2018年
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12月
12月31日 失敗した
昨日 機動戦士ガンダムSEED DESTINY 最終回 を見た後は久しぶりにパソコンデータのバックアップ作業、その際不要と 思われるファイルも削除していたのだが見たこともないOutlookというファイルも削除してしまった。メールが 使えないと気づいたのは寝る前、だから今日は一日中復旧作業に熱中していた。
考えられる事 ありとあらゆる事をやってみたつもり でも復旧出来なかった。それでアカウントを入れ替える事にした。 アカウントの削除は簡単に出来た。だけど今まで使っていたアカウントを追加しようとすると受信サーバーで通信 エラーが出た、何回やっても ポート番号や認証にどんなに注意しても。メールが出来ないとすぐに本当に困るし どうしようもないからフリーのメールソフトをインストールしようと思ったが…昔使っていたWindows live Mailが パソコンの中に入っているのを思い出し使ってみたら…使えて…ひとまずひと安心。良かった。

12月30日 機動戦士ガンダムSEED DESTINY 最終回配信
僕の大好きなアニメ「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」のYahoo GyaOでの配信が今日最終回(51回目)、11月中旬から 毎日1話ずつ楽しみに見ていたが最終話が見れるのはあと1週間だ。僕は「機動戦士ガンダムSEED」の終わりはよく覚えて いるがDESTINYの終わりはちっとも覚えてなかった。だから飽きるまで何回でも見るつもりでいる。どんな終わり方かは 秘密…。それにしてもレイまでがクローンだとは思わなかった、その気配は中盤からあったけれど。それにオープニング 画面に女性のヌードを登場させ過ぎ。その豊満な事、その割には男の身体を貧弱に描き過ぎ、その差が奇妙。

12月29日 今年最後の訪問
今日は今年最後の訪問、担当は訪問看護師はFさん・ヘルパーはK会では新人?のMさんとMさんのアドバイザーとしての Iちゃん、結果的に最強に近いメンバーになった。Mさんは今日から僕の朝のケアに本格参入?、まず洗顔 髭剃りでT字 カミソリの当て方が柔らかいのに切れてる、上手い。後の洗髪・清拭もMさんは無難にこなし…、FさんがIちゃんに 「(Mさんは)経験者だよね?」って確認してたけど そりゃあそうでしょ。Mさん これからよろしくね。
午後3時からの車椅子移乗、僕はこの頃とても眠くて…身体が動かないって感じ。だからか 車椅子に上手く座れなくて。 座り直させてもらってももうひとつで、こんな悪い体勢は久しぶり。でも我慢、今年最後の車椅子座位がこんな崩れた 体勢で終わるなんて…寂しいけど仕方ないか。
訪問の皆様 今年一年お世話になりました。ありがとうございます。

12月28日 年賀状作り
今日一日年賀状作り、そして午後1時から娘に手伝ってもらって印刷作業。午前中に宛名先の印刷イメージを確認したら 指定していない宛先まで印刷する事になってる、なんで?。それからいろいろ試行錯誤していたら…ようやく印刷指定の ボタンを見つけて…指定通りの宛名イメージを確認出来た。去年はどうしたのだろう。
ライトシアン(青系)のインクを交換して裏面印刷、5種類の図柄を用意していたのだが嫁さんの評判はもうひとつ。 文句顔するのなら「自分の分はデザインを用意しといて」と言っといたでしょ。その上イエローがもうすぐなくなるって 表示が出て…イエローのインクは何とか足りて年賀状は終わる事が出来たけどね。
この2-3日モモとチビが僕の脚の居場所を巡って陣取り合戦をしている、基本早い者勝ちだけど。この年末寒波で外が 冷えているせいかな。この主導権争いに敗れた方も僕の部屋のどこかには居るようだし幸せって感じるよ。

12月27日 gacco講座「パズルで情報活用 」Week7終了
今日でgacco講座「パズルで情報活用 」もWeek7まで終わった。残すはWeek8の講義の視聴と最終レポートのみ。修了点の 累計はここまで75点で修了基準は突破している。それにしてもWeek7は難しかった。Excelの相対参照・絶対参照・複合 参照は理解しているつもりなのだが、パズルゲーム「数独」自体がまだよく解かっていないしCOUNTIF関数の使い方も まだもう一つ解かっていない。こんな状態で数独を解くためのソルバーを作ろうというのだから無理があるのだが。

12月26日 立位訓練 まあまあ
午前中は入浴車、今日の看護師はYさんとY君、気の許せるゆっくりできるコンビ。ヘルパーさんも2人ともごしごし 洗ってくれて気持ち良いぃ。この洗う時間の長さ・洗い方の強さ・丁寧さが病院と違うところだ。それに湯船にもゆっくり 浸かれるしね。まあ比べてもしょうがない事だけど。
午後3時半にM君が到着し下半身のリハビリ開始。今日はM君の関節の曲げ方が激しいような気がして顔をしかめる事が 多かった。けれどM君の力加減はいつも通りなのかも、僕がこんなに強く曲げてもらう事はしばらくなかったから強いと 感じただけなのかな。立位訓練もまあまあ、1本目立たせてもらう時から膝と腰にある程度よく力が入ったし2本目も 上手く立てた。だけど3本目は頑張り過ぎの疲れが出て膝に少し違和感を覚えた。なんにしても20日ぶりの立位訓練、 無事立てて良かった。ひと安心。

12月25日 リハビリ中止
訪問リハビリのH先生に今朝早く第四子が誕生したとの事でリハビリは中止、おめでとうございます。この報を朝の ケアの時に僕に伝えたのが所長。所長のケアなんて本当に久しぶり、ひと月は開いてるな。その上車椅子からベッドに 戻る 移乗する時のペアが所長とケアマネージャーなんて初めての組合せ、だけど移乗に何の問題はなかった。
ベッドに横になってから所長の口から出た話は、娘の披露宴がいつだとか車椅子に着ける呼吸器を置く台を作る話が どこまで進んでいるかとか、僕は初めて聞く事ばかり。所長は誤解しているよ、うちの家族破損に意思疎通は 良くないよ。そもそも通院と入院以外年にせいぜい2-3回しか外出することのない僕に台を作る必要があるの、散歩も もうしないのに。通院の時に人がいなくて大変で使いたいのならそう言ってよ。

12月24日 振替休日
今日は機能 天皇誕生日の振り替え休日、当然訪問看護は休み。月曜日は便処理の日、10時半前に嫁さん摘便・浣腸を してもらいヘルパーさんに洗ってもらった。今日のヘルパーさんは2人、続けて清拭と洗顔、手順とスピードの違いに 少し困惑する事もあるが困るというほどの事ではないし病院よりはずっと丁寧だから。
訪問看護が休みの日には嫁さんの手を出来るだけ煩わせたくないと思ってはいるだが…そんな日に限って昼からガスと 一緒に朝の浣腸の残りの便汁が出てしまった、それも二回。二回も出るのは珍しい、家に帰ってからお腹が冷えて いるのかも。今日は便の量が少なかったから嫌な感じがしてはいたのだけど…。紙パンツを代えてもらう度に嫁さんの 顔が曇ってゆくのが分かり申し訳ない気持ちに。紙パンツを代えなくてすむのなら気持ちも楽だしそうしたいのだけれど お尻がただれるからなあ。

12月23日 久しぶり 高校駅伝
レスパイト入院が1週間早かったおかげで久しぶりに男女ともテレビで高校駅伝を見る事が出来た。高校駅伝を見るのは 何年ぶりだろう、もう10年ぐらいは見ていない様な気がするが。男子の高校駅伝を見ていないと箱根駅伝や元旦の 都市対抗駅伝を見る喜びが半減するような気が僕にはしている。
久しぶりに高校駅伝を見た一番の感想は外国人高校生ランナーがあまりにも強過ぎるという事、男子なら1分差を5kmで 逆転してしまう。もうひとつは女子1区の廣中選手の早さ(2位に30秒差)、広中という名前を聞いて昔都道府県対抗駅伝 女子で活躍した奈良の選手を思い出した。でも廣中選手は長崎の選手、その事にまた驚いた。諫早高校・筑波大学の 藤川選手だったっけ、彼女のように一過性で終わらなければいいのだが。

12月21日 猫 お出迎え?
退院の日 家に着くと「モモが家の中に入っていった、お出迎えかな?」と迎えのリフト車に同行していた看護師さんが 言った。そんな事はないと思いながらも部屋に入るとモモがエアコンの下のテーブルの上にちょこんと座っていた、 まるで僕を出迎えてでもいるかのように。住人さえいれば僕の部屋は我が家で一番暖かい、それをモモは 知っているのだろう。
夜寒い外から戻ってきたチビはベッドに上がってきて僕の脚の間で眠った。チビは僕の脚の暖かさを覚えていた。 猫たちに囲まれた生活、ここに幸せを感じるなあ。

12月7日〜21日 レスパイト入院
例年より1週間ばかり早い時期のレスパイト入院、僕はなんとなくそれが気になっていたが看護師さんたちはいつもと 変わらない対応、当たり前か。ただエントランスを見た時に白い看護服が時々ちらちらと、看護学校の実習生かなと 思ったけど彼女らが僕の病室に立ち寄る事はなかった。旧病棟の時は必ず触れ合う時間を持たせてくれたのにと少し 寂しい気もしたが…。今回は5階病棟の看護師さん全員(長期研修中のKさん除く)の顔も見れたし新人看護師の名前も憶え 区別がつくように、満足。ただY副看護師長の接する雰囲気が少し変わった様な、忙しいのだろう。
今回の定期検査は血液検査と検尿だけ、胸のレントゲンや心電図はなくてちょっと拍子抜け。でも入院初日に「右の背中 肋骨あたりに時々ピンポイントの痛みが出る」と言ったから2週目の半ばにCT検査、結果主治医に「胆石がある、(痛みに 耐えられなくなったら)手術」と告げられ嫁さんからは「石のでき易い体質かもね」と。まあなるようにしかならないと 諦めムード。僕も長く生きた、苦しまなければそろそろいいかと。ただ来年8月まではこのままの体調でいたい・いさせて くれと思っているが。
退院する前日の木曜日はカニューレ交換の関係で車椅子に座れなかったがそれ以外の日は看護師さん達にロールボードを 使って車椅子に座らせてもらった。今回の入院中に看護師長さんが2回ほど車椅子移乗の手伝いにきてくれたので僕は びっくり。僕のI看護師長さん評を書き換えなけばならないと思った。今回の入院中車椅子移乗の他にも看護師さん達 みなさんにいっぱいお世話になった。ありがとうございました。
リハビリは今回もK先生、平日は毎日現状維持のために可動訓練・脚の筋力訓練それに入院中3回立位訓練をして もらった。僕も暇つぶしに自分で脚の筋肉は動かしていたから帰ってきてからのパソコン操作の調子もいい、まあ僕の 脚の運動なんて他の人から見れば脚を動かしてるなんて解からない程度だけどね。
病院は思っていたよりも気温差は大きかった。朝方4時前に目か覚めると呼吸が早く大きくなると加温が追いつかなく なるから肺が冷え身体も冷えた、何回もくしゃみが出るほどに。部屋に暖房を入れてもらってだいぶ良くなったが それでもまだ朝方肺が寒く感じたので午前4時頃に胸に蒸しタオルを置いてもらう事にした。病院で室温調整がこんなに 難しいとは思わなかった。

12月5日 gacco講座「パズルで情報活用」Week5 終了
昨日の午後3時gacco講座「パズルで情報活用」Week5が配信、Week5の確認テストも終わった。Week5までの修了点の 累計は57点で修了点突破まではあと3点、Week6-7の配信開始はレスパイト入院中だけどWeek6の確認テストの締め切りは 12月24日だから退院の延期さえなければ間に合う。そこで3点取れればその時点で修了基準を突破、心が折れる事は ないだろう。
この「パズルで情報活用」という講座はExcelを活用してゲームを解くというもの。今まで学んだゲームは覆面算と セレクトワーズ、そして今まで知らなかったExcelの関数 RANKUP/VLOOKUP HLOOKUP/MOD/ROUND ROUNDUP ROUNDDOWN/ QUOTIENT/IF などの使い方を学んだ。貴重な体験をしているという感じはあるのだが…何かが物足りないという気も している。

12月2日 有朋自遠方来 不亦楽
今日の午後3時前Kが訪ねてきてくれた。わざわざ会いに来てくれて嬉しかったしいろんな話しをしてくれてとっても 楽しいひと時だった。ありがとうね。
僕はKと小1から中2まで8年間同じクラス、その上5-6年の時は算盤塾でも一緒だったから週に3日は12時間以上近くに いたって感じ。いわゆる 口喧嘩友達。だけど中学2年で一緒のクラスになった時、Kは「また一緒、やだー」と 泣いたそうだ、僕は意地悪していたつもりは全くないのだが。


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11月
11月30日 入力の調子悪し
1週間ほど前からパソコンの入力の調子が良くない。オペレートナビのスクリーンキーボードの画面スキャンよりも 右足の指の間に挟んだスイッチを押すタイミングが早くなるのだ、たぶんほんの少しだけ。こんな事は年に数回たまに 起こる。でも今回は…その直前まで調子が良かったから困ったもんだ。特にメールの返信に時間がかかりそうなのが 焦るし嫌だな。いつもは1週間ぐらいでタイミングがあってきて調子も戻ってくるのに今回は…。
これまでと違っていて気になる事がひとつ、パソコンをある程度長く使っていると右太ももの前の筋肉にだんだん痛みと 疲れが出てくる事。この身体もまた思っていた以上に少しずつ弱ってきてきているんだな。

11月28日 立位訓練 よし
午後3時半過ぎからはM君の下半身のリハビリ、脚の可動訓練の後に立位訓練。今日は1回目から調子が良くてすんなり 立てた、もちろんM君の力強いサポートがあっての事だけど。2回目・3回目も上手く立てた。右臀部の痛みがなくなり 股関節の痛みがほんの少し小さくなっただけでこんなにも結果が変わってくるものなのか。人間の身体って 不思議だなあ。

11月27日 歩行訓練 まあよし
H先生のリハビリで僕が最も重視しかつ調子を占う指標となるもの、それが歩行訓練。その歩行訓練の調子が今日は まあまあ、H先生に車椅子から立たせてもらった時に瞬間的に膝(特に右)も腰も伸びた、こんなの初めてかもしれない。 5歩の歩行も膝に力が入って程よく踏ん張れた。これが右臀部へのシップの効果か、かな?。H先生も驚いてた。

11月26日 シップを貼ったら
この数日間右の臀部が寝ている時も少し痛んで(股関節症からきているものと思うが)…午前のケアの最後に右のお尻に シップを貼ってもらった。すると午後3時の車椅子移乗までの間に右のお尻の痛みがほとんど引いて しかも移乗の際訪問 看護師さんに立たせてもらう時も脚に力が入って今までよりも立ちやすくなった様な気がした。シップを貼っただけで こんなに変わるとは 驚いた2。これは明日のH先生の歩行訓練と明後日のM君の立位訓練が楽しみだ。

11月24日 遅い
今日のケアの担当は堅実な訪問看護師のFさんと真面目なヘルパーのFさん、珍しく二人とも少し遅れて到着。土曜日の 朝のケアは洗顔・洗髪・清拭・便対応と盛り沢山、1時間半の枠に入りきらなくてほとんど時間オーバーしてしまう。 ヘルパーさんに申し訳なく思う。
午後3時からの車椅子移乗、ヘルパーさんは3時丁度ぐらいに着いてはいたのだけれど…看護師さんが10分経っても 20分 経っても 30分経っても現れない。40分を過ぎた頃電話があって「急患に対応していたので遅くなった、今から向かう」 と。どうせならもっと早く連絡して欲しかったと思ったのだが…、後でこの看護師さんに事情を聞くと急患を受けた時に うちに連絡を入れたと。我が家の連絡の仕方に問題があだったのか。

11月22日 立てなかった
明日は祝日、ということで午前9時45分から朝のケア・午後2時からT先生の往診・3時から車椅子移乗と慌ただしい 一日だった。
午後3時すぎからの車椅子移乗、ベッドから車椅子に移る時は何とかO主任がベッドサイドに座らせた後なんとか無難に 立たせてくれたけど、車椅子からベッドに移る時には腰が上がらずにO主任も僕を立ち上がらせる事が出来ずに 膝折れしたままの僕を力でベッドまで運んでくれた。60kg以上ある僕の身体はさぞ重かっただろう。ベッドと車椅子では 座る面の高さに10cmぐらい差があるからその分お尻をヘルバーさんに持ち上げてもらう必要があるのだが…今日の ヘルパーさんは背丈が低かったから持ち上げるのが難しかったのかな。

11月21日 今日は痛い
今日のM君の下半身のリハビリは痛かった、いつもと同じようにM君は動かしてくれているはずなのに僕の右股関節は結構 痛みを感じた。痛みの場所は右股関節の側面(以前痛んでいたところ) そして右臀部、この前まで痛みが残っていた 右太ももの上部も薬の効果が出たのか痛みはなくなった。
立位訓練の時も右股関節が痛んで右脚に力が入りにくくてベッドサイドから立たせてもらう際にM君に頼りっぱなし だった。三本目は何とか力が入るようになって半分ぐらいは自分の力で立てたが…だいぶ難しくなってきたような気は する、このまま痛みが続くようだったら。

11月19日 待ち遠しい
朝のケアが終わった時も車椅子に座った時も「幼児のケアが入っているのでベッドに戻す時間が遅くなる」とちゃんと 言われていたけれど80分座っていたら耐えられなくなった。それで嫁さんを呼んで車椅子の背もたれを倒してもらった。 今日は車椅子にきちんと座らせてもらっていたから80分車椅子にそのまま座っていられたけれど、座りが少しでも 浅くなってお尻が前にきていたとしたら腰や背中が痛くなって車椅子に座っているのが耐えられなくなってしまう。 せめて二人の看護師さんのうちどちらか一人でも早く来てもらえると助かるのだが…難しいんだろうな。車椅子に座って 1時間もすると看護師さんが待ち遠しくなるなあ。

11月17日 右膝が伸びない
今日のケアの担当は看護師のIさんとヘルパーのTさん、午前中のケアは洗顔・洗髪・清拭・便対応応、ちょっと時間 オーバーして申し訳なかったけど身体も冷える事はなかったしおおむね満足。午後3時からは車椅子移乗、移乗前の脚の 曲げ伸ばしの際には右股関節が痛かった。その痛みが残っていたのかIさんに立たせてもらった際に右膝に力が 入らなくて膝折れに近い状態になりIさんに迷惑をかけてしまった。これはいかん。本来なら主治医に相談して 痛み止めの薬を増やして欲しいと頼みたいところなのだが…この事を話すと「立つのを止めろ」と言われそうで 怖いのだ。どうしたもんかな。

11月16日 通院日
今日は通院日、朝から雨模様。そのため移動中リフト車の車窓からは風景はほとんど楽しめなかったのでリフト車の上の 窓からずっと山を見ていた。所々 ハゼだろうか 赤く染まっていた。ススキの様子といい秋が深まってると感じた。
救急処置室に入りまずバイタルそして採血、すぐに主治医が来て診察とカニューレ交換。あとは血液検査の結果待ち、 だったのだが結果が出ても帰れなかった。今日はリフト車の運転手さんが交代したのだ。さらに待つ事45分 ようやく リフト車が来て…、今日の通院は長かった。

11月14日 下半身リハビリ
午前中は入浴車、今日は珍しくヘルパーのYさんの姿が見えた。でも流石Yさん 入浴車ではもう長いこと僕の所には来て いないのに手慣れたものだ。今日に限って何故Yさんがいたのか その理由は30分後に分かった、もう一人ヘルパーさんが 来たのだ。予定していたこのヘルパーさんが健康診断で遅れていたためにその代理としてYさんが来たとの事だった。 その後は胃カメラの話題で大盛り上がり、今日も楽しいお風呂だった。
。 午後3時半からはリハビリ、M君が下半身の可動域運動と立位訓練をしてくれた。右股関節は動かすとやはり痛む。それを 知ってか知らずか今日のM君は幾分ソフト、慎重に脚を動かしてくれていたみたい。そして立位訓練、ベッドサイドに 座らせてもらう時に走った右股関節側面の痛みがしばらく残っていたから1回目はM君に立たせせてもらった感じだった。 2回目・3回目と少しずつ良くなったが…今日はもうひとつって感じかな。

11月13日 上半身リハビリ
H先生のリハビリ、今日は11時前について1時間、右上半身→車椅子からの立位・5歩の歩行訓練→口の開口訓練→胸の 開閉訓練からなるリハビリだ。車椅子に座っている間に両ひざを近づけようとしてみたら左膝は動かなかった。右膝は 少し動いたけど右股関節の側面(いつも痛みがある所)に伸びている感じがあった。これはリハビリになると思った。 右股関節はあまり痛まなかったけど右膝にあまり力が入らなくて上手く立てなかった。これはまずい?、と思って歩行 訓練の右足重心の時に右脚に十分に力を入れてなんとか無難に歩けた。良かった。

11月11日 良かった 残ってた
今朝この雑記帳 昨日の分まで書き上げて1週間分をホームページに貼り付けようとした。下書き用のメモ帳で1週間分を 範囲指定して切り取り(Ctrl+X)、それをホームページのソース(Alt+f→d)に貼り付け(Ctrl+V)ようとした。けれどボタン 操作を誤りそれでも貼り付けしたものと思い込んでソースを閉じ下書き用のメモ帳も閉じてしまった。そして ホームページを更新したら…何も変わらず…頭の中が真っ白、失敗した事を知った。復活させる方法をいろいろ試行錯誤 してみたが戻るはずもなく…。もしかしたらグリップボードに残っているかもと思ってメモ帳に貼り付け操作をして 試してみたら…あった。良かった、これでまたホームページを1週間分更新出来る。

11月10日 Yahoo GyaO 機動戦士ガンダムSEED 最終回
僕の好きな機動戦士ガンダムシリーズが機動戦士ガンダムSEED、Yahoo GyaOでガンダムSEEDが始まったと知った時には 飛び上がって喜びたい気分になった。ただ初めの十数話は見れなくて残念だったけど後は全部見れたからまあ満足か。 そして今日がガンダムSEEDの最終回、面白かった&泣けた。明日からガンダムSEED DESTINY、出だしが暗すぎるから 気に入らないけど面白いしこれも好きだ。本当はブルーレイボックス買いたいけど高いしね。

