2019年
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12月
12月27日〜1月10日 レスパイト入院
2週間のレスパイト入院、いつもの病室いつもの位置、ここの窓からは病院の北側の裏山と空が見えた。そこには紅葉が まだ残っていた。ハゼだろうか 綺麗な真っ赤や少し色あせた?薄い赤 そして黄色い葉っぱの集まりなどなかなか見事で 風景画にして欲しいくらいだった。ここの山の斜面の紅葉はひと月半ほど遅れているみたいで2週間十分に楽しめた。 病室の中に立って外を眺めると窓の汚れが目立って色合いがかすんで見えるのだが、ベッドの上からは山や空の景色が 結構はっきりと綺麗に見えた。今年の山の木々の緑は例年に比べて黄緑ぽいように見えたのだけど山の斜面に太陽の 光が当たると一層黄色ぽく見えて不思議だった。もう新緑の葉っぱが出始めて花粉症の季節が始まっているってことは ないよね?。
検査は血液検査と検尿と1日血糖値測定(7回)のみ、血糖値の状態が思っていたほど改善していなかったのだろう 入院中の朝のインシュリン中止の実験は取り止めになった。
10月以降人事異動はなかったようだけど今月末に看護師のT君が異動するとのこと、また5階病棟から顔見知りが一人 減る、寂しくなる。近年毎年のように5人以上異動している、ちょっと多すぎるのではないか。
今回の入院中にも毎日看護師さんに車椅子に座らせてもらい寝る前には手脚の運動をしてもらった、ありがたいことだ。 感謝している。リハビリは今週に入ってから、立位運動も2回してもらった。10日ぐらい立っていなかったから幾分 不安は合ったけど結構力強く立てたから安心した。やっぱり時には休養は必要なようだ。
講演会も昨日無事終った。参加者は60名ぐらい、まあ満足してもらえたと思う。合成音声ではやはり笑いは取れない、 それと僕の制作月ひと月に見合うのかは疑問かな なんて不謹慎なことを考えてしまった。

12月27日 不可解?
嫁さんはケアが入っている時は僕の部屋には入ってこない。ケアに来ている訪問の人に安心して任せているみたいだ。 訪問看護師さんがいる時はまだそれでもいいと思うが…ヘルパーさんだけの時にも同じやり方、それでいいのかと僕は 疑問に思うがそれほどヘルパーさんを信頼しているのだろうか。
それで今日入院する前に重度障害者訪問介護のヘルパーさんを信頼しているのか聞いてみたら答えはNo、それでも頻繁に 外出出来るのは任せているというよりも関心そのものがないんだ。

12月26日 眠い
朝からずっと眠い。朝のケアの時にも目を閉じていたのに眠気が抜けなかった。それだけ疲れているのだろう。でも それも今夜まで、明日からは腐るほど寝溜めできる。

12月25日 
午後3時半からはI君の今年最後のリハビリ、最初に比べると随分上手くなった。リハビリのやり方はリハビリの先生 一人一人で違う。最初に学んだ理論は同じはずなのに考え方や経験でリハビリのやり方が変わってくる、僕はそれは ありだと認めている。H先生とI君の最も大きな違いは可動範囲の限界を読む力と顔色が読めるかどうかだな。

12月24日 メリークリスマス か
訪問リハビリのH先生が僕の部屋に入ってきた時の今日の第一声は「こんにちは」と「メリークリスマス」、「メリー クリスマス」はもう我が家には縁のない言葉になった。子供たちがまだ小さかった頃は我が家でもクリスマスツリーを 飾ったものだったが…あのクリスマスツリーはどこにいったのだろう。
今日の歩行訓練は三歩目でちょっとふらつきかけたが腰にも脚にもまあ力が入って全体としてはまあまあの出来だった。 H先生にもお褒めの言葉をいただけた。

12月22日 年賀状印刷
今日の午前中娘が2時間時間を作ってくれると言うので最後のチャンスとばかりに年賀状印刷、これでまた嫁さんと もめずに済んだ。嫁さんはパソコンのこととなると顔を曇らせるので難しいのだ。昨夜も年賀状の宛名印刷を嫁さんに 手伝ってもらうのにひと苦労したばかり。パソコンが新しくなって筆ぐるめのソフトも新しくなり印刷の仕方も 分からずにやり方を模索しながらやっているのに、それに最近は右脚がすぐに疲れてきて操作しづらくて…。まあ 嫁さんにはこんな事は話しちゃいないから分からないか。
今日は久しぶりに全国高校駅伝を見れると楽しみにしていたのだけれど…楽しむ心の余裕は生まれてこなかった。

12月21日 不満がいっぱい
今日の午前中のケアの担当は所長とヘルパーのMさん。今日は所長の口がなかなか止まらなかった、所長もかなり不満が 貯まってるみたい。僕は朝から目が開かなくて…かなり身体も心も疲れているみたいだ、ほとんど熟睡出来て ないもんな。僕の不満ははっきりと形あるものではない、その代わりほぼ全方向。ちょっとした仕草や受け答えにも 腹が立ちそうになることもしばしば、表には出していないつもりだが。これもあと1週間、飽きるまで寝れる。

12月20日 入浴車
午前10時過ぎから今週2回目の入浴車、今日のスタッフも心許せる4人、いつものようにY君の「外は冷えてますよ」で 今日の入浴車もスタートした。やはり浴槽につかっていると気持ち良い。ただ12月になって足し湯が多くなったし浴槽の 中でも汗をかかなくなった。それだけ外は冷えているということか、世間とは隔離された生活をしている僕にはよく 分からないや。なにせ外とのつながりは訪問の人とテレビとネットとエアコンの効いたこの部屋の空気だけだもの。
午後2時からはT先生の往診、診察とカニューレ交換をしてもらった。T先生によると今週になってこの辺りでも急に インフルエンザが流行ってきて小学校では学級閉鎖も出ていると。インフルエンザに関しては病院が安全なのか自宅の 方が安全なのかは難しいところだが 来週からはともかく入院だ。ゆっくりは出来る、久方ぶりの年末・年始の病院は 寂しいかもしれないけどね。

12月18日 リハビリ
午後3時半からはI君の下半身のリハビリ。まずは脚の可動訓練、ここ数回I君の関節可動の力加減にもかなり満足する ようになってきた。あと物足りないのはひざと踵の関節の屈折ぐらいかな。立位訓練もう安定しているから 今日は 自分から腰を伸ばそうと思って思いっきり力を入れてみた。結果はもうひとつだったが腰にはまあまあ力が入った。 右の腰上には痛みがあるけど(筋肉の痛みだと思う)少し続けてみようかな。

12月17日 慌ただしい火曜日
今日のケアの担当もIさん、定刻9時半よりも少し早く玄関の開く音がしたのでちょっとびっくり。でも火曜日は 忙しいからこれが丁度いいのかも。洗顔が終って背中を拭いてもらっているところへもうヘルパーさんが来てお手伝い、 そして車椅子へ移乗。これで今日のケアは終了。短く感じるがこれ以上早い時間のケアは僕が無理だから仕方ない。
30分後今度は玄関からH先生の声がして 車椅子に座ったままで上半身のリハビリ開始。最近H先生があんまり激しくは 動かしていない風なのに関節の痛みに耐えられなくなってH先生の顔を見てしまう、痛みに弱くなったみたいだ。 歩行訓練も今日は両脚とも踏ん張ったつもりだったが…お褒めの言葉は残念ながらなかった(笑)。まあこんな ものだろう。
正午過ぎから経管栄養を落とし午後2時からすぐさま訪問歯科による歯磨きとここまでは慌ただしい時間、ここから ようやくゆっくり出来た。

12月16日 期待しちゃダメ
土曜日ケアに来た所長が話していた事が気になっていた、重度訪問介護の人が薬を間違えたと。薬の仕分けは家人か 看護師がするはずなのにそんなことがあるのか。今日車椅子移乗の時に所長が来たから聞いてみたら発作が起きた時に 入れる(服用する)薬を間違えたと。だいたいそんな時に薬を任せようとすること自体間違っていると僕は思う、いくら 責任者が何でもすると言ったとしても重度障害者訪問介護でも介護は介護 看護じゃないんだから。僕は決められたこと 以外は期待しないようにしている。期待しないこと、それが長年の間に身につけた落ち込まないコツだもの。
嫁さんはどうなんだろう。介護人がいる間嫁さんはほとんど顔を見せない、それほど信頼しているのか。まあ最近は 夜の経管栄養の時や寝る前の薬の時にも介護人に渡すこともあるけどね。そんなに信頼しているのなら改めて「介護は どう?」と聞く必要もないだろう。それに自分の目で見た方が早いと思うけど。

12月15日 疲れてる
今日の日中の介護 担当はTさん、午後3時半過ぎからベッド上で座らせてもらった。僕の脚の間にはモモ 1時間ぐらい 前にベッドに上がってきて寝ていたのだけれど ベッドがジャッキアップされても微動だにしなかった。たいしたものだ。 僕は今日も朝からずっとまぶたが重くて 座った時には眠ってやろうと決めていたのに…眠れなかった。眠たいのに 眠れない 普通の行為なのに腹が立つ、疲れているのだろう。

12月13日 通院日
今日は通院日。朝窓から明るい陽射しが差し込んできていて 昼間通院でリフト車に乗り込む時に空を見上げたら一面 青空、これまたいい気分になった。ただ病院に近づくにつれて薄雲が増えていき リフト車の中では前回の通院の時ほど 暖かさは感じなかったが、病院の玄関前の池では亀が気持ち良さそうに甲羅干しをしていた。
リフト車の車窓からは病院に向かう時はススキしか目に入らなかったが、帰る時は山の中にぽつりぽつりと赤い紅葉の 残り香(ハゼの木?)が見えた、今年の紅葉は本当に長くて鮮やかだ。あっ 診察を終えてリフト車に乗り込む時には 池にはもう亀の姿はなかった、それだけ陽射しが弱まったということなのだろう。
病院に着いた瞬間救急車のサイレンの音が聞こえてきて…それでもいつも通りに救急処置室に入っていつもの ストレッチャーに移乗してもらってバイタル測定。それからしばらくの間主治医を待つ、今日は久方ぶりに30分ぐらい 待った。そして診察と処置、その後嫁さんに講演の資料の入ったディスクを主治医に渡してもらって…これで講演の ことはほぼ終了 ひと安心出来た。それに主治医からは「今度の入院中はインシュリンを止めてみよう」かもと。 糖尿病の方は改善しているみたいだ。

12月11日 入浴車
今日も女性四人に囲まれて入浴車、昔は恥ずかしいという思いもあったが今はなんにも感じなくなった。慣れるって 恐ろしい。浴槽に入る時はあっちっちと感じていたお湯もすぐに足し湯が必要となる、そんな季節になった。僕を 囲んでの今日の井戸端会議の話題は年末に子どもがいつ帰省しそうかということ、社会人になって遠くに就職したら みんななかなか帰ってこないようだ。うちも1-2年後にはそうなるだろう。というより子どもたちとゆっくり 会えないのはもう今年からかもしれない、僕は年末・年始は入院なんだもの。

12月10日 あれぇ
今日は午前中に車椅子移乗、思っていた以上に早く車椅子に10時20分頃には座っていた。そして11時ピンポーンの音が してH先生が顔を見せた。それから車椅子に座ったまま右上半身の可動リハビリと呼吸リハビリをやってもらってから 歩行訓練、立つ前に車椅子の上で太ももに力を込めてちゃんと準備運動や心構えも済まして歩行に臨んだつもり だったのに、歩行の三歩目 重心が半分かかっていた左脚が膝折れしそうになった。H先生も支えてくださったし僕も 右脚を踏ん張ったから?腰が落ちることはなかったけど。でもなんで左脚?。

12月8日 読み上げ原稿録音
昨日娘に来てもらって読み上げ原稿を録音してもらったのだが…スライドを4枚削除したものでも32分と2分オーバー。 どうしようかと思ってメールで主治医に相談したら40分までならOKと。それならスライドを減らさなくてもいけるかもと 考えたら録音をやり直したいと思ったが また娘に頼む訳にもいかないし嫁さんに頼んだらもめそうで面倒くさいし、 パソコンの音をそのパソコン自体で録音する方法を検索してみたらWindows10にはボイスレコーダーというアプリが 常備されていた。
このボイスレコーダーを使って自分で録音しようとしてみたが…録音ボタンをクリックしてから原稿を読み上げ させるまであまりにも時間がかかりすぎた。それで重度訪問介護のヘルパーさんにSOS、しかしパソコンをあまり 知らないヘルパーさんに手順を教えるのに苦労した。でもまあこれでひと段落&ひと心地。

12月6日 膝折れ
今日の午後3時からの車椅子移乗 今日は所長とIさんが来てくれてベッドから車椅子に移してくれたのだが、車椅子に移る時も少しばかり不安を感じつつも立ったのだけれどベッドに戻る時には立てなかった。何故?。昨日も立てなかった というより木曜日の訪問看護S Nの時はほとんど膝が伸ばせなくていつもかろうじて立っているごときの姿勢をなんとか 保ててるって感じだ。そして今日はついに膝折れ、所長とIさんが力ずくで腰をベッドの上に乗せて事なきを得た。 僕には立つのがもう限界という気持ちはまだないんだけどな。

12月4日 今はお風呂が一番楽しい時間かも?
必要最低限の会話で過ごす日々、ひょっとしたら病院よりも会話は少ないかもしれない。そんな暮らしが楽しかろう はずがない。そんな中でよく話しかけてくれるのが唯一入浴車、今日はY君がお子さんの話をしてくれた。何気ない 話でも会話になると楽しいものだ。Fさんもよく話しかけてくれるし今はお風呂が一番楽しい時間かもしれない。
リハビリのI君 このホームページ見たのかな、今日は顔をしかめてもあまり力を抜かなかったけど。あとは微妙な 力加減、僕がもっと強くを欲しているのを見抜けていない。

12月3日 ちょっと気合いが…
今日の正午前のH先生の(上半身の)リハビリの時間 歩行訓練の前に久しぶりに脚に力を入れて心の準備をしてみた。 そうしたら歩行の時に珍しくちょっとだけ気合いが入り…脚にも力が入った。その違いをH先生も感じたようで 「最近では一番良かった」とOKサイン。最近の僕は楽しいことがほとんどなくて疲れきっているから気合いなんて 入ることはほとんどないけど…。気分の持ちようってことは分かっちゃあいるけど…楽しいことはちっともないんだから 仕方ない。

12月1日 日中のケア
久しぶりの日中の重度障害者訪問ケア、やはりその存在に窮屈さとしんどさを感じる。嫁さんは幾分余裕が出来た みたいで今日はコーラスで文化祭参加で その後打ち上げとか。嫁さんが家を留守にしている間は娘がいてくれて それは それで嬉しかったけど、嫁さんは重度障害者訪問介護が僕の我慢の上に成り立っているのを分かっているのかな。まあ その前にこれまで僕が20年以上嫁さんに我慢を強いていたんだから仕方ないか。


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11月
11月29日 通院日
今日は晴天の中の通院日、リフト車の中は時々顔に陽射しが当たってぽっかぽか 身体が温まって思わず目をつぶって しまいそうになる中で車窓からの風景を見ていた。まず目に入ってきたのは紅色の鶏頭の花、次がコスモスでその次が 黄色い菊?、11月も終ろうとしているのにこんな花が今も咲いているなんて 今年は秋が遅く来て暖かかったんだろう。 帰り道街路樹の赤い実を見た。南天の実、波佐見って町は街路樹に南天が多い。町の歴史と何か関係が あるのだろうか。
最近の僕は自分が次に逝くべき人間だと考えている。訪問も多数の人の出入りのいらついている時間が多い。自分がもう この世には不要な人間だと思っている。でも…今日陽に当たってちょっとイライラも緩んだかな。

11月28日 スライド原案 ようやく終わり?
今朝スライドの原案作り(スライド&読み上げ原稿)がようやく終わった、ほぼ1カ月もかかってしまった。今はもう二度と やりたくないって感じだ。この1カ月本当に大変だった。Facebookもあまり見ずにメールもほとんどしないで作ったのに この有様、入力が遅くなったのかなあ。身体も疲れているけどもうひと踏ん張り、読み上げ原稿のタイムを計って 30分以内に収めるために機械的にスライドを切り捨てるだけ。スライドを作り上げた時点で自分的には満足しているって 感じだからなあ。それと後は年賀状作りだなあ。

11月27日 楽してきたな
今日の午後からのリハビリはI君が昼から体調を崩したとかで 20分遅れでH先生が障子の間から顔を見せたので びっくり。H先生の下半身のリハビリって本当に久しぶり、どんなかなと思っていたら…思っていたより厳しくて… リハビリの間中顔をしかめている感じだった。H先生とI君の違いは 僕が痛いって顔した時にH先生はそこで止めるのに 対しI君は引くことかな、それと厳しさかなあ。I君のリハビリで楽をし過ぎたかなあ、この痛さは。H先生の厳しい リハビリのいい方の影響で左すねの外側面の変な張りはなくなったなあ。

11月26日 やる気?が ない
重度障害者訪問介護で夜間に介護が入るようになってからやる気 というよりも生きたい・生き続けたいという気持ちが どんどん薄れてきている。生き続けるために重度障害者訪問介護に来てもらうようにしたはずなのに 何故こんな風に 考えるようになったのか。未だに違和感を覚えているけれど、特に座敷に陣取っているというところに。
今日の昼前のH先生の上半身のリハビリの時にもちっとも気力が湧かなくて…立たせてもらっても腰に力を入れるのが 精一杯。気持ちで力の入り方が変わることは何度も経験しているけど 最近はこの傾向が強く出るなあ。

11月23日 泣き言
スライドの読み上げ原稿作り 今必死?でやっているけど進行状態がもうひとつ。だいたい僕の場合は一スライドあたりの 読み上げ原稿が長すぎるんだよな、それでいつも後悔しているんだけど。もう嫌になってきた。だいたい講演30分てのが 長すぎるんだよな。僕はスライドが作れてせいぜい15分分、読み上げで延びて20分がいいところなんだから実力以上は 疲れるなんて泣き言を言いたいけど嫁さんは反応が怖い。Cちゃんなら聞いて励ましてくれるかな。

