に 座らせてもらって3回×3日立たせてもらっていたおかけか。リハビリ 依然好調…かな。

5月15日 チビ 久しぶり
朝パソコンしている時は何ともなかったのだが朝のケアの後体調が少しずつ落ちていったようだ。午後3時半過ぎ 訪問看護師さんが車椅子に座らせに来てくれた時には気管切開部から痰や唾液が漏れて右肩当りがぴっちょり 濡れていたとの事(本人の濡れているという自覚はほとんどなし)、車椅子に座る前に着替えをしてもらった。清拭の 時に少し身体が冷えたのかなぁ。こんな事で体調が落ちてくるなんて身体が随分弱くなった。肺が冷えて手足・身体が 冷たくなる感覚も含めて抵抗力が無くなったと感じている、すぐくしゃみや鼻水が出てくる。惨めな身体だ。
退院してからベッドにいても車椅子に座っていてもずっと知らんぷり僕の方を見向きもしなかったチビが夜9時頃僕の ベッドに上がってきて夜中3時過ぎまで僕の脚の間で眠っていてくれた。僕は嬉しくてチビに「おかえり」と…。 退院した金曜と土曜はモモが来てくれたし今日はチビが…。パソコン三昧と猫と一緒、これか僕の今の楽しみ。

5月14日 落ち込むなあ
Facebookで以前友達リクエストを送った相手が僕のリクエストには反応しなかったのに(僕のFacebook友達でもある) 別の友達のFacebook友達になっていた事が最近立て続けに分かった。また昨日今日と中学時代の同級生にリクエストを 4件送ったのだが承認されたのは1件、以前は相手がメールアドレスでも変えたかFacebookを止めてしまったのだろうと 自分に都合良く解釈していたのだけれど、こんな事が続くと当時自分がどれだけ嫌われていたのかと 考えたりしてしまう。
自分では誰とでも普通に接し話していたつもりだったのに僕の言動には高飛車?で(自分が成績が良いという事で?)人を 見下していた?所があったかもという事か。自分が試験等にそんなに苦労してない事は分かっていていたが成績順位など 全く気にしていなかったし自分の順位も知らなかったからそういうスケールで人を見下した?つもりは全くなかったと 思う。僕が普通高校にいったのも大学にいったのも成り行きの産物だったし…。何かしたという自覚がない分なお更 ひどいのか。落ち込むなあ。

5月12日 暇になった
退院して家に帰ったら立て続けにgacco講座受講の日々になると気を引き締めて帰って来たが…。『ビジネスプランを 作ってみよう』と『統計学V』がビジネスプランの最終週でダブってしまう事が分かりビジネスプランを断念、一気に 暇になった。今日はメールチェックとFacebook対応で一日を終えたが、明日から何しよう。


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4月
4月28日〜5月12日 レスパイト入院
レスパイト入院、いつもの病棟・いつもの病室の場所、窓からは新緑に包まれた桜の木々が見えた。あの木漏れ日の 中にリンはいるかな。着くとナースコール用のピルケースイッチをオーバーテーブルの底板の梁に取り付けてもらうと ナースコールが右足の甲で押せる様になった。今度のスイッチは感度が良くて少し触っただけでもコールが鳴る、 これで今回の入院も安心だ。
入院初日、検査尽くし、血液検査に検尿そして胸のレントゲンと心電図。3月末のレスパイトからまだひと月経って いないのだから今回は血液検査と血糖値測定以外ないと思っていた、想定外だった。4日目(月曜日)1日7回の血糖値 測定、3月末の入院の時より少し数値は下がったと思ったが14時と20時?の血糖値測定はまだ300台、それで主治医は薬を 使うことを決めた。翌日から朝晩2回薬の服用、翌週の1日7回の測定では全て200台に下がった。血糖値以外は異常は なかった様だ、たぶん。
胃ろう交換は退院の前々日(12月)10日、意外な事に今回は内視鏡室に行かずに病室のベッドの上で主治医が交換。 内視鏡室に行かない歯科も主治医が胃ろう交換、こんな事は十数年ぶり、国立病院機構の内規が変わったのかな。 主治医の胃ろう交換も細い穴から穴より太いものを抜き入れするのだから当然とっても痛い、目を背けた看護師も いた程。だけど主治医の抜き入れの方がいつもの消化器系の医者が胃ろう交換した時よりも痛みが長引かなかった、 不思議だ。最後にCTで確認して胃ろう交換も無事終了した。
今回も車椅子には胃ろう交換の日以外毎日座らしてもらった。看護師さんたちに感謝感謝大感謝だ。新しい 看護師さんも4人加わった。まだ馴染んでなくてコミュニケーションも他の看護師さんほど上手く取れないけど。 ついでに看護師長さんも新しい方に変わったけど性格はよく分からない、何度会った?(見かけた)けど話してないから。 看護師さんには寝る前に手足の運動もしてもらったしいっぱいお世話になった。ありがとうございました。
リハビリはゴールデンウイークで7日間と半分だったけどまあみっちりやってもらった。一番驚いたのは今回の入院から 担当になった理学療法士の先生が文字盤がとってもスムーズに上手く使える事、以前の病院でALSや筋ジスの患者さんを 担当していたからとの事。リハビリは可動訓練と一部足の筋力訓練、可動訓練はやはり僕にとってはほんの少しだけど 物足りなかったかなぁ。筋力訓練は膝の曲げ伸ばしと足の指の上げ下げ、10回繰り返すのだがテンポが早くてついて ゆくのがやっとの有様だ。大腿四頭筋は自分でもある程度の強さが残っていると思うが大腿二頭筋は結構弱っていると 思う、まあALS患者にしてはまだある方だと思うが。ヒラメ筋はまだ残っていると思うがすねの前の足の指伸筋?はもう からっきしだ。この脚の筋肉を何とか鍛えたいのだが…SixPadを使ってみたいのだが…無理かなあ。
入院中にこの病院に勤務しているK看護師さんと介助員?のKさんが顔を見せに来てくれた。短い時間だったけど 楽しかった。K看護師さんはもう母親の顔になっていたのにはびっくりしたしKさんは2回も会いに来てくれて廊下でも すれ違ったし…楽しかった。そして退院の前の日たまたま病棟に来たというK看護師さんも顔を見せてくれた。まさに Kさん尽くしの3人、ありがとうございました。
退院の日はいつも通り忙しい、特に今回は午前中にリハビリを入れたから。午前中に浣腸をして便を出してもらって それからリハビリ、11時半に昼の経管栄養を落とし始めて13時過ぎに終わって30分後には迎えの顔が見えた。そして 慌ただしく?見送り、この日病室担当のN看護師さん(2年目)が最後まで見送ってくれた。
家に着いて僕の部屋に入る時にチビが部屋から出てきた、知らんぷり。

4月27日 チビ
今午後10時半、チビは今も僕の脚の間で眠っている、時々寝返りをうったり伸びをしたりしながらも。可愛い奴だ。 この頃ずっとチビは夜になると僕のベッドに上がってきて僕の脚の間に潜り込み午前3時ごろまで眠っていてそれから 僕の部屋を出て行く。僕の脚をいつも温めてくれている。
明日から僕はレスパイト、夜チビはどこで眠るのだろう。3月末チビやモモを一番可愛がっていた下の息子が家から いなくなった。チビは時々無人の息子の部屋に入り込みベッドに上がって寝ているそうだ。息子に続いて 僕まで……。

4月26日 gacco講座「戦争倫理学」無事修了、疲れた
gacco講座「戦争倫理学」の最終レポートは「イラク戦争を正戦論の視座から分析して1,200〜2,400字の範囲で書け」と いうもの。そのためにはまずイラク戦争を調べなければならない。僕の知っているイラク戦争っていうのは最初に 空爆があってフセイン像が倒されしばらくして終わった、それに国会で自衛隊派遣でもめて結局 Show the flag で 自衛隊を出したって事くらい。だから日曜日の午後半日かかってイラク戦争をネットで調べた。
月曜日の早朝から書き始めてから書き終わったのは昨日火曜日の午後10時、丸二日かかった。講義の中で「湾岸戦争を 正戦論の視座から分析」というWeek4のひな形があったからそれをイラク戦争の内容に置き換えればいいだけの事で それほど難しいレポートになるとは思っていなかった。ただ1,200文字以上書かねばならないというプレッシャーの方が 大きくて初め心配していた。ところがいざ書き始めると次から次へと書くべき事が浮かんできて…あと1項目書きたい 事を残して文字数カウンターにコピペしたらすでに2,400文字に迫っていた。それからは文字数を減らす作業と残った 書きたい1項目を箇条書きにして180文字に抑える作業、結局2,379文字に納めて最終レポートを送信した。
今回のレポートな相互評価はいい加減なものになっていると思う。何故なら@レポート文字数制限が今までの レポートと比べて極端に多い(読みたくない) A評価対象が5人 Bチェック項目が20個も。僕も明らかに間違いの項目 以外は○にしたし僕の最終レポートの評価が20点満点なんてありえない。明らかにチェック項目を満たしていない ものが2つあった。だから僕の自己評価は18点。みんな面倒だったのだろうな。

4月23日 夕方になると体調が落ちる日曜日
日曜日 夕方になるとほぼいつも体調が段々落ちてくる。たぶん日曜日は車椅子に座っていなくって一日中寝たままで… 痰もあまり出てなくって…それが夕方体調が不調気味って形で出てくるのだろう。痰をいっぱい出す事が僕にとって どれだけ体調に影響を与えているかって事を思い起こさせる。でもどうすればいいかって事を考えると…難しい。午後 誰かに車椅子に座らせてもらう方法方があるのだが…田舎ではその誰かってのを捜すのが難しい。 当面アンビューバッグで時々しっかり押してもらうしかないか。

4月22日 散歩
今日は朝から天気が良いみたい。それで昼の車椅子に座る時間に散歩に連れていってもらおうと勝手に決めて朝の ケアの最後に訪問看護師さんとヘルパーさんに「昼から散歩に行きたい」とおねだりした。今日担当のヘルパーさんは 僕の散歩に立ち会うのは初めてなのでビックリした様な顔をしていたが…。
散歩の行き先は決まっていた、嫁さんから聞いていた田んぼ前面に沢山の蓮華草が生い茂っている所、家の後ろの道を 真っ直ぐ西に上がっていって300mぐらいかな、散歩にはほどよい距離だ。いつもの様に3時半に車椅子に座らせて もらっていつもの赤い毛布(息子が保育園で?昼寝の時に使った)をかけて…看護師さんにアンビューバッグを押して もらいヘルパーさんに車椅子を押してもらってそして娘に写真を撮ってもらいながら蓮華草のいっぱいあるところへ。 看護師さんが「朝より風が強い」って言ったけど僕には心地良くて陽の光がとっても気持ち良くって…ほど良い散歩 日和。一面蓮華だらけの田んぼが4面、寝転がったら気持ち良さそう。山がいっぱい見える、子供の頃は手前の山しか 見なかった、新発見。散歩 サイコー。ありがとうございました。