11月9日 今日から二人 か
金曜日のケア、今までは訪問看護師さん一人だったけど夏頃から下洗いと背中へ薬を塗ってもらう様になって1時間では ケアの時間が足りなくなって しかも看護師さんの身体に負担をかける様になったから、それへの対応として今日から ヘルパーさんも一緒に入る事になった。そういえばいつだったか所長から話があったような気もする。下半身だけで横を むくと右股関節に痛みが走る僕にとって二人で横をむけてもらうと僕も楽だし…金銭的に余裕がない訳でもないから… まあいいか。なんにしても訪問の人が気持ち良く仕事をしてもらえる環境を作る事だな。

11月7日 gacco講座「パズルで情報活用」受講開始
昨日の夕方gacco講座「パズルで情報活用」配信開始、今朝講義を視聴した。この講義はExcelを使ったパズルとの事、Excelはある程度は使いこなしていると思っていたから簡単なはずと思い込んでいたが…Week1でも知らない事がいっぱい あった。四捨五入関数 round(数値/範囲,桁数 n)、nには負の整数も使えるとの事。rank up(セル,範囲,0or1)、範囲内の 数値の順位付け、こんな関数がある事自体知らなかった。この先どんな関数ややり方が出てくるか…楽しみーぃ。

11月6日 リハビリ
11時前に訪問リハビリのH先生が到着、右肩の可動域運動からスタート。右手を肘を伸ばしたまま左肩に近づけて…次に 右手だけ真っ直ぐ万歳 そして真横から万歳。H先生は結構厳しくギリギリまで攻めてくれるからまあまあ我慢が必要だ。 それから手首と指の関節を動かしてもらってそして歩行訓練。右股関節の痛みは車椅子に座っている間に消えていたので 眠気は残っていたけれど頑張ろうと思っていた。そして 立つのに少しまごついたけれどほぼイメージ通り踏ん張れた。 惜しむらくはH先生の褒め言葉がなかったことかなあ。
○ちゃんからのメール、いつもは明日水曜日に来ていたメールが一日早く来たので僕はちょっとびっくりしたけど同時に 嬉しかった。今の僕にとって○ちゃんのメールは一番の楽しみだから。何が書いてあったかは当然秘密、でも僕は45年前 ○ちゃんのことをめっちゃ親しく思っていたんだなってのが推察される内容。本当に話すようになってからはほんの 少しだったのにどうしてこんなにも○ちゃんのことが気に入った?のかな、不思議。まあ○ちゃんの当時の気持ちは 不明だから全部僕の独りよがりな考えなんだけどね。

11月5日 所長 ご苦労様
今日の朝のケアは10時半から、ところが10時40分過ぎに電話がかかってきて「10分遅れる」と。おいおい、月曜と火曜は 後発でヘルパーさんが来る日なので送れては欲しくないのだが。結局11時前にヘルパーさんより遅れて所長が着いた。 所長は午前中一人で悪戦苦闘してるとのこと、ご苦労様です。それにしても所長の月曜日の朝のケア 何年ぶりだろう、 手順の違いにヘルパーさんも面食らっていた。
午後の車椅子移乗の時間、所長とF看護師が担当。移乗前の脚の可動運動で右膝を前みたいに強く動かしてもらうと 股関節に少し痛みが残って立ち上がらせてもらう時に右膝に力が入りにくくなる。所長に「この前より重くなった」と 言われてしまった。困った。だけど車椅子に座っている間に股関節の痛みは消えてしまうので車椅子からベッドに戻る 際には楽になると思っていたのに…移乗する前に車椅子に座っていて前かがみにしてもらったら右股関節が少し 痛みだして…右膝が最初伸びなかった。これも困ったなあ。
車椅子に座らせてもらったのが午後3時半前、ベッドに戻ったのが5時頃、確かに「幼児のところに行くから遅れる」と 言われてたけれどやっぱりね。でも以外に疲れなかったのはU先生に車椅子の背もたれの突っ張り具合とヘッドレストの 調整をしてもらったから。

11月4日 唐船城築城800年
昨日今日と山田神社で唐船城築城800年の記念イベントが行われているそうで、その一環として嫁さんと娘がコーラスで 出かけていった。昨日も町の文化祭で歌ったらしいのだが…ママさんコーラスも大変だ。築城800年に合わせて城址の あちこちが整備された様だから出来る事ならば城址を散歩してみたいものだが。誰か城址のあちこちそして展望台までの 道を動画に撮ってYouTubeに15分ぐらいでアップしてくれないかな。

11月3日 文化の日 ホークス二連覇
今日は旗日、訪問はお休み。嫁さんと娘がケアをしてくれた、土曜日恒例の洗髪は出来なかったけれど。ありがと。
プロ野球 日本シリーズ ホークスvsカープ、ホークスの3勝1敗1分けを受けた第6戦は厳しい投手戦となった。スクイズと グラシアルのソロホームランで2点を奪ってバンデンハーク-武田-嘉弥真-森とつないで完封リレーで逃げ切った。 ハラハラドキドキの試合だったが日本シリーズを制覇、二連覇を達成した。7月までの試合運びを考えると 夢のようだ。

11月2日 通院日
今日は通院日、車椅子でリフト車に乗り込んだら上の窓から外の風景 街路樹の木々や山・空をずっと見てた。銀杏の 木はほとんどが黄色く色付いていて山のほんの一部分が赤く染まっていた。今日は良い天気しかも青空 空にはすじ雲と 巻雲(けんうん)が浮かんでいたし、戻る時には空を東西に横切る飛行機雲が二本見えた。リフト車を乗り降りする時 身体に日射しが当たったが温く温くして気持ち良かった。本当は日向ぼっこでもしたいとこだったけど…。
病院に着くとお迎えが二人 Y副さんとF看護師、今日は人数が足りてるみたい。バイタルを測り終わるとほどなく 主治医が来て診察と処置(カニューレ交換)、救急処置室には30分もいなかったんじゃないかな。午後2時半前には家に 着いていた。こんなに通院が早く終わるのは珍しい。。

11月1日 gacco講座「IoTとシステムズアプローチ」やーめた
gacco講座「IoTとシステムズアプローチ」、初めて配信のあった昨日の夜講義の動画を保存しながら見てみたが内容が ほとんど理解出来なかった。確認テストは講義の動画を見ながらやれば修了点までは達すると思うのだが…内容を理解 出来ないのではたとえ修了証をもらえたとしてもe-learningの講座を受講する意味がないと思うのだけれども。と考えて この講座はやめる事にした。gacco講座を登録してからやめるのは初めてだけどわざわざ忙しくして楽しみを減らす 必要もないし…ね。


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10月
10月31日 訪問理容
今日の朝9時からは床屋さん、訪問理容 リリアンさんが来てくれた。リリアンさんには介護老人保健施設に通っていた 頃からだからもう18年お世話になっている。カットはいつもKさん、全てお任せだ。一度だって笑われた事がないから それなりに似合っているのだろう。ここ1-2年はよく「今風ですね」って言われるけど僕はその今風てのが分からない。 でもその後お風呂に入ってすっきり。ベッドに寝ている僕を20分ぐらいでよくカット出来るなあ…っていつも感心。

10月30日 ホークス 辛勝
プロ野球 日本シリーズ、何とかホークスが勝った。これで1勝1敗1分け。今年の広島は強い、6点差になっても 諦めなかった。9-8で辛勝、明日はどうなる事か。それにしても工藤監督は6回先発ミランダをなぜ代えなかったのか?、 首脳陣のミランダに対する信頼が厚すぎるのが不思議。工藤監督の投手交代が遅すぎるなあ。
今日から夕食時に野菜ジュースを100ml入れる事にした。だけど我が家にあった野菜ジュースは溶かしてもドロドロで スムーズに胃ろうに流れ込まずに何度となく止まった。我が家の野菜ジュースは胃ろうに合わないみたい。青汁か ヤクルト 嫁さんに買って来てもらおうかな。

10月29日 ほぼ回復?
今日の朝の便も硬かった。糖尿病の薬を新薬に替えてからずっと便が硬い。そろそろ何らかの対策をうたないと いけないな。
午後3時過ぎの車椅子移乗の時間、リハビリのH先生と看護師のIさんが担当。移乗前に右膝の曲げ伸ばしをしてもらった 時に右股関節に痛みがあったので嫌な気がしたのだが、案の定H先生にベッドサイドから立たせてもらった時に左脚 重心で立つ事になってしまった。けれど車椅子に座っている間に右股関節の痛みはは引いて車椅子からベッドに戻る際の 5歩の歩行は上手くいった。まあまあの回復か。

10月28日 久しぶりにgacco講座登録
久しぶりにgaccoの講座を登録した、それも二つも。その上3週間ダブる。今の僕の一番の楽しみはメールのやり取りに なってしまっているからそれを時間的に難しくする可能性のあるgacco講座をやるかどうか迷ったけれど、今まで3年間 やり続けてきた事だから続けようと思ったって訳。メールのやり取りを優先順位一番に置き、gaccoの学習のやり方を 今までより軽くしても修了点は何とか突破出来るだろう。まあgacco講座が始まってみないと分からないけど、ひとつは Excelを使ったゲームの講座だから何とかなると思っている。

10月27日 セレコックス再開の効果
昨日の夜セレコックス100mgの服用を再開したところしばらくしたら全身が火照ったように熱くなっていた。という事は 全身に何らかの炎症があるのかな。背中や腰・右膝や右臀部の痛みは寝る前に消えた。ただ右臀部には少しコリが 残っている様な感じがした。
今朝もセレコックス100mgを服用ししばらくしたら右臀部のコリもほぼ消えた。そして午後3時過ぎからの車椅子移乗、 腰と膝に十分に力が入って訪問看護師さんのサポートで比較的楽?に立ち上がる事が出来た(ただしベッドの高さは いつもと同じ様に最高位)。今日のケアの担当の看護師Fさんが昨日との違いにびっくりしていた。これもセレコックスの 効果という事か。今夜セレコックスを服用しても全身のどこにもほてりは起こらなかった。
僕の身体にはセレコックスともトラムセットとも相性がいいようだ。

10月25日 背中に寒気が
今日の午後の車椅子移乗の前から体調がもうひとつになるような気がしていた。ベッドから車椅子に座る時には何とか 立ち上がって移乗出来たが、車椅子からベッドに戻る時には膝が伸ばせなくて中腰でしか立ち上がれなかった。何とか ベッドに戻してくれたけど…立ち上がれなかったのは体調がよくないせいもあるのかな。
ベッドに戻っても背筋に寒気が走って気分がすぐれなくなりそうだったのですぐにいつもの漢方薬を入れてもらって… いつもより1時間早く寝て…いつもの予防。そういえばこの前風邪引いたのいつだっけ。ひとつ気になるのは明日 インフルエンザの予防接種うってもいいのかな。

10月24日 力が入らない
今日のM君の下半身のリハビリ、痛かったし立位訓練の時に膝と腰にほとんど力が入らなかった。先週との大きな違い、 これがセレコックスの効果の差なのかと痛感させらた。M君には力を使わせた・迷惑をかけた。一日一日痛みが増し力が 入らなくなっている様な気がする。昨日からずっと迷っていたがM君のリハビリの後主治医にメールしようと決めた、 セレコックスをもう一度使わせてくださいと。嫁さんの言う様に「(来週の通院日まで)様子を見たら」なんて言っては いられない、みんなに迷惑をかけそうだし間に合わなくなってしまうような気がした。主治医の許可が出たら金曜日の 往診の時にT先生にセレコックスの処方をお願いしよう。

10月23日 リハビリ中止
今日の上半身のリハビリ、H先生のお子さんが発熱したとかでお休みとの事。H先生の歩行訓練で立位の調子を見たいと 思っていたので残念という気持ち。でもお子さんの発熱で休みを取るなんてH先生はすごいな。僕は社会人の時に子供の ために会社を休んだ事がない・休もうと考えた事すらなかった。僕とH先生との年齢差は20ぐらいか、世代間の考え方の 差かそれとも優しさの差か、まあそんなとこだろう。今となっては羨ましいというべきなのかなあ。

10月22日 痛み止めの薬の効果
僕は金曜日まで痛み止めの薬としてセレコックス(炎症や痛みを和らげる 朝・夕)・カロナール(脳の体温調節中枢や 中枢神経などに作用して熱を下げたり痛みを抑えたりする 寝る前)・トラムセット(脳の体温調節中枢や中枢神経などに 作用して熱を下げたり痛みを抑えたりする 朝)の3種類を使っていた。でも先週の金曜日から処方箋が変わって セレコックスがなくなった。
そしたら20日は分からなかったけど昨日21日の夕方から腰が少し痛み出して(寝ている時も)セレコックスを服用していた 時よりも腰と右膝に力が入りにくくなった。腰と右膝に炎症があったんだな。なかなか上手くいかないな。カロナールと セレコックスを替えてもらってもいいだろうかと自問自答。

10月21日 ホークス 日本シリーズ進出決定
パ・リーグ クライマックスシリーズ ホークスvs西武ライオンズ、中々しんどい試合だった。1回表柳田のタイムリーで 3点を先制はしたもののノーアウト2塁で追加点を取れなかった事がこの試合をしんどくしたと思う。5回 3-2・6回 4-3・ 8回 6-4、逆転はされないものの常に強力西武打線におびえる展開。最終回抑えの森が中村にホームランを打たれ 6-5、 森投手が打者森をセカンドゴロに抑え勝利 ホークスが日本シリーズ進出を決めたがハラハラドキドキの試合だった。 日本シリーズの相手は広島カープ。今年のカープは本当に強い。ホークスが勝ってるのは中継ぎ投手陣の充実ぐらいか。 ホークスの先発投手陣の奮闘に期待しよう。

10月20日 Fさん 久しぶり
今日のケアの担当は看護師のFさんとヘルパーのFさん、看護師のFさんが土曜日に来るのは本当に久しぶり。だから 背中や陰部の症状の推移はよくは分かっていなかった様で「ひどい頃に比べたらだいぶ良くなりましたね」って。 車椅子移乗の時も僕が比較的しっかりと立ち上がったからびっくりしてた。本当は午後はちょっと寒気があって立つのに 少し大丈夫かなって不安を感じていたのだけれど…、無難に立ち上がれた。この調子 ずっと続いて欲しいな。

10月19日 通院日
今日は通院日、今日はコスモスを見たいな、Facebookによるとようやくコスモスは満開みたいだから。けれど車椅子で リフト車に乗ったら僕の目の位置がみんなより頭ひとつ分以上高くなり僕にはリフト車の窓からはかなり低い景色しか 見えなくなるし、コスモスの花自体も彼岸花みたいに地面近くには咲いていなくてもっと高い位置に咲いているから コスモスはほとんど見えなかった。
病院に着くと外来はいつもと違う雰囲気、空気が暗いし人が足りていないって感じでF看護師が1人で僕に対応。吸引をし バイタルを測って採血をして先生に連絡。まず皮膚科の先生が来て背中と陰部を診察、陰部はルリコンの塗布で順調に 回復している様に感じているが背中の方はなかなか痒みが治まらない。所長も嫁さんも「背中の(病院で処方された)薬は 合っていない」と言っていたのにその事には何も触れなかった。それからしばらくして主治医の診察と処置、主治医は 僕が立つ事にあまり賛成ではない様だ。僕の骨粗しょう症は何も今急に始まった訳ではないと思うのだが。主治医が 「骨粗しょう症は骨と筋肉の強さのバランスが何とか」と言っていたので、僕の脚の強さがまだ残っている事を主治医に 見せつけてやろうと思って「僕が膝を伸ばす力を見て欲しい」と嫁さん経由で伝えた。主治医は膝を20cmくらい持ち上げ 僕は膝を伸ばし…主治医はちょっと驚いていた。言い間違えた、「僕の床を蹴る力を見て欲しい」と言っておけばもっと 驚かせる事が出来たはずなのに。

10月18日 負けた
プロ野球 パ・リーグ クライマックスシリーズ 1勝1敗を受けた第2戦、大敗した。恐るべき強力西武打線、いつ何時何点 取られるか分からない恐さがある。僕には大きな疑問がある、工藤監督が2回裏ヒットでランナーを2人出した時に何故に 先発ピッチャー ミランダだったかな を代えなかったのか。ミランダは1回にもヒットとホームランで3点を奪われた。 そして2回も連打、こんな調子では良くなる事はなさそうな雰囲気に僕には思えた。結局この回も4点取られ西武打線を 調子づかせてしまった。継投の失敗による大敗、明日が思いやられるなあ。

10月17日 立位訓練 絶好調
午後3時半からはM君の下半身のリハビリ、最近好調だから今日の立位訓練はどうかなと楽しみだった。立位訓練1回目は ベッドサイドに座った時にお尻の位置が少し深かったので足の届く高さまでベッドを下げてもらってM君に立たせて もらったら…思った以上にすんなり立てた。それで2回目はもう少しベッドを下げてやってみたら…それでもまあまあ 膝に力が入って上手く立ち上がれたから、3回目は更にベッドを下げて挑戦。膝の角度はもう90°に近い、これでも 立てた。絶好調?。M君も驚いていた。

10月16日 気管切開 記念日?
16年前の今日(2002年10月16日) 気管切開をし人工呼吸器を着けた、たぶん。
前日朝ごはんを食べ(経管栄養+軽食)バイパッブを着けていたのだが、食べ物のかすに痰が絡んだものがのどと気管の 間を行き来しているようで口から出す事が出来なかった。その後呼吸不全を起こし救急車で川棚の病院に運ばれ(家から 30分)気管内挿管、翌日手術を受けた。
呼吸器を着けた時の大目標は末の子(息子)が高校を卒業するまで生きている事、これは2017年3月に達成出来た。現在の 目標は取り立ててないが、明日・一週間後元気でいられる様に今日頑張れる事を出来るだけギリギリまで 攻めたい かな。
呼吸器を着けた最初の頃は自分の呼吸(自発呼吸)と機械から送られてくる空気がしょっちゅう喧嘩して…苦労した。 それで時計の秒針を見ながら5秒に1回息を吸うようにして、そうすると喧嘩しなくなった。今でもよく覚えている。
当時の主治医は呼吸器を着けた一週間後 僕を車椅子に座らせるよう看護師に指示していた。今でもほぼ毎日1時間 車椅子に座らせてもらっている。車椅子に座ると痰がたっぷり出て肺が掃除されたような気分になりすっきりするのだ。 毎日車椅子に座る事、これが僕の健康?の秘訣かな。
この16年 僕が在宅で生きてこれたのは、家族・病院・訪問看護師さん・訪問リハビリの先生・ヘルパーさん・ ケアマネージャー等々のご支援、そして皆様方の励ましのおかげです。本当にありがとうございました。これからも よろしくお願いします。

10月15日 H先生 車椅子移乗
今日の午後の車椅子移乗、訪問リハビリのH先生とI看護師。この1週間立位訓練の調子が良かったのでこの好調さを H先生に見て欲しいと考えて「ベッドサイドに座る時にあまり上げないで」ってI看護師に頼んでおいた。でもH先生は 立ち上がりの軽さはあまり感じなかったみたい。まあしかないか、H先生が僕をベッドサイドから立ち上がらせて くれるのは久しぶりだもの。それでも車椅子からベッドに戻る時の5歩の歩行は「よく力が入っていた」と褒めて くれたし…。十分かな。

10月13日 チビくる
今まで嫁さんが僕のベッドの上に乗せても瞬く間にベッドから飛び下りていたチビが急に自分からベッドに上がってきて 僕の脚の間で寝るようになった、それも二度も。そしてその二度ともケアの人が部屋に入ってくるまでそこで眠っていて 逃げてしまった。チビが来るようになったのは外に寒くなった、ただそれだけなのだろうが…僕は嬉しかった。また チビがくるような寒い季節が来たか…っていう感じ。
今日のケアはI看護師とヘルパーのTさん、午前のケアの最後にIさんが意味ありげな事を言ってTさんを煙に巻いていた。 その一つが脚の浮腫、「脚の装具が入りやすくなった」と。午後の車椅子移乗の時にそれを実感した、Tさんが簡単に 左脚の装具を着けたのだ。主治医が「糖尿病の新薬の効果として身体のむくみを取る事もある」と言っていたが この事だったのか。ついでに言うと今日も立ち上がるのは好調だった。

10月12日 所長ビックリ
今日の車椅子移乗、担当は所長とIさん。部屋に入ってきた車椅子を見たら車椅子の座面の前の方が上がっている様に 見えた。もしかしたらチルドになっているかもと思って所長に「チルドを下げて」と頼んだら実際さがった。これが昨日 足が床に着かなかった理由だったんだ。車椅子の機能が多いと難しいなあ。
装具を着ける前の可動運動の時に所長の持っていた右脚の膝に力を入れて膝を伸ばしたら所長が思っていたより 力強かったので驚いていた。それから脚と首に装具を着けつもらいベッドサイドに座ってから所長に立たせてもらったら 腰も伸びていてすんなり立てたのでビックリしてた。所長が言うには「今の立ち方 まるで5年前の様だった」と。実は 僕も今日のケアの前から所長に報告しようと思っていたのだ「今4-5年前の立ち方が出来るようになった」と。年数は 偶然の一致かな。

10月11日 足が届かない
退院して初めての浣腸の日、今回入院して糖尿病の薬が新しいものに変わり便が硬くなっていて前日の夜に下剤を服用し 浣腸しても便が出にくくなっている。特に今日は便が下りてきている感があまりなくどうかなと思っていたが、やはり 浣腸だけでは便は出せず摘便してもらいようやくって感じだった。そろそろ下剤の量を増やさないといけないかな。
午後3時からの車椅子移乗、昨日のリハビリの時のタイミングで力を入れ立ち上がったら比較的楽に立てた。ところが 車椅子に座ったら足が床に全然届かない。入院する前はこの車椅子でも同じ条件で届いてたのに理由が分からなかった。 とりあえず座布団の空気を抜いて座高を低くしたつもりなのだが大して変わりはなかった。でもギリギリコールは 押せると思ったのでそれでOKした。それでもコールを押した時に動きそうなので主任が帰った後すぐに嫁さんを呼んで コールの下に何かものを敷いてもらって少し安心、幸いコールは動かなかなかった。けれど何か対策をうたないと 不安だな。

