幸平遺跡発掘調査速報

 所 在 地:佐賀県西松浦郡有田町幸平二丁目1521・1522番地
 調査主体:有田町教育委員会




● 2月14日(水) 



  天候の関係で、13日(火)は水の汲み出しを行った程度であるが、9日(金)、14日(水)と一部17世紀の土層を掘削しはじめた関係で、パラパラと色絵製品も目立つようになってきた。



 北側(写真奧側)からA・B−1区を中心とした焼土層の遺構、同2区を中心とした土壙やピットなどの遺構、同3区を中心とした杭列などの遺構、これらが現在まで発見されている場所別の大まかな遺構配置である。
 現在まで、前面の焼土層に関しては、明確な性格を割り出せていないが、18世紀前半頃の素焼窯の可能性が高いものと推定している。これについては、引き続き精査を進める予定である。
 調査区中央部の土壙やピット群については、そのいくつかに柱根が遺存しており、建物やその施設に関係する遺構である可能性が高い。現在は発見できたものは掘り上げており、崩れる恐れがあるためまだ掘ってはいないが、中には桶かと推定されるものも埋まっている。一部17世紀後半の製品を含んでいるが、おおむね18世紀前半頃の遺構と推定される。

 


2月14日現在の幸平遺跡


 南側(写真手前側)の3区付近では、一部17世紀の土層を掘りはじめた。いくつか杭列が発見されているが、まだ明確な並びは判明していない。17世紀の土層は現在判明しているだけで数層あり、今のところ、出土遺物の傾向は上下2つの層に大別できる。上層は白磁や色絵が集中的に出土する層で、部分的にしか遺存していないが、この層には染付製品などは極めて少ない。しかし下層になると白磁や色絵はごく少なくなり、染付製品などが主体となる。

 
検出した杭列の一部(A−3区)

 

 このA−3区の杭列付近を調査中に出土した製品の一部。色絵やその素地と推定される白磁がほとんどである。
 製品は、碗や瓶、蓋物をはじめ立体的なものが大半を占め、これまでのところ、上絵付けした皿などは見ていない。 

*画像をクリックすると拡大画像が見れます


色絵合子蓋

 その中の一つ、内面に焼成前の赤絵具が入った状態で出土した碗。おそらく絵具入れと推定される。


内面に絵具の残る碗

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