4月21日 夜はチビと一緒、嬉しい
この2-3日夜になるとチビがベッドに上がってきて脚の間で眠ってくれる、だいたい朝3時頃まで。とっても温か〜い。 朝目が覚めるとだいたいいなくなってる。でも朝パソコンしていると障子の端っこを自分で開けて部屋に入ってきて いつもの所 窓際の日当たりの良い正方体の棚の上で嫁さんが朝の餌を持ってくるまでひと眠り。チビは僕の部屋が 嫌いではない様だ。嬉しい。モモもチビも本当に良い猫だ。今日も来てくれるかなぁ。
しかし…チビが僕の事を人間と認識しているかは多いに疑問。

4月19日 入浴車
10時過ぎから入浴車、今日のスタッフの井戸端会議の話題はテレビの話。最初のうちは最近のテレビの話題でちっとも 話しの輪の中に入れなかったが、部屋で点けてるテレビの中にマジンガ−Zのプラモデルが出てきた事から昔のテレビの 番組の話しになって井戸端会議の一員になれた。話題は「サインはV」に。僕より少し若い看護師さんが番組が 白黒だったとかX攻撃とか稲妻サーブとかいろいろ説明していたけれど僕以外には解からなかった。それからそれより 前の「柔道一直線」、当然みんなにかすりもしなかった。この柔道一直線に出演していた吉沢京子が第二の 吉永小百合って言われたって事を知ってた?なんて考えて一人でニヤニヤ。
親父が肺炎で入院したらしい。らしいってのは嫁さんからの報告を受け僕は噂話程度に聞き流したから。お袋が咳を してるのは1週間ぐらい前から聞こえていたけれど親父のは…。親父がいてもいなくて僕の部屋からは変わらぬ家の中の 物音、情けない。親父の肺炎の原因は風邪を悪化させたのかそれとも…とふと思った。酒ばかり飲んでいて白飯を 炭水化物を食おうとしてなかったようだから身体の中のエネルギー不足だろう。僕と違って食べられる能力を持って いるのにそれを活用しようとしない親父、腹が立つ。坐骨神経痛が痛むと言ってたまに弱音を吐きに来てた(もちろん 酔っぱらった上で)親父、病院に相談して対処療法の薬をもらおうとした事があるのか。一人で病院も行けないのか、 タクシーを使えばいいだろうに。そんなんじゃしゃべれない寝たきりの僕と同じじゃないか。 そんな不信感ばかり…。

4月18日 調子が良いのに…なぜか不安?
4月になってから車椅子移乗の時立つのもH先生による5歩の歩行訓練もずっと調子が良いのに心の中に何か一抹の不安を 感じている。なんでかな?。結局体力の面でも精神的にも自分自身に自信がないのだろう。以前はもっと生き続けたい という願望とそれに基づく何か変な風な自信を持っていたと思うのだがいつなくしたのだろう。気力の差かな、前は もっと生き続ける事に執着心=精神力があったと思う。体力も気力で変わるのかな。今の僕がもっと何かしらの気力を 絞り出すには何が必要なのだろう。
今日の5歩の歩行訓練も上手くいった、H先生に立たせてもらう時も膝を伸ばしきる直前に膝に力が入ったという調子 良さなのになあ。

4月17日 暇かな?
朝から雨時々屋根を叩くほどの激しさでテレビの音も聞こえない程に、そしてたまに春雷。少し寒い。本当に気温に 順応できない身体だ、情けないくらいに。それに最近また体力が少なくなって着たような気がする、清拭の後に体調が 落ちてくしゃみをする日が多くなったから。くしゃみが数回続いてその後肺と背中が冷えてきて鼻水が出る様に なったら要注意だ。こんな日は風邪予防の漢方を服用して寝るに限る。体調は落ちているはずのに午後の車椅子から ベットに戻る時はI看護師とH先生に来てもらって5歩の歩行訓練、すごく上手くいった。今年一番。
昨日gacco講座「戦争倫理学」のWeek3を終えたし僕のHP「僕の雑記帳」の昨日の分まで書き終えてアップした。今朝 5時頃お袋にパソコンを設置してもらった時「今日は何しよう」って思った。とりあえず昨日嫁さんが撮ってきてくれた 曲川神社の八重桜の写真をFacebookにアップして…次に…寝てしまった。昼からは…Facebookを見る事しかやる事が ない。暇なのか?。

4月16日 夜中に何事?
今朝3時前あちこちで物音が…。暗がりの中たれかが入って「誰かいるのか?」と何回もしゃべったりあちこちを 触ったり(と言うより叩いたり)、よく見たらお袋。それからもあちこちをうろついて玄関から外に出て…。お袋は 夢遊病?。風邪薬を飲んでいる上に睡眠薬を…、恐らく夜中眠れないからってもう1回(計2回)飲んだんじゃないかな。 朝方吸引した時もおかしかったし気管から痰を吸えてないってのにも気付かなかったし…。
最近の開業医ってのは安易に年寄りに薬を出しすぎなんだよな。

4月14日 通院日
通院日、良い天気、だけど眠い。玄関を出て陽の光の暖かさを感じながらリフト車に乗り込んで出発、今日は花見 日和だ。ほとんど目が開かないまま時々車窓から外を見た。1…2…3…、蓮華草のいっぱいある田んぼは3つだけ。 寂しいものだ、昔は子供の頃は田んぼは一面蓮華だらけだったのに。
病院に着き救急処置室に入ると雰囲気がいつもと少しばかり違って見えた、どこがどう違うか分からなかったけれど。 バイタルを測り終えると「今日は主治医が来るまでに少し時間がかかるかも」と告げられしばらく待った。そして診察・ カニューレ交換、次に主治医と会うのは2週間後のレスパイト入院か。
帰りに少し遠回りしてもらってリフト車の中から桜見物、炎の博記念公園の取付道路と産業道路(と言うらしい)を 通って家へ。桜は所々残っていてたまに花吹雪。本当は金毘羅さんの下から牧へと向かう拡幅道路工事現場が どういう風になっているかを見たかったのだがしょうがない。これでソメイヨシノは終わり、これからは八重桜と ツツジ。見れるかな。
昨夜嫁さんに「(下の息子が)研修医を終えるまでの8年後までは生きていなければならない」と言われたがそれは少し 難しいだろう、なんせ肺がこんなに冷えているのに・加齢で?基礎体力が弱ってきているのに。僕の当面の目標は還暦の 同窓会での一瞬の顔見せ、長期目標は下の息子の卒論の役に立つ事かな。

4月12日 上手くなった
水曜日、午前10時過ぎに入浴車・午後3時半過ぎにリハビリ、比較的ゆっくりな一日。
入浴車のスタッフの井戸端会議、これが僕の入浴時の楽しみでもあるのだが、今日の話題は花粉症、Y君は杉にも檜にも 反応するらしいから症状は結構激しいらしい。話しを聞いてるだけで気の毒になってくる。4月になってお湯があまり 冷えなくなったからたし湯をする回数も少なくなった。その分身体がほてって足を浴槽の縁に上げてもらう事が 多くなった。この季節の入浴が僕にとっては寒くもないし汗もかかない、とっても良い様だなあ。
水曜日のリハビリは下半身の可動域訓練と立位訓練で担当はM君、時々どうしてこんな動かし方をするのかなって 思う事もあるけど目的の部位はちゃんと伸びてるからこういうやり方もあるんだなって。脚の各部位もよく伸びる様に なったし上手くなった。立位訓練も立たせるのはもう安定しているし今日は立っている時たまに腰に上半身を乗せてる 感覚があった。後は脚の装具のつけ方と(大分上手くなってはいるけど)踵でも立つ感覚かな。まだ足の裏2/3ほどで 立っているから。

4月11日 火曜日 めまぐるしい
火曜日は結構忙しい。9:30-ケア、訪問看護師さんが来て洗顔+手足の関節運動。10:00-ヘルパーさんが加わって 手足を動かしてもらってから10:30?頃には車椅子割っている。11:00少し前に訪問リハビリが入って上半身の関節可動域 訓練と5歩の歩行訓練+呼吸リハ。そして12時過ぎに昼の経管栄養を入れてもらいながら僕はパソコンでFacebook チェック。14:00 訪問歯科、この歯科衛生士さんに口の中をきれいにしてもらった後に先生が来て総合チェックの 日だった。めまぐるしいスケジュールと人の出入り、でもそれにもかなり慣れてきた。
今日のリハビリは先発でM君が来て車椅子に座ったままでの右上半身の関節可動域訓練、肩の球関節を動かす時に 重力で肘にけん引がかかって時々痛む。なかなか難しそうだ。「肘を後ろに動かして」と頼んだのだが僕のイメージと 違った。僕は走る時の腕の動きをイメージしてたのだけど。でも胸は伸びているからまあいいか。この動きは車椅子に 座っている時にしか出来ない動きだから大事たいのだけれど。その時H先生が来てバトンタッチ。次は歩行訓練。 車椅子からベッドまでたった5歩の歩行、それもH先生に身体を支えられて脚を持ち上げかわし進めてもらいながらの 歩行。それでも最近は調子が良いからちょっと楽しい。ベッドに戻り左上半身の可動域訓練と肺のリハビリ、時には 以前の様に肋骨の後ろの方からも動かしいと思いながらも…。

4月9日 回想 親父
存在感ゼロの親父、部屋にこもっている僕には居るのか居ないのかさえ分からない。そんな親父が僕が車椅子に 座っている時に珍しく顔を見せた。生気のない姿・悲しげな目、僕の病気を未だに受け入れられないでいる親父が そこにいた。額にはばんそうこう、酔っ払って転んで顔を傷つけて縫った痕、2-3ヵ月1度こんな事件を起こしては 救急車で運ばれる。何故そこまでして酒を飲む・何ゆえそこまで酒に逃げる。プライドはないのか、昔何でも出来て 背中で強さを僕に見せつけていた頃のプライドは。親父っていつまでたっても息子の前では強さを誇るものだろう。 僕はそうありたい。誰も言い出さないけど…僕は親父に酒を嫌いになる薬を飲ませたいよ 飲んで欲しいよ。
親父をこんなにしたのは誰?…結局…僕なのかなあ。