11月20日 スライド作り再開 読み上げ原稿編
この二日間雑記帳やFacebookをしていたけど 今日からスライド作りを再開、読み上げ原稿を次の通院日までに 作りたいと思っている。自分で読めるのならアドリブでいけるから読み上げ原稿なんていらないけど、嫁さんか機械 (パソコン)に読んでもらうには 僕の思っている通りの読み上げるつもりの原稿を一言一句作らなければいけないから 本当に大変なんだ。あと9日でそこまでできるかな、ちょっと心配。

11月18日 あれっ 違う
僕のホームページのデータに昨日書いた雑記帳の新しいデータを追加しようと思って 雑記帳のページの入っている フォルダーを開いて雑記帳のページを開けて見たらMicrosoftEageで起動、僕はInternet Exploreでしかホームページの ソースの編集は出来ないのに 困った。などと考えているうちにふと思い出した、IEを起動させたらファイル(F)の中に 開く(Ctrl+O)があったことを。試してみたら雑記帳ファイルがIEで無事開け 編集してアップ出来た。ホームページの 更新のやり方が分かって良かった。

11月17日 雑記帳 さぼってしまった
この雑記帳 ひと月ばかり書くのをさぼってしまった。別にどうにもならない程忙しかったという訳でもない。この間 センター試験の数学とスライド作りに僕の目がいっていただけ、僕の中でこの雑記帳とFacebookの優先順位が下がって いたのだ。スライド作りも前半部分は終わったしここいらで雑記帳を復活させなければもう機会を失うかもしれないと 思った次第だ。年末 12月上旬までに終らせたいこととしてもうひとつ気になっているのが年賀状、こちらの方はもう 出さなくてもいいかなと思う程やる気がない。もう生きるって意欲が失せてるみたい。最近心も身体も疲れているし 僕が生きていても誰の何の役にも立っていないと思うし、次に逝くのは僕の番であって欲しいな。

11月15日 通院日
今日は二週間ぶりの通院日、病院へ向かう時も帰る時も眠くて眠くて リフト車の中ではずっと目をつむっていて外の 景色はほとんど見なかった。スライド作りや人間関係諸々でかなり疲れているみたいだ。夜の介護が入るように なってから熟睡したことはないような気がするもんな。
病院に着き救急処置室に入りバイタルを計り終えてしばらくすると主治医が来て診察と処置(カニューレ交換)。その時 嫁さんから講演のタイトルを伝え未完成のスライドを入れたCDを渡してもらったのだが、日程は…レスパイト入院の間を 予定していたようで 僕が年末・年始を挟んだレスパイトを希望していて12月中のレスパイト入院に肯かなかった ものだから1月に延びたようだ。嫁さんはレスパイト入院は強引煮進めると思っていたのだけれど…まあ嫁さんには 嫁さんなりの都合ってものがあるのだろう。僕は僕で元々の予定でスライド作りを進めていくことにしよう。

11月1日 通院日
今日は通院日、清々しいほどの青空だった。出かける時にモンシロチョウ それに小さな蝶を二羽見た。それほど今日の 日中は暖かかったということだろう。たしかにリフト車に乗り込む時は顔に陽射しが当たって少し汗ばむほど、 リフト車の中もポカポカと温かくて思わず眠ってしまいそうだった。それだけで今日がいい一日だったと 思えてきた。
リフト車の中からはいくつかの色鮮やかな秋桜やススキ、今年は秋桜の咲いている期間が長いみたい。帰りは診察が 早く終わったから少し遠回りをしてもらったら 波佐見の街中で赤い実をつけた街路樹が見えた。あれは何だろう。 天気が良いとそれだけで景色が変わって見えるから不思議だ。


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10月
10月28日 数年U数学B 解けない
今日でセンター試験の数年U数学Bを終ることにした。統計の問題でどうしても解らない問題が二つあった。前の答えを 使わないと次の答えが出せないというつらい種類の問題で 考えたらどうにかなるってものでもない、だから今日の 時点で諦めたって訳。この二つ以外は一応答えは出せたのだからもうそれで良しとしよう、ただ例年と同じで答えが 合っているかどうかは面倒くさいから確認もしないけど。僕は答えが出せればそれだけで満足なのだけど、今年は 解からなかった問題の解説を読み「条件付確率」は再確認しなければいけないな。

10月27日 Windows10に苦戦中
Windows10のパソコンが来て2週間、全然慣れてきている気がしない。まだ変換にすらついていけていない。IME変換が 2種類あるし変換後のキーの使い方がWindows7とは全然違う。例えばIMEキー 全角←→半角のとぐろは同じだけど10は IME(全角→半角)で確定するし半角カタカナが使える。ESCの反応も違うしTabはもう一つの変換キー、せっかちな僕は 変換中にESCやTabを押してよく「あちゃぁ またやった」と後悔しているもの。でも上手くTabを使えるようになれれば 入力が早く出来るようになるかもしれない。

10月25日 インフルエンザ予防接種
今日の往診でインフルエンザの予防接種を打った。ちょっと早い気もするが全国的にインフルエンザが流行り始めて いるらしいからこんなもんだろう。
インフルエンザにかかったらと考えたら 発熱に弱い僕は空恐ろしくなる、なんせ37℃を2-3分超えたらもうその時点で ぐったりだもんな。もう十数年?何十年?も39℃を超えたことがないからどうなるか分からないや。相当息苦しく なるんだろうな、恐ろしい。

10月18日 通院日
今日は通院日、行きは曇っていて景色は鮮やかでなくても見えたけど 帰りは雨が降っていて窓が雲って景色はほとんど 見えなかった。残念!。花が本当に少なくなった、コスモス以外の花は何があったのか、赤いのやら黄色いのがいくらか あったけど…。街路樹の銀杏もいくつかは黄色く色付いていた。でも同じような陽当りなのに色あいに差があるのは 何故?、そんな事を考えながら窓の外を見ていた。田んぼの稲もほとんど刈り取られひとつの季節が終わったと感じた、 まだ山は紅葉もしていなのに…なんで。
今日診察が終った後に主治医から講演の依頼があった、どこで誰を相手に講演するのか・その主旨も聞こえなかったが 一応引き受けた形になった。嫁さんは「これでやることができたね」と皮肉?を言ったが 今の僕にそんな精神的な 余裕があろうはずもなく…分かってないな。

10月16日 入浴車
10時過ぎから入浴車、この頃かなり冷えるようになってきて(今朝の外の気温は15℃だって)最初お湯につかった時は 熱っちっちって感じなんだけどすぐに足し湯が必要になってしまう、もうこんな時期になったのかと改めて感じていた。 やっぱり入浴車でのお風呂は格別だ、いたせりつくせりで気持ち良い。
今日のスタッフの中にNさんがいて皿山まつりの皿踊りに出ると猛烈にアピール、ここまで言われたら見ない訳にも いくまい。

10月15日 痛みに弱くなったかな?
この頃車椅子移乗前の脚の関節可動運動の時や寝る前のマッサージの時・リハビリの時に以前より早く痛みを感じる様に なったみたい、なかなか痛みを我慢出来なくなった。今日のH先生のリハビリの時もそう、H先生が腕を動かし始めると すぐに顔をしかめた。もっと我慢強かったはずなのに。なんでこんな風に弱っちいになったのかなあ、まさか年のせい。

10月14日 体育の日
今日は体育の日 訪問看護はお休み、嫁さんと社協の二人のヘルパーさんがケアを担当してくれた、ありがたい。二人の ヘルパーさんももう慣れたもので呼吸器を着けた僕のケア(今日は洗顔・清拭・下洗い)をスイスイとやってくれた。実は 僕は嫁さんに「何時に浣腸する?」と聞かれるまで今日が旗日だということをすっかり忘れていた。10日の日には「昔は 今日が体育の日だったなあ」と思い出していたのに、これだからハッピーマンデーは困る。聞いたところによると 来年から体育の日はスポーツの日に名称が変わるらしい。日付にも意味がないし名称も変わる。それならいっそのこと 来年の東京オリンピック開幕の日をスポーツの日にして体育の日は祝日から外したらいいのに。
今日は祝日だったから日中の介護はお休み、作業がはかどった。今日で2019年のセンター試験数学T・数学Aは一応終了。 一応というのは答え合わせはしないから、僕としては解けたら解き方さえ解かったらいいって感じだもの。昨日までに 普通に解ける問題を解いて考え込む問題は後回し、今日はその考え込む問題を試行錯誤して昔の記憶をうる覚えな部分を なんとか引き出して?解いた。一番考えたのは「条件付き確率」かな。やっぱり脳の回転が去年に比べて 鈍くなってる。

10月13日 ホークス勝利 日本シリーズ進出
台風19号の襲来で関東・長野・福島などに大きな被害が出ている中でプロ野球なんかを楽しんでいていいのかななんて気も していたが…
ホークスの打線が活発で投手陣も中継で西武打線を何とかかわし4連勝、日本シリーズ進出を決めた。投手陣の継投は 短期決戦ならではことだろうが、8-9月の打線の状況から考えるとこんなに点が取れるとは思わなかった。4試合とも2桁 安打、先取点も取ったし中押しもあった。ただ懸念事項もある。昨日試合 残塁が多かった、こんなにチャンスを つぶしているといつか西武打線が爆発する ヒヤヒヤしてた。それに柳田・内川が本調子とは見えない、千賀投手が次も 良いピッチングをしてくれるかどうか 疑う気持ちがある。日本シリーズでは柳田・千賀が活躍しないと今年の日本一は 難しいと思っている。
ホークスが勝ち抜いてくれたおかげで今年もあと5-6試合プロ野球が楽しめる。

10月11日 積み残しのセンター試験 数学でもやるかなあ
ちょっと暇と感じたらどうしようもないようなやるせなさをと感じてしまう、僕の悪い癖だ。暇つぶしに庭の秋の様子を Facebookに投稿でもしようかなと思ったけど…嫁さんに写真を撮ってと頼める雰囲気ではない。メールでもしようかとも 思ったが…相手が思いつかなかった。gaccoの講座一覧を見ても…僕の興味を引くようなタイトルがしばらくの間は 見当たらなかった。仕方ない 積み残しになっている今年のセンター試験の数学の問題でもやるかな 今更であんまり気が 進まないけど。それでも…久しぶりに数学の問題を解いたら気が晴れるかもしれない、ただし解けたらの話だけど。
プロ野球パ・リーグ クライマックスシリーズ ホークスが西武ライオンズ相手に3連勝 王手をかけた。今日の先発投手は 千賀、僕が見たここ3試合は調子が悪く心配していたが 今日は強力西武打線を相手に素晴らしいピッチング 8回を完璧に 押さえた。これで日本シリーズ進出はほぼ間違いないだろう。プロ野球はまだ観戦の楽しみが残っている。

10月10日 人間嫌いが加速しているなあ
夜間の介護ももう半年 大分慣れたけれどもまだ気が休まることはあまりない、座敷(僕らの世代は座敷はお客様を 迎えるためのめったに使われることのない特別な部屋)が控室になっていることが気になっている申し訳ない気持ちが ある&家族と接する機会が少なくなって寂しいのだろう。イライラする事が多くなった。たとえば文字盤、たった3人 増えただけなのにほとんどの相手にイライラするようになり文字盤を使うのが好きではなくなった。同時に人間嫌い? 人間不信?が加速している感じがしてる。誰かの世話にならないと生きていけないのに 困ったもんだ。
嫁さんも旅行から帰ってきたら僕の顔を見るなり皮肉を言うし機嫌も悪そうに見えるし、なんで?。帰ってきてまた 現実を目の前に見て自分の人生が改めて嫌になったのかな。

10月9日 僕のところにも猫が来る季節になった
昨夜の介護の担当はKさん、定刻の朝6時になってもKさんが帰る気配がない。不思議に思って娘に「今日は何時まで?」と 聞いてもらったら10時と。明日は娘が半休だから理解出来るが今日は有休、なんでだろう。嫁さんが娘の負担軽減?の ためにそう頼んだろうか、そんなに理屈に合わない無駄遣いするとは思えないのだが。不可解!?。
昨日の夜と今日の早朝 チビが自分からベッドに上がってきて僕の脚の間で丸くなってぐっすりと眠ってしまった。 こんなの半年ぶりかな、土屋介護事業所の夜間の介護が始まる前の事だ。暖かくて嬉しい感触、懐かしい。チビも朝晩は もう外が寒く感じるようなったか。今回来たのは嫁さんがいなかったからだろうが…モモもチビもようやく僕のところへ 来る季節になったか。寒くなってゆくのは辛いが楽しい事も少しはある。

10月8日 嫁さん 旅行
嫁さんが今日から二泊三日で旅行に出かけた、高校の同級生のグループで北海道へ。嫁さんが留守の間は娘が2.5日 有休を取って家に居てくれる、娘には本当に申し訳ない。最初はこの旅行期間にレスパイト入院を合わせてと嫁さんに 強く言われたのだが…例年と違うとリズムが崩れて体調を壊しそうと思い断った。長年僕の世話で嫁さんの自由を奪って いるのだから旅行に行く事については何も言えないけど、レスパイトの期間ぐらいは僕に選ばせてくれという訳だ。
それにしても出かける時の嫁さんのニコニコ顔、嬉しいのは分かるが少しは僕に気を使って普通の顔で出かけても いいのになあ。

10月7日 看護学校の実習生
10月は訪問看護Sに看護学校の実習生が来る月、今日も二人の実習生が顔を見せた。正直言うと実習生は一人ずつで 充分なのだけど…いつもお世話になってる訪問看護師さんたちにはそんな事は言えないよな。一人の実習生はバイタルを 測定、やはり僕の血圧は僕を初めて測る人には難しそうだ。その後は看護師さんが洗顔している間に実習生二人に手脚を 動かしてもらった、もちろん初めに「強めに」とは言ったけどね。文字盤で実習生とも会話した、初めてだから文字盤は あんなものなのだろうけど…自信がなくて同じ文字を繰り返すのだけはやめて欲しかった。疲れるし時間もかかるしね。 最近文字盤で疲れるのは嫌なんだけどね。

10月5日 雑になった?
昨日今日と夜間の介護はE、介護技術もしっかりしてしてるし覚えも言った事への対応も早い。安心して任せられる 介護人と思っていたのだが…最近別の顔を垣間見る様になってきた、僕のEに対する心持ちの変化による思い過ごしなら いいのだが…僕の介護に慣れ過ぎて全般的に雑になったと僕は見てる。最初にその兆候が出たのが手脚の運動、時間的に 短いのは構わないのだが他の介護人に比べたら内容が薄くなったような気がしていた。でも小さな身体を目一杯使って 動かしてくれているのだから気にしないようにしていた。最近は文字盤、Eは訪問看護師さん並みに文字盤の使い方が 上手くて一番コミュニケーションが上手く取れていたのだが…この頃繰り返すことが少しずつ多くなった。今日Eの指の (Eは中指を使うのだが 実はこれも見にくい)動かし方が早いからだと気付き指摘したら…その後は(E本人は気付いて いないようだが)少しはぶてたような対応、Eにはこんな面もあるのかとビックリ(誰かに似てる?)&悟った。
Eはもっと介護の仕事を増やしたいらしい、僕のところに通うのに1時間強かかるので出来るだけ家の近所の職場を。僕も Eは先発隊としての役割をさせた方が合うと思うのだけど幼子を持つパート資格のEには難しいか。新しい職場が 見つかってEの訪問日数が極端に減ったとしても僕はEを応援したい。その時僕は寂しく感じると思うがそれがたぶん僕と Eのためになる。
Eには今まで気軽に頼み事をし過ぎた、僕のお気に入りと勝手に見立てて気軽に接しし過ぎた。反省。Eは当然の事ながら 僕のことを介護を施す対象とだけしか見ていない。もう何も期待するのは止めよう、そうすれば失望する事も腹が立つ 事もなくなる。