10月10日 力が蘇ってる
退院して初めてのケアの日、午前中は入浴車・午後は訪問リハビリだ。
午前中の入浴車、スタッフの看護師さんのうちの1人は久しぶりにAちゃん、相変わらす優しいなあ。スタッフさんの 洗い方 程よくゴシゴシ強くて僕には丁度いい、病棟の看護師さんの洗い方はご老人向けで優し過ぎるからあまり 効かないんだよね。でもお風呂って入浴車ってやっぱり気持ち良い。
午後3時半からは訪問リハビリ、今日はM君の下半身のリハビリ。新しい痛みどめを服用してから初めての本格的な? どういう感じかなって思っていたが、股関節を強く動かされた時には股関節に少し痛みが出たけど懸念だった右太ももは 痛まなかった。そして立位訓練の時にも膝にも腰にもよく力が入った、自分でも驚くくらいに。今まではM君がお尻を 持ち上げた瞬間に力を入れるって感じだったけど、今日はM君がお尻を持ち上げる前に自分から立とうとしたという 感じだった。あまりにも上手く立ち上がったのでM君も驚いていた。なんか力が蘇ったって感じ。


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9月
9月21日〜10月9日 レスパイト入院
台風25号の通過による停電の可能性があるという事で退院が延期になりその上連休が重なり退院が4日遅れになった。 でも今回の入院延期はいつもと少し違っていた。いつもは患者側から頼み込んで病院がいやいや?引き受けるって 感じなのに、今回は病院側が退院延期に先に動いたようで僕が退院延期を主治医に言われたのは次の日の朝(4日)、 嫁さんは僕が告げるまで退院延期を知らなかったようだ。このところ大きな災害が頻繁に起こっていたから何か別の力が 働いていたんじゃないかな、伊万里保健福祉事務所の保健師も退院延期に動いていた様だし。しかし僕は入院してから ずっと5日に退院するつもりでいたから4日間の退院延期は長く少ししんどいものとなった。まあ看護師さん達のいつもの 気遣いが大分そのしんどさを補ってくれたけどね。
検査は血液検査と検尿、それに股関節の状態を確認するためにCT検査を受けた。また今回の入院で糖尿病の新薬を 試してみた。そのため10月4日まで毎日5回血糖値の測定、指先をよく見たら針の穴だらけ。新薬の影響かこれまでより 血糖値の数値が少し低くなっているような気がしている。ただおしっこの回数が増えているのは少し困りものだ。それに 便が硬くなって出かたも変わってきた。下剤の量とか調整方法を検討しなければいけないかも。
CT検査の結果は整形外科の先生は「股関節はまだ大丈夫だが骨しょくがある」との意見、主治医からは「骨粗鬆症が ある」と指摘された。嫁さんに話したら嫌な反応が…、嫁さんにしてこの反応では所長なら「立たせるのは止めよう」と 言いかねない。僕は毎日座る事そして立つ事で今の状態を維持してきたつもりだ。どうやって説得しようかな。右太もも 上部の痛み(特に右脚を伸ばしきった瞬間)は骨しょくが起こしてるとの事、たぶん右股関節のどこかだと思うのだが 尖った骨があってそれが膝を曲げ伸ばしする時にどこかに当たって痛んでいるらしい。でも痛み止めの薬を出して もらったら右太もも上部の痛みが消えた。これで本当に楽になった。
10月の人事異動で病棟から3人が出て4人が入ってきた。出て行った3人の内の1人K看護師は今の病棟に一番長くいた 看護師だったから近いうちにこの日が来るのは分かっていたけど、優しくて気遣いのある面倒見の良い看護師だったから 別れが寂しくて涙が出た。他の2人はこの病棟に来て2年くらいかな、異動は意外だった。特にIは同郷で娘のようによく 話しかけてくれていたから…。また入ってきた4人の看護師さんの内3人は前に時々レスパイト入院していた筋ジス病棟で 顔見知りだった看護師さん、心強い。そして今年度入った新人看護師さんもだいたい区別がつくようになり大多数の 看護師さんの名前は覚えた。
この病棟の看護師さんの八割が多分35歳以下と僕は見てる、娘&息子みたいなものだ。そしてみんな面倒見が良いし 優しい。僕は自分の心の中にお気に入りの看護師さんグループってものを作っているのだが(例えば看護副市長候補Gとか 息子のお嫁さん候補G・面倒見のいいGなど)、また僕のお気に入りに入る看護師さんが増えた。それに僕は看護師の ルーティーン以外の事 車椅子に1時間座る・寝る前の手脚の可動運動を毎日看護師さんたちにやってもらっている。午後 3時頃になると僕の病室に4-5人の看護師さんが集まってきてロールボードを使ってベッドから車椅子へ移乗してくれる。 文字盤を使って看護師さんたちみんなが僕とコミュニケーションをとってくれるし…こんなにもケアをしてくれる病院は 他にあるだろうか。呼吸器を着けてもうすぐ丸16年、今の僕があるのもこういった事をしてくれる看護師さんたちの おかげでもある。本当にありがとうございます。
リハビリには平日は毎日来てもらえた。担当は前回に引き続き作業療法士のK先生、手脚の可動訓練と立位訓練を してもらった。K先生は文字盤が使えるから色々な事で意思疎通が出来る。話しも面白いし「そうだったのか」と 納得する事もあった。リハビリの時間が楽しみだった。
今回入院中に皮膚科の先生に背中と陰部を診てもらって薬を処方してもらった。背中の薬を塗ってもらっても痒みは 治まらないし正直言うとこの薬は合っていないと思う。陰部の薬は縫ったところの痛痒さは一時的には治まるけどまた ぶり返すって感じ。看護師さんで塗る場所も塗り方も違うから…。
9月21日 病院に向かう時は所々に彼岸花が見えた、満開には2-3日早いかなって感じだったけど。10月9日 家に帰る時に リフト車から田んぼを見ると稲刈りが始まったばかり、今年は暑かったのに成長が遅かったのかなって感じた。でももう 本格的に秋。

9月20日 いいなあ
今日は未明から雨模様、朝のケアが始まる頃には雷までなり始めた。屋根に当たる雨音も聞こえるほどの大雨?、こんな 雨の中を長靴履いて歩いて傘さして出かけるなんて子供みたい、いいなあ。
今日の担当はN、朝のケアは久しぶりにH看護師、昨夜ラキソベロン(下剤)を1滴多く服用したからか便意がいつもより 早めに襲ってきた。その割にはHさんに浣腸・摘便してもらってもお腹にガスが残っている様ですっきりしなかった。 案の定午後車椅子に座っている時に下りてきたが出てはくれなかった。そこでベッドに戻った後に主任とヘルパーの Yさんにガス抜きの摘便をしてもらった。おかげでお腹もすっきり、いいなあって感じ。

9月19日 神経が触ってる?
右脚の曲げ始めと伸ばしきった時に右太ももの上部がピリッと痛む、顔をしかめるほどに。だけど右膝を曲げている 途中の段階では右太ももの痛みはない。これって右脚を曲げ始めようとした瞬間と伸ばしきった瞬間にどこかが神経に 当っているんじゃないかな。今日のリハビリの立位訓練でも1-2回目は右太ももの上部と右股関節の側面の腱?それに 幹臀部(少し)に痛みが残っていて右膝に力が入りにくかった。これって股関節症からの痛みじゃあないんじゃないかな。 こういう事を嫁さんとM君に言ったら「坐骨神経痛」って言葉と「右膝を(何かで)上げたら」って。藁にもすがる気持ち、 やってみよう。そして今度の入院で原因をちゃんと調べてもう。

9月18日 体調下り坂、なんで
今日の朝のケアの担当はI看護師、僕がパソコンをIさんが来るまでに終われなかったので上半身の着替えだけ依頼した。 本当は下洗いも頼みたかったのだけれどもケアの時間が30分しかない火曜日 自分のせいと諦めた。車椅子移乗の前にも ひとつお願いを 車椅子の背もたれに当てているクッションを外してと、一昨日のコミケンフォーラムの時にU先生に 車椅子の背もたれの高さと張り具合を調整してもらっていたのでクッションなしでもたぶんいけるんじゃあないかと 感じていたから。車椅子に座る事に関してはほぼOK、けれど他の事について影響が出た可能性があった。というのは 車椅子に座った時に右腕と背中に寒さを感じたのだ。案の定午後3時過ぎからは痰吸引の回数が増えてきて夕方には 背中に寒気・夜には気管切開部からはかなりの横漏れ、嫁さんに言わせれば「近年にないひどさ」と。こうなったら僕に 出来る事は漢方を服用して早く寝る事。明日の調子はどうかな。

9月17日 敬老の日
昨夜は思った以上にゆっくり眠れた。やはり疲れていたのだろう。今日は敬老の日、旗日で訪問看護はお休み。僕は ハッピーマンデーは嫌いだが唯一許せるとすればこの日かな。祝日という事で今日のケアはヘルパーさんが二人で してくれた。嫁さんが浣腸と摘便をしてくれてヘルパーさんにバトンタッチ、後を受けてヘルパーさんが下洗い・清拭・ 洗顔をしてくれた、それも慣れた手つきで。ここまで出来るのならヘルパー吸引もしてくれればいいのにと思うのだけど 責任者が許可しない。社協が始めないと我が町では始まらないと思うのだが…残念だ。痰のヘルパー吸引を我が町で 出来るようになるには自分で介護事業所をやらないと無理みたいだな。宝くじ 5億円ぐらい当たらないと難しいな。

9月16日 コミケンフォーラムに参加
今日はコミケンフォーラム、朝6時前に経管栄養を開始 外出のために経管をいつもの時間より早めに始める必要が あった。8時20分所長とヘルパーさんが到着、着替えをしてもらい車椅子に移って諸々の準備をして9時10分過ぎに介護 タクシーに乗り込んでいざ出発。今日の介護タクシー(リフト車)では頭が前後左右によく揺れた。まあその代わりと 言っちゃあなんだが波佐見町の川棚川沿いの道の脇で10輪ぐらい彼岸花を見た。
会場に着いたらH先生の講演はもう始まっていた。H先生の講演の中の症例は僕より軽い患者さんが多かったけれども 参考になる事もたくさんあった。その後昼食休憩の時にH先生が僕ら家族の所に来て色々な話をしてくれた。それから U先生が紹介してくれた(東京都立の病院で作業療法士をしているH先生の事を取材している)NCCの記者さんも色々な話を してくれて僕の所に取材に来るかもって。しかしいいのかな、今の僕が主力で使っているのはHeartyLadderではなくて オペレートナビなんだけど。記者さんの追いかけているのはHeartyLadderのMyVoiceでしょ。使っている振りは したくないんだが。 NCCの記者さんと話していたら展示ブースに行く時間が無くなった。
午後の講演は都立病院の作業療法士H先生の話、面白かった。特に後半のALS患者のマリンバ奏者の話、彼のコンサートの 様子は去年?Facebookで見ているのだがこんな劇的な背景があったとは驚いた感動ものだった。それにこんなに患者に 寄り添ってくれるリハビリの先生がいる事自体に驚いた。いいなあって思った。ちょっと意味が違うけど僕にとって U先生がそれに近い立場でいてくれている。それから懇親会にも参加、懇親会時にH先生と話しをする機会があった、 取材の一環だったかもしれないけど…18年前僕が自分で録音した声を聞いてくれるって。もう声がかなり出にくくなって いて不鮮明な録音データだけど何か変わるかな。また懇親会の時にU先生が車椅子の調整をしてくれたので大分楽に なった。ありがとうございます。
帰りは頭が前後にかなり揺れた、むちうちを起こすかと思うほどに。でも帰り道でも波佐見の田んぼの端の方に彼岸花が 見えた…様な気がした。家に着くと所長とケアマネージャーが出迎えてくれた。そしてベッドへの移乗・着替えそれに 調整をしてくれた。お世話になりました。
8時間の外出、程よい疲れを感じた。旧知の人とも会えた、新しい出会いもあった。有意義な一日だった。楽しかった。 ありがとうございました。
こんな楽しかった時にもCちゃんからのメールを待ち遠しく思っている僕がいる。いかんなあ。

9月15日 車椅子 頭が暑い
今日のケアはヘルパーは一日通してTさん・訪問看護師は午前中Fさん午後の車椅子移乗は所長という変則マッチ、まあ 僕は誰が来るかって事が事前に分かってさえいれば心の準備が出来るからそれでいいんだけど。
午前中のケアの時に問題となったのは背中にできているぽつぽつとした赤い出来物、これが我慢出来る程度にまあまあ 痒い。これは股関節の痛みとともに来週末からのレスパイト入院の時に診て欲しいと主治医にメールで連絡した。車椅子 移乗の時に僕が問題としたのは頭が汗をかくほどに暑い事、明日の長時間の外出では我慢出来ないと思ったのだ。この 車椅子に替えてから頭を支えるのに枕を使うようになった。その時から頭にかなり汗をかく様になった。だけど口に しなかった、周りがまたもめだすと困るなと思ったから。病人は結構気を遣うのだ。けれど昨日汗の事が話題に 上がった。この機会に言っておこうと思った、「この枕は暑いからタオルを丸めたものにして」って。明日の外出で 実験する予定。

9月14日 汗かくなあ
今日のケアは所長、久し振りだなあ。所長には上着の着替え(僕は背中に薬をぬって欲しいと依頼)と下洗いを してもらった。台風20号が日本列島を通過した日あたりからやけに汗をかく様になった、今年は梅雨時でも着替えが 必要なほどには汗はかかなかったのに。車椅子に座っている時も汗をかいてベッドに戻った時に着替えをしてもらった。 何故に。所長は湿度が高く不快指数が高いからだという。それもあるだろう。でも車椅子に座っている時に少しばかり 背中が痛くて息苦しさも感じていた。そう言うと嫁さんも所長も「車椅子が合ってないんじゃないの、前の車椅子に 戻したら」って。車椅子を替えたらって言い始めたのはあなたたちじゃなかったっけ。

9月13日 最終回
今週来週でYahooGyaOテレビ見逃しで見ているドラマが最終回を迎える。今日「高根の花」が終わった。結構楽しめた。 僕が最近のドラマで一番面白いと思ってるのは「義母と娘のブルース」、毎週二回以上見ていた。笑いあり涙ありの ドラマ、その他諸々が今秋来週が最終回。21日から入院だから今見ているそれらのドラマが入院前に終わってくれるのは 幸いだ。入院したらチャンネルを変えてもらうのにいちいち看護師さんを呼ばなくてはいけない。呼ぶのは面倒臭いから テレビのチャンネルは変えない事にしているので。

9月12日 痛い
午前中は入浴車、台風21号が通り過ぎてから急に涼しくなったから体調維持が難しい。お湯の温度もすぐ冷めるように なってきた。今日は入浴中息苦しさを感じていた、アンビューバッグで押して欲しいほどに。なんでだろう。
ここ2-3日右股関節の側面(右大腿部の右側面上部)に痛みが出てきた。午後3時半過ぎ訪問リハビリのM君に脚を動かして もらったらよけい痛くなってきてしかも脚の表面がしびれている様な気がしていていた。当然立位訓練も散々、痛みの 正だと思うけどM君の力強いサポートがあっても立ち上がるのにかなり苦労したし立った際に右膝がブルブル震えた。 こんな事久しぶり。これはいかんなあ。

9月11日 膝折れ
朝のケア、今日もI看護師。これで何日連続だろう、2週間以上?。まるで僕の専任みたい。そう出来るならそれが 良いけど。
ケアの初めに下洗いと背中の薬を頼んだ、洗顔含めて30分しかないからバタバタになって申し訳ないけれども。下は そろそろ治りそうなのだが洗わないと痒みがぶり返しそうなので。それからヘルパーさんと二人で車椅子移乗、 ベッドからIさんに立ち上がらせてもらい腰を伸ばそうとしたところで膝が崩れた。確かに立ち上がった時にいつもより 前につんのめっていた、腰を伸ばそうとしたとき左右のバランスが崩れていた。だけどベッドから立ち上がる時にこんな 事は初めて。そろそろ限界が近いかな。でも訪問リハビリのH先生の歩行訓練の後は「膝によく力が入ってましたね」と 褒められたしな。

9月10日 太もも側面上部にまた痛みが
この2-3日太もも側面上部にまた痛みが出てきた、右側の痛みがより強いが左側にも。薬の効き目が悪くなってきてる。 この痛みが本当に股関節からきているものなのか一度じっくりと調べてもらわねば、僕は股関節からじゃあない気が しているのだが。明日訪問リハビリのH先生にも聞いてみよう。それに今日の車椅子移乗の時に訪問看護師Fさん一人の サポートでは立ち上がれなかった。確実に衰えが来ている。これからどうなるのだろう…なんて考えても始まらない。 ただなるようになるだけ、亡きTが言ったように運命のままにかな。ただ僕は今僕に出来る事をやって少しだけ運命に あらがうだけ、最近はこの気概も大分薄れてきているけど。
猫が家の中にいる時間が少しずつ長くなってきている。今日も午前中モモが僕の部屋に居た様だしチビも家の中で 見かける事が多くなった、猫にとって外は涼し過ぎるのかな。夜はエアコンがいらなくなったしもう秋だ。

9月9日 音楽視聴?
最近朝はYouTubeで音楽を聴いている。9月に入った時急に太田裕美の『九月の雨』を聞きたくなった、それが始まり。 今日はツイストとチャゲ&飛鳥を聴いた。どちらもとっても懐かしかった、知ってるのは1990年以前の曲だけど。 ながら族の僕としてはただ曲を聴いてるだけじゃあもったいないからこの雑記帳を書いている。gaccoの講座に めぼしいのがないから21日のレスパイト入院までたっぷり時間がある。ほぼ毎日この雑記帳が書けるって訳だ。
それにしても9月に入ってからしょっちゅう睡魔が襲ってくる。今日なんかテレビでプロ野球(ソフトバンク戦)を 見ながら寝ちまった。秋眠暁を覚えずなんて…。夏の疲れが出てきたのかな。

9月8日 I&I コンビ
今日一日のケアの担当は看護師のIさんとヘルパーのIちゃんの I&I コンビ。しゃべってもテレビをちら見しても手が 止まらない、いいコンビ。このコンビならすべてお任せ。Iちゃんは10年だって、長い事お世話になってます。
午後3時 車椅子移乗した直後に回路交換、Iちゃんにアンビューバックで押してもらっている間にIさんが交換、もう 3回目だから慣れたもん。それに車椅子からベッドに戻った時にIちゃんが今日も爪切りをしてくれた。Iちゃんいつも 爪切りありがとう。

9月7日 通院日
今日は3週間ぶりの通院日。朝から雨が降っていた様だけど出かける時は土砂降り模様、汗をかいていたので着替えを してもらってから外に出ると熱さは感じなかった。驚いた。そして散歩の季節が来たなと思った、現実には難しいかな。 病院に着くまでずっと激しい雨、リフト車の中から外の景色は見えにくかった。ただ外を見ていて思った事がひとつ、 稲穂は出ている様なんだけどこの時期の稲はこんなに緑色をしてたっけって事。もっと黄色味がかっていたような気が するけど気のせいか。
病院に着くとY副看護師長さんが出迎え、救急処置室に入り車椅子からストレッチャーに移動させてもらった。バイタル 測定後血液検査、検査結果が出るまでは待ち時間という事で先に皮膚科の処置、つむじのイボと右こめかみのできものを 液体窒素で焼いてもらった。その後すぐに主治医が来て診察と処置(カニューレ交換)、二つの診療科を受診した割には 午後2時前に終わった。早かった。
病院から出ると雨は上がっていた。帰りのリフト車からは沿道のコスモスや彼岸花を捜したが見つからなかった。 その代わり白鷺が3羽別々の田んぼにいた様に見えた。そして家に着いてリフト車から下りる時に赤とんぼが1匹 飛んでいた。秋はもう確実にここまで来ている。

9月6日 地震
朝から北海道での地震のニュース、2つの地震の事を思い出した。ひとつは1993年1月15日の釧路沖地震。この時の僕は まだ元気バリバリ、北海道のニセコでスキーをしてた。ナイターでスキーを楽しんでいた際に突然一人乗りリフトが 止まった。僕らは宙づり状態、だけど地上5mぐらいのところだったから下を見てもあんまり怖さは感じなかった。10分 以上リフトは止まっていただろうか、僕は暇だったので今の嫁さんに電話をかけて暇つぶし。しばらくしてリフトは 動き出した。宿に帰ってテレビを点けると釧路沖で大きな地震と、揺れを感じなかったのはリフトに 乗っていたからだろうか。
もうひとつは1995年1月17日 阪神・淡路大震災。この時も僕は北海道の富良野でスキーを楽しんでいた。でもこの年の スキーは僕には満足のいくものではなかった。早く滑れないしこぶで簡単にこける、おそらく病気が始まっていたの だろう。これが最後のスキーとなった。17日月曜日 福岡へ帰る日の朝、テレビをつけると高架橋が何本もなぎ倒されて いる映像が僕の目に飛び込んできた。場所は神戸、僕の担当地区(当時僕は兵庫・京都・奈良・滋賀を担当)。しまったと 思った。すぐに会社の寮へ電話し後輩を呼び出してやる事を指示、朝食後取引先へ電話したがPHSや公衆電話の仕事用DDI カードはつながらず。移動中のバスの中でPHSで電話したがつながらなかった。この時はっと思いついた、公衆電話で お金出かけないから駄目なんだと。千歳空港で数千円を百円玉に替え神戸に掛けると、つながった。それから全拠点 10ヵ所に電話をかけ状況を聞いて会社の上司に報告しひと心地。福岡に着いてからは神戸の友人と宝塚の叔父さんの 状況確認、この日は一日中電話をかけていた。

9月5日 リハビリ不調
午前中は入浴車。スタッフは看護師 Aさん・Y君・ヘルパー Fさん・Kさん、気ままなメンバーだ。ゆっくりお風呂を 楽しめた。今日はいつもより身体が温かった。いつもと変わらない様にお湯に浸かっていたのだけれど何故だろう。
午後からは訪問リハビリ、3時半過ぎにM君が来てリハビリ開始。今日は脚の関節の可動域訓練の時に股関節が痛んだ。 先週は痛まなかったのに何故だろう。その股関節の痛みが影響したのか今日の立位訓練は不調だった、膝に力が入らず 1-2回目はM君に頼りっぱなし。3日梅は膝に力が入り立ち上がれはしたが今度はベッドに座る時に膝折れ、なんてこった。 今日のリハビリはいいとこなかったなあ。

9月4日 まあまあか
火曜日は9時半から朝のケア、車椅子移乗まで含めて1時間という時間のないケアの枠の中で今日もI看護師に下洗いと 背中拭きをお願いした。ばたばたさせて申し訳ないと思いながらも。それにしても最近はIさん僕の専任みたい。 やり方の手順も把握してるし小さい割には力持ちだからまあ安心だけど。
11時からH先生による上半身のリハビリ、まず右の肩・肘の関節の可動運動、肩は結構動いたと思う。そして歩行訓練、 車椅子からの立ち上がりには相変わらず時間がかかったけど今日は昨日と違い右腰は痛まなかった。それから歩行、 今日はあまり踏んばらなくても足が出て膝が伸びた。まあ満足かな。だけどH先生にちょっと寄り掛かり過ぎみたい。