4月9日 中間レポートの一日
今日は朝一番からgacco講座「戦争倫理学」の中間レポート書き、問1が300文字+問2が800文字=1,100文字の大問だ。 結局朝から夜寝るまで一日中レポート書きだった。疲れた。頭を使い過ぎた様だ。本気で疲れた。
だいたい僕は元々倫理学っていうものは性に合わない、答がはっきりしないものをくどくど考えるのは苦手だ。今回も 確認クイズ何とかこなしているがよく分からないまま講座を学んでいる。最近理解力や物覚えがずい分悪くなった。 倫理学だからなのか年のせいかはよく解からないが。あと2週…頑張ろうか。最終レポートが恐ろしいなあ。

4月8日 花散らしの雨
朝が屋根に当たる雨の音が部屋の中に響いていた。もし今日晴れたら車椅子の時間に大樹神社まで桜を見に散歩に 連れていってと頼んでみようと思っていたのだがそれもお流れだ、まあ天気予報で今日は雨だって言っていたので 半分以上諦めていたけど。これが花散らしの雨になるのかな。今年の花見は無理か。
昨日はチビの四回目の誕生日だった。チビがそしてモモがこの家にいてくれて本当に良かった。ここにリンが…リンが いないのに不条理を感じるくらいだ、いまさら何を言っても仕方ないけど。今でも…まだ…寂しいなあ。モモもチビも 僕より長生きしてくれよ。

4月6日 new看護師さん
木曜日のケアは訪問看護 Nの担当、昼の車椅子移乗の時間O主任が新しい看護師を連れてきた。Yさん 半年の間外来から 訪問看護にきたとの事。若くて身長があって身体もしっかりしているように見えた。見た瞬間これは移乗向きだと 思ったがしばらくは朝のケア担当と、残念。でも明るそうだし…この半年彼女にとって良い経験になるだろ。さて 好感も持てたし何からいじめるか…なんて。頑張れ。

4月5日 入浴車
入浴車が午前中に替わってから入浴車のスタッフの中に初めてAちゃんがいた。Aちゃん 久しぶり。話しによると 外的要因を受けて体調を崩ししばらく仕事を休んでいたらしい。今日も周りから「無理をしないで」と気を使われて いたから結構激しかったんじゃないかな。僕としてはAちゃんが入浴車のスタッフとして戻ってきてくれたから 嬉しいけど。
部屋まで引いた浴槽用のホースの中のお湯が冷えるのが遅くなったから外も少しずつ暖かくなってきているみたい、 「ツバメが家の中に入ってきた」って声も聞こえたし。浴槽の中で身体を温めていると少し息苦しくなってきた。 それで浴槽の縁に足を上げてもらった。今年初めての足上げ…。

4月4日 下の息子の大学入学式
今日は下の息子の大学の入学式、嫁さん朝早くから経管栄養を落とし息子(昨日帰省)と一緒に出かけて行った。 嫁さんの夢の一つは四年制大学へ子供たちみんなを行かせる事(聞いた事はないが多分)、子供たち3人国立大学へ 行ってくれたから夢の一つは叶った訳だ。僕も様々な意味で役目の一つは終える事が出来たのかな。上の息子は ほとんど帰省しないし帰省期間短い。(金が無くて)食事代がいらないからと帰省していた僕とは大違い。それだけ 余裕があるんだろうし向うの方が楽しいんだろう。下の息子にも楽しい学生生活を送って欲しいが学ぶ事が多くて 精神的にそんな余裕はないかもしれない。でもこの息子の後天的性格は僕に似てるからそれなりの一人暮らしの 楽しみ方はするだろう。
僕は大学の入学式も卒業式も全然覚えていない。けれど卒業式の後に工学部の正門前でジーパンをはいてママチャリに 乗った姿の写真が残っている。だからこの姿で工学部の卒業式に出たのだろう。今は入学式からスーツ、その後の 説明会?には親も参加、大学はいつからこんなに親がかりになったのだろう。これこそ教育所得配分格差の 象徴ではないか。

4月2日 日曜日の過ごし方
日曜日は朝から夜までパソコン三昧。パソコンに向かっていた時間は12時間以上、gaccoの講座「戦争倫理学」Week1を ぼちぼちやって(なんせ木曜日の朝までにWeek1 を終わらせりゃいいんだから)Facebookを見てたまにコメントを 書いて、テレビでソフトバンクホークスの試合と人間の証明をやっていたからちら見して、この雑記帳を書いて……。 雑記帳を書く時は Yahoo GyaO 動画を見ながら…、最近のお気に入りは「必殺仕事人」と「NARUTO(ナルト)」、 嫁さんは「なんでそんな暗いのを」と嫌がっている様だけど。少し余裕があるから何でも出来る?なあ。


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3月
3月31日 家に帰ったら
家に着いたら家の中は 静か〜っ、また一人いなくなったんだなーって実感した。モモが玄関で静かに僕の事を 待ってくれていたらしい。夕方7時前に今度はチビがベッドに上がってきて僕の足の間でぐっすり眠ってしまった。 11時頃には部屋から出て行ったけど。それでも嬉しかったなあ。
僕はメールとFacebookのチェックをして受講を申し込んでいたgaccoの『戦争倫理学』(30日15時配信)を保存した。 明日は朝から確認クイズの残りをして…。また頑張ろう…かな。

3月24日〜31日 レスパイト入院
1週間のレスパイト入院、11時前に病院に着くといつもの病室・いつもの窓際のベッドへ。今日の部屋担当はK副さん、 入院患者さんのいっぱいの部屋交代でベッドに着くのはかなり遅くなったがナースコール用のスイッチの設置はすぐに 終わった。それから近藤の担当は新しく病棟に来たS副さんとの事、どうせ担当にはなんにも相談しないのだから誰でも 良いのだがまた初めての看護師さんか。ついでに言うとS副さん本人によると僕の担当だと聞いたのは何と水曜日だと。 信じられない話しだ。入浴の日も何だか定まってないしこれも看護師長のあまりな無責任体質の招いた結果だろう。 これで下がしっかりしてなけりゃあ空中分解していたかも。この4月で師長も変わるらしいし次の看護師長さんはどんな 人だろう。
検査は全て初日で終わった、血液検査・検尿・胸のレントゲン・心電図…。2日目に1日7回の血糖値測定、朝の血糖値は 110代だったが14時頃は400近くに。朝のインシュリン&朝晩の血糖を下げる薬が効いてないのか効いてこの 数値なのか。まあ新たな治療はなかったから主治医の想定内だったのだろう。一応変化なしという事にしておこう。
2日目の部屋担当の看護師さんに今年になってからの人事異動を聞いたら「1月にKさんとSさん(承知)、2月にTさん、 今月末に私も退職(ご主人の転勤で)。代わりにS副さん・Sさん・Sさんが加わった」と。これで今年度も−2、また7人の 顔見知りの看護師が病棟からいなくなった。初めTさんが出たと聞いても中堅の看護師とばかり思っていたので 分からなかったがある日ふと気がついた、もしかしたら3年目のTさん?、それは全くの想定外だった。この6-7年新人で 病棟に来て3年未満でこの中途半端な2月に異動になった看護師がいたかな。僕の予想、おそらくTさんは幹部候補に 選ばれて修行の旅に出たんだな。
リハビリは月曜から木曜まで毎日、そして火曜日と木曜日に立たせてもらった。ただ午後の体交の時間が2時&4時から 3時に変わったので僕の車椅子移乗の時間を体交10分前に早める必要が出た。車椅子移乗が10分ぐらい早くなっても 構わないが困るのは小便の時間、10分早くなれば車椅子に座っている間に小便が漏れそう。どうしようかと考えて 立つ訓練の後車椅子に座る時は尿取りパットをまく様にした。それで今回は上手くいったが…。それと今まで担当して いた理学療法士のU先生が転勤と、気さくで上手に立たせてもらっていたのに。U先生、お世話になりました。 ゴールデンウイークはまた一から。次の担当は誰かなぁ?。
最終日は今日まで1年目のT看護師が部屋持ち。Tさんの身長が中学生波(言い過ぎ?)に低いからこれは近い将来壁に ぶち当たった時に越えられるかとずっと気になっていた。一番いい方法は技術を身に付けその上特殊な専門技能を 習得する事だと思うのだが…看護師としての技術もまだまだ。僕に出来る手助けは僕のALSとして生きてきた道や 考えてきたことを話してやる事と僕のケアのやり方を伝えて今後の参考にしてもらうぐらいしかないもんな。

3月24日 息子の引っ越し
来週下の息子の引っ越し、おそらくこれで一緒に住むという事はもうないだろう。ここでの僕の役割は家に いない事、僕の世話でみんなの時間を割くだけだもの。という事で今日から1週間入院。
この息子には特にパソコン回りの事でよく世話になった、僕はこの息子が物心ついた頃にはもう満足にしゃべれなくて 結局今まで何もしてあげる事は出来なかった。この息子が1歳を過ぎた頃2人で散歩に行こうとドアを出て両腕で 抱っこしたら…急に腕から力が抜けて息子は頭からまっさかさまに。僕が思いっきり両腕を胸に押し付けたら息子の 膝が引っ掛かり息子は落下せずにすんた。この日から僕は息子を抱っこ出来なくなった。だから僕はこの末の息子とは 2人で手をつないで歩いた事もなかった。申し訳ない。
1週間後僕が退院して家に帰って来た時もう息子はいない。考えた事なかったけどもしかしたらこの家で一番寂しい 思いを抱くのは僕かもしれない。

3月22日 Fさん夫婦と再会
今日の午後2時過ぎFさん夫婦が会いに来てくれた。Fさん夫婦が会いに来てくれると決まった日から嬉しくてずっと 何かしら心がわくわくはずんていた。そしてFさん・Mちゃんの顔を見た途端嬉し涙、きょうは泣かないつもりだったのに やはり…。この病気なってから涙腺がゆるくて困る。二人の姿や雰囲気は昔のまま、優しそうで…。それに二人ともに FBで繋がっているからか20数年ぶりに会ったとは思えなかった。そう思わせない雰囲気が二人にはあるのだ。対話は 僕はパソコンで応答、入力に時間がかかるけど二人とも待ってくれた。しばらくして嫁さんが加わってくれて僕の 言いたい事を文字盤で読み取り通訳、だけど僕はこの二人と一緒の部屋に居られる事が楽しくて話す事をほとんど 考えていなかった。時刻は3時を過ぎて僕は訪問リハビリの時間が気になりだした。それで嫁さんに「写真を撮って」と 頼んだ。たわいもない会話 それが良いのだがやがて訪問リハビリの車の泊まる音が聞こえてきて…別れの時、Fさん 夫婦が「また来るね。」と言ってもらえた。ありがとうございます。
Fさんは会社時代の先輩、といっても仕事上のかかわりは一切なかった。FさんともMちゃんともスキー仲間、僕と 親しくしてくれてよく酒を飲み交わした先輩がいてその先輩に誘われて僕は本格的にスキーをやり始めた。僕が先輩に 初めて半強制的?に誘われたスキーツワーグループの中にFさんもいた。この時のスキーで僕はスキーのとりこになって 道具も買って毎年年に複数回 広島に雪が降ったと聞けば広島へ行き更にパウダースノーを求めて年に1回は北海道まで いく様になった。そのスキーグループのほとんどにFさんも主体的に主体的に参加していてFさんは僕とも最初から 親しくしてくれた。僕はすぐにFさんの風貌や性格や(僕にない)スキースタイルが好きになっていたと思うなあ。

