幸平遺跡発掘調査速報 |
所 在
地:佐賀県西松浦郡有田町幸平二丁目1521・1522番地 |
● 2月7日(水)
ということで、とりあえず本日は、昨日までの進ちょく状況をお知らせしておきたいと思う。
2月2日からはじめた調査は、まだ昨日が3日目である。初日から表面を覆った土を除去する作業を進めていたが、昨日の午後一にはほぼ完了した。この表面の層も、本来は18世紀代の遺存している層と推定される。しかしぐちゃぐちゃの土だけに、人が踏んだだけでも表面の遺物が埋まり込む状態であるため、ちゃんとした層として扱うにはちょっとためらいが残る。 最上層除去後の幸平遺跡
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とりあえず、その掘削の最中に出土した色絵製品の例。二つとも合子の蓋である。ただし、本来この土層時代のものではなく、17世紀後半の製品と推定される。ちなみに18世紀以降の色絵は、やはりほとんど出土しない。
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色絵合子蓋 |
しかし、ちょっと対応に苦慮するものも発見されている。先日、A・B−1区付近で火災層のような焼土層が発見されたことをお知らせしたが、よく調べてみると、どうみても火災層とは考えにくいのだ。炭層や灰層、表面が黒色化した真っ赤な焼土の層などが、薄く、しかも交互に何重にも堆積しているからである。火災層やその整地層では、おそらくこんな堆積にはならないだろう。かまどの可能性はないかと考えたが、焼土の範囲が広すぎるし、第一焼けすぎている。 A・B−1区付近に広がる焼土層
さらに、焼土周辺の土には瓦以上に多く含まれている遺物がある。初日にも多く出土することに触れたが、それは素焼片である。無文のものが大半を占めるが中に呉須で文様を描いたものもあり、18世紀前半頃の製品であることが分かる。 素焼片の散布状況
結局、考えがまとまらない状態でタイムオーバー、昨日の作業を終了した。まあ慌てずゆっくりと考えようといいたいところだが、実は、困ったことに、土層的には、この焼土面が調査区全体の中でも最上層に位置する。つまり、ここの処理が終わらなければ、正攻法としては、次の層へと進めないのである。明日の作業をどう段取りするか、まだ、考えはまとまっていない。 |
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