9月3日 不快
Facebookでの事、朝ある方のプロフィール写真を見ていたら「喧嘩売っているのか」「横からチャチャを入れるな」等 僕には下品と思える男性のコメントが目に付いた。僕もよせばよかったのだがこんな人を非難する様なコメントの投稿は 止めようというような主旨の彼に少々意見する様なコメントを書き込んだ。すると彼からすぐに「自分の事を何も 知らないのに横から口を挟むな」とのコメントが返ってきた。そこで彼のプロフィールを見ると僕と同じ病気ALSと、 ただあれだけ早く書き込めるという事はまだ初期なのだろう。そこで公開されるのにそんな品のない(本当は下品と 書きたかったのだけれど)言葉は使わない方がいいとコメントしたら彼のコメントも僕のコメントも消えてしまった。 自分に反対する意見はこうして画面から見えなくする。彼は分かっていないのだ、これから沢山の方々の世話なしでは 生きてはいけない事。そんなに突っ張ってどうする。朝から不快な気分になった。
Yさん、僕のメールはあなたをあなたの家族を不快にしてるかもしれない。今日気が付いた。僕にとっては楽しみでも あなたに不快な気持ちを与えているかもしれないのだだから寂しいけれどもう昔を懐かしんでメールするのは止めねば。 一応昔から僕の心の中でもやもやしていた事・大事な時になんにもしなかった事を謝りたいという僕の心根は伝えたし。 返信メールは必ず返すから気分がむいた時だけでもいいからメール欲しいな。年賀状は書くよ、僕が元気に?生きてる って事を親しくしてくれた方々に伝える唯一の手段だから。楽しい時をありがとう。

9月1日 gacco講座「知ると営業が楽しくなる−実践 営業スキル基礎講座」終了
今日レポートも提出しgacco講座「知ると営業が楽しくなる−実践 営業スキル基礎講座」が終わった。営業が楽しく なるって事はある程度の実績が上がってるって事、売れてなきゃあどんなに努力していても過程は評価されない。この 講座の内容は昔僕がやっていた営業とはかなり形態が違っていたけれども参考になる部分もあった。特に効用分析、 利用者にどのような効用=メリットがあるかを三段階に分けて(比較効用・一般効用・個別効用)考えた上で説明をすると いうもの。それにメタ認知による行動の振り返り・行動理論(観・因果理論・心得モデル)の考え方も有効だと思う、 ほとんど理解出来ていないけど。
次のgacco講座は何しよう。


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8月
8月30日 Yahoo GyaO アニメ、面白い
暇な時はこの雑記帳を書きながらYahoo GyaOでアニメやドラマを見てる。ドラマは見逃しテレビで週に4-5本、アニメは 「ドラゴンボール」「釣りキチ三平」「テニスの王子様」「MONSTER」「キャプテン」を週に8-9時間楽しんでいる。 往年のアニメだが結構面白い。特にキャプテンと釣キチ三平は懐かしさいっぱいだ。でもどこで見ていたのかは 覚えていない。中高校生時代ジャンプやマガジンを買うお金は持ってなかったし…立ち読みかな。

8月29日 立位訓練 好調?
メールを心待ちにする自分がいる事に気が付いた。まずいなあ。なんにも期待しないって決めていたのに。僕は時々 メールで話しが出来ればそれで満足と思っていたはずなのに。ずっと記憶の中で気になっていた事はほとんど伝えたから もう気は済んだはずなのに。欲張りの心が芽生えてきた。期待なんかしてはいかんな、消さねば。
午前中はお風呂、午後は下半身のリハビリ。3時半過ぎに訪問リハビリのM君が来てリハビリ開始。今日は股関節の可動 運動の時痛みが出た。本当に日によって変わるなあ。そして最後に立位訓練、結構緊張していたが今日は3本とも膝に よく力が入って上手く立ち上がれた。先週の事が嘘みたい。M君が上手く立たせてくれたのか、それとも僕が 良かったのか。分からないけど少し自信を回復?。

8月28日 もうひとつ不安あり…かな
昨夜ある程度よく眠れたので体調はある程度改善したようだ。眠ったら呼吸がゆっくりなるから加湿器で暖められた 空気が丁度いいスピードで入ってくるので肺が温まるから身体も温かくなる。睡眠が一番の薬という訳だ。
今日のリハビリ、2週間ぶりにH先生の歩行訓練。H先生に車椅子から立たせてもらった際に右膝を伸ばすのに少し時間が かかった。5歩の歩行訓練のうち2歩目と4歩目 右足重心の時膝崩れしそうで不安になった。最近車椅子移乗の時のも 似たような不安を感じている。年のせいでさらに体力が落ちたかな。時間が経てばまだ落ちるのか。嫌だな。

8月27日 体調下り坂
昼ぐらいから体調がおかしくなってきた。やはり清拭の時に胸が冷えたのか。あれだけ注意していたのに、あれだけ気を 付けてもらっているのに。嫌になる程ひ弱な身体だ。身体は汗をかいているのに胸が冷えて午後3時車椅子に座る頃には 鼻詰まりと肩の寒気、一番の改善法は寝る事と解かっているので車椅子に座ってる間も20分ぐらいは眠っていたが一向に 改善なし。仕方がないので夜と寝る前に風邪予防の漢方を服用して寝た。明日の調子はどうかな。

8月25日 M 来たる
夕方Mが顔を見せに来てくれた。涙は見せるまいと思っていたけれど…Mの顔を見るとつい泣き顔になった。嬉しさ多数、 残りは情けなさ。つい心をさらけ出してしまう。涙を見せるから誰もが来にくくなるのは解かっているのに…いつも涙が こぼれてしまう。涙腺が緩くて困る。
Mは役所のお偉いさん、どんな場所でも人目を気にしなければならないと。民間企業で育った僕には解かりづらい ところだ。プライベートに制限を受けるなんて大変な世界だ。そして高校の還暦同窓会の写真を見ながらMと嫁さんは 人名当てクイズ。一度会っているとはいえ名前がスラスラ出てくるんて驚いた。僕なんて数人しか 分からなかったのに。
M 会いに来てくれてありがとう。

8月23日 嬉しいメール U
現在の姓が分からず旧姓で出した残暑見舞、届くかどうか大いに不安を感じていたが届いていた。今日そのYさんから メールが入った。半分諦めかけていただけに余計嬉しかった。Yさんは高校1年の時の同級生、グループでも個人的にも かなり親しくしてもらった。高校で親しい友達をあまり作れなかった僕には数少ない存在だった。目の前の楽しみにすぐ 心を奪われフォロー出来なくなっちまう僕の不誠実な性格のためにクラスが分かれた途端仲良しクラブは解散して しまった。けれどYさんの事はずっと気になっていた。
Yさんは僕の病気の事は知らないから葉書に簡単に書いておいた。するとお見舞いの言葉と励ましの言葉をもらった。 それも端正な文章で。こんな文章が書けるなら僕に国語を教えてくれればよかったのに。

8月22日 ゴルフ
朝10時過ぎからは入浴車。今日の僕が湯船につかっている回りでの井戸端会議の話題はゴルフ、お父さんが社会人の娘に ゴルフをさせ始めたと。気持ちは分からなくないでもない。もし娘とコースにでも出たら6時間は一緒にいられる。 色々な話しが出来るだろう。
昼3時半過ぎからは訪問リハビリ、今日もM君が下半身リハビリをしてくれた。M君が脚を動かす。M君はいつもと同じ様に 動かしているのだろうけど僕の股関節の痛み具合は先週と違っていた。今日の痛みが軽いのだ。という事は僕の股関節の 痛み具合が日々違うという事か。これを厄介と考えるか今日はラッキーと考えるか、難しい所だ。それに立位訓練、 1回目と2回目はM君に頼りっぱなし、3回目にようやく膝に力が入ってM君の程よいサポートで立ち上がる事が出来たが 不安の残る結果に。どうしたもんかな。

8月21日 リハビリ
今日は訪問リハビリのH先生は年休、代わりにM君が上半身のリハビリをしてくれた。気になったのはM君が僕を車椅子から 立たせる事が出来るかどうか。だけどM君は成長していた、何の問題もなく立たせてくれた。少し不満に感じたのは左足 重心になっていた事と背中を伸ばせなかった事。おそらくM君は僕の左にあるベッドに上手く寝せる事を気にし過ぎて いて身体を回す際の重心となる左足の方に体重をかけるように意図的にしていたのではないかと思うのだが。肩や腕の 可動域訓練も上手くなっていた。お疲れ様でした。

8月19日 嬉しいメール
久方振りに先日暑中見舞の葉書を出した、Tが突然他界しその寂しい想いを少しでも埋めてくれないかなと思い同級生に 3通メル友のお誘いを(内1通は初めから不届を覚悟に)。そして今日MとCちゃんからメールが入った。嬉しいーぃ。 CちゃんとはメールでTの想い出話をいっぱいした。僕への最後のメールは余命〇年と会いに行けばいつでも会えるって 雰囲気だったのにCちゃんへの最後のメールはもっと辛いものだったようだ。しんどかったろうな。Mはその内顔 出すって、嬉しいな。

8月18日 一八夜
一八夜、旧我が町最大の夏祭りで僕が子供の頃はご馳走が食べられてお小遣いがもらえるこの日が大好きだった。 大学生の時もこの日を中心に帰省を考えていたし社会人になってもこの日が休みならば福岡から帰ってきて一八夜を 楽しんだ。しかし今の我が家には一八夜の気配もない。みんな僕のせいだ。僕が子供たちに一八夜や祭りの楽しさを 伝授出来なかったから。どこの盆踊りにでも飛び入りするほど祭り大好きの僕に対し子供たちには祭りを楽しもうとする 雰囲気がありそうにない。何故・・・。
今日の花火も音だけ、夜9時頃テレビを消してジャーモン(仕掛け花火)・打ち上げ花火を想像しながら虚しく楽しんた。 昔は(旧国鉄)松浦線の最終列車が通ってからジャーモンが始まる様に時間設定されていたが、いつからか治安のため?に 浮立の石屋出発が7時と1時間早くなり花火が9時頃になった。これも僕の虚しさの一因…かな。

8月17日 通院日
昨日の車椅子移乗の時にヘルパーさんが「(車椅子の)柵は取れますか?」と聞いてきた。ヘルパーさんと娘に別々に 確認してもらうと「柵は取れるけど柵受けが残る」と。車椅子・ベッド間をスライドボードで移動出来なければ話に ならない。それで通院前に所長に確認してもらうと「出来る」との事。見せてもらうと足乗せが縦方向にくるっと180° 回転した。こんなのありか。
今日も晴れ。車椅子に座り外に出ると「暑い」。出かける前に嫁さんに「リフト車の中から外の風景の写真を撮って」と 頼んでおいた。リフト車の中で車椅子に座っている僕の目の位置は頭二つ分ぐらい高い。だから見える景色がみんなとは 違う。どんな写真が見れるか楽しみ。
病院に着くと救急処置室に入りバイタル測定。すぐに主治医が来てまず「新しい糖尿病の薬試してみませんか?」と、 僕はお腹が弱くすぐに下痢するので次のレスパイトの時(9月下旬)に試す事に。それからいつもの様に診察とカニューレ 交換、今日の通院はスタートで出遅れた割には早かった。

8月15日 一五夜
15日の夜は合併前の旧我が町でも多くの地区で祭が催される。若かりし頃の僕は一五夜の日にいくつかの地区の同級生の 家を訪れた事はあるが山田神社の山谷浮立には行った事がない。午後9時半過ぎ花火の音が聞こえてきた、山谷浮立の クライマックス。お祭り好き・花火好きの僕としては見に行きたいがどうにもならい。虚しく聞いてるのみ。寂しいが 仕方ない、嫁さんと娘だけじゃあ僕を車椅子に移す事すら出来ないもの。城山(唐船山)から花火を見たらどんな風に 見えるのだろう。

8月14日 体調・歩行 ともにまあまあ
一晩開けなんとか体調も回復し調子はまあまあに。けれど今日も背中拭きと下洗いをやってもらったから少し時間 オーバーに、看護師さんとヘルパーさんに迷惑をかけた。車椅子にもきれいに座れ枕の調整も順調に出来て座る事30分 H先生登場、上半身右側のリハビリ開始。そして歩行訓練、H先生にかなり寄り掛かっていたけど膝に力が入りきれいに 伸びて歩けた。まあまあかな。今後の歩行もこの調子が続けば良いのだが。

8月13日 体調down
起きた時の体調はそれほど悪いとは思わなかったのだが、朝のケアが終わり昼の経管栄養が済み午後3時車椅子移乗の 時間を迎える頃にはくしゃみが何回も出て口の回りはぐしゃぐしゃ状態になっていた。朝のケアの時にエアコンの風が やけに当たるなとは思っていたけれど清拭で身体が冷えたのか。車椅子に座ったら鼻水がポトポトとしずくの様に 落ちてきて…だけど車椅子に座っている時に20分くらい眠っていた様で鼻水は止まっていた。ベッドに戻ってもまた くしゃみが連発で出て、これはまずいと思いすぐに嫁さんを呼んで漢方を入れてもらった。それでも一向に改善の様子は 見られず…十何年ぶりに風邪を引いたかと思い、23時前に嫁さんに「寝る」と告げた。寝る前に眠剤と共にこの日 二度目の漢方薬を入れてもらったが明日の体調はどうなっている事やら。まあ不安かな。

8月11日 山の日
今日は山の日、祝日だ。排便があるからヘルパーさんに来てもらう事に。嫁さんは浣腸・摘便以外はヘルパーさんに 任せるつもりでいた様なので僕が「ヘルパーさん一人では着替えなど出来ない」と言ったから少々不満気味に なったように見えた。それなのに10時半前ヘルパーのTさんが着いたら嫁さんは(僕から思えば)看護師に変身、Tさんを リードして下洗い&清拭をやってくれた。満点。娘も含め三人ともご苦労さまでした。まったく僕の嫁さんはたいした もんだ。

8月10日 新しい車椅子試す
昨日介護用品会社?の方がレンタルの新しい車椅子を持ってきた。でもこの前の打ち合わせといいなんで木曜日、木曜は 訪問の担当が訪問看護ステーションNとヘルパーさんの日だから試すには都合の悪い日だって事はケアマネージャーなら 分かろうものなのに。という訳で今日の車椅子移乗の時間に試してみた。
介護用品会社?の方によると新しい車椅子は座面がこれまでのものに比べると高さが2cm高く前後の長さが若干短いと、 座布団は必要という事か。実際これまでと同じ様に座布団とクッションを置いて座らせてもらうとずり落ちそう。それで クッションを外してもらった。ここで問題になったのは背もたれが短くて頭がかなりはみ出してしまう事、はみ出すと 顎が上がってしまいしんどい。これは所長が枕で一時的に解決してくれた。恒久対策は西九州大のU先生に相談しよう。 次に問題だと感じたのは座っていると背中が丸まってきて息苦しくなってくる事。これは所長の宿題として背中が 丸くならない様に何かを置く方向で考えてもらう事とした。こうして車椅子を僕に合うように変えていくしかない。

8月8日 そろばんの日、ご苦労さまです
8月8日はパチパチ そろばんの日、この日になると4年ちょっと通った無適塾を思い出す。僕は今でもそろばんが 好きみたい。数を数える時はすぐ暗算してしまう。
嫁さんが朝から顔を見せない。どうやら具合が悪いらしい。代わりに娘が朝の経管栄養から世話してくれた。困ったのは リハビリの時、立位訓練で頚の装具をちゃんとつけれるか。娘に「頚の装具をつけれるか」と聞いたら怪訝そうな顔。 だけどリハビリの先生 M君が上手くリードしてくれたから今日も立てた。二人ともご苦労様。

8月4日 効いてる?
朝のケアの際に感じた事だけど脚を動かしている時の痛みが減った気がする、特に右太ももの表上部が。右膝が 上がり始めた時や伸ばしきった時にビビッと痛んだのに本当に楽になった。昨日主治医に処方してもらって寝る前に 服用した痛み止めの薬が効いているのか。午後の車椅子移乗の際看護師さんに立たせてもらった時もこの数日間よりも 膝に力が入った様な気がするし…いいのかな。

8月3日 通院日
今日は約ひと月ぶりの通院日、出かける前から所長が「外は(死ぬほど)暑いですよ、覚悟しといてください。」と脅す。 リフト車に乗り込むとまた眠気が襲ってきた。眠気まなこでリフト車の高窓から外を見ると青い空と小さな入道雲 もどきの雲が見えた。田んぼの稲苗が青々と風にそよいでいた。
病院に着き救急処置室に入ると寒ーい。バイタルを測り終えしばらく待つと主治医が入ってきた。まず右股関節周りを こぶしで軽く叩いて痛みを確認、僕がNoの合図をするとけげん顔。そして「薬どうします?」と、実は昨日メールで 「痛みどめを増やして欲しい」と連絡しておいたのだ。結局処方てもらう事に。次にいつもの診察とカニューレ交換、 こちらも無事終了。それから皮膚科の先生を待つ。待つ事30分あまり、ようやく皮膚科の先生が来て頭のつむじ付近の イボと首の左の黒子?を焼きとってくれた。先生はチリチリして痛いと言っていたが液体窒素の冷たさばかり感じた。 この治療は数回続くとの事で次回は4週間後、今どうなっている事やら。
冷えた身体に外の空気が気持ち良いと感じたのは一瞬の事、やっぱり外は熱ーい。

8月2日 車椅子検討
ずっと前からカスタマイズの車椅子を作るかどうかでもめていた、僕と嫁さん&所長の間で。嫁さんと所長は外出の時に 車椅子に呼吸器を乗せれる様にまた座面の高さを希望の高さで作るためにもカスタマイズで車椅子を作って購入せよと 言う。それに対し僕は市販の車椅子をレンタルする事で十分と主張する。いつまで経っても平行線。僕は未来の話をする つもりはない、いつまで生きていられるか・いつまで車椅子に座る事が出来るかそれすらも解かんないのに。今を自分の ために(今はもうそれしか出来ない)精一杯生きる、それが僕の今のモットー。それに運命はついてくる。すべて運命の ままに。だよね、Tak。
今日の昼過ぎに「突然2時半にケアマネージャーと車椅子関係の方が来る」と告げられ、「ははーん、車椅子の提案で 来るんだな」とピーンと来た、前に所長が「近いうちにケアマネージャーに車椅子のカタログを持ってこらせる」って 言われていたから。そして2時40分ケアマネージャーら到着、だけど話が違うみたい。すっかりカスタマイズって話に なっていた。それをゆりもどし今の車椅子の後継機を持ってくるって話に。

8月1日 調子悪し
今日は訪問がいっぱい、午前中は入浴車・午後2時から訪問歯科・3時半から訪問リハビリ、気分的に忙しく思えた。
午後3時半過ぎM君登場、血圧と血中酸素(SpO2)を測ってから下半身のリハビリ開始。M君はいつも通り動かしてくれてる 様なのに右股関節周り特に太ももの上部がとても痛んだ。それに立位訓練の時も膝に力が入らなくてM君に頼りっぱなし M君に迷惑をかけた。これは絶対なんかありそう。主治医に言って次の通院日(金曜日)から痛み止めの薬 増やしてもらった方がいいかな。


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7月
7月31日 調子悪し?
今朝5時前にお袋に起こされてパソコンをする時もしばらく目が開かなかった。朝の9時半からのケアの時間、いつもは 目を閉じているのだが今日は下洗いと背中の薬塗りを頼んだので目を閉じていられなかった。車椅子に座っている時間、 いつもは訪問リハビリのH先生が来るまでの20-30分の間にいくらか記憶の途切れる時間があるのだが今日は眠気が…。 だからからかH先生からリハビリを受けている時も瞼がすごく重くて…歩行訓練の際も膝に力が上手く伝わらなくて5歩中 2歩バランスを崩した。H先生は「今日は目が覚めていませんでしたね。」と言ってくれたが…果たしてそうなのか。

7月30日 来客
娘が近い将来結婚したいという相手を紹介したいって事で家に連れてきた。嫁さんは彼に会った事がある様で嫁さんが 彼を認めた上で招待した相手だし第一僕の娘が選んだ相手だから僕がどうのこうの言う事はない。僕は彼にただ 任せるのみ・お願いするのみだ。どんな形でもいいから娘を幸せにして欲しい。僕は娘を子供たちをそして妻を幸せに してやれなかったのだから。
彼の第一印象は誠実そう、そして真面目そう。娘はいろいろ聞いて欲しかった様だがそんなに簡単に質問が浮かぶはずも なく…「仕事面白いか?」って聞くのが精一杯。僕は彼の年の頃仕事が面白くなくて会社を辞めて次の仕事何にしよう って事ばかり考えていたから。右耳がほとんど聞こえない僕は彼の返事はよく分からなかったけど…娘の様子からは そんなに悪くなかったのでないかな。良かった。

7月28日 Iちゃん 爪切り ありがとう
今日のケアの担当は看護師 Iさん・ヘルパー Iちゃん&Mさん。今日はMさん髭剃り初挑戦、結構上手かった。その後も 洗髪補助・清拭・排便補助、今度来る時は一人だろう。所長に当たらねばいいが、やり方の違いにMさん面食らっちまい そうだから。まあ所長が午前中のケアに来たのはもう何年前だろう。
午後の車椅子移乗の担当はIさんとIちゃん、Iちゃんが先に着いて爪切を切ってくれた。Iちゃんいつもありがとう。 Iさんは身体は小さいけど力持ち・Iちゃんはまだ若いけど僕の所に来る様になって10年以上のベテランさん、現在の ところ最強のコンビかもしれない。それなのにベッドからIさんに立たせてもらう時に両ひざがしばらく伸びなかった。 僕の身体はいったいどうなってしまったのか。いったいいつまで立てるのか・立たせてもらえるのか、心配一杯。

7月27日 所長 やっぱり丁寧
金曜日のケア、担当は2週連続所長、超珍しい。所長が来た時に「背中に薬(を縫って)」と頼んだら所長は「背中を 拭くなら手間は変わらないから着替えましょう。」との返事。手間が変わらないなんてそんな事はないだろう、僕の 着替えは二人だって大変なのに。所長は「ついでに下も拭いてリハパンをはき替えましょう。」とも、これじゃあほぼ 清拭だ。しかも病院の清拭よりもずっと丁寧。それでまたもや時間オーバー、僕はいいけど所長は大丈夫?。所長、 サンキュー。