3月21日 リハビリ
今日久しぶりにH先生による5歩の歩行訓練、2週間ぶりだしその前の時は腰から崩れたし今日は車椅子に座っている 時から自分の僕の足でH先生に歩かせてもらえるかH先生が僕を歩かせる事が出来るか不安でいっぱいだった。しかし なんとか左右の片足ずつに身体をあずける事が出来て歩けた。良かった。
上半身のリハビリはM君の担当、車椅子に座っての肩関節=球関節の動かし方も大分上手くなった、肩の可動範囲が 広がっているか狭くなりつつあるか自分では分からないけどこれから暖かなるから増々?動く様になると信じよう。

3月20日 春分の日
昨日一日かかってドライブの日記を書き今日の僕は少々疲れ気味みたい、なんか朝から頭がぼーっとしてる。
今日は春分の日、朝は今日が祝日だって事を忘れていた。10時半前に嫁さんに浣腸・摘便をしてもらって後は11時前に 来てくれるヘルパーさんの出番。ヘルパーさんが3人来て下洗い・清拭・洗顔をしてくれた。月曜が祝日の時はいつも ヘルパーさんだけでケアしてもらっている。今日3人来てくれたのは引き継ぎも兼ねてかな。 ありがとうございます。
それにしてもこの2-3週間下剤の効き目が悪い、ひと月前までは下剤の効きが強過ぎて量を減らしていたのに突然 なぜ?。糖尿病の影響?。週末から入院だから少し下剤の量を増やして試してみよう。

3月18日 ドライブ
今日は蛤林道のループ橋(からほけ谷大橋:佐賀県吉野ヶ里町松隈)と坂本峠(福岡県那珂川町と佐賀県吉野ヶ里町との 県境)や五ヵ山ダムの工事現場(那珂川町五ヵ山)を見に介護タクシーでドライブに連れて行ってもらった。
メンバーは嫁さんと末の息子それに訪問看護師さん2人。末の息子は4月から大学生(佐大医学部)になり家を出る。 僕としてはこれがこの息子とは最後のドライブになると思って強制的に誘ったのだがこういう事には興味がないらしく 終始笑顔は見られないまま、彼には悪い事をしたのかもしれない。僕自身は新し物好き・ドライブ好きでここら辺は昔 よく車で走ったしここら辺の山には10回以上登ったりワラビを採りに来たりしていたから、四半世紀ぶりに走れて 思い出の道を巡っている様で懐かしかったしとっても楽しかった。久しぶりに6時間以上車椅子に座ったままだったから 最後の1時間は腰と膝が痛くてたまらなかったけど…。
介護タクシーの社長さん・訪問看護師さん・連れてきて写真を撮ってくれた嫁さん・付き合ってくれた息子に ありがとうと感謝。

行程:家→波佐見・有田IC→(西九州道・長崎道)→東脊振IC→道の駅『さざんか千坊館』(昼食)
     →蛤林道 ループ橋(からほけ谷大橋)Uターン→東脊振トンネル→坂本峠 Uターン
      →五ヵ山ダム工事現場→グリーンピアなかがわ
   グリーンピアなかがわ→東脊振トンネル→東脊振IC→(長崎道)→佐賀大和IC
     →佐大附属病院近隣の息子の新居を確認 Uターン→佐賀大和IC→(長崎道)→多久IC
      →女山トンネル工事現場(横目)→松浦-大坪バイパス?→家

道の駅『さざんか千坊館』はもうすぐ雨が降るかもっ天気でも大賑わい、こんな山の中にあるのに。50台分あるという 駐車場もほぼ満車状態だ。なんでこんなに好評なのか、どういう物が好まれているのか、確かめたいけど見に 行けないからなんにも分かんないや。ただ所長が「パンが高い」って言ってた。
ループ橋はアールが小さい割には結構急こう配高さのある道で自分で運転していたなら走りごたえを感じた様に思える 道だった。高所恐怖症の所長は外を見れないくらいの高さ、この森林基幹林道蛤岳線はいくつかの林道を経由して (佐賀県)三瀬に出るとか。三瀬の山の反対側(福岡市早良区)には三瀬ループ橋がある。三瀬ループ橋は三瀬トンネルの 導入道路になるため佐賀県管轄になると、不思議な事だ。このループ橋 ある程度想像はつくが一度は行ってみたい、 入り口付近にあった山賊屋?食堂がどうなったか気にはなる。
坂本峠付近は昔とさほど変わった雰囲気はしなかった。ただ曇っていたせいもあると思うがさびれていると感じた。 峠の手前(福岡県側)には少し駐車スペースがあったと思っていたが…なかった。ここで車椅子を下してもらい峠向うの 町道(吉野ヶ里町)に入って筑後平野と耳納連山・佐賀平野の写真を撮ってもらうつもりでいたけど駐車スペースも なかったし景色の雰囲気も撮りたいと思わせなかったので止めた。 またここから七曲峠まで林道を介護タクシーで走ってもらうつもりでいたが林道が思っていたより狭かったのと林道の 入口に落ち葉が吹き溜まっていたのでいたので言い出せなかった。30年前七曲峠までの林道を「こんなに素晴らしい 道を作ってくれた」と何故思ったのだろう。たぶんその前にあまりにもみすぼらしい林道を見ていたから…。 坂本峠には数人の登山姿をした方々がいた。おそらく蛤岳に行ったのだろう。僕もここから一度蛤岳までの遊歩道を 往復した事があった。ある程度変化に富んだ面白い小路だったと記憶している。
五ヵ山ダム工事現場には筑紫耶馬渓の面影はわずかも残っていなかった。どこがどこやらさっぱり分からなかった。 佐賀橋も貯め始めた水の中に沈んでいるそうである。ワラビを採ったダム北東部の小さな集落や田んぼ・林や藪も僕の 位置からは見えなかったけどつぶされたようだ。国道385号という立派な道が1本あるのだからトンネルを作ってまで 立派な道をもう1本作る計画が必要だったのかと僕は思う。ちなみに五ヵ山ダムの貯水量は九州一になるとの事。
グリーンピアなかがわは昔とは大きく様変わり。リフト&コースター?とグラススキーが無くなり花(灌木)公園へ。上の 駐車場の紅梅・白梅が綺麗だった。所長が言うには「桜がきれいそう」との事。ここにも登山服姿の方がちらほら。 ここは九千部山への福岡市方面からの登山口、僕も南畑ダムの駐車場に車を止めてここから登った事があった。 九千部山→七曲峠→佐賀橋→駐車場 20kmくらい?、当時まだ20代 元気だった。途中でワラビをいっぱいとったから 春だったのだろう。
ここで車椅子で下りて寒い中ちっょくら散歩。息子も遊歩道を上に向かって上りだした。どこまで行ったのやら、 あっという間に見えなくなった。ここで僕が気になったのは昔リフトをあがった所にあった展望台、コッフェルで娘と ラーメンを作って食べた思い出があるのだが。聞こうにも管理事務所は不在、仕方ない。寒くて長くはおれなかった。 嫁さんが携帯で息子に連絡している模様。携帯買ったの?、メールアドレスぐらいは教えて欲しいものだが。
帰り道 佐賀大和ICで下りて息子が4月から住む所を見に行った。佐大附属病院には近いけれど本庄キャンパスには 遠い。バスで通うそうだが1年半は通学で苦労しそう。専用の直行バスでもあればいいのだけれど。自転車では30分以上 かかるだろうな。どんなキャンパスライフが待っているか、息子も楽しみだろう。
帰り道 多久ICで下りて多久の街中-女山峠-若木-伊万里を通った。この道はこの息子が生まれた時に何度も通った、 道の状況は今でもよく覚えていた。女山トンネルの工事現場を横目に見ながら九十九折を上り下り、この辺りに山桜が あったなんて 懐かしい。大坪のバイパスは4-5年前大きな橋を見上げた時から通って見たかった。夢の一つだった。 事前に地図で見た時より道が伸びていた。道も街もどんどん変わってゆく。
家に着き部屋に入ったらチビが部屋から出て行った。昼間はずっとここにいたの?。チビも部屋に馴染んでる。

3月16日 珍しい
木曜日の訪問看護はN、朝のケアも昼の車椅子椅子移乗も主任が一人で来た。こんな事は珍しい、初めてかも。朝の ケアは本当に久しぶりだから道具の置き場所が分からなくて困ってた。もちろんケアは問題なし。
2ヵ月間訪問看護に臨時配置転換されたM看護師は僕の所に来なくなった。たぶん中・軽度のかかわりの薄そうな方の所を 回っているのだろう。僕も2ヵ月限定という条件を付けたからにはかかわりは薄い方がいいと思う、変に期待して しまうから。人間関係は難しい。僕もあの人の話し方やトーンに初めから気にさわった、人間嫌いのほぼない 僕にしては珍しい。

3月15日 水曜日の過ごし方
gaccoの講座を受講していないとほぼ一日中パソコンに向かっている僕にとって何をしようかと迷う時間が多くなる。 今は朝この雑記帳を書いて昼はFacebookとメール対応、夜はGyaOで無料のドラマや映画を見て過ごしている。が、この 雑記帳にしても毎日書く事がある訳でもなくGyaOも毎日見るのは1話更新の『必殺仕事人』だけ 後は面白?そうな物を 捜しながら見てるだけ じきに尽きるだろう。まあ来週末には入院するし来週水曜日には昼から会社時代のF先輩夫婦が 訪ねてきてくれるというし来週末入院するまでに時間のある内にすべき事・暇な内に楽しむべき事そしてもうすぐ いなくなる息子との語らい?をやっておけという週なのかもしれない。
昼の経管栄養を入れる様になってから水曜のスケジュールががらりと変わった、10時過ぎ入浴車→正午過ぎ経管栄養 (〜13時半?)→15時半過ぎ訪問リハヒリと。一番の変化は僕の入浴車のスタッフから看護師のAさんが外れたらしい事と リハビリのM君が僕に関して独り立ちしたらしい事かな。今日はH先生が他の方を回る必要があったとかで一人で来て 下半身の関節の可動域訓練と立位訓練をやってもらったがほとんどの部位の腱が意図した通り上手く伸びていた。立位 訓練にしても先週H先生か指導していた僕が立ち上がる時の膝に力を入れる瞬間の溜(=僕を楽に立たせない様に立つ 瞬間膝に力を入れるよう仕向ける1秒にも満たない時間)も取れていたし、後は立位での僕が腰を伸ばした時に どうしたら腰を伸ばした姿勢を長く保たせる事が出来るかそのサポートの仕方かな。それに装具の装着、踵をあれだけ 伸ばしてくれているのだから楽に合うはずなのだがなぜか浮く。首にしても顎が固定できてない。装具に関しては 所長に指導してもらえば早いのだけどそれは無理か。贅沢を言わせてもらえるなら足の指を広げて欲しいなあ。
WBC 日本vsイスラエル戦、5回までは完全な投手戦。千賀投手が5回を1安打無失点、イスラエルを完璧に抑えた。打線は 6回裏4番筒香が期待通りのホームラン、一気に流れを引き寄せこの回5点、8回には心配していた青木・内川にも ヒットが出て3点を追加した。けれど9回牧田投手が連打を食らい3点を奪われた。決勝トーナメントに向けて 一喜一憂かな。