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9月
9月20日〜10月4日 レスパイト入院
9月のレスパイト入院、毎年の年間行事の一つ。まあ肉体的にも精神的にも疲れていたから丁度良い、2週間ゆっくり休む つもり。今回の僕の病室は5階の北側のいつもの四人部屋、ベッドの窓からは裏山と空が見える。空を見ながら想いに はせ独り言をつぶやくのがここでの日課。病室では呼吸器を着けている僕が一番調子良くて、他の3人の患者さんは痰が なかなか出せないようで看護師さんたちも吸引で苦労していた。今回の病室はちょっと重い雰囲気。少し気も重い。
検査は血液検査と検尿のみ、このところずっと胸のレントゲンも心電図もやらなくなった。時にはレントゲンも撮ったら と思うのだが必要ないとの主治医の判断なのだろう。良い傾向と思うべきか。一日血糖値測定は今週初めに実施、食後の いずれも200を超える事はなかった。食後の血糖値がいくつが適切なのかは解からないが良い傾向と個人的には 思っている。
リハビリは8日、そのうち半分立たせてもらった。今回は疲れを感じていたので自分で顎と脚の筋肉を動かす(と言っても ほんのちょっと 他の人は気付かないかな)事はしなかった、不安はあったけど。時にはいいかな。
看護師さんが車椅子に毎日座らせてくれた。寝る前の手脚の関節も毎日、ただし動かし方には看護師さんの個性と性格が 出る。看護師さんの僕との相性を測るには絶好の判断材料になる。病棟の看護師長さんが4月に変わった。今度の 師長さんは前と違って毎日患者の様子を見に来る。今回もそう、感心してしまう。この師長さんの方針か毎日清拭 (の真似事)はするようになった。僕としては2日に1度でいいからもう少し時間をかけて欲しいと思うのだけど。それに 下洗いの時に黄色いタオルを使わなくなった。ガーゼではお尻を広くは拭けない。そのせいかどうかは分からないが 今回の入院では珍しくお尻も痒くなった。
10月の人事異動で2人が異動、1人は長年お世話になったSさん やはり別れるとなると涙がこぼれた。もう1人はOさん なかなか個性的で面白いけど真面目な看護師さん 世話になった。2人とも古巣の八病棟に異動、また会えるかどうか。 顔見知りがまた減った、寂しいものだ。増員は無しとの事、知らない看護師さんが3人増えていたもんな。
入院中に二つの台風が東シナ海から日本海にかけて北上した。今週の台風はこちらは大した影響はなかったけど先週の 日曜日の台風は激しかった。台風の日はずっと窓の外 裏山を眺めていたのだが、昼頃から風が強くなり山頂の木々や 少し下の広葉樹が前後左右に大きく揺れて今にも折れそうだった。実際裏山の向こう側では何本か木が折れていたと リハビリの先生が教えてくれた。
夜9時半頃病院でも停電した。電灯はすぐ10秒ぐらいで点いたがテレビとエアコンは消えたまま、僕は夜はエアコンが 消えてるくらいが丁度良いのだけれど看護師さんは暑がっていた。次の日他の患者さんの見舞いに来た方が「昨日の 停電は長かった、4-5時間も続いた」と言っていたからエアコンが回復しなかったのはやはり停電のせいだったのだ。 僕の呼吸器のバッテリーも4-5時間停電すると不安を感じてくるところだから 病院にいてラッキーだった。
先週の土曜日 入院中の身でありながら外出を申請し妻と娘夫婦・ヘルパーさんに佐世保市の水族館 海きららに連れて いってもらった。水族館に来たのはたぶんこれで3回目、1回目は中学3年の時の修学旅行で行った大分のマリンパレス、 2回目は会社時代の同期Mと沖縄に行った時に立ち寄った美ら海水族館(35年くらい前かな) ここには巨大な水槽があって マンタ?ジンベイザメ?が泳いでいて 真っ白なお腹にたくさんのコバンザメがくっついていたことだけ覚えている。 そして海きららがたぶん3回目、中に入るとカニや魚やタコが小さな水槽(と言っても家庭用の3倍はありそう)に1匹で 入れられてちょっと可哀想に思えた。でも大きな水槽に魚がいっぱいいるとそれぞれの魚の区別や魚の名前が分からなく なるから仕方ないか。
大きな水槽のところにも行った。きらきらと輝いて見えるイワシの群れ・黄色い帯のある鯵・青い帯の鯖それに色が いっぱいのアラカブが印象的だった、いつも居酒屋で食っていた魚も 海の中で泳いでいる姿はこんなにきれいなんだ。 大きな魚も見た。海ガメに鮫・ハンマーシャーク・タマカイ、入り口の案内板にタマカイは180cmって書いてあったけど そこまでは大きくないように見えた。普通の人はタマカイを見ると「この魚大きい」って驚くのだろうが僕は「この目 見えてるのかな」と思ってしまう、どうも僕は魚の見方が違うようだ。
イルカももちろん見た、下からも上からも。イルカの水槽は深さ4-5m 直径10mぐらいかな、大きいけど時には大海原を 泳がせてあげたいなと思った。だけど餌の取り方は知らないし戻って来れないかもしれないかもしれない、ケガを するかもしれないし虫が着くかもしれない、このイルカたちには今の水槽の中が安全なのかもしれないな。イルカは3頭 いた、2mを越えるのが2頭と1mぐらいのが1頭。病棟に戻ったら2人の看護師さんに「イルカの赤ちゃん見た?」と 聞かれたが赤ちゃんなんていなかったけど。もしかしたらあの小ぶりのイルカが去年赤ちゃんだったのかもね。この 小さなイルカ まだボールをくわえるぐらいしか芸は出来ないようだが、背中?が痒いのか水槽の縁のコンクリートの上に 上がったり水槽の中に下りたりしていた。大きなイルカのショーの時は小さなイルカは奥の小さな水槽の中、そこでも しょっちゅうコンクリートに上がっていたので飼育員さんに水槽に落とされていた。イルカのショーはなかなか迫力が あった。特に円周起動で一回転 観客席まで波しぶきが飛んでいた。他にも3種類?のジャンプにキャッチボールなど 楽しめた。
海きららから帰る時に田んぼの方を見ていたら真っ赤な彼岸花がいっぱい咲いていた。あの時が満開だったようなので 今年も彼岸花が見れてまたもやラッキーだった。今日病院から帰る時に田んぼを見ていたら稲穂がかなりこうべを 垂れていた、この土日が稲刈りの最盛期かな。こうやってだんだん秋も深まっていくのだろう。

9月18日 入浴車
10時過ぎから入浴車、今日のスタッフは何も言わなくても事を進めてくれる気楽なメンバー(入浴車はだいたい こうだけど)、僕はなされるままにしとけばいい気楽な立場。お湯に浸かった時少しぬるく感じるようになった、もう そんな時期が来たということだろう。僕は足し湯とシャワーで胸や肩に熱めのお湯をかけてもらう、これで身体が十分に 温もるのだ。今日も気持ち良いお風呂をいただいた。ありがとうございます。お風呂から上がったら冷やした塩水を いただく、今の僕にはこれが最高ののど越し。

9月16日 敬老の日
僕もそろそろ老人に入るのかなという考えが頭をよぎる日、まあ今の僕はほぼ寝たきりだからもう寝たきり老人と 変わらないのだけど…子供たちはどんどん大きくなる中でも僕の精神状態は四十代前半で停止して一人取り残されている 様なものだから。とはいえもう61歳 子供の頃の僕が今の僕を見ればおじいちゃんと思うだろうな。
今日は敬老の日 ハッピーマンデー 10時近くまではその事を忘れていてもう訪問看護が来ると思い込んでいたのだが…、 訪問看護はお休みで11時前にヘルパーさんが二人来て洗顔・清拭・下洗いをしてくれた。最近お疲れモードの僕としては 何も指示しなくて済む文字盤もスムーズな訪問看護Mが楽なのだが…。周りに少しでも気を使うのがもう嫌になった。

9月14日 本当に疲れてる
いつも眠いし身体はだるいし本当に疲れているようだ。今週末からのレスパイト入院が待ち遠しい心地になっている。 こんな事は珍しい、いつも「またレスパイトか、しょうがないな」に近い気持ちで行くのに。
今日の日中の介護はMさん、午前中気分がすぐれなかったから自分から主体的に動いてくれるMさんで助かった。今日は 朝から右脚がだるかったので午前中に手脚の運動と洗顔と下洗いをしてもらいちょっとすっきり、昼の経管栄養の時に なぜか無性に塩気が欲しくなり荒塩をなめさせてもらったが…最初のひとなめ目はほとんど塩味がせず なんで、味も 分からない程に身体も頭も疲れているのか。ふた口目 ちょっと多めに入れてもらったらちゃんと荒塩の味がして… 身体がシャキンとしてきた。おかげで午後3時過ぎにベッド上に予定通りに座ることが出来た、今日は難しいかなと 思っていたけれど。ただ夜になっていくにつれてエネルギーが切れたように疲れが増してきた、どうなっているのかな この身体。

9月13日 ひどい下痢
昨日からその傾向があったのだろうか、昨日の夜の経管栄養の終盤に便が出た時に便の形も感じたけれど便汁も一緒に ある程度出たみたいだった。今考えるとあの時下痢は始まっていたのかもしれない。それなのに夜寝る前に嫁さんが 勧めてくれた下痢止めを拒否したりなんかして…。そのためかどうかは分からないが今日一日下痢と腹痛と気分が 悪くなって大変だった。
今日は便の日、それなのに便意が襲ってきてそして腹痛も襲ってきて…訪問看護師さんを待てなくなって嫁さんに摘便 してもらった。これが1回目、最初だけ形が合って後は下痢。2回目は朝の訪問ケアの時、残便感があったので摘便で 出してもらった。3回目は昼の経管栄養の後、ゆっくり落としたのになんでって感じ。嫁さんにまた処置してもらう事に なって機嫌を損ねてしまった、出来れば訪問の人が来る午後3時まで我慢しておきたかったのだが下痢でただれた部分が 痛くて我慢出来なかった。4回目 最後は車椅子移乗の後、この時は夜の介護M君が来ていたので助かった。今回の下痢は 3ヵ月前の下痢と違っていつまでも残便感はあるし腹痛は伴なうし気分が悪くなるしで大変だった。

9月11日 嫁さん また体調悪そう
朝はモモやチビの名前を呼んで機嫌が良さそうに見えた嫁さんなのだが昼の経管栄養の時は下を向く事が出来なくなって いるように思えた。それで昼休みにぎりぎり間に合うつもりで娘に「お母さん 具合が悪そう」とメールを送ったけど… 間に合わなかったようで、娘が家に着いた時に「メールはなかなか見れないから緊急の時はおばさん経由で職場に 電話するようにして」と言われてしまった。でも緊急の時って判断も結構難しそうだ。
嫁さんは夜中になって少しは回復したようで娘は帰っていった。

9月10日 正月は病院に居たい
来年の事を言うと鬼が笑うというが僕としては珍しく未来の事を考えている。それは次の正月は病院で過ごしたいという 事、その方がみんなが幸せで楽だと思っている。第一の理由は僕が楽をしたいから、正月ぐらいは何も考えずにのんびり していたい。また家族にも介護の人たちにも年末・年始はゆっくりしてもらいたい。僕がいなければ嫁さんは実家に 泊まる事が出来る。僕としても寂しさよりも楽だという方が勝ると思うのだが。
これを嫁さんに言ったら「義息子が家に来た時に(僕が)居ないと気を悪くする」と反対の意見、それに「家族が揃うのも これが最後かも」と。それでも自分が楽な方がいいな。それにいくら正月にお客さんが来なくなったと言っても座敷に 介護の人が常時控えているのもまずいだろう。

9月8日 疲れてる
このところある時間帯になるとよく眠くなる、肉体的にも精神的?にも疲れているみたい。たぶん僕は…気を使う必要の ない夜の介護の人たちに気を使って いや気になってもう何ヵ月も熟睡してないみたい 夜中に何回も起きてしまうから、 睡眠不足による疲れだと思う。重度障害者のための特別支援制度 これを利用することがみんながより幸せになる事に 繋がる可能性があるのは重々承知しているのだが…長生きはしそうにない。まあこれ以上長生きする必要はないんだけど 次に逝くのは自分と決めているから。

9月7日 土曜日の便は難しい
嫁さんは今日もまだ具合が悪そう、でも昼からは少し動き出したみたい。洗濯物を持って僕の部屋に入ってきた嫁さんに 「(体調は)どう?」って聞くとまだめまいがすると。早く良くなってくれればいいのだけれど。昨日の午後5時前から 娘がヘルプ、ありがとう そしてすまない。そろそろ潮時かな。次は僕の番であって欲しいな。
今日のケアの担当はI看護師とヘルパーのMさん、おしゃべりが多い(手は止まらない)以外は標準より上のペア。朝の ケアは洗顔・洗髪(昨晩頭に汗をかいたから)・清拭+、便出しは失敗だった 浣腸しても出なかった、小さな塊は下りて きてると思ったけど。土曜日の便は相変わらず難しいなあ。

9月6日 嫁さん ダウン
朝経管栄養を用意している時には朝ごはんを求めて足元にじゃれつくチビを相手にいつもの様に話しかけていた嫁さん なのだけど、それから1-2時間?経った頃には具合が悪くなったようでめまいと吐き気で動けなくなった。
それからが大変だった。文字盤が下手くそになったお袋にイライラしながらも何とか「訪問看護を呼んで」と伝え、 F看護師とTケアマネージャー二人の顔を見てひと安心。Tさんが嫁さんを病院に連れて行ってくれて点滴を受けている 間に僕は入浴車、それから(嫁さんは正午前に帰ってきたみたいだけどぐったり)昼の経管栄養と往診にFさんのヘルプを 受けてその後ようやく娘にSOSのメールを打って一段落した。嫁さんがダウンするとこんなに大変な事になるという事を 改めて思い知らされた一日だった。
実は病院に急きょ入院との話も出たのだが、いつもの病院は主治医が来週から夏休みということで無理となり ケアマネージャーからの「共立病院は?」との問い掛けには僕の方が「(コミュニケーションの取れない病院では) 無理でしょう」と。そうは思わない?。

9月5日 左足親指が結構痛い
今日は朝から陽射しが差し込んで久々に良い天気だったのだけど夕方になって激しい雨音が聞こえ雷も鳴って…本当に 今年の秋口の天気は例年と違って雨が多い。その雷に恐れを感じたのか今日はチビがベッドに上がってきて脚の間で 30分ぐらいじっとしてた。チビが自分からベッドに上がってくるなんて モモ以上に久しぶり、僕としては 雷様々?かも。
昨日のI君のリハビリのお尻上げの際に左足の親指に右足の親指が当たって左足の親指の例の患部がまた痛み始め… 今日の朝のケアの時に左足親指の痛みが次第にチクチクに変わりだしてだんだん耐えられなくなってきた。それで昼の 経管栄養前に嫁さんにそう訴え「爪(の指に食い込んでいるトゲ)を切って」と頼んだのだが、場所が場所だけにしょうが ないのかもしれないのかもしれないけど…嫁さんの処置の(僕にとっては)容赦のない事、脚が震えるほど痛かったが 耐えた。このままあと2週間 レスパイト入院の時まで保ってくれればいいのだが。

9月4日 モモ 久しぶり
今朝経管栄養の後モモが僕の部屋に入ってきた。嫁さんが僕のベッドにモモを上げ脚の間に寝かせたら、いつもはすぐに ベッドから下りてゆくのに今日は珍しくしばらくの間 入浴車が来るまでの2時間近く ベッドの上に眠っていた。こんな 事は春先以来 夜の介護が入る前の事だから何ヵ月も前、本当に久しぶりでとっても嬉しかった。またモモがちょくちょく 来てくれるといいな。
今日のお風呂は最初熱いって感じたけどすぐにぬるいって感じるようになって足し湯をしてもらった。もうそんな季節に なったのか。温かいお湯が気持ち良かった。

9月3日 気力がない
秋眠暁を覚えずとは言わないけれどこの頃眠たくて仕方がない、疲れているのか。そのためかどうかは分からないけれど 最近気力が湧いてこなくなったような気がしていて…特にリハビリの時に強く感じるようになった、もうひとつ力を 込めなければならなという気がしてこないのだ。別にH先生のリハビリの時の歩行が上手くいかなくなったとかI君の 立位訓練で立てなくなったとかそんな事はない。今日だってそこそこ上手く歩けたし…気持ちの問題なんじゃないかな、 娘の結婚も生きて見れたし一応の達成感・満足感があるのかな。

9月1日 Kさん 上手くなったけど…
日曜日 今日の日中(午前9時〜午後9時)の介護の担当はKさん、先日Eが小さい身体でどう体位交換するかやり方を見て もらったけど それから体交諸々ずい分上手くなった。もうこれで嫁さんが出かけてもほぼ安心だ。Kさん自身はこの頃 次から次にいろいろ頼まれてゆっくり出来なくなったと思っているかもしれないけどそれは僕の信頼の表われ、だって 最初の頃はこの人はこれは出来ないと諦めて初めっから頼まなかったもの。依頼事が増えたって事はそれだけ信頼出来る 様になったって事。
ただまだ不満も少し…髭剃りや洗顔の際に丁寧さに欠ける、僕は石鹸が残ったらすぐ赤くなるるんだけど。自分で顔を 洗う時もこんな風なのかなあ。まあこればっかしは性格だから…。


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8月
8月31日 萎縮してる?
今日のケアの担当看護師は所長、所長とペアになっている人を見ているとしょっちゅう思うのだが 相手になっている 方雅所長の口撃に何も言わないのは納得してるんじゃなくて萎縮してるんじゃないかと。所長は丁寧に教えている つもりのようだが語気が強いし次から次へと説明が飛んでくるから圧倒されるんじゃないかな。僕のとこにはいないけど 気の弱いヘルパーさんなら足がすくんで動けなりそう。誰にでも一所懸命、そこが所長の良いところなんだけど話しが 長くて他が中断するしちょっと話しがしつこいかなあ なんてね。
今日も清拭に時に所長がフキタオルを次々と差し出すからヘルパーさんはタオルを洗うのに忙しくて僕の身体を拭く暇が ない、僕がヘルパーさんに「拭いて」と言ったから気付いたけど。

8月30日 通院日
今日は通院日 リフト車に乗っていても眠たくてうとうとしたり今どこかなとちょっとだけ薄目を開けて場所を確認して 目が開かなかったのは…疲れてるのかな、今日は景色を楽しむ余裕さえなかった。ただ田んぼの稲は大きくなって青々と それに家に戻ってきた時に牡丹が見えて…季節を感じさせてくれた。
病院に着き救急処置室に入ると 看護師の中にMiが見えた。復帰したんだ 復帰できるほど息子さんは回復したんだなと 嬉しくなった、これが今日一番の良い事。それからバイタル測定と血液検査、するとそこにもう主治医が来て診察と カニューレ交換、今日は早っ。その後主治医と嫁さんの打ち合わせする声が聞こえてきて9月にレスパイトと、 なし崩しで嫁さんの予定が入っている10月に忘れたふりしてレスパイトをもゃていくと思っていたからちょっと意外。 あれだけ怒っていたのに何か心境に変化でもあったかな。その後しばらく血液検査の結果待ち、30分ぐらい経った頃 主治医が戻ってきて結果を見て嫁さんに何か指示。聞くと「朝のインシュリンが8ml→6mlにまた減った」、糖尿病が 改善しているみたい。これが今日二つ目の良い事かな。
家に戻ってベッドに横になると身体が冷えていた。やっぱり病院やリフト車の中は僕には寒い。

8月28日 大雨
例年なら十八夜が来たらカラッと晴れていたと思うのだが 今年は十八夜は晴れていたけど翌日から曇ったり雨模様。 この時期から秋雨前線が停滞するなんておかしなこともあるもんだと思っていたら…昨日の朝から雨音が聞こえるほどの 強い雨。朝から「避難所を開設しました」との防災放送・昼には保健師から「避難しませんか」と電話が入りそんなに ひどい大雨なのかと自覚させられた次第。うちの周りは今でこそ家があるけど昔は田んぼの中の二軒屋(うちと保育園)で 小学生の時の超大雨にもなんともなかった、だから雨には強いと思い非難はしなかった。
大雨が一番ひどかった時 今朝3時頃には雨どいから雨水がこぼれる音がして久々にちょっと怖かった。県内でも被害が 大きく出ているようで昨晩の介護の担当だったE 被害が出ている所の向こうからきているEは天気が落ち着くまでうちで 避難していた、そして午後に帰っていった。それほどひどい大雨だったということか。