7月25日 M君のリハビリはやはり厳しい
水曜日の行事はお風呂とリハビリ。午前中の入浴車が終わって4時間経ったら訪問リハビリ、その4時間を僕はいつも通り 昼の経管栄養とパソコンで過ごした。午後3時半過ぎM君登場、まず血圧を測ってから下半身のリハビリ開始。最初は 太ももの付け根の筋肉と権を伸ばす運動、(どの程度かはよく分からないが)股関節症を患っている僕にとって太ももを 90°前後まで曲げてもらった時には太ももの付け根が痛む、徳に右脚が。ついでに背骨と腰骨のつなぎ目もピリリと 痛む、これは両脚とも。こちらの痛みは座骨神経痛によるものか。この頃薬の効き目が悪くなってきたなあ。
立位訓練の時偶然この日この時間訪問していたケアマネージャーが見学、1本目は膝に上手く力が入らなくてM君が完全に 立たせてくれた。けれど2本目-3本目は膝に上手く力が入ってM君のサポートでほどよく立てた。ケアマネージャーからは 「背中を伸ばせて気持ち良かったでしょう。」との声掛けがあった。まあそうね。

7月24日 gacco講座「先生のための一生モノの学びを得られる授業づくり」受講開始
gacco講座も「大学生のためのデータサイエンス(1)」が終わり暇になりそうなので次の講座を捜したら5日前7月19日 配信の「先生のための一生モノの学びを得られる授業づくり」を見つけた。もうひとつIotなんとかというのもあったが 修了条件がレポートだけで60点以上みたいだったので見合わせた。今回のも「先生のための…」ってついているから 僕には合っていない様だけど挑戦。けれど修了点70点以上で (確認テスト:2点×10問+レポート:5点)×4week、毎週 レポートはきついなあ。相互採点はしなくていいけどね。

7月23日 体調…悪し
今朝嫁さんがチビを僕の部屋に招き入れようと窓を開けた時クマゼミがいっぱい鳴く声が聞こえてきた。この前まで 聞こえてきたのはミンミンゼミだったのに…もうこんな時期なのか。それに今日は冷房の風を涼しく感じる。同じ 設定なのに昨日とのこの違いはなんだ。
この事に関係あるかどうかは分からないが昼過ぎから急に体調が落ちてきて車椅子に座る頃(午後3時)には鼻づまり・ 車椅子に座ったら鼻水が落ちてきた。それにお尻がずり落ちそうな嫌な予感、案の定嫁さんに吸引してもらったらお尻が 5CM程前にずれた。車椅子の背もたれを倒してもらって体制を整えたがこの状態で5時まではきつい、何とかもてた。 ベッドに戻っても体調は下り坂。こんな時は早めに漢方を飲んで寝る、そうしよう。

7月22日 gacco講座「大学生のためのデータサイエンス(1)」完全終了
今日も暑い。窓から入る明るさに熱を感じる、別に日射しが差し込んでいる訳でもないのに。それに今日は冷房の効きが 悪い様な気がする。そろそろアイスノンの出番か。こんな暑い中我がの猫たちはどこへ行っていることやら。我が家で 1番涼しいのは冷房が入ってる僕の部屋のはずなのにモモもチビも近づこうともしない。なんで?。
gacco講座「大学生のためのデータサイエンス(1)」、入院前に修了点には達していたけれどWordによるまとめが Week1から出来ていなかった。そして13日もかかって今日ようやくWeek4のまとめまで終わった。まあまあの充実感かな。 これで今年八講座終了。未来の事を語るつもりはないけれど今年はすごく良いペース。さて次は何をやろう。

7月20日 ケアの担当は所長
今日のケアは10時半から、けれど10分過ぎても誰も来ない。今日のケアの担当は誰かなと思っていたら所長だった。 所長が遅れ気味になりやすいのは話を聞くから・聞き過ぎるからだろう。今日も僕の話(昨日の呼吸器の回路が外れた事に ついて)を聞き、今日の1時間のケアのルーティンに含まれていない「リハビリパンツを替えて」「背中に薬を塗って」 との頼みももちろん聞いてくれた。それに所長は途中で引っかかり過ぎ、不可抗力だけど電話が入ったり背中の写真を 撮ったり急に何か?を始めた様子があったり、気遣いが多く結局45分オーバー。昼ごはんや次の訪問は大丈夫かなと こっちが心配してしまう。

7月19日 呼吸器が外れた…苦しかった
夕方 訪問看護師さんが帰ってからの事、突然呼吸器が外れてしまった。それも回路(蛇管)の思いがけない所から。 嫁さんは用事で留守、お袋に対応してもらうしかない。コールを鳴らしお袋を呼んで回路の外れている箇所を何とか 探し出し何とか繋いでもらったが、繋ぎ方が甘かったのかしばらくすると同じ所からまた外れてしまった。今度は コールを何回鳴らしてもお袋は現れなかった。もう苦しくてこんなところで死んじゃうのかと思いかけたところで ようやくお袋が来てアラームが鳴っているのに気付き外れている所を少し時間がかかって探し出し繋いでくれた。
ところが苦しい時間が長すぎたのか空気が肺に入ってきてもなかなか楽にならなかった。やっぱりしばらくバッグで 押してもらわないとダメな様だ。それで訪問看護師さんに電話してもらってきてもらった。そしてバッグでしばらく 押してもらっていたら少し楽になってきた。それにしても嫁さんも訪問看護師さんもお袋ももう僕の身体を心配する風は なかったなあ。

7月18日 入浴車 虫の話題
今日の午前中は入浴車。スタッフは看護師 Y君・Aさん&ヘルパー Fさん・Kさん、Y君はひと月ぶりとの事。そのY君が 入浴中に虫の話題を提供してくれた。息子さんがおもちゃのクワガタがお気に入りでどこへでも持っていくとか ファミレスの店員さんがそれを見て驚いたとか、面白かった。
偶然だけど今朝僕の部屋で「ギギー ギギー」ッと虫の鳴き声が聞こえていた。僕は床下からだと思っていたのだが… 嫁さんがテレビ台辺りを見ていて…キリギリスを見つけた。嫁さんが手で捕まえて僕に見せてくれてから窓から逃がして あげたようだ。キリギリスはテカテカの緑一色、こうしてまじまじと見るの初めてかも。それにしてもモモやチビに 見つかる前で良かった、バラバラにされて無残な姿をさらしていたかもしれないから。

7月17日 今度は左下奥歯に違和感が…
左上奥歯の痛みは治まったけれど今度は4-5日前から左下奥歯辺りに違和感を覚えてきた。どうやら奥歯の歯茎の外側が 腫れている感じがする。それに唾液を飲み込むとのどの左側が少し痛む。歯科衛生士さんに見てもらっても余り気にする 風にない、これから痛んでくる様な気がするんだけどな。最後に左下奥歯のブリッジと歯茎の間に薬は入れて もらったけどね。これからどうなる事か、なんせいわく付きの左下奥歯だから。元々大学病院入院して全身麻酔をかけて 取ろうとしたほどのブリッジだから。

7月16日 海の日
海の日、くだらない祝日だ。日付が変わらなければまだしも休みを増やすためだけに旗日にした何の意味のない祝日、 山の日はまだましかな。そんなくだらない日が祝日って事で訪問看護はお休み、その代りヘルパーさんが二人来てくれて ケアにあたってくれた。今日は浣腸して便もよく出たし、またヘルパーさんも呼吸器を着けている僕にもう慣れたもので 洗顔・清拭・便の後の下洗いととてもスムーズに進めてくれた、見事と言っていいくらいに。そういう意味では今日は 僕にとって良き日だったのかな。

7月14日 お盆
我が町は旧盆、昨日お坊さんが時間をずらして二人来てお経を詠んでいただいた。僕の妹はもう50年以上前に事故 (僕らの不注意?)で亡くなったから今はもうご先祖様だ。妹の魂はもう来ているだろうか。リンやクロの魂は…。
今日車椅子に座った時に訪問看護師さんとヘルパーさんに仏さんの前に連れていってもらった。年に1回?の仏壇詣で、 うちの仏壇のお位牌はどんな種類かなと思って見たら塗り位牌と回出位牌があった。僕がお位牌に関心を示すなんて 少しはgacco講座の影響が出ている。

7月13日 高校野球 負けた
高校野球のシーズン到来。先日県の高校野球のホームページからトーナメント表を入手したが日付の部分の字が小さくて よく読めなかった。14という数字が読めたからてっきり我が母校の試合は明日だと思っていたのだ…今日だった、 見損ねた。しかもホームページで確認すると延長12回サヨナラ負け。母校野球部の負けと共に僕の夏の一部が終わった。 今年はどこまで勝ち上がるかなり期待していたのだけれど…。
悪い兆候はあった、春季九州大会・NHK杯・伊西地区大会 負けた試合は全て終盤の逆転負け。主力投手が一人じゃきついと 思っていた。

7月11日 入浴車
10時過ぎから入浴車、今日の看護師さんはFさんとAちゃん、Aちゃんはなんとなく久しぶりって感じ。頭も背中も(特に 肩甲骨周り)腕も腰も痒かったので入浴前に「全部ゴシゴシ(洗って)」と頼んだらAちゃん「わかりました」って答え、 よろしくね。まずは浴槽に入って身体を温める、その間に顔を洗ってもらって頭もゴシゴシ、病院ではいくら強くと 言ってもほどほどしか洗ってくれないもんな。すっきりした。それからネットを上げて身体も四人の手でゴシゴシ、 またもやすっきり。いつもお世話になります、ありがとうございます。感謝。

7月10日 入院後はやはり好調
退院した翌日にリハビリ、こんな事はH先生になって初めて。調子はどうかなと思っていたけどあんまり眠くもないし 意外と良い。H先生に車椅子から立ち上がらさせてもらった時も右膝も腰もすんなり伸びていたし5歩歩かせてもらった 時も膝によく力が入ったし腰も安定していた。こんな感じ久しぶり。H先生も今日は手ごたえを感じていたようで 褒めてくれた。病院のリハビリの先生は「脚は少し弱りましたね」って言ったけど…全くH先生は褒め上手で困る。 少しは自信が戻ってきた。
やはり退院した後の数日は足腰の調子は良いなあ。

7月9日 ベッドが変わると…
今日家に戻ってベッドに横になりしばらくすると…少し寒気がし鼻詰まりしてきた。入院から戻るとだいたいそう、 身体が環境の変化について行かなくて体調が落ちてくる。掛け物をかけたら背中に汗をかく、冷房を強くしたら くしゃみが出る、難しい身体だ。また漢方頼り。一夜寝たら落ち着くかなあ。
病院でのエアコンの風向きが自動で風が身体に当たっていても不思議に丁度良かったので部屋のエアコンの風向きも 自動にしているが…吉と出るか凶と出るか?

6月29日〜7月9日 レスパイト入院
7月のレスパイト入院、嫁さんの合唱コンサートに合わせての入院だ。毎年この時期に入院している。今回は検査は 血液検査と検尿だけ、一日7回の血糖値検査もなかった。まあ処方の変更がなかったから血糖値は問題あるくらいには 悪くなってはいなかったのだろう。
今回も看護師さんたちが毎日積極的に車椅子に座らせてくれた。車椅子に1時間座った後は気管から痰がよく出る。肺の リニューアルをしている様なもんだ。こんな事が起きていくれるから僕の肺は丈夫なんだと思う。本当に看護師様様だ。 僕は恵まれているな。僕は本当に幸せ者だ。看護師の皆さん、寝る前の手足の運動を含めありがとうございます。
リハビリも主治医がちゃんと手配してくれていた。月曜から木曜まで毎日手足の可動訓練、そして火曜と木曜は 立位訓練、立たせてくれた。ただ今回のK先生のリハビリはちょっと短かったかな。
今回は入院中に皮膚科にも診てもらった。予定ではつむじ付近のイボを取ってもらう事になっていたが諸事情?で次の 外来でって事になってしまった。今度の皮膚科の先生は優しそうに見えたので「指先と爪先の間のもじゃもじゃとした 皮を取る方法はない?」って相談してみた。先生は爪を切ってくれた。ちぉっと違うんだけどなあ。
7月6日には退院する予定だったげど前日の天気予報によると明日は大雨、6日の10時頃看護師長さんが来て「退院は 9日」って。ガーン。だけどしょうがない。実際6日の夜家では停電したとの事。第三の故郷 広島では大きな被害が 出ている。


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6月
6月28日 決勝トーナメント進出
サッカーW杯 コロンビアに奇跡的?に勝って(怒られるかも)セネガルと引き分け勝ち点4で迎えた対ポーランド戦、この 試合引き分け以上で決勝トーナメント進出が決まる。だけどこの試合はとても難しい試合になった、特にポーランドに 1点取られコロンビアvsセネガル戦で1-0セネガルが負けてるとの知らせが入ってからは。このまま1-0で負けへの道を 西野監督は選んで攻めるの止めたのだ。最終ラインでボールを回しリスクの生じる事は一切しない日本に対し会場は ブーイングの嵐。たしかにこの選択はある。だがセネガルが必死に攻め1点取ったとしたらセネガルが2-1で負けても決勝 トーナメント進出は無くなる。僕としてはトップ大迫を含めた逃げのボール回しで隙あらば1点取るという姿勢だけは (見せかけでいい)して欲しかった。こんな事じゃあ決勝トーナメント勝利はまだ無理だな。

6月24日 サクランボ
今年も会社勤務時代の後輩Mがサクランボを送ってくれた。もう何年になるのだろう、最初にMがサクランボを送ってきて くれた年から。十年以上。嬉しいのだが申し訳ないという気持ちも強い。毎年お礼をしなければと思うのだけれど… 下手にお礼をしてサクランボが送ってこなくなるとMと縁が切れてしまうと思えて寂しい。せめてお礼の言葉は 伝えなければと思ってメッセージを送ったところ「気持ちだけで十分」とMらしい返事。ただ「もうすぐ姫が生まれる」 とついでに記してあった。有田焼でおひな様があると聞いたからそれにしよう。兜か武者人形もあるかな。

6月22日 gacco講座「男と女の文化史」終わった
gacco講座「男と女の文化史」、Wordでのまとめに挿入する画像が多くて時間がかかって苦労したがようやく終わった。 修了ラインも無事通過、最終レポートも書いて送った。800-2000文字という文字制限に対して1999文字に抑えるのに とても苦労したけど…大分味気なくなったかも。まあ僕の最終レポートは字幕を切り貼りして作ったものだから元々 味があるとは言い難かったけどね。それにしても最終レポートの8点分の評価基準は厳し過ぎ、自由に書けと 言っておきながら独創性がないと駄目だなんて矛盾してる。それに内容をまとめるってなんだろう。

6月19日 左上の奥歯の歯ぐきがちょっと腫れてるって
左上の奥歯の歯ぐきが痛み始めて1週間、未だに痛みが引かない。今日は訪問歯科の日、何とか一日でも早く痛みが 引いてくれればいいのだが。
今日の訪問歯科 偶然にも歯科医の来る日だった。そして余り開かない口の中を診て「左上の奥歯の歯ぐきがちょっと 腫れてる」って。そして患部のポケットに薬を差し込んでくれた。しばらくは痛まなかったけど寝る前にまた 痛み始めた。困った!!。

6月18日 あんまりだよね…
今日の車椅子移乗(車椅子からベッドへ)、訪問看護師さんから確かに「遅くなる」とは聞いていた。でも30分も 遅れるなんて…それはちょっとかかり過ぎじゃないかな。嫁さんがいる時はまだいい、吸引もアンビューバッグによる 呼吸補助も体位調整もしてくれる。お袋にそこまで期待するのは無理な話というものだ。それにコールを鳴らしても お袋はなかなか来ない、ヒヤヒヤものだ。せめて一人でも先発でもう少し早く来てくれると助かるのだが。いくら 車椅子とはいえ1時間半同じ姿勢で座っているのはかなりしんどいのだ。

6月16日 総会へ
今日のケアは洗顔と洗髪、11時までにケアを終わり11時半までに出発するために。だけど洗髪を終わって時計を見たら まだ10時40分過ぎ、時間が早かったのでしもも洗ってもらった。そしてお出かけ準備を済ませ社協のリフト車に 乗り込んだ。リフト車に乗る時にツバメが小屋に出入りするのが見えた。帰ってきたんだな。前回(5月)のツバメの雛が カラスにやられたらしいから今年はもう来ないと思っていた。これだけで嬉しくなった。
久しぶりに高速道路を使って佐賀市まで行ってきた、妻と娘と一緒に日本ALS協会佐賀県支部総会に参加するために。 久しぶりの高速道路走行で昔この高速道路を利用していた頃のカーナビの声を思い出した。行程の途中で車窓から結構 規模の大きい太陽光発電のパネルが見えた、それも2ヵ所も。佐賀にもこんな発電している所があるんだなって思った。 移動している時はずっとリフト車の中で昼の経管衛を入れていたから佐賀市街地に着いた頃には少々疲れっていた。
会場に着いたのは午後1時少し前、会場に入ってまず思った事「患者はまたいつもの三人か(支部長・副支部長・僕)」と。 だから基調講演の時にバイパッブを着けた青年が入ってきたのを見た時は嬉しかった(申し訳ないけど)。総会の部屋に 移って参加者がほぼ身内だけって分かった時には「写真撮影のために研修会と同じ日にしたのか」と思ったし、総会 資料を見て「会員を増やす気はないんだ」って。もう来る価値はないなって気がした。一番嬉しかったのはU先生の お嬢ちゃんと会えた事かなあ。あの青年また来てくれますかねぇ。

6月15日 通院日
今日は通院日、しかも良い天気。リフト車に乗り込んで移動中に車窓から外を見たら水が溜められた田んぼがいっぱい、 時にはもう田植えが終わった田んぼも。2週間前は水の溜まった田んぼはチラホラだったのにここまで進んだか。まあ もう6月もなか日だもんな。
病院に着きしばらく待つと主治医が来て診察とカニューレ交換、いつも通り。そして帰宅。猫は…いつも通り… いなかった。

6月13日 追いついた?
gacco講座「男と女の文化史」、今日でWeek3が終わった。今日の午後3時にWeek4が配信されたから半日遅れ、ほぼ 追いついた。今まで久々に苦労したなあ。あと1週、でもレポートもある。また苦労しそうだなぁ。がんばれ 僕。
今18点×3週分=54点だから修了証まではあと6点、もう修了は出来ると思うが80点は取りたい。レポート しなければ ならないな。
左の奥歯、上か下かはよく分からないが、痛い気がする。こんな感覚久しぶり、大丈夫かな。気になってきたなあ。

6月5日 しんどい
gacco講座がしんどい、嫌いになりそうな程に。この2週間Facebookを見る以外は一日中gacco講座をしていたみたい。 「いざ! 資産形成」の方はそうでもないんだけど「男と女の文化史」の方はWordでの字幕のまとめにも超時間が かかるし確認クイズも回答を見つけるのも久々に難しい。この2-3日はよくイライラして時には胃が痛くなる事も。 嫌になるなあ。

6月1日 通院日
今日の通院で皮膚科を受診する予定だからいつもより1時間早く迎えに来てもらった。正午前に病院に着き皮膚科に 連絡してもらう。しばらくして皮膚科の先生が来て左ひじ内側の黒子状のものを診てもらう。先生から出た言葉は 「心配ない」との事だった。ひと安心。ついでにつむじ付近の邪魔なイボが取れないかも診てもらった、歴代の皮膚科の 先生が「良性だからとる必要はありませんよ」と言われ続けたところだ。するといとも簡単に「痛いですけど 取りますか?」と。痛いと言われたのはちと気になるが次のレスパイト入院の時にとってもらう事にするかな。
その後僕の主治医が来ていつもの様に診察と処置(カニューレ交換)、そして帰路に着いた。リフト車の車窓から見る 景色には水の溜まった田んぼがちらほら、もうそんな季節になったか。


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5月
5月28日 来客
今日隣り町(市)のNさんが訪ねてきた。Nさんは僕と同じALSの患者である。Nさんは胃ろうをいつ造るのが最良?なのか 迷っている様だ。それに呼吸器を着けた者の在宅療養環境がどんな風なものか奥さん・ケアマネージャー・訪問看護師さん 共々見に来たとの事。人工呼吸器を着けるかどうかは人の人生を大きく左右することだから僕は言いたくないし僕には 言えないけど…そうでもない胃ろう増設に関しては率直に失敗談 胃ろうを造るのが遅すぎて呼吸器を着けるのを 早めてしまったと話した。
胃ろうと呼吸は関係ない様に思えるかもしれないがそうではない。問題は体力だ。呼吸には思っているよりずっと体力が 必要なのだ、体が弱ってくると特に。当然体力が少なくなるとその分呼吸が弱ってくるし痰が出しづらくなってくる。 そして体力を支えるのが食事の量なのだ。当時僕はその事に気付かなかった。我を通して間違った選択をしてしまった。 もしあと三ヵ月早く胃ろうを造っていたら呼吸器を着けるのがあと半年伸びていたかもしれない。まあ我を通した 訳だから後悔してないからいいけど。

5月25日 今回のgacco講座「男と女の文化史」、難しい
朝のケアの後F看護師さんに火曜日のリハビリの時に見つけた左ひじの内側にある4-5mmの大きさもある黒子状のものを 知っている?って聞いたら「えっ」って。またかもしれない。皮膚ガンならこれで3回目だ。とりあえず主治医に メールして来週通院の時に皮膚科も受診する事にした。落ち込むなあ。
2つ目のgacco講座「男と女の文化史」、ボリュームはある(久々の1weekの講義2時間コース)し不得意な古文の分野だし 確認クイズの解答権は1回だし、難しい。とっても時間がかかるしよく理解できないからついイライラしてしまう。 だけど【源氏物語】の端っこだけは解かった様な気がしている。

5月23日 入浴車
午前10時過ぎからは入浴車、今日の看護師はY君とKさん、Y君が入浴している時に保育園の運動会の話をしてくれた。 今の保育園の運動会は体育館であるという、それに観客がいっぱいとも。僕も体育館での運動会を一度だけ見物した事が ある。下の息子が保育園の時だったかな、ビデオがあったっけ。もう10年以上も前の話だ。うちの裏に保育園があった 時は9月になると園児たちが運動会の練習する声が聞こえて過程た。楽しかったなあ。しかし今は…もう聞こえない、 2つの保育園が合併し統合して裏の保育園が無人になったから。寂しいな。