3月14日 ロキソニン
ロキソニンを使うのは2年ぶり?。昼過ぎからくしゃみが出始めて体調が落ちてきた。14時訪問歯科が終わった後もまだ パソコンをしようという気はあって時々ぐしゃぐしゃにくしゃみをしながらFacebookで[いいね]を付けたりコメントを 書いたりYahoo GyaOで映画『あぶない刑事』やドラマ『必殺仕事人』を見たりしていた。その必殺の後半あたりから 少し息苦しさを感じ始めたので下の息子に検温してもらったら37.1℃、普通の人なら微熱と言えるかどうかだいつも が35.5℃以下ぐらいの僕にはまあまあの熱。解熱剤を使うがどうか迷っていたら嫁さんから「ロキソニン使うよ」の ひと言、結果WBCを見終わる頃にはパソコンが打てるようになっていた。
そのWBC 日本vsキューバ戦、キューバがリードし3度日本が同点に追いつく手に汗握る白熱したゲーム。5-5の同点で 迎えた8回裏1アウト1-3塁で代打内川の犠牲フライ・山田の2ランホームランで勝ち越し、最後は牧田投手が締めて 日本の勝利。良かった。

3月13日 DVDプレーヤー
嫁さんが突然「DVDプレーヤーを買い替えよう」と言い出した。居間で録画したBlu-rayが僕のパソコンでうまく 再生出来なかったのが気になったのだろう。ちなみに僕のパソコンはBlu-ray対応なのだがPower DVDのソフトが上手く 作動しなかった いや作動させきれなかったというべきか、ともかく見れなかった。
僕の部屋のDVDプレーヤーはテレビ電波がアナログから地上デジタルに変わった時に買ったもの、だから10年以上は かるく経っている。当時テレビを買い替える事も考えたがテレビは買い替えてからまだ4-5年しかたっておらず もったいないという気持ちが働いたわけだ。それならいっそDVDプレーヤーを地デジチューナーの代わりにしたら 一石二鳥と思いついた。
今ではメモリー不測か再生は出来ても録画は出来ない。買い替え時では確かだった。

3月12日 日曜日の暇つぶし
今日は何年振りかにデータの整理とバックアップをしながら昨日の続き「釣りバカ日誌」を残り全部視聴。それから 毎日1話更新の「必殺仕事人」、そして時代劇映画「雨あがる」を見て後はWBC日本vsオランダ戦、映像三昧の 一日だった。まあこんな日があってもいいだろう。
前半追いつ追われつの乱打戦、後半は貧打線、6−5で来た6回からオランダの攻撃を日本のリリーフ陣が何とか抑え 耐え忍ぶ戦いとなった。9回裏則本投手が追いつかれ6-6、なお2アウト2-3塁のピンチ。ここは則本か三振で切り取り 延長戦へ、則本のハートの強さを見た。10回表1アウト2-3塁で菊池が敬遠されオランダが満塁策を取った時にはこれで 勝ったと思った。けれど3番青木が敢え無くダブルプレー、チャンスをつぶした。11回からはノーアウト1-2塁から 始まるタイブレーク、日本はセオリー通り送りバンドで1アウト2-3塁とし中田が2点タイムリーを放ち勝ち越した。 その裏も牧田が抑え日本勝利。5時間の激闘、しんどかった。

3月11日 ドラマ「釣りバカ日誌」面白ーぃ
gaccoの受講も終わって当面興味に駆られる講座も見当たらないのでパソコンでする事が無くなった。こういう機会に データの整理やバックアップをすりゃいいのだがそっちの方には気が向ない。仕方がないので Yahoo GyaO を見て 暇つぶし。アニメには僕の興味をそそるシリーズが無かったのでドラマへ。当面のお気に入りは「三匹のおっさん」と 「必殺仕事人」、それに今日「釣りバカ日誌」を見つけた。釣りバカ日誌は社会人時代移動の時によく見ていた漫画、 だけど初期の頃の物語はちっとも知らない。それに浜崎伝介がはまり役、シリーズを一気に見たいほど面白い。一気に はまってしまった。

3月10日 通院日
今日は朝から身体が変、腰が痛くなる程に寒く感じるのだ。誰も「寒い」って言わないのに・猫も餌を食べたらすぐに 外へ出て行ったというのに、なんで?。
病院に向かう時はずっと目をつむっていてたまに目を開けて位置を確認してまた目を閉じていたのに…ちっとも眠く ならなかった。どうして???。今日も外来の僕の受け持ち看護師はSさんとFさん、本当に久しぶりに第2救急処置室に 通された。バイタルを測り終えるとほぼ待ち時間なしで主治医が来て診察とカニューレ交換、今日はすごく早く 終わった感じ。
外に出ると日差しは温く温く、でも風はひんやり冷たかった。家に着いてから所長が庭を一回り連れて行ってくれた。 風に当たるとまだ寒々、けど気持ち良かった。モモもコンクリートの上で寝転がってお出迎えしてくれた。

3月8日 gacco講座「中国古典に見る指導者の条件」終了
今朝のパソコンで「中国古典に見る指導者の条件」の最終レポートを送信、無事終了した。センター試験の翌日の 数学U・Bから始まって52日間、結構しんどかったし朝から夜寝る前までパソコンに明け暮れた日々忙しかった。まあ これからも朝から晩までパソコンするのは変わらないと思うけどこの2カ月弱は密度が違ったな、眠かったし肉体的にも 疲れを感じてたし。月末のレスパイト入院まではWBCでも見ながらゆっくりするかな。

3月7日 あれーっ
火曜日の1時間弱の車椅子座位のベッドへの戻りは上半身のリハビリとH先生の歩行訓練?。金曜日と昨日のわずか5歩の 歩行訓練がすごーく調子が良かったのでつい油断してしまった。車椅子の向き・方向が少しベッドからずれていたのは 分かっていたのだが…まあ何とかなる多だろうと思ってしまった。全くの過信だ。結果は3歩目で腰崩れ、H先生に 大いなる負担をかけてしまった。たぶん2歩目の右足がほんのほんの少し内側に入った事で右脚に完全に体重を移せない まま右膝を完全に伸ばしきれないまま3歩目に移ったのだろう。この日寒の戻りで寒さがぶり返した事も要因の 1つかもしれないが。それにしてもあんな形て崩れるなんて…ショック×2。

3月4日 ドライブ決定
二日続けてケアが所長、本当に珍しい。実は下の息子の大学進学が決まった後に嫁さんに頼んでた、下の息子と一緒に 昔よく遊びに行った五ヵ山ダムの工事現場辺りにドライブに行きたいと。そのドライブの日程を入院一週間前の18日と 所長が決めてくれた。楽しみだ。おそらくこれが下の息子と一緒に行ける最後のドライブになるだろう、なんにも してやれなかった息子だが僕がどんなところで暇つぶししてたのかこの息子に見て欲しいのだ。蛤林道のループ橋が どこにつながってるか知りたいって好奇心が一番だけど。

3月3日 H先生が車椅子移乗?
金曜日の朝のケア 久しぶりに所長が来た。最近は火曜日にはよく所長が来る様になった、多分火曜日のスケジュールが 変わって車椅子移乗の時間が早くなり補助にヘルパーさんが付くようになったからだろう。その所長が「車椅子移乗の 際人手に困った時にはリハビリに手伝ってもらう様になった。今日から早速…。」と告げた。
車椅子移乗の時僕の部屋の障子の向こうから顔を見せたのはI看護師とH先生、リハビリの立位訓練の時よりもほんの 気持ちベッドの高さが高かっただけなのにあまりにも気持ち良く立ち上がれたのでH先生の「ベッドに戻る際は 歩きましょうか」という提案にうなずいた。そして車椅子からベッドに戻る時の5歩の歩行訓練も調子良かった。H先生は「時間帯の違いかな」と言ったがどうしてだろう。

3月1日 末の息子、卒業式
今日末の息子は高校を卒業した。2002年10月15日?午前10時過ぎ呼吸不全に陥り救急車で病院に運ばれその場で 気管内挿管、翌日気管切開の手術を受け人工呼吸器を着ける身となった。その時時計の秒針を見つめながら考えていた 事は、この息子が高校を卒業するまではなんとしても生きていなければと。
今日がその日、だけど何の感慨もない。息子はいつも通り朝「おはよう」と挨拶しいつもの時間に家を出て行った。 いつもと違うのは妻が卒業式に出席するため不在だから娘が年休を取って僕の世話をしてくれているくらいか。それと 入浴車の前に訪問理容に来てもらって髪を切った事。それ以外はいつも通り。今日は通過点?。次の定点目標を 決めなければ…。
この息子には僕は何もしてあげてない 抱っこさえも、ALSになって3年?以上経ってから生まれた子だから。ちゃんと 育ってくれてありがとう。家族に感謝。


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2月
2月28日 良い天気
H先生が急きょ休みでリハビリも中止、それで車椅子に座る時もベッドに戻る時も移乗は訪問看護師さん。そこで 頼んでみた「今日は天気が良いので外を見ながら車椅子に座りたい」と。火曜日の車椅子移乗は午前中なので部屋に 少し陽射しが入り庭も明るく見えて何となく日向ぼっこをしている様な気分になって心は温く温く、楽しかった。
春はすぐそこまで来ている様だ。

2月26日 経管 飽きた
経管栄養1回1.5-2時間、朝昼晩3回で5-6時間、なんだかしょっちゅう経管栄養に繋がれている気がして仕方がない。 経管の間もパソコンに向かっているから嫁さんは「パソコンをする時間が増えた」というが経管中は薬の影響か瞼が 重く目が開かなくてパソコンの進行状況は極めて悪い。その上寝不足気味?、これまで経管栄養2回の時は半分の時間は 熟睡してたから。今は経管中どうしても目が開かない時は寝る様に切り替えたが依然としてしょっちゅう眠い。昼の 経管栄養 飽きたなあ。