8月26日 左足親指がまた痛み始めた
朝のケア時に右を向いたら左足の親指の右側に痛みがあったので午後の車椅子移乗の時に来た所長にこの事を告げて 左足親指の右側患部の爪 皮膚に食い込んでる部分をちょっとばかし切ってもらった、とっても痛かったなあ。それでも まだ爪のトゲが皮膚の中に少し残ってるみたい、痛みは確かに小さくなりはしたけどまだ少しはある。ホントいつに なったらこの巻き爪の痕(本当に痕かな?)は完治するのかな、次のレスパイトの時に開いてもらった方がいいような気が するのだけれど。

8月25日 自由な日曜日
今日は月末の日曜日で日中は介護の人が入らない久々に精神的にゆったりできる日、今日は朝からパソコン三昧と決めて いた。ところがあっという間に刻が過ぎ 10時・正午・3時そして5時 夜間の介護を担うEが来た。楽な楽しい時間はあっと いう間に過ぎていった。夜間の介護の人たちはよくやってくれているし別に不満がある訳じゃない。それに常時一緒に いるのではなく座敷に控えていて呼んだら来るのが基本、これは嫁さんが介護していた頃と同じ。それなのに気になって 気持ちがゆっくり出来なくなってしまう、何故?。

8月23日 今週二度目の入浴車
今週になってまた頭に汗をかく様になったから経管栄誉の時にもう一度アイスノンを使おうかなとちょっと悩んでいる。 こんな汗かく時は週に二回の入浴車はとってもありがたい。頭と枕が接してる面が痒くてね…。寝返りが打てる人には この痒さは分からないだろうな。数年前に冷感素材の枕カバーを買ったけどあれも寝返りが打てる人のためのもの、 だって頭を動かさないと熱がこもるだけだもの。今年嫁さんが買ってくれた冷感素材の掛布団 涼しいのは最初だけ、 それ初めて気が付いた「寝返りを打って肌に接している面が変わらないと涼しく感じないんだ」と。それでこの 掛布団も使うのを止めた。
今日のお風呂も十分にゴシゴシ洗ってもらって 気持ち良くいただけた。

8月22日 Kさん やり方が優し過ぎ
今日の訪問看護はN そして今朝のケアの担当看護師はKさん、いつも思うのだけどKさんの対応の仕方はほんとお年寄りに 接しているみたいに優し過ぎる。まあそこがKさんの良い所だが…僕の頑固な硬い便にはそれじゃあ通用しないんじゃ ないかな。だって夕方になるといつも少し便意を感じてしまうみたいなんだもの。性格のようだから難しいかも しれないけど 遠慮しなくていいよ、Kさん。

8月20日 背中が点で痒い
例年は梅雨時になると汗疹ができて背中が痒くなっていたのだが、今年は湿気がある梅雨が短かったおかげか今まで 汗疹ができずにすんでいた。ところが先週あたりから背中が点で1-2カ所痒くなってきた。それで訪問看護師さんに 見てもらうと赤い点がポツンとあると。そこで背中の薬をいつものレスタミンとゲンタシン(赤い点用)の2種類に変えて もらった。これで一昨年みたいに背中いっぱいに広がらなくて済むかな 痒みは少し治まるかな。

8月18日 ネットワークカメラが欲しかった
今日は一八夜、我が地区の祭の日、子供の頃はご馳走が食べれる・特別にお小遣いがもらえる とっても楽しみな 日だった。でも今は…一八夜の楽しみはいろいろ想像しながら花火の轟く音を聞くのみ。ところが大木保育園の建物が 潰された今年はチャンス、下の息子の部屋からならお寺(龍泉寺)が見えるかもしれない。そう思って先日嫁さんに今 持ってるネットワークカメラをお寺の見える方においてもらおうとしたが…LANケーブルが届かないって。困った。 新しいカメラを買うしかないな、今のカメラは画素数も少ないし使い勝手が悪くなったように思えてきた。
それでお盆半ばからネットワークカメラを捜していたが、Amazonは支払方法が合わない・楽天市場は19日以降出荷。 八方ふさがり。

8月17日 風景の絵をいただきました
夕方娘夫婦が訪ねてきた。新婚旅行で北海道に行っていたのだが台風10号の日本列島通過に伴い飛行機が飛ばなかった ために帰るのを一日伸ばしたとの事、台風の影響はこっちにはほとんどなかったけれど(山田神社の十五夜の祭の花火が 上がらなかったくらいかな)こんなところに出たか。それにしても元々16日が勤務日ということで旅行スケジュールを 組んだらしいのだが…どうせ仕事には行けないのだからそう解かった時点で旅行をあと3日日曜まで伸ばしても 良かったんじゃないかな。さすがに義息子はまだ新人職員 そんな事は言えないか、柔軟よりも公明正大を選んだ訳だ。 若いっていいなぁ。
その娘夫婦から小樽のお土産 ガラス細工と一緒に森の絵をもらった。実は結婚式の(2週間?)前に娘に「贈り物を したいけど何か欲しいものある?」と聞かれたので「風景の絵かな」って答えたのだ。森の絵 木立からマイナス イオンが感じられそうないい絵だと思う。嬉しいな。

8月15日 便が…お腹がきつい
月曜日に浣腸したけど便が出なくて…今日で5日目、朝の経管栄養が終わった頃にお腹が張ったようになって急に痛く なった。便が出そうだけど硬くて出せなくてお腹が痛い、訪問看護師さんが着いた時にはそういう状態で苦しんでいた。 まずは看護師さんに「摘便で(肛門に蓋をしている)硬い便を取って」とお願い、これでお腹がきついのが治まった。
今日は久々にきつい思いをしたけど 今の便は4日目まではもてる事が分かった。さて 土曜と月曜の二日毎の便、 昔のように月曜にまとめてしまおうかな。今は両日とも下りてきてないものを無理やり出してるって感じだもの。

8月13日 H先生のリハビリ
今日は車椅子の座り具合が良くなかったのか最初から生き苦しくてH先生の到着が 胸の運動が待ち遠しかった。そして ようやく胸の運動、胸を押して呼吸リハビリをしてもらったら呼吸が楽になった。
それから五歩の歩行訓練、H先生に立ち上がらせてもらった瞬間このひと月腰と膝によく力が入っている。ところがこの 3週間H先生が運んで進めてくれる左足の一歩目の爪先が引っ掛かってあまり前に出ていない。僕の何が変わったのかも しれないけど自分では分かっていない、またH先生も左足の一歩目の爪先が床に引っ掛かっている事に気付いていない ようだ。ただその時バランスを崩しそうになるので脚に力を込めている。

8月12日 Eがなぜ今日来るの?
夕方5時夜間の介護に来たKさんが最初に言った事は「今夜Fさん(=E)が指導に来る」と。「何時に来るのか?」と聞くと 「7時」って。体位交換のやり方を教えるのに夜の経管栄養の時間に来てどうすると思ったけど…Eが経管の始まる前に 着いたからKさんにEが小さな体でどうやって体交をするかを見てもらった。その後EはしばらくKさんと話したら帰ると 思っていたけど…何時になっても全然帰る気配がない。それで「何時に帰るのか?」と聞くと「0時」と、後で 気付いたがこれってたぶんボランティアじゃないんだ 仕事の一環としてEは来たんだって。そうでなければ片道1時間も かけて それも幼子を家に残してボランティアに来るはずないもの。

8月11日 娘の結婚式
今日は娘の結婚式・披露宴、まあ娘は3月下旬に入籍し既に家を出ていたので もう寂しくはないはずなのだが 時々涙が 溢れてきた。なんなんだろう この感情は。
2002年10月の半ば 気管切開をし人工呼吸器を着けた時の目標は子供たちが高校を卒業するまではなんとしても生きて いたい…この日まで生きていられるとは思っていなかったから 不思議な感慨だった。
披露宴の賑わいの中にいても 自分一人が離れている 輪の中に入っていけてない冷めた感じで…
お見送りの時に参列してくださった方々の口にする「いい披露宴だった」という言葉が聞こえてきてたが、いい 披露宴ってなんだろうって考えていた。でも後で写真の中の本当に楽しそうな娘を見て この楽しさなんだ 友達や職場の 仲間たちと喜びを分かち合えることがいい披露宴なんだと思った。この娘だけは僕も子育てに参加していて山に海にと いろいろ遊びに連れて行ったから 社交性や挨拶は僕が教えたものかと。
披露宴には数十回行っているが 親族・新婦側に座るのは40年前?の姉の時以来二回目、あの時はたしかまだ学生の時で なんにも考えてなくて分からなかったが 女性が多いテーブルを見るのは初めて見たいなもので ちょっと不思議な風景に 見えた。でもほんと楽しそうでだった。
職場の人の話や様子から義息子も娘も同じ職場の仲間の人たちからは 好かれているみたいで安心した。
ALSの患者は表情がないといわれるけど僕にもまだあんな嬉しそうな表情が出来るんだね、後で写真を見て驚いた。

8月9日 通院日
今日は通院日、でも病院に向かうリフト車の中ではとっても眠たくて窓の外も見ないでずっと目をつむっていた。そして 病院に着きバイタルを測って主治医を待つ、今日は連休前・お盆前ということで珍しく長いとこ待たされた そう 40分ぐらいも。主治医が来て診察とカニューレ交換、その後嫁さんと話していた時間も入れて10分ぐらいかな、すぐに 終わったって感じ。何を話していたか嫁さんが教えてくれた、明後日の娘の結婚式の時に具合が悪くなったら救急車で この病院に運ぶ約束が取れたって。そんな事を心配してたの、大丈夫だよ たぶん。でも ありがと。

8月7日 肺が寒い
今日は入浴車の日、そのお風呂に入ってから急に肺が寒く感じるようになった。やっぱりお風呂の後寝る時間が 少なかったのが原因かな、僕は一刻でもいいから熟睡しないとすぐこうなっちまうみたい。本当に情けない弱っちい 身体になっちまった、朝方はいつもくしゃみが出て気管切開部から痰が横漏れする。だけど寝る前に左を1分ぐらい 向いて痰を出し吸引してもらったら肺がすっきりした。同時に肺は冷えていても肺は寒くなくなった。今までの寒さとは 寒さの質が違うみたいだな。

8月5日 便が難しい
もう2年になるかな 糖尿病の飲み薬を新しいものに替えてから僕の血糖値は確実に改善している。朝のインシュリンも 最初16mlであったものが今は8mlに減った。
しかし副作用もある、僕の場合は便が硬くなった事 最初の方は兎の糞みたいにコロコロ。元々この薬は血液中の血糖の 体外への排出を促すもの、そのため最初の1年ぐらいはおしっこが近くて量が多くて大変だった(お陰で手脚の水ぶくれも 5kg分減ったけどね)。同時に便が硬くなって…これまでは前夜のラキソベロン(下剤)と当日の浣腸・摘便で対応出来て いたけど、この夏が来てからは定曜日の定時に出せなって車椅子に座らないと便が下りてこなくなった。見かねた所長が 「排便は午後から車椅子に座ってからにしましょうか」と言ってくれてOKしたけど、やっぱり水分不足なのかな。水分は 経管栄養も含め1800ml〜2000mlは摂っているはずなのに。

8月4日 おかしいだろう
今日日曜日の日中(9時〜21時)の介護はKさん、来週娘の結婚式に同行してくれるのもKさんとスケジュール的には 決まっているようなのだが…本人は結婚式に式に同行する事を知らなさそうなので夕方嫁さんと打ち合わせをして もらった。先々月の同窓会の時にも思ったのだけれどいつ行くか介護のスケジュールは連絡行くけれど同行とかの連絡は 入らないみたい。T介護事業所(営業所)の責任者にはふたつき以上前から話をしているのに それっておかしくない?。 僕が心配しているのはその日のスタイル、同窓会に同行してもらった時は白のTシャツだった。まあ同窓会は カジュアルな場だからそれでも悪くはないけど…結婚式にいつもの赤いTシャツじゃ さすがにそれはまずいだろう。

8月3日 所長のケア
今朝のケア、ヘルパーさんは時間通り10時に来たのだが訪問看護師さんが中々来なかった。ヘルパーさんによる髭剃りと 洗顔が終わって20数分 それでも看護師は来ない、本当は夜中に頭に汗をかいていたから今日も洗髪して欲しかったの だけれど 時間的に無理と諦めて頭を濡れタオルで拭いてもらったところにようやく所長が現れた。30分遅れ。所長の 言い訳は曜日を間違えたって、あり得ないだろう 大丈夫?。
しかしそれからが怒涛の様、所長の清拭は他の看護師さんに比べて病院並みに淡泊?、早かった。手足の部位はもう少し 長く強く洗って欲しかったかな。


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7月
7月31日 甚平
7月の初め頃だったか 今のパジャマは袖を肘まで曲げても腕に汗をかくから、病院の様な七分袖のパジャマが欲しくて 嫁さんにそう言ったら「七分袖のパジャマは売ってない」って。それで甚平が病院のパジャマに似ている事を思い出し 「甚平の上を買ってきて」と頼んだ(残念ながら甚平の上だけのものは売ってなかったようだ)。そして今日の入浴車が 甚平初卸の日、甚平を着てみた感想は肩の辺りが思っていた以上に涼しい。これは掛け物の調整をまたしなければ ならないな。
午後3時半からはI君のリハビリ、立位訓練の際に甚平に戸惑うかと思ったけどすんなり立たせてくれた。 本当に 上手くなった

7月29日 抜けたの なんで?
今朝のケアの担当は所長、その所長の話から推察するとMさんは僕の夜間の介護グループから外れたらしい。ケアの後 すぐに嫁さんにそうなのかと確認したら「T介護事業所から話があった」って、なんで。僕は技術も信頼出来る・人に 教えるのも上手い・嫁さんが不在でも安心して対応してくれるMさんがアラームに反応しなかった事がとっても"想定外" だったから嫁さんに話しただけで、こんなに大事になるとは Mさんが僕の介護から外れるなんて思ってもいなかった。 嫁さんにあんな事話さなければ良かったなんて少し反省と後悔。それに介護事業所の責任者の方もせめて僕の意見を 一度ぐらいは聞いて欲しかった、僕は人が代わるのが一番嫌なのだから。人が代わって僕に慣れてもらうまで教えたり 苦労するくらいなら、人にはそれぞれの個性があると思って少々の事は我慢した方がましだもん。

7月28日 疲れる
今日の夜の介護はヘルパーのKさん。一人で夜に僕をKさんが介護するのは初めてだし 僕が初めてKさんを見た時に この人とは合わない様な気がすると感じていたので 始めからこの日が来るのが怖かったのだが…案の定今夜は疲れた、 なんせ寝る前に僕に施す手順をほとんど覚えていなくてまだ不慣れな文字盤でいちいち指導しなくっちゃ いけなかったんだもの。それに経管栄養の途中で嫁さんに吸引してもらっている際にKさんが顔を見せなかったことが 気になっている。どうもその辺の関心は薄いみたい。ともかく早く慣れて欲しいなあ。

7月26日 通院日
今日は通院日、2週間ぶりの外出だった。リフト車に乗り降りする時には久しぶりに陽射しに当たり心地良く感じて いたのだが、リフト車や病院の救急処置室の中は僕には冷房が効き過ぎのようで寒くて掛け物をしっかりとかけていた。 リフト車の窓から空を見上げると もうすでに夏色の雲 入道雲なんかが見えた。田んぼの苗もこの2週間で大地に しっかり根を張って 風に青々とそよいでいた。
今日はまず血液検査、そしてしばらくまったら主治医が来て診察とカニューレ交換。血液検査の結果 血糖値に改善が みられた様で朝のインシュリンが10ml→8mlに減った、良くなっているらしい。

7月22日 左足親指の痛み 再び
今日の朝のケアの時にI看護師が左足親指の右側面を抑えた際に痛みがあったので、午後の車椅子移乗の時に所長に 「親指の痛みがぶり返してきた」と訴えた。そしたら所長は患部を見て「爪がまた少し指に食い込んでいる、(爪) 切りますか?」って。親指の患部の爪をほんのちょっと切ってもらっても脚が震えたりする程の結構な痛さ、それだけの 痛みに耐えて切ってもらっても取れたのはわずか1mmぐらいのトゲみたいな爪がひとかけら。しかもまだ爪が残って指に 刺さってるのが少しあると。まだまだ完治しそうにないな。

7月20日 人間嫌いが加速しているな
最近人間嫌いが段々進んでいる、まあ人間嫌いというよりも人間不信というべきか。夜間に介護が入るようになってから 人の出入りが多くなって気持ち的にゆっくり出来なくなったみたいで心に余裕がなくなっちまった。夜の介護人の中で お気に入りだったはずのEの言動でさえ煩わしく感じる様になってきた。チビは僕の部屋に全く近寄らなくなって しまったし夫婦の会話がめっきり減ってしまっていがみ合う事も…、以前との状況の変化に僕らが僕自身がついていけて いない 僕の心の奥底が疑問を感じている まだ受け入れていない感じがする。どうしたもんかな。

7月19日 gacco講座「銀河考古学入門 〜銀河の形成と進化を辿る〜」開始、難しい
今日の夕方 gacco講座「銀河考古学入門 〜銀河の形成と進化を辿る〜」をやってみたが講義の内容が難しくて…一刻 止めようかと思ったくらい。これは1回視聴したぐらいじゃとても理解出来ないレベル、何回も視聴しながらWordで まとめている内に理解出来るかどうか。これもgaccを3ヵ月休んだ罰か。

7月18日 gacco講座 それともセンター試験数学
3ヵ月ぶりにgacco講座を再開するかそれともセンター試験の数学をすべきか迷っている。gacco講座にどんなものが あるか調べてみたら面白そうなのがあった。それが「銀河考古学入門 〜銀河の形成と進化を辿る〜」という講座、 はやぶさUが小惑星リュウグウに着陸し石や砂の採取に成功したというニュースが流れたばかりだから宇宙への関心も 強くなっていたし…数日前に受講登録だけは済ませておいた。
一方センター試験の数学は試験問題をペイントにコピーし問題だけを切り取ってWordに貼り付ける作業は今日までに 終わらせた。いつでも解ける状態にはなっている。さあどっちから手を付けようかな。

