ところで、町中での調査なので、通りすがりの人から時々「なんかいいものはでた?」と聞かれることがある。「別に宝探ししてるんじゃないんだけどな〜」、「どういう性格の遺構からどういう製品が出土するかが歴史資料としては大切なんだけど…」なんて思いながら、次の「でも、全部欠けてるんだろ」のひと言で、完全に説明する気力が失せる。でも、普通の人の興味はそうなんだろうな〜ということで、今日も出土品を一つ紹介してみることにする。
九州陶磁文化館『柴田コレクション(6)』1998
より転載
白磁桔梗花文木瓜形猪口
*写真をクリックすると拡大画像がご覧になれます。
写真右は、九州陶磁文化館の柴田コレクションに収められている白磁猪口である。特に深い意味はないが、これと同じ製品が昨日の夕方出土した。
出土層位は上で説明した遺構の検出された層よりもさらに一つ下の層、まだ大々的には掘っていないため正確な年代は確定できないが、共伴製品や土層順などから大まかには1650〜70年代頃と推定される。こうした白磁の猪口などは、単体の伝世品としてはかなり年代を捉えにくいものであるが、くしくも九州陶磁文化館が示している年代も1650〜70年代、“九陶もなかなかやるじゃないか”と感心する一方、今の肥前陶磁の編年研究も間違ってないんだなとあらためて思ってしまった。
それに、焼成窯は分からないまでも、内山の製品であること、しかも可能性としては谷窯をはじめとする近接する窯の可能性が高いことは指摘できる。また、この遺跡ではロクロを使わない製品の土型は、けっこう多く出土している。さらに例の遺構が水簸槽ならば、ここで製品が生産されていたと考えて間違いない。つまり、あるいはここで生産されたものである可能性も考えられるのである。
実は、この製品が出土する層位は、出土遺物の大半が白磁と色絵である。土層の広がりがどの程度あるのか分からないが、次はどんな遺構や遺物が発見されるのか、もう少し楽しめそうである。
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