2月25日 gacco講座「解明:オーロラの謎」 終了
今日の夜寝る前までかかって「解明:オーロラの謎」を終えた。無事修了出来た。gaccoの講座を受講して2年 二番目?に 難しかったと思うけど面白かった。実際この講義は大学ではたぶん半年かけてもっともっと詳しくやるのだろう。 その講義を聞きたいなって思うくらい久々に面白かった。
残るは「中国古典に見る指導者の条件」。2週間弱遅れで始めたから日程的に厳しいものがあるし高校時代から超苦手な 漢文(中国古典)関連の講義なので苦労しそうだが面白そうだと思ったので受講したのだから、最終レポート 提出期限までの16日間修了点オーバーを目指してやらなければ。

2月24日 通院日
今日は通院日、しかしリフト車の中で行きも帰りも車窓からの景色など一切見る事なく目を閉じてほぼ眠って?いた。 おそらくgacco講座学習の疲れがているのだろう。身体に結構無理が来ているみたい。だけどあと少しの辛抱…。
今日の外来での僕の担当の看護師はSさんとFさん、このコンビ久しぶり。二人とも僕の外来での対応に慣れているから 何も口を挟む必要はなかった。バイタルを測り終えると今日は血液検査で血糖値の測定、血管が細いから相変わらず 看護師さんに苦労をかける。間もなく主治医が来て診察とカニューレ交換、肉芽は気切の穴をふさぐ?くらい 大きくならなければ処置の必要はないとの事。今日も順調に短い時間で診察が終われた。

2月22日 ニャンコの日
今日はニャン×3 猫の日、最近はチビが部屋によく遊びに来てくれて夜中一緒に脚の間で寝てくれて朝まで 居てくれるのでとっても嬉しい。たぶん僕と一緒にいてくれる時間が一番長いのはチビだろう。まあチビは僕の事を 人間とは認識していない様だけど。猫がいない生活なんて僕にはもう考えられない。我が家に猫がいてくれて本当に 良かった。

2月21日 歩行訓練?、やや好調?
今日車椅子に座る時寒さで立つのがちょっと不安に感じていた。ところがリハビリの時の歩行訓練、意外と上手く いった。足が少し交差しかかった様で不安定になるかなって思っていたけどH先生のフォローのおかげできちんと片足に 重心が乗って結構上手く歩けた。良かった。
車椅子に座っての上半身のリハビリ、ベッドに寝ている時よりお互いにもっと楽になるかな・腕を広く動かせるかなと 思っていたけど僕には肩や腕を支える力がないから動かすのがかなり難しそう。想定外だった。

2月18日 gacco講座「政治哲学入門」無事終了
今朝のパソコンでgacco講座「政治哲学入門」を修了点で無事終了、この半月「解明:オーロラの謎」との並行しての 受講 精神的にも結構しんどかった。今週なんかgaccoの講座以外何をした覚えていないくらい、きつかった。「解明: オーロラの謎」の方も来週の水曜日の配信で最後だし、ここいらでゆっくりすればいいのだけれど…前々から 面白そうと思っていた講座につい手を出してしまった。それは2月7日に配信が始まっていた「中国古典に見る指導者の 条件」、オーロラの方が確認クイズをWeek3までで26問中5問も間違えてちょっとピンチなのだからこちらに専念すれば いいものを面白そうなテーマに興味を引かれ手を伸ばしてしまった。来週1週間無理すれば何とかなる。 頑張れ、僕!。

2月15日 リハビリ
昨日今日とリハビリの時H先生はお休み、H先生の顔が見れないとやはり寂しい。昨日の車椅子からベッドへの移乗は 久しぶりにNさん、比較的スムーズに立てた。M君がお尻を抱え上げてくれなくてもNさん一人の力で立ち上がれたかも。 今日の立位訓練、今日も立たせてくれるのはM君の出番。M君最近立たせるの上手くなった、たぶん左肩の使い方たが 上手くなったのだろう(M君の肩で僕の身体が持ち上げられているような気がする)。ただ立っている時に一刻も腰の上に 上半身を乗せた感じにならないのがもうひとつかな。

2月13日 自信揺らぐ?
一昨日と昨日 祝日(建国記念日)と日曜日 たった二日立たなかった・車椅子に座らなかっただけなのに車椅子移乗の前に 不安で心が揺らいでいた。こんな事が最近よくある。病気になって無くした体力だが気力の衰えに伴って体力の方にも 拍車がかかって衰えが来ている様な気がしてならない。今日は無事立って車椅子に座れたけど…来年の5月にははや僕も 還暦、年と病気 どっちの衰えが先に来るか?。

2月10日 雪の中の通院日
今日は通院日、移送サービスで最初に来たヘルパーさんが「外は雪が降っていますよ。今日は(交通量の少ないいつもの 峠は避けて)NTTの方から行きましょう。」と。外に出ると靴下をはいていない足がしばれる、厳重にかけて寒くない 様にしたはずの毛布の隙間から冷え込んだ空気が入り込んできた。外はこんなに寒いのか。
病院に向かうリフト車の車窓からはひっきりなしに舞い落ちる牡丹雪が見えた。この病院に通院するようになって 今年で17年、今まで雪の中の通院ってあったかな。それにしても病院へ向かう時は真っ白だった田んぼや屋根も 帰る時にはほとんど解けていた。少し温かくなったの?、僕は外出した寒さで体調はもうひとつだけど。

2月9日 合格通知着く
昨日午前中(11時前ぐらい?)入浴車の時に嫁さんが僕の部屋の障子を少し開けて指でOKサインをした(眼鏡をかけて なかったからよくは見えなかったけど)。ネットで大学の推薦入試合格者受験番号のサイトを見て確かめたらしい。 けれど万が一の間違い事があるといけないから合格通知書が来たら喜ぼうと話し合った。
すると今日早くも合格通知書が届いた。「開けて」って言ったけど「(息子あてだから)ダメだ」ってすごく当然の答が 返ってきてしまった、残念。夕方帰って来た息子に封書の中身を見せてもらうと間違いなく『合格』の文字があった。 よく頑張った、良かった、安心した。
これでうちの子供たちはみんな国立の大学にいってくれる。親孝行な事この上ない.特にこの息子は僕に相談した事など 一度もない。自分の努力と力だけでここまで来た。学力レベルは僕より二段以上上だろう。僕はこの息子の事を努力の 天才だと思ってる(勉強に関しては)。僕は彼になんにもしてやれなかったしなんにも見せてやれなかった。 申し訳ない。

2月5日 大変&しんどい
gacco講座「政治哲学入門」と「解明:オーロラの謎」の併受講1週目、どちらの講座も僕にとっては結構難しくて大変。 1週目は次の火曜日の「政治哲学入門」の配信までに何とか終わりそうだけどこれをあと2週こんな調子で続けないと いけないなんてしんどいなあ。両講座とも内容がもうひとつよく理解出来ていないし何だか修了証をもらうためだけに 受講しているみたい。でも一度チャレンジしたものはきちんと終わらせるのが僕のモットーだから。頑張れ…僕。

2月4日 Iちゃんの爪切り やっぱり安心
そろそろ爪が伸びてきた。僕の手の爪と指先の間には膜(薄皮)がある。少しでも深爪するとこの膜まで切ってしまい すぐ血が出てしまう。僕の手の爪切りは難しいのだ。今日ぐらいにもうそろそろIちゃんに来て欲しい・来る頃かなあと 思っていたら今日のヘルパーはIちゃんだった。Iちゃんも意識していてくれた様で手を見て「(午後)車椅子に座った 時に切りますね」って。ありがと。
実際切ってもらっても上手いし…安心だ〜ぁ。

2月2日 新人さん?
訪問看護S○○○ろのF看護師が1月末で辞めたから今朝のケアに僕にとっては新人のMさんが同行してきた。主任に よると今年度いっぱいとの事、慣れた頃には交代か。雰囲気・感じは苦手じゃない。訪問の経験もあるそうだ。後は やってみてからだなあ。午後の車椅子移乗には来なかった。2ヵ月だから朝のケア専用かなあ。

2月1日 gacco講座「解明:オーロラの謎」、難しい
今日午後3時にgacco講座「解明:オーロラの謎」week1配信、ただ午後3時半過ぎから訪問リハビリだったので5時から まず字幕をダウンロードし講義を視聴。感想は…難しい。講師の話し方もはっきりしていて分かりやすいし講義も 5-6分×8講義と1講義は短い。けれど内容そのものが難しいのだ、物理・化学・数学の知識もいるし。何よりも確認 テストの提出可能回数が1回のみ、これが実にきつい。最初から2問続けて間違えてしまった。苦しい講座に なりそうだ。


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1月
1月31日 火曜日 やはり忙しい
今日で1月も終わり、早かった。
7:30朝の経管栄養-9:30ケア-10:00?~10:20?車椅子移乗-10:50?上半身リハビリ(車椅子/ベッド)-12:00昼の経管栄養- 14:00訪問歯科-15:00 gacco講座「政治哲学入門」配信-19時過ぎ 夜の経管栄養、すごいスケジュール?。火曜日に 限らないけど1日に5時間は経管に繋がれている感じ。経管栄養中もパソコンしているけどテルネリンを服用している 関係ですごく眠くて。夜中に3-4時間しか眠れないから経管中に眠っちまうって方法もあるけどパソコンをする時間が 少なくなるから…目をしばしばしながらもパソコンやってる。しょっちゅう眠いし疲れが残るなぁ。

1月30日 肉芽
今日車椅子移乗からベッドに戻って気管切開部のガーゼを交換してもらっている時に訪問看護師さんから「肉芽が できてる」と言われた。どおりで気切の上の部位が痛むと思った。この半年たまに気切の上が痛む事があったが その時も見えなく来の小さな肉芽ができていたんだと思われる。でもこうして「肉芽ができてる」と指摘されるのは 多分十数年ぶり、肉芽の対処法も忘れてしまったが小さな肉芽はただ我慢 自然治癒を待つだったと思う。辛い。冬で 掛け物をいっぱい重ね着しているから掛け物の上を通ってる呼吸器回路がカニューレを押すからカニューレが上に 傾いて肉芽を刺激してなお更痛い。カニューレが少しでもいいから上に傾かない様にするには回路を反対側つまり下に 引っぱる事、ただそれをその意図を伝えるのが難しい。ただ我慢、か!。
月曜日の朝のケア 3週連続所長、もう15年近く来てもらっているがこんな事初めてかも。Iさんはこの時間帯別の患者さんの所に行ってるって土曜日聞いたしやはりFさんの怪我の影響か。それで朝のケアが終わった時に所長に「Fさんは?」と尋ねたら「来てますよ。身体に負担の少ない方のところを回っている。午後の車椅子移乗でベッドに戻る際に来ますよ。」って。休みを取るほどひどくはなさそうとひと安心。僕のケアのスケジュールが変わる事はなさそうだ。
モモは今日はずいぶん長いとこ僕の部屋にいたと思う、夕方餌を食った後パトロールには出かけた様だがそれ以外は。 昨夜寝る時には僕の足元で寝ていて今朝嫁さんが餌を持ってくるまでずっといたし、朝の経管栄養中はチビが脚の間で 眠っていてチビベッドから下りたらモモが上がってきて…。朝のケアが始まったら所長におとなしく外の見える窓の 側に運ばれて…夕方の餌時までそこにいた様だ。夜には自分からベッドに上がってきて今日も一緒に寝てくれた。 モモが連日一緒に寝てくれるのは嬉しいのだけれどモモがいるとチビが来ない。去年は5月まで来なかった。 代わりばんこに来てくれたらいいのになあ。