5月22日 リハビリ(上半身& 5歩の歩行訓練)
今日までは暇だけど明日の午後3時からはgaccoの二つ目の講座の配信が始まるから忙しくなる。
今日のケアの担当は所長、珍しいかもね。ヘルパーさんが玄関を開けた際に名前を口にしたら僕の形で所長は 分かったみたい。やっぱり表情筋の訓練は有効だ。さて車椅子移乗の時間、所長の場合車椅子に座っで後ろにさがる時に 脚先を高く持ち上げるからお尻が少し前の方にずれていきやすい。今は厚めの座布団を使っているから尚更だ。今日も その状態だった。その上痰を吸引してもらった時に更に前にずれ落ちていったからH先生はリハビリしづらい姿勢だった かもしれない。そして歩行訓練、車椅子に座っていた姿勢が良くなかったから立ち上がらせてもらった時に苦労したけど 立って腰と膝を伸ばしてからは脚によく力が入った。ただ…後ろ足親指で身体を押す動きと前脚を(膝)伸ばしながら 重心を移す動きとのタイミングを忘れたみたい。膝が抜けそうな不安があった。考え過ぎ・不安がり過ぎ なのだろうが。

5月21日 雛 死す?、不吉
今日の昼過ぎ従妹(同級生)のK子と幼馴染のI子が遊びに来てくれた。二人で来てくれたのはこれで二度目、今回もとても 嬉しかった。今日はパソコンが上手く操作出来なくて入力に時間がかかり僕からは全然会話出来なかったけど… ありがとうね。それにしてもI子さん おかあさんそっくりになったなあ。
昨日ツバメの雛が2羽巣から落ちて?死んだそうだ(親ツバメが雛が死んだから巣から落としたかもしれないが)。そして 今日は雛の鳴き声も聞こえないらしいし親ツバメもいないらしい。嫁さんによるとスズメがいたずらしてこうなる事も あるらしい。ツバメの巣は家の守り神みたいなものらしいからこの家に良くない事が起こる前兆かも。しかし僕が この家でツバメの成長を見るようになってこんな事初めて。可哀想なことしたな。もうツバメはずっと来ないかも しれないな。

5月20日 gacco講座「男と女の文化史」受講登録
1週間の間に2つのgacco講座を受講するとなると忙しくなるのは分かってはいるのだが…23日午後3時配信開始のgacco 講座「男と女の文化史」を受講登録してしまった。この講座は国語に属する僕の苦手な分野、苦労するかもね。それに 2週は『いざ! 資産形成』と重なる。まあ『いざ! 資産形成』が one-week 3日で終わるとの計算だけど、甘いかな。 出来るかどうか、総ては「男と女の文化史」のボリュームと内容の難安次第だけどね。

5月19日 Iちゃん 爪切り ありがと
朝のケア 強の担当はF看護師さんとヘルパーのIちゃん、Iちゃんが朝のケアが終わった後「昼から爪切りますね」って。 そこで昼の経管栄養中に娘に手の爪と指先の間にあるもやもやとした薄皮をむしり取ってもらった、Iちゃんに少しでも 短めに切ってもらえるようにと。僕は自分で自分の爪先が見えないからよく分からないけど爪先が何となくすっきり している様な気がしている。Iちゃん、いつもありがとうね。

5月18日 カニューレ交換、妻不在
今日は一日雨模様、時々屋根に当たる雨音が聞こえてくるから激しくなることもあるみたい。嫁さんが実家の用事で 午前中に出かけたから昼の経管栄養は午前中のケアの後訪問看護師さんが入れてくれた。T先生の往診も看護師さんが 対応してくれた。F看護師さんはカニューレ交換の対応は初めてみたい。でもきちんと対応してくれた。そして 車椅子移乗、(午後)3時に来るって言ったのに少し遅れてきた。車椅子移乗する前も座った後もアンビューバッグで肺を 広げ痰を十分に?取ってもらったのに1時間もたなかった。ぎりぎり間に合ったって感じかな。まあ良かった。
実家の事は嫁さんから説明してもらったけどよく理解出来なかった。しかし…次は僕の番にしたいな、Tもいないし。 まあ苦痛さえ伴わなければだけど。都合良過ぎるか。

5月17日 H看護師さん、久し振り
今日は木曜日、訪問看護ステーションNの担当の日。9時45分玄関の引き戸が開き「おはようございます」の声が。今日の 担当はHさんか、独特のイントネーションと声の高さでそれと分かる。Hさん、久しぶり。最初に文字盤で「背中と 太ももに薬」と頼んだ。木曜は便の日、浣腸・摘便の仕方も看護師さんでそれぞれだ。今日はHさんが来る前にもよおして いたけれど量が少なかった。それでか午後3時からの車椅子移乗の前にガスと一緒に少し水性便が出た。車椅子に 座ったらまた出そうだったので着替えは後にしてもらった、結局出なかったけど。主任、いつも迷惑をかけてすみません。 木曜日はなかなか上手くいかないなあ。

5月16日 M君のリハビリ
午前10時過ぎから入浴車の時間、今日のスタッフの看護師さんの組合せはFさんとY君、珍しい。大分暑くなってきたから お湯は冷えなくなったし掛け物も少なくなった。掛け物をどう少なくしていくかは僕にとってこの時期の最大の 問題なのだが今年も直面しそう。今年はもう背中(肩甲骨から肩にかけて)も腰もお尻も太ももの上部辺りも痒い。 そこら辺りをゴシゴシ洗ってもらって薬を塗ってもらったのたが…痒みはすぐにぶり返してきた。暑いのも嫌〜だ。
午後3時半 リハビリの時間、M君の下半身の関節の可動域訓練は厳しかった。昨日のH先生もそうだが僕の顔を注意深く 観察しながらギリギリの一歩手前まで攻めてくれる。僕はこのくらい攻めないと僕らの病気のような関節可動域は次第に 狭くなっていくと個人的に思っているのだけれど、病院ではリスクばかり恐れなかなか挑戦しようとしない。まあ 訪問リハビリの先生が関節をある程度まで攻めてくれるのは僕の骨がどのくらい丈夫かを解かっているからだろうが。 立位訓練はM君はM君は上手くやってくれたのだが僕の身体がタイミング諸々を忘れていて1-2回目はちょっとまごついた 雰囲気もあったけど…背中伸ばしもやったし2週間ぶりの割には概ね良好だったと思う。

5月15日 立位・歩行、退院後1週間は調子良い?
退院した後1週間ぐらいは脚によく力が入る。今日のH先生による歩行訓練の時もそうだった。2歩目 右脚を出して もらって重心を移そうとした時左太ももが少し邪魔な様な気がした。それで右脚にぐっと力を入れて踏み込んで重心を 移した。その行為をH先生も感じていたらしくベッドに横になった後「今日はよく力が入っていて良かったですよ、特に 1・2歩目」と褒められた。自分自身でも今日の歩行訓練はとっても満足。
最近僕の歩行が変わってきた気がしている。少し前までは後ろ足の親指で身体を押して前の足に重心を移していたのに 最近は身体を押す感覚が小さくなってきた、何故なのかは分からないが。とはいっても夜になってすね骨の前方と 太ももの筋肉がいただるくなった。という事は今日の歩行でここ辺りの筋肉を使ったって事。ちょっと安心。まあすねの 前にはもう筋肉はない様に見えるけどね。

5月14日 M君車椅子移乗
午後3時からの車椅子移乗、看護師さんたちが3時丁度に来たからびっくり。なんせいつもの月曜日看護師さんが来るのは ほとんど3時半頃だから。この日は眠たくてパソコンをやる気がせず15分前に消して嫁さんに片づけてもらっていて 良かった。今日は忙しい様で車椅子からベッドに戻る時は看護師さんは1人しか来られないって。代わりにリハビリの M君が来てくれるらしい。
午後4時半前I看護師がベッドメイクしてくれている間にM君が到着、そして車椅子からベッドへ移乗。最初はM君が 一人で立ち上がらせようとしていたけどM君が立ち上がらせようとした瞬間Iさんが僕のお尻を思いっきり持ち上げて しまった。今回はM君の力量の上がり具合が確認出来なかった、なんかいい感じだったんだけどなあ。

5月13日 gacco講座『いざ! 資産形成』受講開始
今更なのだけれどgacco講座「『いざ! 資産形成』 〜 余裕を持って、余裕を増やす 〜」を受講する事にした。 今更株式投資の事を知ってもどうにかなるのかと思うのだが少しでも株式投資を学ぶ事は悪い事ではないと思い…。 この講座は4月20日配信開始なのだけど受講手続きを受講開始日となり思っていたより余裕十分だという事が分かった。 だけど次の7月初めのレスパイト入院までもう1講座受講し出来れば終わらせたい(最低Week4の確認テスト送信までは)。 けれど問題が残っている。この講座『いざ! 資産形成』Week3・4が次に受講を予定している講座のWeek1・2と 重なりそうな事。その期間さえ乗り切れば何とかなりそうなのだが。

5月12日 車椅子移乗、一刻不安?
今日の車椅子移乗、久し振りの訪問看護師さんとヘルパーさんとの車椅子移乗、最初の一刻はちょっと不安を 感じたけど移った後は「無事移れた」って感じ。ただ昨日家に帰ってから車椅子からベッドに移った時も感じたけど 今日も右足重心におちいり不安定になってちょっとの間少し危なそうって感じた。でも車椅子からベッドに戻る際は 両足重心ですっかり安定、何の不安も残らなかった。けれど口からよだれがこぼれI看護師さんの服の右肩を汚して しまった、Iさん 申し訳ない。だが車椅子移乗はもう大丈夫…そう。

4月27日〜5月11日 レスパイト入院
・検査−胸のレントゲン・心電図・血液検査・検尿・動脈血液検査
 血糖値の問題はあるけど前回同様問題はなかったみたい。今回は動脈血液検査もしてもらった。結果は異状なし、 呼吸器の設定を変える必要はないって。やっぱりね。たまにきつくなるだけだもの。
・看護師さん
 入院してすぐに看護師さんに人事異動を聞いたらK看護副師長が移ったと。やっぱり。神経難病病棟に来てからもう 3年になるから移動の時期になるもんな。その他に見当たらない看護師さんが3人・見知らぬ看護師さんが数人、去年末の 前回の入院の時に2人は辞めるって聞いていたけど今回の入院中H看護師を見なかった。そして今回の入院で名前を覚えた 看護師は1人だけ、今回は情けないなあ。
 入院中看護師さんたちが毎日1時間車椅子に座らせてくれた。おかげで体幹も肺機能も現状を維持、快調だった。ただ ベッドが代わったせいか時々息苦しくなった。そんな時は看護師さんに来てもらいアンビューバッグで押してもらい肺を 広げ痰を出す、これで楽になった。でも今までは2-3日もすれば病院のベッドにも慣れていたのに今回は10日経っても 慣れなかった。なんで?。退院する2-3日前ベッドの違いに気が付いた。マットレスが青、いつもね黄色より硬い(僕には まだ少し柔らかそうだけど)。それにシーツの下にマットがない。しかしそれでこうも変わるのかなあ。
 今回の入院ではほぼ毎日歯磨きも髭剃りもしてもらったし…看護師さんたちには本当に感謝感謝だ。 ありがとうございます。
・リハビリ
 今回からリハビリの先生がN先生に代わった。初めての先生にありがちの事だが関節可動域訓練の力加減が慎重 そのもの。慎重というより間接に違和感を覚えたらそれ以上無理やり曲げようとはしないとのN先生自身の方針かも、 僕には物足りなかったが。立位訓練は3回してもらった。上手かった。
いつもの事ながら頭と顔が痒くなったけど病院は家と違ってケアの時間が違うからこれは仕方のない事だろう。
今回の入院は概ね満足なものだった。


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4月
4月26日 我が家の猫たち
嫁さんがキャットタワーを僕の部屋に持ってきてから嫁さんがチビの餌を僕の部屋であげる様になってからモモもチビも よく遊びに来る様になった。モモのお気に入りの場所はキャットタワーのてっぺん、家に帰ってくるとよくそこで 寝ている。ただ僕は顔を動かせないからモモの様子は横目でちらっとしか見る事は出来ないけど。チビは夜になるとほぼ 毎日僕のベッドに上がってきて僕の脚の間で眠っている。モモとチビが僕の部屋に一緒にいてくれるだけで 幸せかな。
明日からしばらく入院、その間チビがどこで眠るか。まあいらぬ心配だろうが。

4月25日 入浴車
午前10時過ぎから入浴車、今日のスタッフは看護師:Y君・Aさんにヘルパー:Fさん・Kさん、お湯に浸かっている時にY君が 家族で行った動物園の話をしてくれた。この動物園は狭いらしいけどホワイトタイガーがいる事で有名らしい。ゾウは いないけどライオンはちゃんといるとの事。それに孔雀がお嬢さんのすぐ傍で尾っぽの羽を満開に開いたらしい。 スタッフによる動物園についての諸々の井戸端会議…面白かった。Y君が帰り際にスマートフォンのホワイトタイガーと 孔雀の写真を見せてくれた。とっても綺麗だった。ありがとうね。
午後3時半 M君の下半身のリハビリの時間、今日の脚の可動域訓練も結構厳しくて…でも30以内だったから十分 耐えられた。立位訓練はたぶん好調、ベッドの高さも膝の角度が90°近いものでも踵もついてほぼ完ぺきに立てた。 1-2回目は1・2・3の2のタイミングで膝に力を入れてたちあがらせてもらったけど、3回目は1と2の間で膝に力を入れたため M君は違和感を覚え失敗したと思ったらしい。失敗じゃないよ、僕は楽に立たせてもらったよ。自分の力がどう入るか 実験しただけだよ。

4月24日 火曜日は慌ただしい
火曜日はケアが9時半から始まるのでとても慌ただしい。訪問看護師さんが洗顔をしているうちにヘルパーさんが来る。 そして脚をマッサージしてくれる。足首が伸びたまま変形してるのでアキレス腱を伸ばす方向に程よく曲げてもらえると すごく気持ちいい。その後すぐに二人に車椅子に移してもらう、10時半には車椅子に座っている。キャットタワーの てっぺんで眠っていたチビと一緒の写真を撮ってもらおうと嫁さんを呼んだところにリハビリのH先生が到着、残念。
今日は車椅子に座った時のお尻の位置が少し浅かったので脚に力が入り辛かった。でもH先生が上手く立たせてくれた。 歩行の時も重心のかかる脚に左右とも上手く力が入ってある程度上手く歩けたと思う。だけど達成感をあまり感じない。 何故だろう。
リハビリの後はすぐに昼の経管栄養、そして午後2時から訪問歯科。本当に慌ただしい。その代わり3時からはパソコン 三昧。どちらがいいのか。

4月23日 胸のホットパック
午前中のケア、今日の清拭の時も胸に温く温くのタオルを置いた。効果はてきめん、今日も胸が冷える事も身体が寒いと 感じる事もなかった。ただ午後2時前になると少しずつ身体が冷えてきた様な感じ、鼻づまりしてきた。なんで?。でも 午後3時半過ぎから1時間車椅子に座っていてもくしゃみも鼻水も出なかった。ひどくはならなかった様だ。清拭の時の 胸のホットパック、たぶん効果がありそう。

4月22日 終わった
gaccp講座「嘉納治五郎とオリンピック・ムーブメント」、昨日Week4のWordによるまとめも終わり夕方から最終レポート 作成開始、今朝のパソコンでレポート824文字を作り上げて送信し相互採点5名[大変だった、多過ぎる]を終えこの講座も 終えた。レスパイト入院する前に出来て良かった。これで何の心残りもなく入院出来る。ひと安心だな。

4月21日 車椅子移乗、今日も所長
今日の車椅子移乗、担当看護師は所長。先週は他の看護師さんだったけどこれでこのひと月で3回目、もう何ヵ月も 土曜日は来ていなかったのにどうしたの 所長。午前中担当のI看護師がヘルパーさんに話してるのを聞いてて 分かったのだけれど…小児の訪問は所長が一人でやっていたらしいんだけど最近は自分たちも訪問に行くようになって 所長の土曜日の午後に時間ができたって。
午前中のケアの時ひとつの実験をした。この春更に肺が冷える様になった。清拭した後の昼過ぎよく鼻水やくしゃみが 出る、身体が肺から?冷えたのだと思う。それで今日の清拭の時清拭タオルを3枚にしてもらって1枚を胸に置いて清拭の 間胸を温めてみた。すると肺も冷えなくなって下半身の清拭の時には少し汗ばんだかもと思うくらいに。これはいい。 続けてみよう。

4月19日 チビ、いとしい動き
昨日チビは一日僕のベッドに上がってこなかった。今日のチビは夜になるといつもの様にベッドに上がってきて僕の脚の 間に眠ってしまった。でもしばらくするとモモがキャットタワーにいないのを確認したのかキャットタワーのてっぺんに 移動して眠ってしまった。今日はこのままかと思っていたらまたしばらくしたら何を思ったのか僕の脚の間にチビが 戻ってきた。そして脚が熱くなったなと思い始めた頃チビは再びキャットタワーへ。その上脚が冷えてきた時チビは もう一度戻ってきた。更に脚が熱くなった時チビが三度キャットタワーへ。そこで就寝。
チビ、かわいいやつ。

4月18日 下半身リハビリ
午前中の入浴車の看護師はFさんとYさん、お湯に浸かっている時にFさんにテレビ番組の「シグナル」を見てる?と聞かれ ついうなずいてしまった。というのは僕が「シグナル」を見てるのはインターネット、数日遅れで見ているのだ。話しを 合わせる形になって申し訳ない。
午後3時半 M君のリハビリの時間、今日のM君の可動域訓練は一段と厳しかった。なんかむきになっている様な感じに 思えたが僕の気のせいだろう。今日の立位訓練、踵がついた・M君が踵をつかせてくれた。大きな進歩だ。ベッドの高さも 結構低かったのだが…。来週はもう少し低くしてみるか。

4月17日 上半身リハビリ
H先生のリハビリの前僕の気分は先週程落ち込んではいなかった。先週から何かあった訳ではないのだが…時間が 解決してくれるのかな、不思議なものだ。しかし歩行の調子は先週と変わらず?、少し右脚の踏ん張り具合が良くなった 程度、でもその代り右腰が少し痛んだ。調子が良い・上手くいくってなんだろう。最近はいやここ半年はよく分からなく なった。

4月15日 gacco追いついた と思う
gacco講座「嘉納治五郎とオリンピック・ムーブメント」Week3、今日開始し理解度確認クイズまで終えた。これで20点× 3週=60点で修了証の点数を突破、後はWordでWeek3のまとめを残すのみ。今までの流れからするとまとめは2-3日で 終わると思う。これで追いついたはず。前回の講座「都市史研究の最前線―大阪を中心に―」はとても面白かったが確認 クイズは解答権は1回だけだしクイズも結構難しくて疲れた。今回の講座は講義も興味深くて面白いしクイズも e-learningらしくて解答権も2回、疲れた頭にはこの講座はラッキーみたい。問題は最終レポートになるのかな。

4月14日 Tの法事
午後嫁さんは僕の名でTの法事に出かけていった。Tが亡くなったと連絡があったのは先月の13日、三五日(7×5)の 法事だろうか。僕も誰かとTの思い出話しなどしたいものだが…僕には相手になってくれる人なんて誰もいないもんな。 Tが亡くなったという事は事実と感じてはいるのだけれどもうひとつ受け入れ切れていない僕、昨日もTの実家の側を 通った後には涙が出た。嫁さんは四九日(7×7)までは魂が現世にいると言っていたからもしそうなら僕の所へも遊びに 来てくれよ、夢の中でもいいからさ。

4月13日 通院日
病院への往復、リフト車の上の窓から山を見てた。所々に明るい黄緑の新緑が見えて鮮やかな色合いの山に変わっていて ここにも本番の春がうかがえた。ただ気になるところを発見、山のあちこちに竹林が広がっていた、更に。うちの竹林は どうなった?、もう筍を採る者もいなくなった。
病院に着いても明るくて外来で僕の事を一番よく知っているS看護師はもういなかった、前回の通院の時にSさんが 嫁さんに「3月末で辞める」って言ってたもんな。今日対応してくれたのは副看護師長さんといつものF看護師と黒い 制服の男性。システムの変更があった様で外来の対応に黒い制服の方が加わった様だが役割はなんだろう。ただ彼の 動きは機敏でチームとしても今日は機能していて主治医の来るのも早かったので午後1時半には(診察・カニューレ交換を 終え)帰りのリフト車に乗っていた。今日の通院は本当に早かったな。

4月11日 リハビリ
水曜日は午前中に入浴車・午後リハビリ、日曜を除けば昼間最もゆっくり出来る日だ。お風呂の後はいつもひと眠り、 それでも目が覚めてしばらく呼吸していると肺から身体が冷えてきて時にはくしゃみが出ることも、難しい身体だ。
午後3時半M君到着、今日のリハビリは下半身の関節の可動域訓練と立位訓練。M君の可動域リハビリは今日も結構 厳しい。まあそれが僕の望みだし泣くほどの事まではないから数字を数えながら耐えている。だけど50を越えたら やばいかな。立位訓練は息の方が心配になってきたけど立つ方はたぶん好調。ベッドの高さはまあまあ低くしているのに M君は僕の身体を引き上げてくれる。ただ立ってから膝を伸ばすと膝が震えるのが何でかなって。それと踵をつける事が 出来ないなって。

4月10日 まだ気力が湧いて来ない
この頃なんか無気力、H先生のリハビリ 歩行訓練の前は一層そう感じる。今までずっとH先生の5歩の歩行訓練の前には 懸命に気合いを高めてきたのだけれど…先週ぐらいからその気力もなくなってきたみたい。その割には歩行する時に膝に 上手く力が入って歩けてる。今まで歩行の調子は気合いの入り具合に左右されてきたのに不思議な事もあるもんだ。 車椅子移乗の時に看護師さんに立たせてもらう際にも上手く立てるかどうかという不安を今年になって少しばかり 抱える様になってきたし…どうなる事やら。

4月9日 移乗はM君
今日の移乗は車椅子に移る時は訪問看護師さん2人が移乗してくれたがベッドに戻る時は忙しいということで看護師さん 1人しか来れないと、代わりにリハビリのM君が移乗に来てくれる事に。実はリハビリのメンバーがコンマいくらだけど (0.1かな)訪問看護の人員として登録されているらしいのだ。
午後4時半過ぎ車椅子からベッドに戻る時間、ベッドの高さを結構低くしても僕を簡単に立ち上がらせてくれるように なったM君だが車椅子からはM君一人では腰が浮かなかった。ベッドと車椅子ではこんなにも違うのか。改めて 思い知らされた。