7月17日 床屋さん
耳の辺りに髪の毛があたって痒くなってくる、これが僕が髪の毛を切ろうと考える時の規準だ。そして耳の辺りがまた 痒くなってきたから2週間前に訪問理容を頼んだ。そして今日がその床屋さんの日、朝9時訪問理容RのKさんが現れた。 Kさんとはもう19年の付き合い、今日Kさんをひと目見た時に当然の事かもしれないけどKさんも年取ったなって思った、 失礼かな。散髪前に嫁さんがひと言「結婚式前の父親だから短めに」って、その結果どうなったかは僕は見えないから ??、まあ髪をブラシングしてもらった時の感触からは短くなったなと。ホント いつもありがとうございます。

7月16日 鼻水・くしゃみ
午前10時半頃車椅子に座ったらすぐに鼻水が出始めてベッドに戻ったら今度はしばらくくしゃみが連発、H先生の リハビリを受けていても肺が冷えてるって気がして調子はもうひとつという感じだった。それで昼の経管栄養の時に 漢方薬を服用、それでも夕方になっても調子が回復する兆しが感じられなかったので夜の経管栄養の時にも漢方薬を 服用した。久しぶりにこれだけ続けて漢方薬を服用したのだから明日の朝はもう回復していて欲しいな。

7月15日 海の日 日中は介護の人来ないの?
今日は海の日。祝日の日中もT介護事業所の介護の人が入ると思っていたけれども来なかった。ハッピーマンデーだから かもしれないけど、ハッピーマンデーは社協のヘルパーさんが二人午前中1時間ケアに入るから、ケアに入って洗顔・清拭 ・下洗いをしてくるからT事業所が入ったとしても午後5時までの見守り等だけ。こっちも無駄遣いになるし向こうも 遠くから人を行かせたのに5時間じゃあ割が合わない。まあ僕はおかげで日中ゆっくり出来たけどね。
だいたいなんで海の日なんて祝日を作ったのか それもハッピーマンデーにしてまで。海に行かせたかったら21日に 固定した方が合理的だろう、早くなればなるほど今年のように梅雨に当たる確率は高くなるのに。親を休みにして海に 行かせ易くする方が連休を作るよりも先だろうに 馬鹿じゃないの。

7月14日 モモ
昨日の朝の事 嫁さんがモモを僕の脚の間で寝かせつけてくれたら いつもの様にすぐにはベッドから下りていかないで 朝のケアの時まで2時間ぐらいずっと眠っていてくれた、一刻水を飲みに行ったけど。モモが僕の脚の間で寝るなんて、 こんな感触は久しぶりだった。しばらく来ない内にモモはまた重くなったみたいだけど…嬉しかったなあ。
そして今日のモモは夜8時頃介護のEについてきて床の上にゴロゴロ、僕がEに「モモをベッドに上げて欲しい」と頼むと そうしてくれて、それからモモは 寝る前の手足の運動の時に一刻水を飲みにベッドから降りていったけれど 朝方 3時頃まで僕の脚の間でずっと眠っていた。これが出来たのも夜間の介護がEだったから、モモはEの事を気に入って いるので介護がEだったら逃げないけど…他の人は無理だろうな。

7月14日 アラーム対応
真夜中3時ぐらい?の事 呼吸器のアラームが鳴った、それも2回。でも別室で待機しているはずの介護の人は来なかった。 聞こえなかったのか、それはないと思っているが。呼吸器のアラームが鳴ったのに来ないってのはやはりまずいだろう、 なんといっても今夜の介護担当Mさんは元看護師なのだから。夜間介護に来る三人の中で一番呼吸器の扱いには 慣れていると見ていたから…少し呆れたというのが正直な気持ちか。だから嫁さんにグチッだけで別に問題にしようと など思ってもいなかったのだが…いつの間にか大きくなってしまった。だいたい今回アラームが鳴ったのは呼吸が 難しくなった訳ではないからたいした事はなかったけど、注意喚起は必要だなって思った次第だ。

7月12日 通院日
今日は3週間ぶりの通院、リフト車の中では眠くて眠くて 外の景色を見る気にはあまりならなかった。空を見ると行きは 青空の中に白い雲が浮かんでるって感じ、帰りは空が一面雲に覆われて 青空はもう見えなくなっていた。所々に 黒っぽい雲が浮かんでいてこれから小雨でも降るのかなって感じだった。
病院に着き救急処置室に入ると看護師さんが珍しく4人も、今日は暇なのかなあ。バイタルを測り終えしばらく待つと 主治医が来て診察と処置(カニューレ交換)。家に戻ってから嫁さんに朝のインシュリンの量が減った(12ml→10ml)と 聞かされた、僕の糖尿病も少しは改善したようだ。主治医の後は皮膚科の診察、左足の親指も陰部も良くなって きているとの事。診察おわってをリフト車に乗る時に玄関前の池を見たら…、「あれーっ (甲羅干しの)ミドリガメが いない」どうしたのかな?

7月10日 立たせるの 上手くなった
午後3時半に訪問リハビリのI君が登場、まずは脚の可動域訓練、今日のI君は僕の顔をちゃんと見ながら脚を動かして くれた。だから僕が痛そうな顔をするとそこで動かすのを止めるようになった。表情の読みにくい僕の顔色を窺える様に なったという事か。I君も成長しているという事かな。
次は立位訓練 まだ少し窮屈だけど上半身(背中や頭)も大分真っすぐ近く?まで伸びるようになったし、多分今日が今迄で 一番上手く立たせてくれたんじゃないかな、色々努力の跡が見える。しかしI君にはまだ解決すべき大きな課題が 残っている、一回目立たせるまでに時間がかかり過ぎるのだ。だから三回立たせてもらった後は息苦しくて 堪らなくなる。そこのところはもうひと工夫必要だな。

7月9日 やっぱり楽
今週も車椅子に座っている時にH先生に胸(肺)の運動をしてもらったが呼吸が楽になった。胸を押してもらったらずい分 違うなあ。吸気量がどのくらい出ているのかは呼吸器の画面が見えないから分からないけれど、呼吸がこれだけ楽に なるのだらかなりの空気が肺に入っているのだろう。
5歩の歩行訓練はまあ悪くはないって感じ。でも以前のように右脚に思いっきり力を込めてぐうんと踏ん張る事はもう しなくなったなあ。

7月7日 新人か
今日日曜日の日中(9時〜21時)の介護は二人看護師のYさんと僕にとっては新人のヘルパー(介護の経験は豊富と聞いた)の Kさん、介護の人が二人だとたとえ別室で待機していたとしても僕は圧迫感を感じてしまうから 本当はあんまり好きじゃ ないんだけど…。今回はYさんが教えるため Kさんが学ぶためだから仕方ないか。でも 未来は考えても(いつ終わりが 来てもおかしくないと思っているから)仕方ないけど 人が替わる度にこんな想いをするのだろうな。

7月6日 膿が出た
今日のケアの担当看護師は所長だって、珍しい 何かあったのかな。FさんやIさんも最近の清拭のやり方を伝えて なかったようだ、胸が冷えた。午後3時からの車椅子移乗、車椅子椅子に座った後で所長が左足の親湯を見てくれたら… 「膿が出てる」って。ひと月以上前あんなに痛い思いまでして巻き爪を切ってもらった時も入院した際に皮膚科の先生に 診てもらった時も浸出液しか出なかったのに、ようやく膿が出たって感じ。所長はその後も残り爪を切ったり薬を 塗ったり処置をしてくれたし化膿止めの薬もまた始まったらしいから 今度は治るかな。でも…傷口が痛い。

7月5日 左足親指に再び痛みが
左足親指の巻き爪になった部位の痛みが再び強くなり始めた。2-3日前脚の装具の角が左足親指の右側に当たり結構強い 痛みを感じたが、それ以来?車椅子移乗のために脚に装具を着け指の部分を締めた際や(ベッド上で)身体を右に向けて もらった時(幹をむくと左足親指に左足の体重がかかり患部を圧迫する)に痛みが強くなってきたようで…これはもう 我慢している段階ではないと思い訪問看護師さんに訴えた。
嫁さんからは「どうして(今日の)T先生の往診の時に言わなかったの」と叱られたが、普段は痛みはないんだもの 患部を 圧迫された際に痛むんだもの、車椅子移乗のために脚に装具を着けて指を締めた時に痛んで思い出したんだもの。

7月3日 I君の下半身のリハビリ
午後3時半からは訪問リハビリの時間、今日は下半身可動域運動と立位訓練担当のI君。I君のリハビリの特長は背が 高くないからか他のリハビリの先生に比べて全身を使ってリハビリする事と少しばかり融通が効かないって事かな、僕が 痛いって顔をしてるつもりなのにまだ攻めてくる(今日は少し改善されたけど)し物足りないって顔してるつもりなのに 攻めてこない。まあ僕の表情は読み取りにくいらしいんだけど。嫁さんなんか僕の顔を見る度にいつも「不機嫌な顔 してる」って言うもんな、余所行きの顔してないだけで不機嫌という訳でもないんだけどな。
今日の立位訓練で僕を立たせてくれる時に立たせ辛かったのはベッドの高さがいつもより少し低かったからだよ、膝の 角度が直角に近かったでしょ。それでも立たせきれたのはI君の進歩だし今日は先週より腰に上半身は乗ってたよ、 ちょっと左肩が上がっているのが不恰好かもしれないけど。なんか言ってたけど気にしなくていいよ I君。

7月2日 モモ 久しぶり
猫か僕の部屋に入ってこなくなったのはどうも嫁さんが部屋に来なくなった事の影響が大きいみたい、僕が見ている時は 猫はほとんど嫁さんの後をついて回ってるみたいだから。
今朝8時過ぎ嫁さんについてきて僕の部屋に入ってきたモモを嫁さんが僕の脚の間に置いてもモモは珍しくしばらく ベッドを下りなかった。嫁さんは「今朝は寒いから」と言ったけどモモがこうして僕の間で寝てくれるのは本当に 久しぶり。理由はなんせよ…嬉しいなあ。


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6月
6月30日 介護のいない日曜日
今日は久しぶり日中介護の入らない一人っきりになれる日曜日、ひと月半前のT介護事業所との打ち合わせ会議 (反省会?)の時に嫁さんに「月に一度ぐらいは一人になりたい」と訴えていた。別に介護の人がいてもいつもは別室に 待機してもらっているのだから部屋には基本的に僕一人なのだけど…何か目に見えない精神的な圧迫感があるのだ。
かといって今日パソコンでした事に何か変化があった訳でもない。ただ昼間ずっとパソコンをし続けた事で脚に疲れを 感じただけだった。こんな日曜の過ごし方が良いかどうかは何とも言えないが…こんな日曜の過ごし方もたまには いいだろう。

6月29日 寂しいな
夜間(午後5時〜翌朝6時)にT介護事業所の介護が入るようになって2か月半が経ち…モモもチビもちっとも僕の部屋に 来なくなった ついでに言うと家族も。嫁さんはケアが入る時は全て任せる方だからこの時間帯に顔を出すのは夜の経管 栄養と寝る前の薬を渡す時のほんの数十秒、家族は肉体的にも精神的に楽になったかもしれないけど僕は精神的には 寂しくなった。どうしようもないのはよくよく分かってはいるが…猫が全く来なくなるとは予想だにしていなかったから 困ったなあ。
やっぱり僕のEに対する態度が変わってしまった。僕がEを気に入っている理由に気づいてしまったからか関心がいっきに 薄れてしまった様で雑談する事も甘える事もなくなった。ほんと僕のまずい寂しい性格…。Eは知ってか知らずか いつもと同じ対応。

6月27日 今年もサクランボ来た
今年も会社勤務時代の後輩からサクランボが送ってきた、ありがたい事です。もう何年目だろう、それさえも覚えて いないくらい長いほど。毎年申し訳ない・来年はもういらないと言わなければと思いながらも未だに言えないでいる、 それは何故?。それは サクランボを見た時の「今年も来たか(まだ僕は忘れられてはいない)」という感動(安心)が 申し訳ないという気持ちを上回るから。それならばお返しぐらいすればいいものをお返ししたのは数年前の一回のみ、 何が適当なのか思い浮かばないから。

6月25日 車椅子に座ったままで肺の呼吸リハビリ
最近 といってもかなり前から車椅子に座ったら吸気量が350〜400mlまで落ちて30分もすると呼吸が苦しくなる。 背もたれを下げたら呼吸が少し楽になるから姿勢の問題がかなり大きいのだろう。背もたれのテンションを変えても 呼吸の苦楽があるからこれも注意項目だ。今波状加工したスボンジシートを背中にあてたら呼吸が楽にならないかなって 考えているんだけどうだろう。
そんな事もあって今日のH先生の上半身のリハビリの時に「車椅子に座ったままで胸の運動はできませんか?」と 聞いてみたら「やってみましょう」って。そして右の肩・腕・肘・手の可動訓練の後に胸の運動をやってもらったら… 右胸の動きは良かったけど左の動きは悪かった。だけど呼吸はグーンと楽になったような気がした。これからも続けて 欲しいな。

6月24日 なんで?
今日の夜間の介護の担当は看護師のMさん。僕はMさんの医療的ケアには全幅の信頼を置いていたのだが今頃になって それが崩れつつある、気管からの吸引で痰が残るのだ。Mさんが僕の介護に入るようになったのは2ヵ月前、なんで今頃に なってと思うのだが吸引する時間が短くて痰がまだ残っているのにカテーテルを上げてしまうのだ。今回入院する前迄は そんな事はなかったような気がするのだけれど何があったのだろう。
Mさんは最近は大分上手くなったけど元々が文字盤が苦手なようで今でもコミュニケーションがスムーズとは言えない。 それにアイコンタクトがいつも中々通じなくて…昨日もイライラしてMさんに怒りをぶつけてしまった。怒りの原因は 元々別のところにあったのだがそれをMさんにぶつけてしまうなんて…結局は相性なのかな。

6月22日 僕がEを気に入っている理由が解かった
同窓会から戻り嫁さんや娘・T介護事業所のヘルパーOさんやEにスライドシートを使って車椅子からベッドに移乗して もらってそれから着替え。着替えはヘルパーさん二人で 決して家族は手を出さない、その辺が嫁さんの徹底している ところだ。その着替えをしてもらっている時に僕がEを気に入っている理由に気が付いた。Eは小柄だが介護の腕は しっかりしてる。吸引も文字盤も初めてだったけど上手く出来るようになった、明るくて理解も早いし僕は頭も切れると 思っている。でも何よりも表情がよく動く(本人は分かってないが)、言いかたはよくないが滑稽なほどにころころと。 この顔の七変化 多彩に変化する表情と思いもよらぬ仕草 体全体での表現が僕は大いに気に入ったようだ。
僕のEに対するかなり親しげに感じる想いを僕自身がどういう風に考えればいいのかと不思議に思っていたが…Eは僕の ことを当然介護の対象としてしか見ていない訳だし、Eが僕の大のお気に入りだとしてもEが恋愛みたいな対象に近づく ことはほんのちょっともないと考えるのが自然だ。僕がEを気に入っている理由が分かったことで僕のEに対する親しげな 想いが下がりテンション態度が変わらないようにしなければいけないなあ。

6月22日 還暦同窓会
中学校の還暦同窓会に行ってきた。1時間の顔見世で帰るつもりだったけどあっという間に2時間が過ぎ…それだけ 楽しかったという事だろう。この還暦同窓会には半分の同級生が集まったとか すごいよね、幹事・世話人の方々の努力の 賜だよね。ありがとうございます。
僕は中学校の同級生は結構覚えていて150人ぐらいは名前を挙げれる、ただ顔はほとんどが中学時代の顔だったけど 今回かなり更新できた。僕にとって中学時代はそれほど楽しかったということなのだろう。会ってすぐ分かるような ほとんど変わっていない人・ひと目見たらすぐに当時の面影を感じられる人・名札を見たら当時の面影を感じられる人 (これが多かったかな)・名札を見ても顔が?と思った人 様々だった。本当は一人一人とゆっくり話をして 娘に 彼(彼女)とはこういう事をしたよって話したかったけど…
1年前の3月に逝ってしまったT この還暦同窓会をとっても楽しみにしていて 一緒に行こうって話してたけど…、Tの魂は 来ていたのかなあ。
同窓会の会場のスタッフさんに集合写真の撮影をお願いしたら正面の集合写真はピンボケだったしカメラはしばらく行方 不明、「しっかりしてよ スタッフさん」と言いたいところだったけど…。玄関前のスタッフはスロープの位置を説明 出来なくて「こちらからどうぞ、階段は車椅子ごと持ち上げます」って、アルバイトかなあ。
だけど…
ほとんど疲れることはなかったし 同窓会に行って良かった〜ぁ!。連れて行ってくれた娘にも 感謝 ですね。