1月29日 gacco講座「政治哲学入門」week1は終わった
火曜日にセンター試験の数学が終わったのでgacco講座受講を再開、火曜日午後配信された「政治哲学入門」week1を 水曜日の朝からやり始めた。この講座久しぶりに1回視聴しただけでは講義の内容が頭の中にちっとも入らない。 こんなの2年間gaccoの講義を視聴してきて今回で2回目。たぶん講師の声の出し方が僕に合わないのだろう。今朝で 「政治哲学入門」week1を受講して5日目、終わった。週に6講義と少ないが1講座が長い。苦労しそうだ。
それなのに2月1日配信の講座のテーマが興味津々、「解明:オーロラの謎」と「死を想え」2つとも面白そう。しかし 一つでも苦労しそうなのに二つも三つも出来るか。無理だろう。でも面白そうなので無理を承知で「解明:オーロラの 謎」にも挑戦。どうなるか。

1月27日 通院日
今日は通院日、病院に向かっている時はまぶたが重くて眠くて景色も見る気にならなかった。一日3回普通の患者の様に 経管栄養を入れるとしょっちゅう経管に繋がれている様な気がして気がめいるし薬の影響で眠たいし嫌になっちゃう。 それに寝不足だし…。いつになったら慣れるかな。
病院に着くと救急処置室へ。車椅子から診察室用のストレッチャーへ移乗した後バイタル測定、いつもと様子が違い 血圧測定が何回も、僕にはモニターが見えないがどうやら異常に高い数値が出ているらしい。すぐに主治医が来て バイタルを確認、血圧が高いのはフリーズの上から測定したからと判断した様だ。処置の後でもう一度今度は フリーズの下で血圧を測り直したら上110代−下60代、こんなに違うのか。それよりも90あった下が最近60代に時々 なるのがもっと気になるなあ。

1月25日 凍てつく?朝
僕は夜寝る前間に睡眠剤を服用する(毎日)。それでも熟睡出来るのは4時間もない、毎日ほぼ3時半には目が覚める 訳だ。眠っている時は呼吸がゆっくりになるから人工呼吸器から送られてくる空気も(定圧式だから)僕の呼吸に 合わせてゆっくりになるから加湿器で暖められた空気が来る(と思う)。ところが目が覚めた途端加湿が早くなった 空気の流れに間に合わなくなって冷めたままの空気が肺にそのまま入ってきて身体が急に冷たくなる。今朝なんか手が 冷え過ぎて凍てついているって思ったほどだ(足にはずっとモモがいてくれたから温温だったけど)。今更ながらこの冬 越せるかな。
朝10時過ぎ入浴車の時間、「寒いですね。」ってのが最近の挨拶。先に来た看護師さんが「ワイパーを使ったら前が 見えなくなった、液が凍ってた。」と今朝がどんなに冷えていたかってエピソードを話してくれた。そのしばらく後 僕の部屋に入って来た看護師さんも「朝ワイパー液が凍ってました」って。二人で笑った。ヘルパーさんは入浴車の タンクの中の水が凍ってないか心配してたし今朝は相当冷え込んだのだろう。お湯に浸かった時身体が芯から 温まっている様でとっても気持ち良かったよ。
Facebookの過去の思い出によると去年のこの日大雪だったと。あの時でっかい雪だるま(猫だるま)を作ってくれた下の 息子は今大学入試をひと月後に控えて懸命に奮闘中。もうひと息。頑張れ。

1月24日 センター試験数学 終わった
数学TA大問5 図形の問題、2日近くかかったけどようやく終了。後回しにしていた確率の大問も自信はないけど今日で 終わった。採点はどうしよう。時間がかかるからやってもやらなくてもどっちでもいい、去年も採点しなかったしね。 だいたい2時間の問題を何日もかかって解いたのだから(いくら入力にとっても時間がかかると言っても)採点する事に とのくらい意味があるのか。僕は解けただけで解き方が分かっただけで十分満足している。それも例年二十日ぐらい かかっていたのに九日という早さで、信じられない。自信がないのは集合それに確率かな。

1月22日 日曜日、何する?
今日は日曜日、ちょっと飽きてきたけど朝から数学TAに取りかかった。昨日から大問1と大問2の図形まで終わり今朝は 統計から。統計はgaccoで4講座学んだから1問も間違える訳にはいかない。今日も昼からは都道府県対抗駅伝(男子)を 見ながらもパソコン、しばらくこの雑記帳を書きFacebookを確認し何もすることがなかったからまた数学TAに逆戻り。 選択問題の内時間がかかりそうなので後回し、まずは数字遊びの問題から、この大問はぼちぼち面白ろかった。今年の センター試験の数学160点分(220点中)やったけど今年初めて面白いと思った。今年の数学はまるで高校の定期考査の 問題を解いてるみたいでずっと面白くなかった。ようやく。
選択大問の3問目(確率は後回しだけど)図形の問題、眺めても今はさっぱり解からん。しかしセンターはこうで なくっちゃあ。

1月20日 まずは数学UB 終了、早い
今日の車椅子移乗の時間までに数学UBの問題を解き終えた。たった三日、今までがこの倍以上かかっていたから異例の 早さだ。これが何を意味しているか。僕の脳は退化している、それは間違いなさそうだ。なのに早かった。だから結局 それだけやさしかったという事だろう。大いに悩んだのは最後のベクトルの小問1問だけ。ベクトルだけにcosが あったから内積を使うものと思い込んでいた。3点の座標が分かっているのだから三角関数を使えばいいと後で 思いついた。駄目だなあ。
以前はこんなふうに悩む問題がゴロゴロあった。それに計算もずっとずっと難しかった、こんなのセンター試験で させるなよと思うくらいに。今はこんなんじゃ受験生の計算力を確認できないだろうと思う程に難しくなくなった。 本当に極端。この2-3年この傾向が続いていたが今年は特に。今年の数学は平均点が上がるだろうから得意な人には 不利だな、息子にも。
明日から数学TA、頑張ろう。

1月19日 ベクトル ショック
センター試験の数学UB 大問3まで終わって最後の大問はベクトル。ベクトルは苦手な方じゃなかったし問題をちらっと 眺めた時もそう難しくは思えなかったのだけれど…いざ解こうとした際にしばらくやり方を全然?思い出さなかった、 問題の意味は理解出来ているはずなのに30分くらい頭が固まったように…回転しようとしない、ショックだった。
これまでも解けると直感したのに解き方が思い浮かばない事が何回かあった。どうもこの1年で脳がだいぶ 退化したみたい。年のせい?or 血糖のせい?、この身体 嫌になる。

1月18日 リハビリ
リハビリ、スケジュールが変わって今年2週目、まだ身体が馴染んでいない。昨日の朝なんかもこの日が水曜日と完全に 思い込んでいた。
火曜日のリハビリ。H先生に車椅子に座りながら上半身のリハビリをしてもらった、今回は右肩と右腕も。いつもと 違うって風に感じたのは腕を身体の前に回してもらった時、肩のいつもの角の所の他に脇 肋骨に痛みというか違和感を 覚えた。ベッドに寝ていた時には感じ事がなかった違和感だ。気にする事はないと思うがなんだろう。ベッドに戻る 時は四歩歩いて。歩いている時左ひざが少し崩れそうになったが調子は悪くなかった、冷えているから 心配したけどね。
水曜日の下半身のリハビリは午後3時に固定できるらしい。今日は可動域訓練も立位訓練も全てM君がやってくれた。 M君も結構攻めてくれる。M君とH先生の大きな違いは急所処でH先生の方が動かし方がものすごくゆっくりなるって 事かな。それにM君は僕が股関節症もちだって事を忘れてるみたい。それにしてもM君上手くなったよ、今日の3回目は 上手に楽そうに立てたし。足の位置が少し違うだけで精神的にも立ち辛くなる、それが僕って事?。

1月17日 センター 数学開始
昨日今日とセンター試験の数学2科目を部分部分に分けてワードにコピペ、意外に早めに終わったので数学UBから 取りかかった。今回問題をコピペしていて驚いたのは数学UBに選択問題がなかった事。センター試験の数学を やりはじめて7年になるが選択問題がなかったのはTA・UBとも過去なかった。どういう事なのだろう。不思議。多分… だが 現役・浪人の指導要綱の差が無くなったという事か。
一概した感想だが基本を大事にした問題になっていてミスったら打撃が大きい≒平均点が高そうって感じ。難しい方が 息子には有利だと思っていたがそういう問題ではなさそうに感じた。ここ2-3年そんな傾向なのだが…息子は どうだったのだろう。気になる。
僕にとっては毎年の事だけど集合と対数(log)が鬼門だな。

1月15日 センター試験 二日目
今朝は昨日より冷え込んでいて肺が寒い、手は凍てつく様だ。明日からセンター試験の数学をやるつもり、gaccoも この雑記帳もしばらくお休み。でも去年のセンター以降数学は見てもいないし解いてもいない、どこまで 覚えているか?。それよりまずは統計の公式を復習。
昼間は都道府県対抗駅伝(女子)を見てそれから今回は年賀状の未着・引っ越しがたくさん見られた(去年まで気付いて なかった?)からまずは未着分だけでも住所録を変更して寒中見舞いを作った。後の住所録変更は後日…。
今日センター試験二日目は理科と数学、午後6時 まだ未公開、今日の問題や解答の公開も遅くなりそう。GyaOでドラマ 視聴。今のお気に入りは『チーム・バチスタの栄光4』、ただ日曜更新で週2話だから寂しい か。9時前問題・解答公開、 数学と物理・化学を早速ダウンロード。帰ってきた息子には何も聞けず、高い(僕レベルではものすごく高い)目標に 対峙しているのだから後は結果を受け入れるのみ。努力してきたのだから好きな道を進めばいい。僕は明日から気楽に 数学でも解く事にするか。2011年に始めたセンター試験の数学、これが最後になるかもしれないのだから。