4月8日 gacco講座
何もやる気が起きない中で唯一続けてきたのがgacco講座。今年になって4講座目の「都市史研究の最前線―大阪を 中心に―」が今週終わる見込みがついてレスパイト入院するまで(4月27日)暇なのは気が滅入るので、新しい講座でも しようかと期日重視で捜して3月29日配信開始の「嘉納治五郎とオリンピック・ムーブメント」を受講する事にした。 10日遅れで日程的には厳しいが修了点は60点だから最終レポート(20点配点)を除けば何とか出来る かな。

4月5日 お腹にガスが…
午前中の担当は久しぶりにH看護師、相変わらず元気だった。昨夜寝る前に下剤(ラキソベロン)をいつもより1滴多く 入れたからか今日の便はスムーズに出た。ところが午後(3時半)の車椅子の時間座っているとお腹(腸)の中でボコン ボコンと何かが動いた。やばいかなと思ったらしばらくするとガスと一緒に少し便が…。午前中スムーズにまあまあ 出たのになんで…。それにどうせなら全部出てしまえばいいのに下っ腹になにか残った感じが…。それでベッドに戻った 時に主任に摘便を頼んだ。そしたら大きなガスが出た。最近よくガスが貯まるなあ。

4月3日 散歩にクレーム
嫁さんが留守の時にケアマネージャーが訪ねてきた。嫁さんに話があったらしい。いつもの様にケアプランに関する たわいもない話かと思ったらプラン以外にヘルパーさんに協力してもらった事が問題になってクレームが来たとの事。 先々週の土曜日に訪問看護師さんとヘルパーさんに散歩に連れていってもらった事が外出支援にあたるとの事で ケアマネージャーもご立腹だったらしい。僕は何で今更っていう感じ、過去にも春に何回か神社までの散歩に 同行してもらっているのに。不信感…。
それよりも僕が驚いたのはヘルパーさんも2時間いるのに僕が車椅子に座っている1時間は待機でお金がついていないって 事。もう10年以上来てもらっているのにずっと知らなかった。これはまずいだろう。
ケアマネージャーさん、あなたは僕を散歩させるというあなたにとってはイレギュラーな事を考えた事はあるの。

4月1日 書けない
精神的な事からなのか頭の中に文章がずっと浮かんでこなくなった、3週間経った今も。その上このひと月の間に オペレートナビのスキャン(文字操作入力)にタイミングを合わせる事が難しくなってしまった。スイッチを押すとひとつ 前のブロック・文字が反応してしまうのだ、PPSスイッチが特に。スイッチを押すタイミングをほんのわずか遅らせようと 自分なりに努力しているのだが誤入力が多くて文がなかなか出来上がらない。困った。


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3月
3月13日 友T 逝く
夕方嫁さんに連絡が入った。僕は真っ白、そして何に対してもやる気がなくなった。ただ寂しい…つらい…悲しい…。 TのFacebookに「長い間よくがんばった。 中学時代から今まで、ずっと遊んでくれたのはTだった。さみしいよ。」と 投稿するのが精いっぱい、僕には他になんにも出来ないから。TはB型肝炎患者で長い間ずっと病気と闘ってたいたのだ。 だから精一杯頑張って生きていたあいつに「なぜ死んだ」って文句は言えない。これもさみしい・・・。

1週間ぐらい前Tから届いた(結果的に最後の)メールには「俺の余命は、後1年と言われている」と記してあった。だから 暖かくなったら僕がTの所に遊びに行こうと一人で決めていた、この7-8年毎年1-2回顔を見せに来てくれていた お返しに。それなのにこんなに早く逝くなんて・・・。
Tのメールの最後は「俺は、良く生きたと思う。何事も運命だからな! (おまえも)生きるだけ生きろ、そして楽しめ!」 で締めくくられていた。今となっては遺言に思えてくる。僕にとってはかなり重くてしんどい内容だけど。Tのこの メールに対して言葉が見つけられなくてまともな返事を返さなかった事が今も悔やまれる。


3月11日 猫を叩くな
昼間モモがとっても珍しい事にベッドに上がってきて僕の足の先に眠ってしまった。左足に眠っているモモの体が 触れるから左足用のスイッチが時々誤作動を起こすけど僕は幸せを感じていた。ところが呼出コールを押すとお袋が来て パソコン操作の邪魔になるだろうとモモをどかそうとしたようだ。当然はモモは不快そうに唸り声をあげて抵抗した。 すると野蛮なお袋は驚いた事にモモを叩いたのだ。それもバンバンと音が聞こえるほどに。猫を叩くな!!猫が一番僕の 側にいてくれるのに…猫が僕の部屋に来なくなったらどうしてくれるんだ。

3月10日 Iちゃん 爪切りありがと
今日のケアの担当は午前も午後も訪問看護師のIさんとヘルパーのIちゃん、Iちゃんが午後の車椅子移乗に来るのは 久しぶりじゃないかな。今日もIちゃんは車椅子に座っている時に手と足の爪を切ってくれた。僕の爪特に手の爪は 指先と爪先の間にもやもやととした薄皮が詰まっている。その薄皮を間違ってでも切っちまったら血が出てなかなか 止まらない。だからほとんどの人が僕の手の爪はなかなか切りたがらない。自分から進んで爪を切ってくれるのは Iちゃんだけかも。

3月9日 所長 遅い
今日の午後からの車椅子移乗、思っていたより早く3時過ぎには訪問看護師さんたちは来た。だから当然3時半には 車椅子に座っていた。今日の車椅子は珍しくお尻が少しも前に滑らなかった。座布団がいつもより前の方に来ててお尻の 半分が車椅子の背もたれとの間に入り込み滑らなかったのだ。もっともこれではこの座布団の意味がないけど。
この車椅子でも1時間も経たない内に背中がだる痛くなった。4時半を過ぎても訪問看護師さんたちは着かなかった。 待つ事15分ようやく所長とFさんが到着、その間に僕はだんだんきつくなってきて嫁さんに背もたれを倒してもらった。 所長が言うには「自分が遅くなったから」だと。所長 勘弁してよ。

3月8日 gacco講座「法心理・司法臨床:法学と心理学の学融」配信日勘違い、しもた
夜メールを確認したら『「法心理・司法臨床:法学と心理学の学融」Week2 配信』の文字、ん どういう事。gaccoの マイページを見たら「法心理・司法臨床:法学と心理学の学融」配信開始日は3月1日、ああ 大きな勘違い、しまった。 まだWeek1も終わっていないというのに4-5日の遅れだ。困ったなあ。この講座の修了点は50点、理解度確認クイズが2週 連続満点ならば修了出来る。修了さえ決まったらもう一講座受講を増やしてもいいかなと思っていたのだが、面白そうな 奴があったから。来週の木曜までに追いついたらやれるかもね。

3月7日 今日のリハビリ、多分好調
今日の午前中のお風呂の時看護師さんが僕の部屋に入って来た際に「今日は寒い」と。暖房を点けて掛け物を4枚も かけている僕には今はもう感じきれない感覚になっているようだ。寒暖を感じる力がこんなに弱っているなんて… 困ったもんだ。
今日のM君のリハビリの立位訓練は3回とも上手く立てた。今までM君が身体を持ち上げてくれる「1・2・3」の3で膝や脚に 力を入れていたけれど今日は2で膝に力を入れてみた。そうしたら今日は上手く立てた。3じゃ遅かったんだ。今日は 絶まではいかないけれど多分好調。コツは掴んだ…かな。明日から立ち上がる時はいつもこのテンポでいこう。

3月6日 gacco講座「法心理・司法臨床:法学と心理学の学融」配信開始
今日のH先生のリハビリ、両腕ともよく挙がったと思うしH先生に車椅子から立ち上がらせてもらった時も立ち上がった 瞬間に膝に力が入り腰も安定して伸ばせた。歩行の時も膝に力が入って程よく上手く歩けたし今日のリハビリは 久しぶりに○だなあ。
今日からgacco講座の受講を約10日ぶりに再開。今回の講座名は「法心理・司法臨床:法学と心理学の学融」、 ちょっと硬そうなテーマだけどサスペンスばかり見ている僕にとってはちょうどいいかも。難しい言葉もたくさん 出てくるけど頑張ってみよう。Week1では『秘密の暴露』という言葉が出てきた、サスペンスでよく聞く言葉だ。今後も こんな言葉が出てくかも。こういう部分は少し楽しみ。

3月5日 車椅子 しんどい?
今日の午後3時過ぎからの車椅子移乗、訪問看護師さんが2人そろうのは忙しくて難しいということでFさんと訪問 リハビリのH先生が来てくれた。H先生の脚のリハビリ、久しぶり。M君とは少しやり方の感じが違うけど筋肉も腱もよく 伸びてさすがH先生、ただM君のリハビリの方がもう少し厳しいかな。車椅子移乗もスムーズ、楽に立たせてもらったし 楽にそしてきちんと車椅子に座らせてもらった。今日も上着は着ていない、それでも初めから少し息苦しさを 感じていた。
所長からの依頼でいつもより10分早く4時20分に車椅子からベッドに戻る予定だったのだけれど、Fさんは時間通り 着いたが所長は訪問先でトラブルがあった様で遅れた。この日はいつもより車椅子に座っているのがしんどかったから 早くベッドに戻りたかったのだが…。所長が来るまでにFさんに手を上に挙げてもらったり背もたれを倒してもらったり したけれどなかなか楽にはならない。25分遅れて所長が到着、しばらく所長の嘆きの愚痴?を聞いた後ベッドに戻して もらった。それにしても車椅子の座位の調整いつまで経っても難しいなあ。呼吸器の吸気圧を上げないともう 難しいかもね。

3月4日 今日は暑い?
今日は良い天気。部屋の窓から明るい光が差し込んできていたので外が見えなくても良い天気なのが分かった。それに 時間が経過するにつれて気温が上がってきていた様で午後からは息苦しく感じるようになってきた。これは体温が 上がっているという事、それで嫁さんを呼んで掛け物を調整してもらった。気温との関係で体温が少しぐらい上がっても 感知出来ないし分からない、これが僕の身体の実態だ。今掛け物が4枚、これから暖かくなるに従って掛け物を調整する 必要があるのだが上手く出来るか今年はちょっと不安。
天気が良かったので娘に「家の周りの写真を撮ってきて」と頼んだ。娘の撮ってきてくれた写真を見ると春が あちこちに、ネコヤナギ(本当に久しぶり)・菜の花・タンポポ・スミレら。もう春がすぐそこまで来てる、って感じた。 楽しみ〜ぃ。

3月2日 通院日
今日は通院日。朝5時からパソコンしてるので朝の経管栄養を入れる頃には眠たくてうとうと。病院へ向かうリフト車の 中でも同じ、瞼が重くて外の風景を見る気にもならない、折角の外出の機会だったのに残念だ。
病院に着きリフト車から下りる時に感じた事は陽射しが当たる部分は暖かいけど風は冷たい。救急処置室に入る。外来の 今日の担当看護師はFさんとOさん、O看護師はこの病院に新人としてきた時から知っている、久しぶりだ。今日も安心。 バイタルを測り終えしばらくすると主治医が来て診察とカニューレ交換、今日の診察も早く済んだし何事もなかった。 しかし呼吸器の吸気圧に関してはその内相談しなければならなくなるだろうな。
帰りのリフト車の中からは上の方の窓から空と山を見てた。久しぶりに見る山の形は新鮮に感じた。


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2月
2月28日 疲れてる?
今日は朝5時頃いつもの様にお袋に起こされてパソコンしようとしても目が開かなくてしばらくは百人一首を聞きながら 目をつぶっていた。今日のノルマはこの『日々の雑記帳』、だけど言葉が頭にちっとも浮かんでこなくてすぐに断念、 Yahoo GyaOで見逃しテレビドラマの視聴に切り替えそれに専念するしかなかった。
入浴車の間も眠かった。お湯に浸かるとしばし目が覚めたけどベッドに戻ったらお湯に浸かった疲れもあってかまた瞼が くっつき始めた。入浴車の間中ぼんやりしていた気がする。ただFさんが1人責任を感じ過ぎてて空回りしていた様な…。 お風呂の後小一時間ひと眠り、昼の経管栄養を落としながらパソコンをしようとしたがまたやるが起きずそして眠たい。 そのままぼーっとずるずると。
やがて3時半 リハビリの時間、M君のリハビリの間も僕はうとりうとり、M君の下半身のリハビリ(可動域訓練)は いつも通り厳しかったけど。でも立位訓練の時は身を引き締めたつもりだ。今日も1-2回目はもうひとつだったけど 3回目はちゃんと膝に力が入り上手くいったと思う。問題は立位訓練の後の息苦しさ、どうも自発呼吸が 弱くなったみたい。

2月26日 どうしたの チビ
チビはひと月ほど前まではほぼ毎日脚の間で眠っていたのに急に来なくった。それなのに今日嫁さんがチビをベッドの 上に投げ置いたからなのか夜になってチビが突然ベッドの上に上がってきて眠ってしまった。チビがいるととっても脚も 身体も暖かくなって僕はとっても嬉しいけど…チビ どうして急にまた僕の所に来てくれるようになったの。僕の ベッドの温もりをまた思い出したの。チビもとっても気まぐれだからこれからも来てくれるかは分からないけれど しばらく続くといいな。

2月25日 gacco講座「SOFIX科学有機農業入門講座 」修了
今日でgacco講座「SOFIX科学有機農業入門講座 」が終わった。新しい発見がいろいろあった。例えば日本の農産物は 農薬を使っているから価格が高いとか土壌中の炭素や窒素の量を上手く調整して堆肥すれば土の中の微生物が増え病気に 強くなるとか。僕はもし元気だったら循環型の農業をやりたかった。その時があったならばこの講義が大いに参考に なったかもしれないが…残念!。
次のgacco講座の受講を予約したが配信は3月6日、しばらくゆっくりしようかな。

2月24日 感激 女子カーリング 銅メダル
今回の冬季オリンピックは嫁さんがよくテレビのチャンネルをオリンピックに合わせてくれたから珍しくよく観戦した。 一番よく見たのはカーリング、男女合わせて10試合ぐらい見たかな。女子カーリングチームが銅メダル、感激だった。 前半戦はレーンに合っててコントロールよく決まっていたけどリーグ戦後半になってレーンの状態が読めなくなったのか コントロールが悪くなった。運よく5勝4敗で決勝トーナメントに進めたけれど準決勝で韓国に敗れ3位決定戦へ。 イギリスの最後の一投、誰もがイギリスのストーンがNo1になると考えただろう。ところがストーンの気まぐれ、 日本のストーンがNo1へ。これもカーリングの面白さかなと僕は思った。
フィギュアの羽生選手と女性スピードスケート陣は感動と安心を与えてくれたなあ。

2月22日 センター試験数学UB終了
今日の朝5時からのパソコンでセンター試験の数UBもようやく終わった。結局先週の日曜日と今週の月・火・水と今日の 朝 4日ちょっとかかった。各問題ひと目見た時は簡単に解けると思うのだけどいざ取り掛かってみるとすぐには解き方を 思い出さなかった。1年の間に大分脳が衰えたか。まあ数学に取り組むのは去年のセンター試験以来、すぐに思い出す 事が出来ないのも仕方ない事なのかも。
一番考えさせられた問題はやはり『確率・統計』、信頼区間の概要を思い出すのに一晩かかった。でもそれらしい答は 出てきた。さあ後は答え合わせ、僕はあんまり興味はないけどやらねばならぬか。それにしてもセンター試験の数学は 年々易しくなっている様に今年も感じた。これは数学の得意な受験生が不利だなあ、大きな差が出来ないから。

2月21日 猫がいるだけで頑張れる
午前中に入浴車、ひと寝入りしてパソコン、午後3時半過ぎからM君による下半身のリハビリ。M君のリハビリは いつもながら結構厳しい。まあこのくらい厳しく?脚は動かしてもらわないと僕の脚の可動域は保持出来ないだろうが。 立位訓練の時M君にベッドサイドに座らせてもらった際に僕の部屋の床の上にモモとチビ 我が家の猫二匹が見えた。 それだけでやる気が起きた。はたして結果は?。
1-2回目はもうひとつだったけど3回目にM君に立たせてもらった時は膝に力が入り上手く立てた、と思う。M君も軽く 感じたかもしれないな。

2月20日 どうしても車椅子から滑り気味
座布団を今のにしてからどうしてもお尻が前の方に滑り気味だ。脚をちょっと動かされてもお尻がずれるし厚手の上着を 着させてもらっていてもずれたりする。特に吸引なんかしたらいちころでお尻が前に滑っちまう。なかなか難しい状態に なる事もある車椅子座位だけどまだ様子を見ている。でももうすぐ上着も着なくてよくなるだろうし今は冷たくて直接 座れない座布団にも暖かくなったら車椅子の上に置けてちょくせつすわれる。そしたら改善するかもしれない。
H先生が来た11時には今日も少しお尻が前の方にずれ落ちて少し身体がしんどいと感じる状態に。H先生に上半身の リハビリをしてもらったら少し楽になった。

2月19日 下剤は難しい
前日の寝る前に下剤(ラキソベロン)を使った日の便意は突然来る。いつもの便意は大体10時頃襲ってくるのに今日は 9時半前にまさに突然きた、それもいつになく結構な量。嫁さんに急いで新聞紙をお尻の下に敷いてもらった。前回 下剤を使った時にはほとんどもよおさなくて浣腸しても出た量は少し、残便がある様で不満が残った。下剤の量は7滴と いつも一緒なのだが体調や気候でこれだけの違いが出る。まったく下剤ってものは便を出すだけならある程度たくさんの 量(15滴?)服用すればいいのだけれどちょうどいい具合に出そうとすると使い方が難しい。

2月17日 たぶん久しぶり
今日のケアの担当は午前中も午後3時からの車椅子移乗も看護師のIさんとヘルパーのTさん。Tさんの車椅子移乗はたぶん 久しぶり、前回Tさんが昼過ぎから来た日の事はもう覚えていない。Tさんの口癖は「私下手なんです」とか「私よく 覚えてないんです」、でもそう言いながらも上手くて何でもそつなくこなす。今日の車椅子移乗も本当に久々の介助だと 思うのだが何の問題もなかった。実は僕も少し気にはなっていたのだけれど…全く心配なかった。

2月16日 通院日
最近はしょっちゅう眠い、パソコンのし過ぎで疲れているのかな。リフト車の中では行きも帰りも寝てばかり、車窓の 風景でさえも見る気が起きてこなかった。病院に着きストレッチャーに移るとまず「今日は血液検査がある」と 言い渡された。血管がかなり細くなっていてその上浮腫(水膨れ)がひどくて血管が見えない、いつも看護師さんに 苦労をかけている。今日も左手の項から血を採取するのが大変そうだった。しばらくし主治医が来て診察と処置 (カニューレ交換)、そして血液検査の結果を見て僕に「良好です」と告げ嫁さんに結果の紙を渡した。僕は言葉の意味が 分からなかったから家に帰ってから嫁さんに聞くと「血糖のコントロールが上手くいる数値が出てるって事、毎朝インシュリンを打っているから」って。嬉しいやら寂しいやら。

2月14日 昔から縁のないバレンタインデー
2月14日を世の中はバレンタインデーと呼ぶ、僕には昔からほとんど縁のない呼び名だけど。15-6年?前小学生だった 娘からチョコをもらった。記念にパッケージを写真にとって何かに貼り付けて保存しておいたのだがやり方が 悪かったのか画像が消えていた。失敗した。今も悔いが残る。
社会人時代に何回か義理チョコはもらった。義理じゃないのはたぶん一度きり、40数年前高校1年の時手作りクッキーと 手作り栞が郵送されてきた。差出人は無し、おそらくって思える相手はいるけど。クッキー美味しかったしクッキーが 入っていた入れ物(箱)は僕の裁縫道具入れになって独身時代はずーっとお世話になった。女々しかったかな。
センター試験の数UBはこの3日間で大問4まで終わった。残すは統計の大門、出来るのは来週かな。
今日春一番が吹いたらしい。これから暖かくなってくれればいいな.