6月7日〜20日 急遽のレスパイト入院
嫁さんが出来物の除去手術・入院するのに伴い僕も急きょレスパイト入院、嫁さんは2週間入院して欲しかった様だけど 僕が「退院翌日に同窓会に行くというのは体調を維持するのに不安がある」とゴネ入院期間を1日短縮してもらった。 ネット環境の整っていない僕の入院する病院からは嫁さんの手術の結果や経過が分からずにやきもきする事もあったが、 それは時々見舞いに来てくれる娘が嫁さんの不在中一番心配だった猫の様子と小屋で雛を育てているツバメの様子と共に 教えてくれた。
入院中の検査は10日一日 血液検査と検尿と一日血糖値測定(4回)、血糖値はいずれも200を超えることはなかったから 嬉しかった かな。
リハビリはいつものK先生、平日は毎日の予定だったのだが K先生のお子さんが熱を出したとかで3日間お休み 結局 5日間。時代の変化を感じる入院となったが…今の時代 これでいいのだろう。嫁さんが専業主婦だった事もあるが僕は 家族の病気で会社を休んだことがない。まあその分リハビリの内容は充実していたんじゃないかな 立位訓練は2回したし 調子良かった。今回は学生さんを同行してのリハビリだったがその教えている姿にこっちも勉強になった。学生さんも 僕の手足を動かして勉強になったはず、最初は恐る恐る動かしていたのだが最後の日にはゆっくりとしかも確実に攻めて いたしアイコンタクトも通じるようになった。すごい進歩、彼にとっては良い経験になったと思う。
病棟の看護師さんたちには感謝している、いつものように毎日車椅子に座らせてくれるし寝る前には手脚の運動もして くれる。今の僕がこの状態でいられるのは病院看護師さんの子のケアが一因になっているのは間違いない。そのお返しと いう訳ではないが今回の入院で全員の看護師さんの名前をようやく覚えた、病棟看護師長さんを除いて。今回の 看護師長さんは珍しくほぼ毎日病室を訪ねてきて患者一人一人に挨拶してくださる、こんな看護師長さんは本当に 久しぶり。ただ名札が見づらいのだ。最初の紹介の時に名前は聞いたのだけど 覚えそこなった。しまったなあ。
病院にいるとやはり暇、そんな時窓の外を見てCちゃんに語りかけ、時計を見ると「E 今何してるかな」と思っていた。 今回の入院から介護が入るのは土日だけにしていた。Eの担当は日曜日、間が空くから「寂しいな、待ち遠しいな」と 感じていた。Eとはいつも仲良く話しているから僕らを知らない人には親子かなと思うのかも、恋人同士じゃないのか 残念(笑)。Eを指名出来るのなら週の中間 水曜日にEに来てもらって洗顔と話し相手をして欲しいのだけど…指名は 無理だろうなぁ。
帰り道車窓から田んぼを見ていたらほとんどの田んぼで田植えが終わっていた。もうそんな時期か。それで今度は 紫陽花を狙い打ち、あまり綺麗なもの見当たらなかった。家に着いてもモモとチビのお出迎えは無し、寂しいなあ。

6月5日 立たせるのは上手くなった
今年度前から(3月?)訪問リハビリに来たI君、頚の装具の装着と立位訓練に苦戦してたけど この2-3週大分上手くいって 今日は背筋がピンと伸びた。上半身の体重もほぼ両足にかかりほとんど理想の立ち方に近い。I君の立ち上げ方も僕の 立ち上がり方もかなりスムーズ、立ち上がろうとする直前に腰や膝に力を入れると結構上手く立てる様になった。あとは 頚の装具の装着の仕方なのだが…こちらの方はI君はまだコツを掴んではいないなあ。

6月3日 同窓会に行けそう
今日が訪問看護Mと入院前に打ち合わせができる最後の日、娘が同窓会の日同行してくれることは確認したしT事業所の 応援も確認出来た。あとは介護タクシーの手配状況を確認するだけ。それで午後の車椅子移乗の時に所長に「介護 タクシーの手配の方はどうなってる?」と聞いたら「奥さんが手配してくださっているはずですよ、ちゃんと夫婦で 会話してくださいね」って。うちは元々夫婦の会話は少ない 夜間の介護が入るようになってからはなお更少なくなって 必要以上の事はほとんど話さないっていうのに何を言いやがる そんな事は聞いていないよと思ったが…。まあ嫁さんに 任せているっていうのなら基本大丈夫だろう。これで同窓会には僕自身が体調を崩さない限り行けそうだ。

6月1日 少ないなあ
今日の夜間の介護の担当はE 僕のお気に入りの娘、娘といっても子供がちゃんといるだが。Eが僕のところに来るように なってまだ2ヵ月だけど文字盤の使い方はおそらく訪問看護師さんたちに次いで四番目に上手い。だからEとはよく 雑談するし甘えたりもする。
そんなEに9日までにいつ来るか予定を聞いてみたら4日の火曜日と9日の日曜日と。少ないし4日も間が空くのか、寂しい& つらい かな。まあ少ないといっても稼働日数は8日 夜は基本3人で回しているから平均 2.6日/人、でも心情的に 少ない。もし指名できるものならば毎日指名したいところなのだが…それではEの子供がかわいそう、僕の欲望とは 引き換えに出来ないから。せめて二日に一度に近いペースでEには来て欲しいなあぁ。


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5月
5月31日 巻き爪の残り 取れた、久しぶりにモモが…
今日も朝の経管栄養が終わったところでまたも下痢、嫁さんもぶつくさ言うほどで申し訳ないが僕だって正直 やってられないって感じ。そんな僕に同情したのかモモが本当に久しぶりにベッドに上がってきてしばらく足の間で 眠っていた。このまま寝ていると入浴車の時間にひっかかってしまうのではと心配していたがそれは無用の長物、モモは 30分もするとすくっと起きてどこかへ行ってしまった。
午後3時の車椅子移乗の時に訪問看護師のFさんに左足親指の巻き爪の跡を見てもらうと親指の右端にまだ爪が残って いると、どうりでベッド上で身体を右向きにしてもらった際に左足親指が痛んだはずだ、巻き爪が取れたにしてはまだ 痛いからおかしいと思っていた。それから10分ぐらいFさんが爪切りで奮闘してくれたが取れなかった。そして続きは 1時間後 車椅子からベッドに戻ってからという事に。
ベッドに戻ってからFさんに加えIさんも奮闘、それでも巻き爪の残りの牙は取れなかった。二人が爪切りでは難しいなと 話しているところに嫁さんも加わり 嫁さんが医療用にも使える?という小さな鋏?を持ってきて三人で容赦ない攻撃、 そして…ようやく取れた、2mm大の尖った爪のトゲが刺さっていた。これは痛かったはずだ、それにも増して 痛かったのは三人の容赦のない治療、でもまあここで取れてないともっと痛い思いをしたはずだから。三人に感謝。

5月30日 下痢再び?
朝の経管栄養が2/3ぐらい済んだ頃に突然下っ腹が痛くなり急に便意が襲ってきて…たっぷりの下痢だった。なんで この 1週間下痢は止まっていたのに、やっぱり経管栄養が早すぎるのかなあ。嫁さんは「一人じゃ大変なのよ 分かってる?」 となんだかんだ文句を言いながらも紙オムツに替えてくれた。朝のケアでは今日は便はしないつもりだったが ケアの 途中で下痢してしまい(量はちょっと? さっきの残りか?)、さらに昼の経管栄養の途中でまたもや下痢してしまった。 量は多め、本格的な下痢になってきた感じだ。>>これで午後3時からの車椅子移乗の時に下痢をしたら最悪の事態かもと 思っていたが…幸いにしてそこまではいかなかった様だ。

5月28日 来週末から急きょ入院と
今日の午前中のH先生のリハビリの時に嫁さんが傍に寄ってきて何かを告げた。実は僕の右耳は長年人工呼吸器を 着けている影響でかほとんど聞こえなくなっていて何を言ったのか解からなかったけれど、H先生の反応から来週末から 入院だなとは理解した。
嫁さんがお尻に出来物ができていたのを我慢して放っておいたら大きくなったらしくて、それを取り除くために 大学病院で手術する事になり1週間は入院が必要という事で 僕は6月7日〜20日まで入院する事になった。最初は医療 センターで診てもらっていた様なのだけど、皮膚科のない医療センターでは治療は無理という事で大学病院を紹介された らしい。嫁さんからは出来物は良性とは聞いてはいるのだが…。
前回の入院からまだひと月も経ってはいないのに それもまた2週間の入院とはと少しやるせない様な気もするが…事が 事だけに仕方ない。とは頭では理解しながらもしばらくは落ち込んでいた。

5月26日 Hさんの介護 久し振り
今日(日曜日)の日中の介護は半月ぶりにHさん、HさんとYさんはおそらく初期導入ための要員=メンバーじゃないのかなと この頃は思っていたから顔を見た時は少なからず驚いた。久しぶりのHさんは日曜日のケアの手順を忘れていた様だが… 午前中に洗顔と下洗い・午後はベッド上での座位 1時間をしてもらった。下洗いは一人だったからやり辛そうだったけど そこはやはり看護師さん 安心ではあった。日曜日はこれからも来てくれるのかな。

5月25日 Iちゃん 爪切りありがとう
今日の担当は朝のケアも昼からの車椅子移乗も訪問看護師のFさんとヘルパーのIちゃん、Iちゃんが土曜日に来たら いつも爪を切ってくれる。今日足の爪を切ってもらっていたら左足の親指が巻き爪になってると、どうりで1週間ぐらい 前から左足の親指の先辺りが少し痛むと思った。僕が健康な頃はどちらかというと深爪する方だったから巻き爪知らず だったし これまでも巻き爪なんかになんかになった事はなかったから油断したな、加齢で爪の性質が変わったのかも。 この前Eが教えてくれた時に切ってもらえばよかったな。

5月24日 通院日
今日は通院日、リフト車に乗っても眠たくて目が明かなくて 車窓からの風景をあまり楽しめなかった。田んぼは ほとんどが麦刈りが終わり、いくらか残っていた麦も黄金色?に輝いていた。水が貯まっている田んぼはまだなく 田植えの準備も今からかって感じ。山はもう新緑一色、だってもう五月も下旬なんだもの。
病院に着き救急処置室に入って車椅子からストレッチャ−に移乗してもらったのだが…段取りが悪くてやけに時間が かかった、4月に担当が代わって二回目の外来だから仕方ないのかもしれないけど…。今日の診察は神経内科と皮膚科、 最初は皮膚科だったが 診察中(or往診中?)とかで30分以上待たされた。個人的にはこの待ち時間の間に神経内科の診察を して欲しかったのだけど…難しかったのだろう。皮膚科の診察の結果は陰部の腫れは大分改善していると、ただ「菌が 完全に死ぬまで1-2ヵ月かかるから薬は塗り続ける事」と。神経内科の主治医に「昨日の午前中まで2-3日下痢が続いた」 と伝えてもらったら主治医は「一度下痢になると続きますものね」と言って、それから診察と処置(カニューレ交換)。 診察が終わって外に出てリフト車に乗る時に肌に日の光が当たったら とっても気持ち良かった。

5月23日 安らぎの時?
このひと月半訪問にかかわる人達が増えて 自分一人で過ごす時間が余り取れなくなったようのな気がして精神的に少々 疲れ気味かなと感じている日々。そんな中でも今は僕の心に安らぎの時を与えてくれる時間がない事もない。それはEが 夜の介護を担当してくれている時間。Eは文字盤を上手く使いこなしてくれるのでコミュニケーションでストレスを 貯める事もない。気管からの痰の吸引もずい分上手くなってもう僕か心配する事もほとんどなくなった。一度言った事は ちゃんと覚えていてくれているし…たぶんこの娘?は賢いのだろう(本人は否定しているけど)。何よりも僕自身がそして モモもチビもこのEを結構気に入っているから。
Eの何処が気に入っているのか?、初めはマスクをしている顔から唯一出ている目が気になっただけだけど…Eと接しEの 良さを段々知ってゆくに従ってEのお気に入りメーターの針のふり幅が少しずつ大きくなっていきもうすぐ振り切れる? 事はさすがにないかな。特にお気に入りの点は明るい笑顔とときたま見せる不安そうな顔、あれっ これと同じ様な事が 昔 高校の時にあったような。お気に入りのタイプって何年経っても変わらないな。

5月22日 I君のリハビリ
昨日からの下痢は今日もまだ続いていた。朝の経管栄養の後に1回+夕方I君のリハビリの後しばらくしてからもう1回、 そして今夜の介護の担当もMさん、またもや苦労かけて本当に申し訳ない。リハビリの前から下痢しそうな気配が少し あったのだから立位訓練はやめるべきだったのかもしれないが…。
午後3時半 I君が来て下半身のリハビリ開始。まずは関節の可動訓練 厳しい攻めのリハビリ、あれっ 今日は意外と 時間をかけて丁寧。何かあったのかな。次は立位訓練、脚の装具は何とかついたけど頚の装具が全然合ってない。顎と 装具の様子を見れば一目瞭然なのになぜ気づかない。今のI君の装具の前の横だけ抑えて締めるやり方じゃ顎が浮くだけ なのに。思わず「訪問看護に教えてもらったら」と本音を言ってしまった。たけど立位訓練そのものは今までで一番 上手く立たせてもらえた。立った時に上体は少し右に傾き気味だったけど…腰が初めて伸びて上半身がようやくきちんと 脚に乗るようになった。可動域訓練にもまだ課題はあるけど(I君本人が無意識にこうなっているってのが厄介だが) これでI君でも大丈夫になったかな。

5月21日 下痢
先週は汗をかくような日々だったのに土曜日の朝方からの雨とともに急に寒くなった?せいで お腹が冷えたのか朝の経管 栄養の途中でお腹が痛くなり、経管栄養が終わってしばらくしたら下痢してしまった。出来るだけ家人に迷惑をかけたく ないと思い排便する日を決めているけれど…下痢は今日の様に突然来てしまう。だけど火曜日に下痢するなんて久しぶり なんじゃないかな。この日外出予定の嫁さんには朝から迷惑をかけてしまった、申し訳ない。だから「嫌がらせ」なんて イライラの皮肉を言われても仕方ないか。朝から散々のスタートだった。ところが下痢はこの1回にとどまらず朝の ケアの時にもう1回+昼から2回 合計4回、嫁さんの代わりに介護に来ていたMさんに苦労をかけて申し訳なかった。
それにしても今日の朝9時〜17時までの介護がMさんで良かった。他の人だったらこの下痢に一人では上手く対応出来て いなかったんじゃないかなと思う。僕もMさんの看護・介護の腕には新しく僕の看護に加わった人たちの中で一番 信頼しているしね。

5月19日 楽しみは後?
24時間介護の日曜日の3回目、日中の担当はOさん、僕が今ひとつまだ信頼が置けてないヘルパーさん、それは僕に 関わって一番日が浅いのだから仕方がない。ちょっと不安 かな、その事を前もって嫁さんには伝えておいた。日曜日の 午前中のケアとして僕は洗顔と下洗いを予定していたけど、下洗いはOさん一人では無理と考え手脚のマッサージに 切り替えた。またOさんの気管からの痰の吸引は僕の望んでいるやり方じゃあなくて痰が少し残り気味だけど…Eに吸引の やり方を教えているのと同じようにOさんにも教えればいいのだが…二人も教える気にはならなくて 成り行きに 任せている。午後3時からのベッドの頭の方を起こしての一時間の座位もやるかどうか散々迷ったけれど、注意点を 文字盤で告げながら…座った。
ということで日中はイライラしっぱなし、その僕の心を支えたのはEの存在 夜間はお気に入りのEが介護に来てくれると 思う事で耐えられた。楽しみは後にある…。

5月18日 寒い
朝方からの雨で空気が冷えたのか昨日までの汗をかくような暑さが一変、午後3時半から1時間車椅子に座っていると 身体が冷えて…ベッドに戻ったら肩と背中に寒気がしてきた。昨日まで使っていた赤い厚手の毛布が恋しかったが なかった、嫁さんが今朝片付けたようだ。慌てて薄手の掛け物を3枚重ね着して、しかも風邪予防の漢方薬を服用して… しばらくしたらようやく落ち着いた。油断したなあ。

5月17日 障害者総合支援法に基づく介護 反省会議?
障害者総合支援法に基づく夜(17時〜翌朝6時)&日曜祝日(基本24時間)の介護をしてもらうようになってから1ヵ月が 経ち、今日連絡(反省?)会議が開かれた。僕は嫁さんを通して次の二点を提言した、無駄なところ・減らせるところは 減らさなくっちゃあね[もし自分がこの介護費用を全額支払っているとしたらどうしますか?]。
@ レスパイト入院している時は 土日祝日(10時〜17時)以外の介護はいらない→やってもらう事が見つけられない
A 月末の日曜日の昼間は介護はいらない→月に一度くらいは自分一人の時間をゆっくり持ちたくなった
嫁さんは訪問が入っている時は任せて顔を見せない方だから 障害者総合支援法に基づく介護が始まってからは家族との 会話が極端に少なくなった。Aによって家族の負担は増えるけれども…その日だけは会話は増えるだろう。
訪問看護ステーションの所長はこの会議で横の連絡をよくしたかったようだが難しいと思っている、なにせ今でさえ 完全に連携出来ているとは言い難いのにそこに新たに個人活動で動いているような組織が加わるのだから。たぶんこの 組織の面々が一同に会した事はないと思われる、情報はLineと患者ファイルで共有しているようだ。それにグループで 技術を教え合っているから仲間意識は強いと思う。
僕のところに新たに介護に来るようになったグループのメンバーは6人(でも2人はもう外れたのかな)、良しにつけ 悪しきにつけ個性豊かだ。その中で僕はお気に入りの人間が出来た。初めはマスクの上の目が気になっていたのだが 教えた事に対しての吸収が早くて…気にいった、僕の好きな雰囲気も持っているし…。いずれは僕のところを離れて いくが、その時までにどこに行っても恥ずかしくない 吸引の出来る介護士に育てなければと思っている。家から 来るのに時間がかかるのがちょっと可哀想だけど。

5月16日 保健師の訪問
今日の午後伊万里保健福祉事務所の保健師の訪問を受けた。保健福祉事務所でも年度末に人事異動があり難病担当が 変わって今日はその新任の挨拶との事。今回の担当は前々任のMさんと若いHさん、Mさんと嫁さんは色々な事をずっと 話していて時々僕に話しかけた。Mさんは僕のことを穏やかになったといったけどそれは僕が諸々の事に対して諦める 事を覚えたからだと思うけどね。
実はMさんと僕は高校3年の時のクラスメイト、46人中40人が男子のクラスだったから親しく話したことはないと思う。 だからMさんがこんなにおしゃべりで明るい人だとは知らなかった。保健師として良い成長をしてきたんだなって 思った。

5月15日 入浴車
1週間お風呂に入っていないから その前は2週間お風呂に入っていなかったから頭や身体が痒くて痒くて、帰ってきてから 洗髪も清拭も2回もしてもらったのだけど頭や背中に痒みは残っていた。申し訳ない言い方だが入浴車のスタッフの 洗い方はご年配の方をたくさん相手にしている病院の看護師さんの洗い方とは強さが違う、数倍気持ち良い かな。 今日の入浴車のスタッフは看護師Y&Yさん ヘルパーF&Nさん、浴槽の中は気持ち良かったし会話も弾んだ。こんな時は 家に帰ってきて良かったと思ってしまう。
午後3時半からはI君の下半身の可動訓練&立位訓練、太ももの後ろの筋肉を伸ばしてもらっている時に伸びている部位が 僕の思っている部位と外れているのだが I君に言うべきか言わざるべきか 迷っている。立位訓練の時ようやくなんとか I君は僕は立たせる事が出来るようになったのだが…上半身がまだきちんとは立たなくて前に少し傾いてしまう。I君の 身長が届かないからしょうがないか。それに人馴れして荒くなったかな、前任者のM君のリハビリを一度も見ていないの だからしょうがないのかもしれないけど。