1月14日 センター試験 初日
今朝目が覚めてパソコンしてたら手が冷えてる。下の息子は防寒対策していったかな、特に手。あの子はそういう 事には無頓着だから…。Facebookを確認してから去年使った東進のセンター試験速報のサイトを開いて見ると 2017年版に変わっていた。今日は社会・国語・英語、試験が始まれば開き直って落ち着くと思うが直前も 落ちつけてるか。君は努力の天才だと僕は思う。これまで君がしてきた沢山の努力は決して君を裏切らない。自信を 持ってやれ。君なら出来る。頑張れ。
昼間はケアと車椅子移乗そしてFacebookを見たり年賀状を確認したりGyaOでアニメや映画を見たりして過ごし夜の 東進のセンター試験サイトの更新を待った。夜9時過ぎようやくサイトが更新されて社会・国語・英語の問題と解答が 表示された。それから世界史B・地理B・国語・英語(筆記&リスニング)をダウンロードしたらもう11時前、もう寝る 時間。息子はいつも通りの平常心で試験に取り組めただろうか。明日の数学が多分勝負、頑張れ。

1月13日 通院日
大寒波到来 寒くなってからの通院日、所長が熱すぎるほど掛け物を重ね着をしてくれたけどリフト車に乗り込むために 外に出て陽があたると暖かい・風にあたるとグッと寒い。リフト車の中でも肩や腕には汗をかきそうなのに鼻水が ポトリポタリ、身体は熱いと言っているのに肺が冷えているので脳が鼻水を出せって命令してるって事か。身体って 不思議なもんだなあ。
病院に救急処置室に入るとバイタル測定と血液検査、血糖値が高いからだろう。検査結果が出るまで待機、結果が出て 主治医が来て診察とカニューレ交換、そば耳?を立てていた訳ではないのだけれど200を切った数字が聞こえてきた。 昼の経管栄養を入れていないからだろうが(約5.5時間後)数字が下がっていた。ラッキー。その後血糖値測定値キットの 事で話が長引いて…家に着いたのは午後3時過ぎだった。今日は下の息子が明日のセンター試験のためにホテルに入る 日、嫁さんが駅まで息子を送っていくつもりだったらしいのだが僕のせいで 通院が長引いたせいで間に合わなかった。 たぶん息子は6時くらいにホテルに着いたんじゃないか。試験会場の下見も出来なかったと思う。すまない。この息子は 電車に遅れた事や会場の下見が出来なかった事が気になる性格だったかな。頑張れ!。

1月12日 立位→移乗
木曜日の訪問看護はなないろの番。朝のケアにはHさんが、昼からの車椅子移乗には主任とまたもやHさんが来た。朝と 昼で同じ看護師さんが来るなんて今まであったかな、珍しい。たぶんもう一人の看護師さんが今日は お休みだったのだろう。
今日の車椅子移乗のベッドから立たせる役は先週に引き続きHさん、今日のヘルパーは若手のKさんだから楽勝だと 思っていたか…。立つのは今日もOK・身体を半回転回すのもOK、だけど車椅子に座るのがほんのちょっと浅かった。 何故?。車椅子からベッドに立たせて戻るのは今度は主任の役割、けど今日は2回立てなかった。僕の膝は伸ばす力は けど立ち上がる力はほとんどない。だから膝を伸ばせる高さまで身体を引き上げてもらわなければならない。ベッドの とっふからならほんのちょっと持ち上げてもらうだけでいいけど車椅子からは10cm近く引き上げてもらわなければ ならない。看護師さんとヘルパーさんに迷惑かけてるなあ。

1月11日 リハビリ&寒波襲来
3時半過ぎ頃から下半身のリハビリ&立位訓練、H先生が「外は寒くなってきましたよ。」と言いながら僕の部屋に 入ってきた。気になるところだ。M君の股関節&膝の可動訓練は独特だ、足首を曲げて固定した上で膝を曲げてくる。 出も大腿二頭筋の臀部側がよく伸びているから理にかなっているのかもしれない。立位訓練の前にM君が脚の装具を 装着してくれるのだが緩い、遠慮しているのだろう。指先は緩くてもいいから踵2本は十分にきつく締めて欲しい。 少しでも緩むと立つ時不安になる。最近調子いいからベッドの高さを低めにしてる、膝の角度90°ぐらいに。そのため リハヒリの先生方の負担がかなり大きくなってる。それにベッドに座る時ベッドの高さまで膝の力が保てないために 途中で膝崩れした。やっぱりもう少し高くした方がいいのかな。それにしてもM君この高さで一応僕を立たせられる様に なった。以前はベッドがもっと高くても立たせる事が出来なかったのに。
H先生が「寒い」とおっしゃったようにほとんどのニュースで「大寒波到来」がトップに報道されていた。しかし週末に 大学入試センター試験がある事を一緒に報じたのは二つだけ、世間ではセンター試験ってそんなに関心ないって事を 知った。週末が寒さのピークとか、時期が悪過ぎだ。下の息子は3日後のそのセンター試験がが本番、努力してきた 息子だから万全の状態でセンター試験を受けていつもの力を発揮して欲しいのだが…。今までの努力は裏切らないと 思う。息子は寒さに強かったか。頑張れ。

1月10日 スケジュール変更
1日3回経管栄養を入れるようになってから初めての(ケアのある)火曜日。スケジュールは見かけ上はケアの時間が30分 早くなっただけだけど、正午迄にリハビリまで終わらせなければいけないから車椅子に座りながら上半身のリハビリを してもらわなければならなくなる。今日そのスケジュールで流れていったがリハビリにかかる負担が大き過ぎる様に 思えてならない。
車椅子に座っていてもリハビリで肩や腕をもっと動かせるものと思っていたが…たぶんH先生は僕が寒がるのを気に したのだろう、毛布をはいでまでの肩や腕の可動訓練は僕が寒がるから気の毒と思われたのか肩や手の寒くない部分を 動かして残りの部分と胸の可動はベッド上でとなった。僕は腕(ひじを曲げた状態)の前後・左右の振り子運動や万歳まで 想定していたんだけど寒がりの僕では難しか?。リハビリの時だけ暖房を上げたらどうなるのかな。それでも鼻水や くしゃみ出るかな。春になるまで待つしかないかな。

1月9日 成人の日
今日は成人の日、と言われてもハッピーマンデーだから祝日なんてピンとこない。でもヘルパーさん達だけでケアに 来てくれたから旗日なのは間違いない。だいたい成人の日を動かす必要があるのか。我が町の成人式は昔から正月 3日と決まっているから全然感じなかったけど成人式に出席する人にとっても決まった日がいいんじゃないかなって 思う。
ヘルパーさんたちのケアはテキパキしていて気持ちがいいほどスムーズに進んだ。お疲れ様でした。これで ヘルパーさんが気管切開部からの痰の吸引さえしてくれたら申し分ないのだが。


1月8日 3度の経管栄養
血糖値が上がっている関係で退院してから経管栄養を朝7時過ぎ・正午過ぎ・夜7時過ぎと普通の人の様に400mlを一日に 3回入れるようになった。そのために何だか昼間は(ケア・リハビリ・車椅子座位の時間を除いて)一日中経管栄養を 入れている様な気がしている。パソコンは経管栄養中もしているから時間的にはほとんど減ってはいないけど1時間早く 午後11時過ぎには寝る様にしたけど経管栄養中に以前の様にあまり寝ていないからしょっちゅう寝不足気味かな。
出もgaccoの「そうだったのかの日本語教育学」の字幕のまとめも終わったしセンター試験の数学までひと休憩。 といってものんびり出来るのは僕だけ、下の息子は本番だ。頑張れ!。

1月6日 gacco講座「そうだったのかの日本語教育学」、一応修了 かな
gaccoの講座「そうだったのか日本語教育学」、昨日最終週week4の理解度確認クイズを終え今日夕方までかかって 最終レポートを作り送信した。夜成績を確認すると80点、修了出来た。最終レポートに寝たきりと書いたから同情を 買ったのかレポートの点数が思いのほか良かった(30点中27点:自己採点21点)。後はweek4の字幕をワードでまとめて 講義内容確認、月曜までには終わると思う。これでやっと心の重しが取れて他の事にも手を回せる余裕が出来そう。
この講座には時間的にも点数的にもたっぷりストレスを感じていて年賀状以外何も手に付かなかった。やはり入院を 挟んでのgacco講座受講はすべきではないなあ。月曜からはゆっくり眠れるか。
下の息子に対して僕が出来る事は朝から夜まで何かを一生懸命にやってるなって姿を見せるくらいしかないから。

1月5日 今年初めての車椅子移乗
今日は今年初めての車椅子移乗、昨日の午後のリハビリの立位訓練も調子は悪くなかったから今日も大丈夫だとは 思っていたけど立たせてくれるのが久しぶりにHさんだったので少し心配??したかな。でもしっかり立つ事も出来たし… 車椅子に座るために身体を左に90°回してもらった時に右脚がきっちり前に出なくて車椅子に右膝が引っ掛かって お尻がきっちり奥まで行かなかったけど…ね。しかし1時間ちゃんと座れた、良かった。

1月4日 友来たる
今日からケア開始、普通は当たり前の事なのだが昼の経管栄養を12時から入れる様になったから午前中に入浴車が 午後から訪問リハビリが来る様に変わった。まだこの変更に身体が馴染んでないからいつも眠いし調子はもうひとつ かな。入浴車とリハビリの合間に友(中学・高校の同級生)が訪ねてきてくれた。僕の所に遊びに来てくれる人間なんて めったにいにいないから僕にとって本当に貴重な存在なのだ。Tはたわいもない話をいつも一人でしゃべってくれる。 僕はたまーにパソコンを使って返事を返すだけ。でも入力に時間がかかるから話がかみ合わない。だけどTはそれを 許してくれる。一緒にいても話そうと気を使わなくていいからとっても楽なのだ。
ティは1時間ほど話して帰っていった。ありがとう&頑張れ。
それにしても僕って友達少ない。そんなに性格悪かった 悪いのかなあ。気付いてないのがなお悪いけど…。

1月3日 正月三が日
正月三が日は例年のごとくマラソン三昧「一日:実業団駅伝・2-3日:箱根駅伝」、でも今年はちょっと忙しくて ほとんど見てなくて聞いてばかり…ずっとgacco「そうだったのかの日本語教育学」ばっかりしていた。少し忙しすぎて すこしばかり疲れた、身体も心も。心の疲れはこの講座を修了出来るかという焦りから かな、締め切りまでまだ8日も あるっていうのに何焦ってるんだ僕は。
でも一日の夜にはテレビで「相棒」も見たし二日は「スポーツ王は俺だ」を 今日は「科捜研の女」を。これだけは 予定通りなんだけどな。


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