2月13日 H先生のリハビリ
1週間前は雪のためH先生のリハビリは中止、また一昨日と昨日は休日のため立位も車椅子もお休み、今日のH先生の リハビリ 立ち上がるまでかなり不安だった。
11時前にH先生登場、なんか久しぶりな感じ。まず右肩をほぐしてもらって肩・腕・手の可動訓練。腕を限界近くまで 上に挙げてもらった時の肩の痛み具合がいつもと違って鋭くない痛さだったのでどこまで耐えたらいいのかずい分 迷ってしまった。歩行訓練はまあまあ、車椅子から立ち上がらせてもらう際に右膝を伸ばすのにちょいと時間がかかり 立っている時に油断して気を抜いたら右膝が折れたけど。5歩の歩行はこんなに冷えているのに力もまあ上手く入ったと 思う。

2月12日 建国記念日振替休日
今日は振替休日で祝日、訪問看護は休み。ということでヘルパーさんが二人11時前に来てくれた。今日のケアは洗顔・ 清拭・便処理、もう慣れたものでテキパキと進めてくれた。ただ手順とやり方と力具合がいつもと違っていて何となく 不慣れで焦っている様に見えて少し違和感を覚えた。この違いはたぶんケアを主導する人の違いだろう。リードする人で 心地がこんなに違ってくるのかと思った。まあ何かを唱えるほどの違和感ではなかったからその内この二人のコンビの やり方にも慣れるだろう。二人ともすごく良い人なのだから。
今日は便がすっきり出た。アンビューバッグで長めに上手く押してもらうといきんだようになるのを初めて知った。 人工呼吸器を着けて以降便の際にいきむ事はもう出来ないと諦めていたがこれは使える。お腹に少しでも力が入れば 少しはすっきり出るようになるだろう。まあこのやり方の微妙なニュアンスを訪問看護師さんにどう伝えるかが 問題だが。

2月10日 研修会参加
今日はU先生(西九州大助教? 作業療法士)に声かけられた研修会にスタッフ側として参加した。研修会の正式名称は 「難病患者コミュニケーション支援指導養成研修会」、この研修会での僕と嫁さんの役割は参加者(大部分が作業 療法士)に文字盤を体験してもらう事、僕がその相手役って訳。2-4人のチームに分かれて5-6チーム、次々に現れては 文字盤を体験して去ってゆく。ほとんどが文字盤の初心者で相手をするのにかなり疲れたけど色々な人の相手をするのは 楽しかった。こんな研修会ならまたあってもいいなって…。
研修会への僕の集合時刻は午後1時前、そのため回りに苦労をかけた。1時に間に合うためには11時には家を出なくては ならない。それでケアの開始時間を30分早めてくれた。また帰宅した時間が午後6時半、遅くなっても訪問看護師さんが ベッドへの移乗も対応してくれた。会場への移動はいつもの介護タクシーを利用して同行は嫁さん一人、嫁さんも 大変だったと思う。ご苦労様でした。

2月9日 サボってしまった
gacco講座「総務省 ICTスキル総合習得プログラム(eラーニング編)」(1月16日配信開始)と「SOFIX科学有機農業入門 講座」(2月1日配信開始)が2週間ダブったのとセンター試験の数UBを早めに解かねばならないという想いが相まって、 ホームページの僕の雑記帳を優先順位から外して10日以上サボってしまった。「総務省 ICTスキル総合習得プログラム (eラーニング編)」を1週早く終わらす事が出来て「SOFIX科学有機農業入門講座」の方も今日追いつく見込みが 出てきたから雑記帳に戻ってきた。上手くすれば次の月曜から3日間数UBに取り組めるかもしれない。ちょっと安堵の 心境。


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1月
1月30日 腰が痛い
最近ベッドから立ち上がるコツみたいなものを思い出した。だから今日も好調な予感、車椅子に座っても膝にはまあ力が 入った。今日のH先生のリハビリの歩行訓練、H先生に車椅子から立ち上がらせてもらった時腰が痛んだ、真ん中も右も。 久々のぶり返し、しばらく痛まなかったのに再び…なんで。歩行の3歩目 右足重心になった時も右腰が少し痛んだけど 膝に力を込めたら踏ん張れた。歩行自体は悪くなかったと思う。ひと安心 かな。

1月28日 数学TAは終わった
センター試験の数学、今日ようやくTAが終わった。数TAで大いに迷ったのは自信があったはずの統計の基本的な手法、 ヒストグラム&箱ひげ図の組合せと散布図&箱ひげ図の組合せ。単独なら分かるのに組合せとなると迷うっていう新しい パターン、いくつかの選択肢の中から2つ選択するという問いで正しいの1つは確実に解かり違うのもいくつか解かるって いつものパターン。正しいと思う答えが無くて困った。
大問5は図形の問題、図形で解くか座標軸に図形を当てはめて解くか迷った。出来るだけ図形で解こうと努めたが最後の 問題で図形で解こうとしたがどうしても解けなくなって図形を座標軸に置いた。こんな事なら初めから座標軸を使えば 良かった、と思った。無理やり図形で考えようとしたからずい分時間を使ったが無駄遣いだったかも。
さて次は数UB、いつ初めていつ終わる事やら。

1月26日 通院日
今日は通院日、車椅子に座って外に出ると空気が冷たくて陽射しが当たっても寒々で…春はまだ先だなって感じた。 通院に利用しているリフト車は町の移動サービスの依頼を受けた社協の車、我が町にはこの移動サービスがあるから 通院に結構高い介護タクシーを使わなくて済むので助かっている。行く時にリフト車の中から見た空は白っぽくって 雲がどこにあるかもわからなかったのに帰りに見えた空は青空、雲どころか月まで拝めた。こうやって景色を愛でる 事が出来るのも通院の良い所だ。
病院に着きリフト車から下りて救急処置室に入り車椅子からストレッチャーへ移乗、今日の受け持ち看護師はSさんと Fさんの気慣れた二人、全てがスムーズに進んだ。バイタルを測っているうちに主治医が来ていてすぐに診察と カニューレ交換、それから帰る準備をして外に出た。病院に着いてまだ30分、いつもよりかなり早かった。家を 出たのが正午過ぎ、家に戻ったのは午後2時15分頃、今日は早かったなあ。

1月25日 車椅子の座布団、試したら息苦しかった
嫁さんが頼んでおいた車椅子用の2種類のお試し座布団、平たいのと山凹凹のやつで空気調整すると中央がへこんだり 厚みが変えられるもの、今日届いたので平たい方を満タンにしたまま使ってみた。車椅子に座って上着のジャンバーを 着るまではどうでもなかったのにジャンバーを着た途端息苦しくなった。それに我慢して座っていると段々背骨の上の 方が痛んできてベッドに戻った後も息苦しくて背骨がかなり傷んだ。
何故息苦しくなったり背骨が痛んだりしたのか。共通して考えられる事はひとつ、背中が相当丸くなっていた?。でも 今まではそんな事はなかったのにこの座布団に替えた途端どうして背中が曲がったりしたのか、不可解。車椅子の 背もたれから頭が飛び出していたから座布団が高過ぎた事は確かだけど…。

1月23日 今日は多分好調?
今日の午前中最後の行事はH先生のリハビリ、何故か今日は好調?って気がしていた。現に車椅子に座っている時には 膝に力が入ると思っていたが、H先生に車椅子から立ち上がらさせてもらう際の状態はいつも通り膝に力が入らなくて… 立ち上がってから膝に力を込めて伸ばすのがやっとだった。でも5歩の歩行訓練の方はしっかり踏ん張れたと思う。 久々に充実感。

1月21日 数学 解き始める
gacco講座「総務省 ICTスキル総合習得プログラム(eラーニング編)」Week1がひと段落着いたので火曜日の午後3時まで センター試験の数学TAをやる事にした。最初問題を見た時には解けると思っていたのだけれど実際解きはじめたら 考えが浮かんでこない時も…。この1年で衰えたって思ったけど数学に接するのは1年ぶりだからしょうがないかという 想いも。でも今年も集合の必要条件・十分条件で迷ってしまった。毎年そう、ベン図は描けるのにいつまで経っても 覚えきれない。何故、どうして…??。
今日は大問1が終わった。いつまでかかる事やら。

1月20日 モモ、窓際の位置を占領
久方の光のどけし春のごとき冬の日に 我が家の猫はわれの部屋で寝
昼間日当たりの良い窓際の棚の上はずっとチビの寝場所だったのだが三日前からモモが占領、チビが棚に近づいて きたら唸り声をあげて追い返す始末。寝る場所がなくなったチビは仕方なく僕の脚の間へ来て眠った。しかしすぐに 朝のケアの時間が来て…逃げた。折角僕の所に来てくれたのに……残念だなあ。
モモも最近は大分変ってきた、モモがあまり怒らなくなった。今日モモは車椅子移乗の時間になってもまだ棚の上から 動いていなかった様だ。そしてヘルパーさんがモモをなでなでしても怒らなかったらしい。年を取った?。
センター試験の数学(TA/UB)の問題 Wordに貼り付け終わった。これで火曜日の午後3時まではセンター試験の数学に 専念出来る。この3-4年の傾向は変わっていないみたい。ちらーっと見ただけだけどやってみないと分からないけれど 数UBの統計以外は一応答えは出せると思う。

1月18日 どうして?
今日のケア、訪問看護はNの出番。朝のケアはK看護師とヘルパーのIちゃん、けれど2人が着く前に便が出た。でもその 出方がいつもと違っていた。昨日寝る前に下剤を服用しているから朝の経管栄養を入れた後だからいつ出ても おかしくはないのだが…今日は前兆がほとんどなくドバっと出た、いつもならもうそろそろ出そうっていう予兆が ちゃんとあるのに。どうして?。そのためいつもと手順が変わって2人に迷惑をかけたみたい。申し訳ない。
午後の車椅子以上はO主任とヘルパーのNさん、昨日のM君の立位訓練の3回目が思いのほか上手く立てたので今日は どうかなと思っていたがベッドからの立ち上がりは2人に上手く立たせてもらった。でも車椅子からの立ち上がりは O主任が根気よく立たせようとしてくれたのに両膝が伸びなかった。けれど膝から崩れもせず耐えられた。ということは 膝が曲がったままでも膝に力が入っていたって事?。少し進歩…かな?。

1月17日 阪神大震災から23年
23年前の今日の朝僕は富良野にいた。思えばあれが最後のスキーだった。あの時はこんな未来が来るとは思っても いなかった。ただ去年よりスキーが下手になったと思っていた。後から考えればあの頃にはもう病気は 始まっていたのだろう。あれからもう23年か。いろいろな事があった。
午前10時過ぎから入浴車、今日のスタッフの看護師さんはFさんとAさん、Fさんは久しぶりのような気がする。今日の 浴槽の回りにいるスタッフの話題は朝見ているテレビの事、下の息子の合格発表の日の事(去年入浴中に嫁さんが障子を 開けて合格を知らせた時の様子)、そしてセンター試験の僕の解答状況(まだなんにもしてないのに)。これでセンター 試験の数学を解くのを止める訳にはいかなくなった。
午後3時半過ぎからはM君のリハビリ、脚の関節の可動域訓練と立位訓練。M君の脚の可動域訓練は今日も厳しかった、 僕の望んでいる事だけど。そして立位訓練、1回目と2回目はもうひとつだったけど3回目は膝に程よく力が入った。 今日の3回目に上手く立てた事でもしかしたら自信がもう一度湧いてくるかもしれない。

1月16日 gacco講座「総務省 ICTスキル総合習得プログラム(eラーニング編)」受講開始?
gacco講座「総務省 ICTスキル総合習得プログラム(eラーニング編)」を受講する事にした。今日が配信日。この講座は 受講してチエックしたら修了点が1週5講座×3点=15点もらえる。修了だけは楽に出来る事になる。ちゃんと字幕を Wordで編集してまとめはするつもりなのだが…でもこれでいいのだろうか。確認クイズ無しで楽に終了して何か身に 着くのか。それにこの講座により熱中するとその分センター試験 数学にかける時間を取られる事になりそう。どちらを 優先すべきかというと数学の方だと分かってはいるのだけれど…欲張ってしまう僕の悪い癖だ。両立は 無理なのだろうか。

1月16日 自信がないんだ?
今日はH先生の上半身のリハビリと歩行訓練、痛みの度合いは少しずつ改善しているのに不安が頭を持ち上げてくる。 自信がないのだろう、いつの間に自信を無くしたのだろう。今日立ち上がりはもうひとつ・立ちあがった際に右膝を 伸ばすのにももうひとつ時間はかかったけど、歩行は後ろ足親指で身体を前に押すイメージも頭にあったしこの冬の 時期としてはまあまあなのだろうと思う。それなのに何故…。やはり気持ちの問題かな。
肩関節の可動の方は好調…らしい。

1月14日 センター試験
昨日今日とセンター試験、あいにくの寒さで受験生も大変だろう。僕らの時にはまだセンター試験というものはなく 大学入試は3月だったのでこんなに早い時期に受験しなければない今の受験生の気持ちは察しようもないが…大変だと 思う。その上今年は去年より1週間近く早い。気の毒だ。ただ僕らの大学受験の時も寒かった、3月初めにもかかわらず 試験初日には広島に雪が積もった。
今年もセンター試験の国語・数学(TA/UB)・世界史Bの問題&回答のデータは一応パソコンに取り込んだ。今年は やる気がかなり失せているからやるかどうかは分からないが…。

1月13日 セレコックス追加服用
2年前の7月右股関節の痛み・坐骨神経痛の対処療法として処方してもらった薬セレコックス、今までは夜だけの 服用だったが右太もも上部の痛みがかなりきつくなってきたので今日から朝も服用する事にした。はたして改善が 見られるかどうか?。
今日のケアの担当博看護師のFさんとヘルパーは午前中Tさん・午後の車椅子移乗はIちゃん、一日気軽なコンビだ。 午前中のケアで手足の曲げ伸ばしをしてもらった時も右太ももの痛みはわずかに減った様だし午後の車椅子移乗の前に 脚を曲げ伸ばししてもらった際に右膝を持ち上げてもらった時も右太ももの痛みは小さく感じたと思う。2年前の7月程 即効性はない様だがこれからどのように効いていくか楽しみでもあり不安でもあり、かな。

1月12日 通院日
今日は通院日、天気は雪模様。こんなぼたん雪の中で通院なんて18年目になるけど恐らく初めて。所長に厚着を 支持されてそうしてたけど外に出ると超寒い。リフト車の中も結構寒い。外を見ると屋根はところどころ雪模様、 嫁さんはぐっすり居眠り、僕も時々居眠り。病院に着くと…ヘルパーさんが救急処置室のドアを4-5回ノックしても ドアはなかなか開かなかった。僕はリフト車から降りていたから寒ーい。
救急処置室に入るとバイタル測定、血圧160台-100台、いつもより血圧は30ぐらい高め。しばらくして主治医が来て 診察と処置(カニューレ交換)、右太ももの痛み取り(炎症鎮静)の薬の追加を先生に頼んでくれるよう嫁さんに昨日 言っておいたから増やしてくれたらしい。これで痛みが少しでも治まるといいな。

1月11日 寒い
寒い!。この冬最大の寒波が来ているとの事。昨晩から左右の手が冷たくて堪らなかった、布団はちゃんとかかって いたのに冷えて朝が目が覚めて以降(4時前?〜)眠れなかったほどだった。脚も冷えてる。この数日は太ももから冷えて 堪んない。嫁さんに使い捨てカイロを貼ってもらってはいるのだがそれでも寒い。もうチビが脚の間に来てくれるのが 待ち遠しくって待ち遠しくって嫁さんに何度も「チビは?」って聞いてしまう。チビが来るのはだいたい20時を 回ってから、寂しいけど仕方ない。チビが脚の間に眠ってくれると脚全体がホッカホカ、それだけで幸せな気分。
今日の朝のケアは訪問看護S NのK看護師とヘルパーのTさん、Tさんは雪の影響を考えたのか少し早目に着いてくれた。 それでいつもより入念に手足のマッサージをしてもらった。それから浣腸・摘便、肛門上部に残っていたガスを摘便で 出してもらえたので楽になった。昼からの車椅子移乗には主任とヘルパーのNさんが来てまずは手足の曲げ伸ばし、朝も そうだけど右膝を曲げたり右足を伸ばしきった際に右太ももの上部がかなり傷む。何か対処する必要がありそうだ。 ベッドから車椅子に移らせてもらう時は意識してしっかり踏ん張ったので上手くいったけれど車椅子からベッドに 戻る時には立ち上がりはしたけれど膝は伸ばせなかった。膝を曲げたままベッドの方に押し込まれベッドに座らせて もらった。
この先どうなるのかな。

1月10日 リハビリ(下半身・立位訓練)
ダメかな?、大分衰えている様だ。
今年初めての松尾君のリハビリ、こんな激しく感じるリハビリは久しぶり。それに膝を上げてもらった時のそして 曲げた膝を伸ばした際の太もも上部の痛みがきつくなっているのがかなり気になるが。まだ痛みは長引く事はないが そろそろ痛み止めを増やしてもらう時期かもしれないな。
立位訓練、装具の入り具合も満足いくものだったしベッドの高さも程よく上げた。それなのに立位訓練の二本目 立たせてもらう時に右膝がちょっと膝折れしそうになったし三本目の前にはすでに疲れていた。情けない。体力も膝の筋力もやはり衰えているようだ。戻るかなぁ。

1月9日 リハビリ(上半身・歩行訓練)
11時からH先生のリハビリ、このリハビリでの5歩の歩行訓練が立ち上がる事そして腰の痛み具合の試金石になると 思っていた。H先生に立ち上がらせてもらう時それに何歩目か右足に重心をかけた時に右膝が膝折れしそうになった。 H先生が上手くフォローしてくれたから膝折れまではしなくてすんだけど不安は大きくなった。腰は立っていた時も 歩いていた時もあまり痛まなくなった、そういえば装具を着ける際に看護師さんに上半身を持ち上げてもらう時も。 腰の方は少しずつ痛まなくなってきたようだ。
立ち上がらせてもらう時に右膝を伸ばすコツやタイミングを忘れてしまった。歩行訓練の時に歩幅が広くなって膝折れ するのが怖くてH先生に「今日は歩幅を狭めに」とお願いした。ところが歩幅がが狭いと後ろ足の親指で身体を前に 押せなくて体重移動が難しくなっている事を発見、来週は歩幅どうしようかな。この1週間で立つのがどうなるか、 コツをどのくらい思い出すかだな。

1月8日 成人の日
今日は休みらしいと気が付いたのは朝娘が仕事に行かなかったから。カレンダーはいつも見ていて8日の月曜日は祝日で 成人の日だと分かっていたのに朝は月曜だとして気付いていなかった。全くハッピーマンデーってのは日にちが 変わるから気にいらないし好きじゃない。
祝日の今日は訪問看護はお休み、今日のケアはヘルパーさんが来てくれた、それも3人も。10時半過ぎに嫁さんに浣腸と 摘便をしてもらい11時前からヘルパーさんたちに下洗い→清拭→洗顔・髭剃りをしてもやった。ヘルパーさんももう 慣れたもので上手くそして時間通りにまとめてくれた。ありがとうございます。
立ち上がってから車椅子に座る事が出来なかったので大いに不安(2日間車椅子に座ってない…)、その分Yahoo GyaOで 無料のドラマをいっぱい見れたけど。

1月7日 そして誰もいなくなった
今日下の息子が大学のある街へ帰っていった。嫁さんは「荷物が多いから」とか言って息子を送っていった。上の 息子は3日に「明日から講義ある」とかですでに帰った。久しぶりに家族がそろったものだからその反動も大きい。別に 息子たちがしょっちゅう僕の部屋に出入りしていた訳でもなく今とそう変わりはないのだが…家の中が急に静かに なった様なそういう気がする。呼べば来てくれるとの安心感の違いだと思う。結局寂しさは気持ちの問題 なのだ。
今年の正月は頼み事もしたし息子たちとも話した方だ。上の息子には「東西南北の山の写真」を下の息子には手足の 運動を頼んだ。たわいない話しも少しした。一番気楽に?話しに付き合ってくれるのは娘だろう、まあそのうち嫁に 行くだろうからいなくなる訳だけど。一番身近にいる嫁さんとは長い話しはほとんどしないなあ、面倒臭そうだから。 それでも一番話を聞いてくれるのも嫁さんだなあ。

1月6日 いつもの土曜日とおんなじ
昨日入浴車に入ったから今日の午前中のケアは洗顔と便処理だけのはずだった。けれど僕が洗髪を希望し嫁さんが 清拭を希望したからいつもの土曜日と同じケアになった。僕は清拭は後で身体が冷えてくるからあんまり好きでは ないのだけれど…。今日の朝のケアの担当はI看護師とヘルパーのTさん、こういうのはなんか久しぶりって感じで 嬉しかったし二日続けての洗髪はとっても気持ち良かった。ありがとうございます。
午後の車椅子移乗の担当はI看護師のヘルパーのIちゃん、いつものことながらIちゃんの顔を見た安心する。今日も Iちゃんは爪切りをしてくれた。いつもいつも助かるなあ。看護師さんに立たせてもらう時に今日は一時右膝が 伸びなかった。看護師さんと僕の左足に支えられた格好だ. こんな事じゃあこれか先が不安だなあ。

1月5日 異例の金曜日
正月明けということで特別に金曜日の午前中に入浴車を入れてもらった。1週間ぶりのお風呂、スタッフは看護師の W YさんとヘルパーのMさん・Kさん、何も考えずに気楽にお風呂に入れるスタッフだ。気持ち良かった。
午後2時からはかかりつけ医T先生の往診の時間、いつも通り診察とカニューレ交換をしてもらった。カニューレ交換の 時に気管切開部入口の肉芽を上手く気切孔の中に押し込んでくれたから外からはほとんど肉芽は見えなくなった。
午後3時からは車椅子移乗の時間、昨日立つ時に少しまごついたから不安は感じていたのだがその心配が本当になった。 訪問看護師さんにベッドから立ち上がらせてもらう時に一度目は途中で膝から力が抜けてベッドにまた座り込んで しまった。二度目はもう一人の看護師さんがフォローしてくれたから立ち上がる事が出来た。それに腰が右も左も 真ん中も痛かった。やはり3週間のブランク(12月16日〜1月3日)は大きかった。元に戻れるのかなあ。

1月4日 今年初の訪問サービス
年末年始を挟んでの4日ぶりの訪問看護・6日ぶりの車椅子移乗、こう日にちが開くといろいろな事についての不安が頭を もたげてくる。
今日の朝のケアの担当はH看護師、この日のケアは洗顔と便処理、木曜日のケアはしばらくぶりだったようでいくつか 不都合な事もあったし便も思っていた程でなかった。午後の車椅子移乗はO主任とヘルパーのNさん、車椅子移乗する 前は立てるかどうかとっても不安だったし実際ベッドから立ち上がって車椅子に座るために身体を回してもらう時に 右膝に力が入りにくくてバランスを少し崩しそうになった。やっぱり6日も立つのが開くとやばいな。続けていけば 元に戻るかな。

1月2日 年賀状 どじった
嫁さんに年賀状の裏面印刷を頼まれて1枚印刷したところで嫁さんが間違いに気が付いた。年が二〇一七年、ガーン!。 年賀状の裏面の上部の賀詞の図柄の大きさの修正に気を取られて年数を直すのを忘れたか。なんてこった。ショック。 でも僕の頭の中には横書きの二〇一七年の七を八に修正した記憶があるのたが…なんで。まさか保存し忘れたのか!?、 考えられない。たしかに嫁さんの選んだ裏面の図柄は12月28日に退院した後慌てて作った図柄だけど。
その上冗談だろうけどそして目は笑っていたけど嫁さんに「(私の分だけ)わざと(間違えたの)?」と言われてダブルの ショック、落ち込んだし心も傷つきかけた。僕の作った4種類の裏面の中から選んだのは嫁さんだしそんな事出来る筈が ないのだから。でも間違えた責任が僕にあるのは確かだ。年賀状を印刷する前にもう一度文面を確認すべきだったのに それを怠ったのだから、情けない。

1月1日 いつも通りの正月?
お正月、といっても僕はいつも通り4時前に一度目覚め5時過ぎにお袋にパソコンをセットしてもらってパソコン操作、 日々変わらぬ出来事。ちょっと違う風だったのは嫁さんの朝のひと言「おめでとう」しかも優しい目、それに上の 息子が部屋に来て「今年もよろしく」と外を見て「初日の出だ」と。いつもよりちょっぴり幸せか。
8時過ぎに嫁さんがテレビを点けて全国実業団駅伝を視聴。9時半頃両親と僕の家族が座敷でテーブルを囲んで正月の 挨拶を交わす、僕はひとり自分の部屋の中。いつもの正月の光景。だけど少し違う事が起きた、親父の声が聞こえて きたのだ。この家の中で親父の楽しそうな声が僕の耳に届くなんて何年ぶりか、聞こえてくるとしてもお袋に怒鳴られ 言い訳している惨めで小さな声だけだったのに。
夜の経管栄養の前に嫁さんに雑煮の汁を飲ませてもらった。いつも甘ったるい口の中に塩味ベースの違った風味が 広がった。塩水とは違う、美味。口の中がしばしの間さわやかになった。いいなあ この感じ。


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