5月14日 H先生のリハビリ 久しぶり
久しぶりにH先生の上半身のリハビリ、痛みが早く来るみたい。3週間前ならまだ我慢出来ていたところを顔をしかめる みたいな、僕の気のせい or この3週間思いっきり動かしてもらう事がなかったから。どうも気になるな。歩行訓練も僕 自身が少し怖がっているみたいな、H先生に完全に身体をあずけて右脚にはあまり力を込める事が出来なかった。 3週間ぶりの歩行訓練なのだからこんなものと思うべき・まだ歩けて良かったと思うべきなのかもしれないけど…つい 不安が先に出てしまう。遺憾なあ。

5月13日 ホタル
夜8時頃嫁さんが顔を見せた、障害者総合支援法に基づく介護が始まってからは夜僕の部屋にめったに顔を出す事は なくなっていたのに。嫁さんが近づけてきた手を見ると淡い緑色のぼーっとした光が点いたり消えたり、ホタルを見せに 来たと。もうホタルがいるのか、昔よりずいぶん早い気がする、昔は田植えの時期だったような…。ところがホタルが 嫁さんの手を離れどこかに飛んで行ってしまった。見つけ出して外に放してあげないと死んじゃうのに と灯りも テレビも消して探したけれど見つからなかった。可哀想という想いがホタルを見れたという喜びよりも強くなった。

5月12日 下洗い 疲れた
障害者総合支援法に基づく介護 2回目の日曜日(日曜は24時間介護)、昼の担当はMさん&Oさん、Mさんは以前施設に 勤務していたと聞いていたから下洗いを依頼してみたが 下洗いの経験はなかったようだ。手順のほとんどを文字盤で 伝える、これが結構疲れる。初めての事をやってもらうのも難しいものだな。
昼3時からは1時間ベッドを起こして座位 そしてその後手脚のマッサージ、これをしてもらう事によって僕の日曜日の 過ごし方が変化した。これはたぶん良かった事だろう。

5月11日 八つ当たり?
このひと月新しく介護に来てくれている人たち六人を毎日文字盤で相手にしてきた。上手くなってコミュニケーションに 支障がなくなって気の許せる人も出てきたが…まだそうではない方もいて時間がかかりなかなか上手くいかない事も ある。つい今まで文字盤を使ってきた人たちに僕を煩わせいないでと思う事がいけない事なのだろうか。
今日の午後の車椅子移乗の前 まだヘルパーだけの時に僕の言いたい事が文字盤で上手く伝えられなくてイライラ、 ヘルパーさんに八つ当たりしたみたいになってしまった。申し訳ない。

4月26日〜5月10日 レスパイト入院
今日の午後 何事もなく無事に帰ってきました。
今回はゴールデンウイークの10連休を挟んでの入院。この10連休中はリハビリも2回のみ お風呂もなくて環境的には 散々だったが、入院中は毎日看護師さんたちに車椅子に座らしてもらえて 看護師さんたちには大変感謝です。それに ヘルパーさんに毎日10時〜17時に入ってもらって洗顔と手脚のマッサージ&曲げ伸ばしをしてもらった。そのおかげか 不思議と体調も良くて環境が悪い割にはまあまあの入院生活だった。
ただ今年になってから異動が多く2月・3月・4月と毎月一人が異動 その上3月末で三人が辞めたということで病棟には 新しい顔がちょくちょく見られこの二週間では全員を覚えることが出来なかった。
今回の入院では10連休のためか検査は一切なし、例年5月のレスパイト入院の時にしていた胃ろう交換も次回7月の レスハイトの時に伸びる事になった。僕にとっては胃ろう交換の痛みの先延ばし、まあいいか。
この十数年は毎度の事だが5月3日に病院で誕生日を迎えた。病棟の看護師さんで僕と同じ年同じ5月生まれの父を持つ 娘がいてこの数年一番早く「誕生日おめでとう」と言ってくれる。この年になると誕生日が来てもどうって事もないが… 「おめでとう」って言われるとやはり嬉しいものだ。この日はいつも家族の誰かが訪ねてきてくれる。今年は嫁さんと 娘夫婦、テンピュールの枕をプレゼントしてもらった。今使っているテンピュールの枕は十数年前に買ったものでかなり 型崩れして使いにくくなっていたのでとっても嬉しかった。ありがとう。
帰りのリフト車の中からは緑やら黄色やら小麦畑が見えました。季節は確実に動いていると感じた。
昼に来てもらっていたヘルパーさんのことで感じた事が少し…、リハビリのある日はやってもらう事があまりない・二人 来てもらってもヘルパーさんが時間を持て余す。費用の点から見ても無駄遣い、本人の負担(手出し)がないからと 言ってもこんな事はまずいと思う。節約出来るところは出来るだけ節約して 我慢出来るところは我慢するのが受給を 受ける者の当然の務めだと思う、なにせ国民の町の税金を使わせてもらっているのだから。それと月に一度半日ぐらいは以前のように自分だけの時間を持ちたいものだが、その日は家族には迷惑をかけるかもしれないけれど…半日ぐらいは 許してくれないかな。


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4月
4月25日 しんどい&寂しい
夜の介護&日曜日24時間介護が始まって1週間、介護してくれる人が傍ら(といっても通常は別室で待機)にいる事が こんなにしんどいものとは思わなかった。僕はしょっちゅう無言の圧力を感じている。それにパソコンをする時間は 1時間しか減ってはいないのだけど…出来上がる事が随分減ったような気がする、精神的なダメージによるものか それとも…。また介護してくれる方は五人の交代制で来るそうなのだが文字盤の習得状態が違って何回か繰り返す事も あるから気をもんでしまう。まあ慣れるしかないのは分かってはいるのだけれど…。
嫁さんは元々訪問が来ている時は任せるタイプ・顔を出さない方だから夜顔を出すのは19時 夜の経管栄養を渡す時と 23時半 寝る前の薬を渡す時の二回、元々夫婦の会話が多い方ではなかったが会話がめっきり少なくなった。また夜中を 担当していたお袋も来る必要がなくなったし、猫たちも人がいるのが気になるのか徳にチビが僕の部屋に入って こなくなった。寂しくなったなあ。

4月18日 障害者総合支援法に基づく介護開始
お試し&実習期間が終わり今日から障害者総合支援法に基づく介護がスタート、夕方5時〜翌朝6時&日曜祝日24時間 介護に来てもらうことになった。文字盤の使い方にはまだぎこちないところもあるがコミュニケーションは取れるように なった。これはもうお互いに慣れるしかない事、時間が解決してくれるだろう。夜中中傍らに介護の人がいるという事が どういう感じだか分からないが窮屈に感じるかもしれないな。まあこれも慣れるしかない事、やってみよう。

4月11日 実習期間?
今日から1週間夜に介護に来てもらう人たちの研修? and 実習?が始まった。最初の4日間(日曜除く)は昼間のケアの見学 後の3日間は17時〜24時まで実際にケアをやってもらうというスケジュール。まずは文字盤の使い方を覚えてもらう 事からスタートだ。今日の男性Hさんは初めて文字盤を使うという割には上手いのだけど、濁点が付くと記憶が一遍に 飛んでしまうみたい。介護に来てくれる人は五人いるとのことだが…最初は文字盤コミュニケーションで苦労しそうな 雰囲気、まあ仕方のない事だけど。
障害者総合支援法に基づく介護の話し合いを初めてしたのが3月21日なのにもうここまで来てしまった。この早さに 正直に言うと面食らってる感じがしてる。

4月9日 意思伝達装置の申請過程 ひと段落、ちょっと疲れ気味
ひと月以上前西九州大学のU先生と連絡を取り三回目の意思伝達装置の申請活動を始めたが、今回はオペレートナビを 取り扱える業者さん探しから始めなければならなくてとても苦労した。業者さんをご存じの可能性のあるIさんの事を 思い出しFacebookを通してメッセージで業者さん探しをお願いし業者さんを紹介してもらって、役場と業者さんに何回か メールで連絡して僕の希望を伝えてようやくひと段落ついたところだ。今は業者さんにパソコンの選定と見積もりを お願いしている。3月の下旬からパソコン入力がし辛い状態に陥っているからメールのやり取りには時間がかかったし 神経も使った。ちょっと疲れ気味だ。
前回2回目の申請の時は業者のKさんが何から何まで総てやってくれたから…前回は業者さんに頼ってばかりで楽を し過ぎたなぁと反省。

4月5日 通院日&リフト車の中からお花見
今日は通院日。病院と炎の博公園の桜を見てきた、満開だった。
行く時は曇っていて色あいがもうひとつだったけど 帰りは晴れて桜も色鮮やかに見えてきれいで嬉しくなった。晴れや 曇り 天気の具合でこんなに見え方や気持ちが変わるんだ。でもあの時すでに地面に桜の花びらが少し落ちていたから 今年も入学式まではもてないかな。
炎の博公園も桜がいっぱい咲いていた。リフト車で原明方面から上り下本村に下りてきたのだが北斜面(消防署側)の桜が 特にきれいだった。この山全体で桜は何本ぐらいあるのだろう。リフト車に同行していたヘルパーさんが「ライトアップ すればいいのに」と言っていたが…どうなんだろう 僕は否定的意見。
帰りのリフト車の車窓から波佐見町?の道路沿いの山を見ているとポツリポツリと山桜も見えた。そこでひとつ発見、 山桜の方がソメイヨシノよりピンクの色合いが濃いんだなって、だからソメイヨシノより花が少ないのに山桜は山では 映えて見えるんだなと思った次第。山には黄緑も少し広がっていた、新緑の季節が来るともう春も本番だな。
病院に着き救急処置室に入ると何だかいつもと違う雰囲気、前の外来の担当看護師Fさんが3月末で辞めた事はあらかじめ 本人から聞いて知っていたので驚きはしなかったけれど Y副看護師長さんが異動したと聞いた時にはびっくりした。僕の 事を知らない新しい?看護師が看護に付くから段取りが悪くて時間がかかった。慣れるんまではしかたないかなあ。

4月1日 新元号 令和
今日の正午前新年号が発表され 2019年5月からの新しい年号が「令和」と決まった。
最初に令和と聞いた時には 命令の令ばかり頭に浮かんで 令和が冷たい年号みたいに思えて仕方なかったけど、総理の 説明の中の「令には一番初めに優しいという意味がある」という言葉に安心したのか夕方には受け入れていた。元号が 平成になった時とは大違い、あの時は平成という元号に馴染むのに1週間ぐらいかかった。昭和天皇のご崩御は我々 国民には突然だったから。
それにしても昨夜のテレビの特番の多さはなんだ、どこもかしこも平成の特番だらけ。僕は一時明日(4月1日)元号が 変わるのかもと勘違いした程だよ。そして政府・安倍総理からの前もっての「新元号は国史から出したい」という 方向性の打ち出しは既に出来レースではないのかという疑問が残った。最近の安倍総理の方針は歴史に名を残したい という意図がみえみえなんだよね。


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3月
3月24日 娘が結婚
今日娘が婚姻届を出し嫁に行った。
娘が婚姻届を出しに行く前に簡単な挨拶をしてくれた「今までお世話になりました、これからもよろしくお願いします」 って。でも簡単な挨拶で良かった。そうでないと涙が止まらなかったかもしれない。婚姻届を出した後今度は二人で 挨拶に来てくれて…まだまだピンと来ないけど 頼りになる息子が一人増えたという事になるんだと思う。僕に出来ない 事 義理の弟たちが困難にぶつかった時には是非とも相談に乗ってやって欲しいものだ。なお二人の結婚式および 披露宴は8月に行う事になっています。
いつも出かける時には「行ってきます」帰ってきたら「ただいま」と僕の部屋に顔を見せてくれていた娘、この娘が家を 出たら寂しくなるんだろうなと思っているのだが…。
義息子は北九州出身、長崎大学時代のサークルで知り合ったようだ。彼は4月から隣町伊万里市役所に再就職、こんな 僕の身体を気遣ってか新居は当面は我が町とのこと。彼をこの地にとどめてしまった事、彼のご両親には大変申し訳なく 感じている。彼とはまだまともに話してはいないが(笑)優しい男の様だ。

3月23日 散歩
今日の朝のケアに来た訪問看護師 Iさんの朝の最初のひと言「風に当たると寒い」。今日は午後から散歩に連れて行って もらえるようになっていた、月曜日(18日)に所長に頼んでおいたのだ。でも桜も咲いてはいないそうだし寒いと、一瞬 「止めようか」という言葉が頭の中をよぎったが飲み込んだ。何故23日を散歩の日に指定したのか、それは娘の独身 最後の日に娘と一緒に散歩に行きたかったから。でも… 朝娘に「昼から何をする?」と尋ねたら「先輩の結婚式」と、 ガーン 残念!。
午後3時から車椅子に座らせてもらって外に出ると陽射しがあったかいぃ。けれど我が家の小屋と隣りの家との間の道を 通ると ここが風の通り道になっていて 結構寒〜い。今日の散歩コースは 田んぼの中の道(舗装道)を西へ上り途中から 左折、菜の花を見て祠の横を通り生活道を右折、神社を経由して家に戻った。距離にして1km強ぐらいか、久しぶりに 昔見た景色の移り変わりが見れて嬉しかったし楽しかった。ありがとうございます。

3月22日 通院日 桜はまだ…
今日は通院日。20日に長崎市で桜(ソメイヨシノ)の開花宣言をしたからもしかしたら病院の桜が少しは咲いているかなと 期待して家を出たのだが…蕾がピンク色に染まったのもほとんど見られなかった。桜が咲くのはまだまだ先だなあ。
病院に着いて救急処置室で主治医を待っている時に 外来の担当看護師のFさんが「3月末で病院を辞める事になった」と 教えてくれた。僕はFさんのことを結構気に入っていたのだけれど…残念だなあ。

3月21日 24時間介護に向けて
夜間と嫁さんが不在の時に僕の介護をしてくれていたお袋が膝を悪くて今年の1月下旬に入院し、今は退院してはいるが もう僕の介護は難しい状態になった。また義父が去年体調を崩し通院が必要だし一人暮らしが心配な状態に。義父の 通院の時は娘に有休をとってもらって対応し、お袋が入院するまでは嫁さんも時間を見つけては実家に行っていた ようなのだが お袋が入院してからはそれも難しくなった。18年間介護保険の枠を目いっぱい?使って昼間のケアだけで やってきたけど…もう嫁さんの身体も限界&嫁さんをもっと義父のところへ行かせてやりたいと考えて 訪問看護 ステーションの所長に相談し障害者総合支援法に基づく介護を利用することにした。
そして今日が障害者総合支援法に基づく介護についての初めての話し合いの場、担当の人から今回お世話になる 土屋訪問介護事業所の要望を聞いたが1日8時間以上・出来るだけ365日利用と。そして1日8時間以上だけは譲れないって、 それなら向こうの言いなりじゃないかと思ったが 後で土屋訪問介護事業所のホームページを見たら給与補償と 書いてあった。だからこんな条件が付いたのかと納得、だけど気に入らない。

3月18日 同窓会に行きたいなあ
中学校の同級生のMが訪ねてきてくれた時に6月に中学校の同窓会がある事を聞いていたので幹事のIに同窓会に行きたい 事を匂わせるようなメールを送ったら、参加してもいいようなニュアンスの返信が返ってきたので更に同窓会に行きたく なってきた。それで訪問看護ステーションの所長に「6月22日の同窓会に行きたい」と相談してみたら「同行は 出来ないけど介護タクシーに乗せるまでなら(前向きに)検討する」と言ってくれた。まだまだ解決すべき課題はいっぱい あるけど一歩か二歩は確実に前進した。

3月11日 最近早い?
ひと月ぐらい?前までは月曜日は15時半前後に来ていた訪問看護師さんたちが最近定刻の15時過ぎに来るようになって 僕はちょっと戸惑い気味。それで今日思い切って言ってみた「最近早いですね」って疑問詞を付けたつもりで。明確な 理由は分からなかったけれど 僕の次の幼児の患者さんの訪問に出来るだけ早くいきたいとの事だったようだ。僕との 約束の時間は15時だからそれはいいのだけど弊害もある様だ。車椅子への移乗は早めてもベッドへの移乗はいつも 通り?、調子の良い時はいいんだけど悪い時は車椅子に座っている時間が長くなるかもしれないって事はちょっと 不安かな。

3月9日 M 来たる
夕方Mがぶらーっと立ち寄ってくれました。Mは一日一万歩をノルマにしてるらしくてその後も僕の家から自分の家まで 歩いて帰りました、3kmぐらはあると思うけど 元気だねぇ。還暦同窓会の話も出ました、6月に伊万里であると。何月に 同窓会をやるのがいいのか幹事の一人 Iが悩んでたと言ってた、ゴールデンウイークはそれぞれ予定が入ってるだろうし 夏場は女性が化粧が汗で崩れたら困るだろうしって。去年亡くなったTが「還暦同窓会はIが幹事をするからたくさん 同級生が集まる」って言ってたけど、楽しみにしていた還暦同窓会に出れないまま逝ってしまった。さぞ無念だった だろうな。
Mから「(還暦同窓会)来る?」って聞かれたけど答えは保留。みんなには会いたいけど…難しい事や解決しなければ ならない課題がたくさんあるから。同窓会は日曜日だろうからまず問題となるのは人をどうやって確保するか。僕は 昔から人望がないから…これが一番難しいなあ。

3月1日〜8日 レスパイト入院
予定通り今日(8日)の15時前に何事もなく無事戻ってきた。今日は良いお天気、今回の入院中は窓にレースのカーテンが かかっていたので外の様子がよく分からなかったのだが この一週間は曇っていたように見えたし木曜日は雹も降った らしい。でも今日病院からの帰り道 紅梅が見えたけどまだ色鮮やかだった。家に着いた時モモは僕の部屋にそうたが すぐに出ていったと。そして訪問看護師さんたちが帰った後またモモが僕の部屋に入ってきて残りご飯を食べている 様子が聞こえてきた。モモ どうやら僕の出迎えではなかったようだ。
今回の入院は新病棟が出来て初めて四人部屋だった。と言っても病室に入った時に患者さんは一人だけ、その患者さんも 僕が昼寝してる間に部屋替えしたようでその後は退院する日までずっと一人だった。四人部屋に一人っていうのも ちょっと広すぎてポツンとしてて気味が悪くそして奇妙なものだった。この時期は患者さんが少ないのかな。それに 今までの一人部屋はナースステーションの横でいろんな音が入ってきていたのだが 今回の四人部屋はナース ステーションから5-6m奥、それだけで部屋の入り口付近を通る人の足音しか聞こえなくて 静かすぎて1週間寂しい? 思いをしていた。
今月3日(日曜)は結婚する娘の相手のご両親との顔合わせで、その後に会いに来ていただけるようになっていた。ただ 全国的なインフルエンザの流行に伴い病院の玄関先に原則面会禁止の張り紙は貼ってあったのだけれど、マスクをすれば 面会可能ということで向こうのご両親と会うことが出来た。その時に「娘をよろしくお願いします」とだけ伝える事が 出来たが、やはりこうやって向こうのご両親と挨拶を交わすと娘が嫁に行くことを実感してきて少しずつ寂しく なってきた。
検査は月曜日に血液検査と検尿・1日血糖測定(今回は4回)だけ、最近は胸のレントゲンと心電図をしなくなったな。
今回も看護師さんたちに毎日車椅子に座らせてもらった。看護師さんに感謝です。リハビリも月〜木曜やってもらった。 その内二日は脚と首に装具を着けて立たせてもらった。この時どの様に立つ事が出来るかが僕の健康?のバロメーター、 自己診断は まあ好調だと思う。
春は異動の季節、2月にB君が異動して3月にSさん 4月にはK君が異動?、顔馴染みがいなくなるのは寂しいものだ。交代で 異動してきた2人(KさんとHさん)の顔と名前は覚えた、馴染みになれるかな。


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2月
2月27日 M君 最後のリハビリ
M君が事業所を辞めると聞いたのは2月の初めだったかな、2月になって立位訓練の調子が良くなっていたからちょっと 惜しいような気も個人的にはするが…。理由の一つにそろそろ家を離れたいと言っていたが分かる、高校時代の僕が そうだったから。M君のリハビリを受けるようになってからたぶん2年半、最初は力任せという感もあったがいつの間にか 上手くなった。そして今日がM君の最後のリハビリ、まずは脚の可動訓練、僕のギリギリまで程よく攻めて関節を 動かしてくれた。次に立位訓練、僕も気合が入ってたのか3回とも上手く立てた。満足。
M君 新天地でも頑張って、そしてありがとう。

2月25日 gacco講座「京都からおくる日本史研究の最前線」面白い
もう40年以上前の話だが大学入試の時 社会は日本史を選択、けれどその時に蓄えたはずの知識?の大半がもうすでに 消滅している事はクイズ番組などを見た際に回答が出ない事で十分に自覚させられている。まあ大学受験前の僕の 日本史の知識は付け焼刃だからこんなもんだろう。なにせ高校3年の2月ひと月で覚え直したものだから。あの頃隣りに あった保育園からピンクレディの『SOS』が聞こえていたなあ。
昨日今日とgacco講座「京都からおくる日本史研究の最前線」のWeek1とWeek2を終了、ただしWordでのまとめは後回し、 退院してから復習すればいいやと思った。復習したいと思わせるほどこの講座は面白かった。飛鳥・奈良・平安時代、 知らない事がほとんどだった。これでスケジュール的には追いついた。これで心残りなく入院出来る。

2月23日 気の迷い
gacco講座「生存学の企て」が終わったら入院するまで2019年のセンター試験 数学に取り組むつもりでいたのだが…、 気まぐれって感じで試しにgaccoのページを開いて[講座を捜す]を見たら面白そうな講座を二つ見つけた「レッツ・ エンジョイ・昆虫学」と「京都からおくる日本史研究の最前線」を。そこであっさりと捨てればいいものを気の迷い?で 日本史研究の最前線の方を登録してしまった。本当にバカな事を、9日も前に始まった講座なのに。来週は日本史研究の 最前線で忙しいなあ。

2月17日 がんばる
gacco講座「生存学の企て 病い、老い、障害とともに」Week3とWeek4、今週中になんとか終わらせるぞ。そして3月1日からゆっくりとした気持ちで入院だ。

2月15日 通院日
小雨の中通院日、今日の診察は救急患者で救急処置室@&Aや他の診察室も一杯だったようで18年数ヵ月この病院に 通って初めての診察室、車椅子からストレッチャーへの移乗がギリギリなほど狭そうな?部屋だった。だけどその分 パソコン(端末)で電子カルテを見てる主治医との距離が近くて主治医の声がすぐ傍で聞こえて…なんとなく嬉しかった。 診察と処置(カニューレ交換)が終わったら16年ぶりに内科の待合室を通って玄関からリフト車へ、リフト車の車窓から 帰りは外を見てたけどどんよりした空に景色は映えなかった。ただいつもの通り道の横にある小さな梅林には数本だが 紅や白の花を付けていた。

2月13日 ずい分サボってしまった
gacco講座やFacebook・メールばかりに熱中して雑記帳を書くのをずい分サボってしまった。一度サボってしまうと中々 次を書く気にならないのが世の常かな。やっと今日雑記帳を再開する気にようやくなった。
今日のM君の立位訓練は3回とも依然好調、先週ほどじゃないけれど。
それにしても今日来たメール 僕にとってはちょっと辛かったか。"返信する時間はない"→迷惑って言われたような ものだもの。でも折角そしてようやく開けたルートだもの、大切にしたいなあ。だって僕には未来が見えないんだもの。 まあしばらくこのままでいいかな。

2月6日 リハビリ好調
昨日のH先生のリハビリ、右肩の可動訓練の時にH先生が強く(少しかも)動かしただけで痛みがあった。また5歩の歩行 訓練の時は車椅子から立ち上がらせてもらう際や歩行時に右足重心になった際に右膝に力が入り難くてどちらかというと 調子はもうひとつだった。ところが今日のM君のリハビリ、立位訓練は3本とも驚くほど そして今までにないほど調子 良かった。意図して変えたところいえばM君にベッドサイドに座らせてもらってから立ち上がらせてもらう時に 腰と膝に 力を入れるタイミングを気持ち早くしただけなのに。それだけであんなに効果が出たというのかな。

2月4日 お袋 入院
退院した日からお袋は膝の具合が悪そうで僕の前では立つけれども移動は四つん這いで歩いていた。二日前だったかな お袋から「膝に注射を打った」と聞かされた時に「軽はずみな事をしたな、その結果がこれかよ」「どこの医者だ?、 年寄りの言う事をすぐ簡単に聞くなんて」と思ったものだった。
そのお袋が今日から入院、膝関節の潤滑油がカラッカラだと。いつまで入院かもよく分からない、まともに歩けるように なるまでひと月半という話も聞いたけれど…。嗚呼その間また嫁さん一人に苦労をかける事になるなあ。

2月2日 Iちゃん 爪切り お願い
今までの土曜日の午前中のケアは洗顔・洗髪・清拭・便と目一杯だったけど、通院のない金曜日は入浴車に来てもらう ようになったから汗をかかない季節は土曜日に髪を洗う必要がなくなった。今までいつも時間オーバーになって訪問 看護師さんとヘルパーさんに迷惑をかけていたけれどこれからは少なくなるだろう。ちょっとばかり安堵 かな、いつも 気になっていたから…。
今日の朝のケアの担当はF看護師とヘルパーのIちゃん、Iちゃんは昼からの車椅子移乗にも来ると。それで「その時に 爪を切って」と頼んだ。だってIちゃんが一番爪を深く綺麗に切ってくれるから。ひと月に一度は来てくれると いいな。

2月1日 入浴車
今日はお風呂、やはり気持よい。病院では看護師さんたちは年配の患者さんを相手にすることが多いからどうしても 洗い方が柔らかくなる、僕はもっと激しく洗って欲しいのに。僕の好みに近い洗い方で洗ってくれるのはB君かな、もう 異動しちまったけど。そういえば副さんが「顔(肌)が赤くなるのは何故?」って聞いたけど…「それは僕は毎日石鹸で 顔を洗わないと肌の弱い僕はこうなるんです」とは言えないもんね。
一方入浴車のスタッフのみんなは病院よりも入浴時間が長いからか丁寧、痒いところに手が届くって感じかな。もう 世話になるようになってたぶん17年目だもんね。


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1月
1月22日〜31日 突然の入院
嫁さんが2週間ぐらい前から風邪の症状 21日に病院を受診したらインフルエンザと診断が下りダウン、僕は22日の 午後から病院へ避難。病院への付添いは娘、仕事を休んで(有休を取ってくれたらしい)ついてきてくれるとの事。いつ 帰れるかは?。嫁さんの回復次第、1週間ぐらいかなっていたけれど…。
今日の正午過ぎに帰ってこれた。帰ってきたらベッドの上に置いてあった毛布の上でモモが待っていてくれた かな? 実は嫁さんに続いて親父もインフルエンザにかかって(まあ親父はデイケアでインフルエンザにかかったのだと 思うけど)入院が10日に伸びてしまった。
今回の入院は予定外でもあり しかも全国的なインフルエンザの流行もあって病院は基本 面会禁止、病室(一人部屋)の 扉も締めっぱなし、看護師さんも用事がある時しか来れないから会話もあまり出来なくて一日一日が長くてこの10日間が 本当に長くて暇過ぎてやってられないって感じだった。
朝方は病院でも寒くて、特に呼吸器を着けてる僕は外気が肺に直接入ってくるので朝方は肺が冷えて胸も手足も ぶるぶるって感じで寒くって堪らなかった。寝ている時は呼吸も浅く回数も少なくて加温・過失が間に合うので身体も 暖まるのだが、朝方目が覚めたら呼吸が早くなり深くなって加温?過失が間に合わなくなり身体が冷える。これが呼吸器 装着者の宿命かな。もっと胸と肺の筋肉が厚くて丈夫だったら肺に入った空気ももう少し温まるのかもしれないが。
家では寝る時に胸のところに使い捨てカイロを使っているのでそうでもないのですが、病院では低温やけどする 可能性があるとかで使わせてもらえないので朝方冷えて風邪ひきそうで心配してました。まあ入院後半は朝方胸に蒸し タオルを置いてもらう様にしたけど この時期は蒸しタオルも冷えてくるから。この処置をしてもらうようになって大分 ましになったけどね。
車椅子には看護師さんたちに毎日座らせてもらいましたし リハビリも平日はいつも動かしてもらえました、感謝です。 ゆっくり出来ましたしパソコン入力の方もかなり回復していて楽になった。そう意味ではこの入院は有意義だったかな。

1月20日 苦戦
未だにパソコンの入力がしずらい毎日が続いていている。メールひとつ打つのに何日もかかる始末、前回の入院から ひと月しか経っていないのに情けない。退院してからずっと調子良かったのに10日ほど前から突然入力出来なくなって… イライラが続く日々・苦悩の毎日。誰に当たる訳にもいかないし…何もが上手くいかない気がする。どうにか 出来ないかな。何か出来る事はないかな。

1月16日 gacco講座「生存学の企て 病い、老い、障害とともに」配信開始
gacco講座「生存学の企て 病い、老い、障害とともに」昨日配信開始、【生存学とは】という興味よりスケジュールの week4の中にALSという言葉を見つけたから受講する気になっただけの事なのかも。だけど意外に面白いかもしれないと 思い始めた。
week1は定義の話、病気とは? 障害とは? そして生存学とは?、少々退屈だけど 障害だらけのこの我が身を振り返って みるにはいい機会かなと思って。

1月13日 パソコン入力が上手くいかない
体調は悪くないのだが 最近パソコン入力が上手くいかない時期になっていて 短い文章しか書けない状態になっている。 足の指でパソコンを操作しているのだが身体が入力のやり方やタイミングを忘れちゃったみたいで入力に苦労している パソコンのやり過ぎ?で疲れがたまっているのか それとも生きているのに頑張り過ぎているのか??。
こんなことが時々あるので…まあいつものようにそのうち戻るかな。

1月11日 今週2回目のお風呂
今週水曜日に続いて2回目の入浴車、気持ち良かった。
昨年末のいつだったか所長に「週にもう1回お風呂に入らないか」と勧められて ケアのスケジュールとパソコンをする 時間を考えて「開けれるのはどこ?、通院のない金曜日の午前中」とどさくさまぎれのように答えて始まった2回目の 入浴車、昼の経管栄養→14時 T先生の往診→15時 車椅子移乗とちょっとせわしいがお風呂は気持ち良かったし十分な 出足だ。まあ1回目の入浴車が今の水曜日から火曜に替えられればもっといいけど…。
それにしてもこの入浴車の今の利用者が僕だけって誰かから聞いたけど、それ本当?。

1月10日 訪問中止?
朝今日の訪問の担当ステーションであるNから電話がかかってきたらしく嫁さんから「看護師さんがインフルエンザに かかったそうで今日の訪問は難しいって」と伝えられた。まあ仕方がないと思っていたら午前中の訪問の時間にもう 一つの訪問看護ステーションMのI看護師の声が、そういえば嫁さんの話しには続きがあったような…。Iさんからケアの 最後に「午後の車椅子移乗は対応出来ない」と言われたけど仕方ないしこれで十分、ありがとうございました。

1月9日 gacco講座「パズルで情報活用」終了
今日でgacco講座「パズルで情報活用」の全ての過程が終わった。修了点を無事突破、だけど最終レポートで4点の マイナスを喰らった。考え方の説明が論理的でないとの指摘を受けた。まあ納得はいくが。レポートを3日もかけて 2,000文字も書いたからどう考えたとかそんな事を考える余裕はもう無かったなあ。
この講座で学んだパズルゲームは 覆面算・セレクトワーズ・数独 、どれも初めて見るゲームだったけど結構面白かった。 特に数独、僕の手が自由に動いたならばきっとこの数独にはまっただろう。それにExcelの関数の新しい使い方の分類、 検索or参照、こんな事に使える関数があったのかと驚きもしたし勉強にもなった。

1月8日 H先生のリハビリ
1ヵ月ぶりにH先生のリハビリ、歩行訓練で車椅子から立ち上がろうとした時も歩行訓練で右脚に重心をかけた時も右膝が 崩れようとした。腰と膝に力を入れ踏ん張り直したから崩れなくてすんだけど一瞬やばっと思った。道も右脚が少しずつ 弱ってきているような気がする。この先不安になってくるなあ。

1月6日 息子たち 帰る
正月を家で過ごすために帰省していた息子たちが昨日と今日自分たちの住む町に帰っていった。滞在日数は上の息子が 6日・下の息子が8日、上の息子は卒論で忙しいとか 下の息子は講義が始まったらすぐに難しいレポート提出 or テスト とかで勉強しなければならないと。僕から息子たちに大学生活の様子を聞く事もなく息子たちが僕にわざわざ話しかける 事もほとんどない訳で(二人とも酒に酔って記憶がなくなったって言ってなかったっけ、僕のうちの方の酒飲みの家系を 引き継いだのか 困ったものだ)、息子たちとはあまり話す事はなかった。まあそんなもんか。
息子たちがいなくなって家の中が少し静かになった様な寂しくなった様な気がするけど…これがいつも通り。

1月4日 通院日
正月三が日が明けた今日から早速通院日、訪問に来る方々・会う人が口々に「あけましておめでとうございます」と口に する習慣、何にも出来ない なんの挨拶も出来ない・表情でも返せない僕にとって結構もどかしいひと時だ。曇り空、 町の移送サービスのリフト車の車窓から空を見上げるとはっきりとした低い雲がどこまでも続いていた。病院のある ある川棚あたりで途切れるかと思っていたらまだずっと向こうまで…西海橋あたりまで?。この空 ちぃちゃんも 見てるかな。
病院に着いて対応してくれたのがY副さんとF看護師、今日はスムーズ、しばらくしたら主治医が来て診察とカニューレ 交換、そして「次のレスパイトはいつ?」と質問がきた。嫁さんから「3月始め」との返事が出て、娘の結婚に向けての 両家の顔合わせがあるから。こんな時の僕は邪魔な存在、僕がいるとみんながゆっくりできないもんな。僕としては 8月の披露宴にも出なくてもいいんだけど…そんな訳にはいかないか。今日の通院は早く終わった、午後2時半前に家に 着いていた。

1月3日 箱根駅伝
今日は晴天 良い天気みたい、猫は2匹とも朝からちらっともしない。たぶん外が暖かいからモモもチビもパトロールに 励んでいるのだろう。
今日は箱根駅伝 復路を見ながらパソコン遊び、それと年賀状の確認。誰からきているか住所が変わってないかを 見るのも僕の正月の仕事のひとつだ。それにしても今年の箱根駅伝 東洋大学は強かった、断トツの優勝だった。でも もし昨日の往路の4区で青山学院大学が失敗していなければ今日の復路は東洋と青学のデットヒートになっていただろう。 20kmを1時間を切るスピードで走れるランナーを10人集めるのって難しいな。

1月1日 元日
僕の元日の過ごし方、毎年同じ事の繰り返しなのだが「ニューイヤー駅伝(実業団対抗駅伝)」を見ながらパソコン作業。 今日の目標は2018年の雑記帳を仕上げアップする事、それと午後9時からの「相棒 元日SP」を見る事 かな。
旭化成が昨年二連覇した事も忘れていたし最近の僕は実業団対抗駅伝をあまり熱心には見ていなかった様だ。今日の 旭化成は最終区でデットヒート、秒差で三連覇を達成した。でも相手はどこだったのだろう。いかんな、実業団対抗 駅伝の楽しみ方を忘れてしまったみたい。
お正月を迎えた証として雑煮は食べれないから雑煮の汁ぐらいはせめて味わおうと毎年思っているのだけれど…、伝えて なかったから嫁さんは汁を捨ててしまったと。まあ嫁さんとってはそんなもんだろうなあ、寂しいけど。


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