幸平遺跡発掘調査速報

 所 在 地:佐賀県西松浦郡有田町幸平二丁目1521・1522番地
 調査主体:有田町教育委員会




● 4月8日(日) 目下のところ杭と格闘中です…。 



 調査の最終期限も近づき、もうそろそろめどをつけなくてはいけない時期になってきた。しかし、幸か不幸か水浸しの遺跡だけに、下の層ほどますます木製品の残りがいい。下駄、漆器、工具?…、でも、何といっても多いのは、そこらじゅうに打ち込まれている杭である。“こう並んでいるじゃないか!”まではいいのだが、用途が分からないものがほとんど。残ってなければ分からないですむのだが、こういう何だか分かりそうで分からない状態は、ちょっと精神衛生上はよくない。
 


最近の調査区全景(南から)

 最初に比べると、ずいぶん深くなってきた。部分によってはもう1m以上も下がり、現地表面からの高さは2mを超える。今から三百数十年前の地面は、こんなに低くかったということだ。“たぶん目にする景色も違ってただろうな〜。”なんて思いを馳せながら、“でも、これじゃまるで動物園の檻の中にでもいる感じかな”と鉄骨に囲まれた現実に引き戻されてしまう。
 近ごろ、ようやく深くなったので崩壊防止の安全対策用の鉄骨で頭をぶつけなくなったと喜んでいた。ところが先日、深くなったということで、またその下にも鉄骨を入れられてしまった。写真でも分かるように、もう唸るしかない。上下の鉄骨の間をしゃがんで跨ぐ。日々こういうアクロバット的な行動を繰り返しつつ、下の鉄骨に気を取られていたら思わず上の鉄骨が脳天を直撃する。これじゃ何が安全対策なんだか分からない。道路や塀は壊れないかもしれないが、人間の方が壊れてしまいそうである。それに、狭いところにこれだけ鉄骨が並ぶと、完全に思考が分断されて、遺跡全体のイメージが捉えにくい。



木製品を組んで造った遺構(東から)

 頭を悩ませる杭をはじめとした木をふんだんに使った遺構の一例。写真左下に見えるのが、前に紹介した水簸槽の中槽である。その西側(写真右上)、土層ベルトを中心とした左右辺りに中層から続く外槽が位置し、その先には杭列を挟んで一面に木材が敷き詰められた浅い長方形の土壙が残っている。
 ここが工房で、遺構はそれに関連したものであるだろうということ、杭列の間をジグザグに枝状の木を横に渡して仕切り状になっていたことまでは分かるのだが、じゃー何?と言われても、皆目検討がつかない。


木製品を組んで造った遺構の調査風景(東から)

 これには優秀なうちの同僚も、かなり困惑ぎみである。何しろ、調べようにもそんじょそこらにこんな類例があるはずもない。まして、わずか数十年の人間生活で蓄えた知識程度でビビッとくるくらいなら苦労しない。逆に作業員さんたちに、これは女物の下駄で、こっちが男物なんて教えてもらう始末。小さい頃と同じ形だからと言われると、参りましたというしかない。
 しかし、少なくとも17世紀の有田では、こうした木を組んだ施設がかなり多かったということだろう。これじゃ木の残らない普通の遺跡では、各遺構の性格を特定できないのも当然と言えば当然。後は当たってくだけろで、記録を取りつつ、ひたすら掘るしかない。


 というところで、また出土品を少々。まずは色絵の猪口。
 ピンときた方は、ハマってるとしか言いようがない。先日、同じ白磁の出土品が、九州陶磁文化館所蔵の伝世品と一致することを紹介した。
 ほぼ同じ地点で、白磁2点とこの色絵1点が出土しており、失敗品を一度に廃棄したものかもしれない。
 それにしても、見ての通り、白磁としては比較的良質なのだが、色絵製品としては、いかにもやぼったい。まあ、あえて擁護すれば、失敗して廃棄された可能性が高いものなので、完全なものと比較するのも作者に失礼だが、でも、全般的にここで出土する製品の上絵付けは、お世辞にも巧いとは言えない。

色絵桔梗花文木瓜形猪口
  
*写真をクリックすると拡大画像がご覧になれます。


 
色絵竹牡丹唐草文木瓜形皿 *写真をクリックすると拡大画像がご覧になれます。

 そのアンバランスさの最たるものを、一つ紹介してみることにしよう。1660年代前後の土層から出土した皿で、牡丹唐草の染付を入れた素地はかなり良質である。ところが見込みに描かれた上絵の竹文は、上絵具がうまく発色していないことはあるにしても、はっきり言って冴えない。これだけ素地と上絵に落差があると、“もしかしたら伝世品の世界では、後絵で通用してしまうのでは…。”なんて思いつつ、これが現実なので世の中一筋縄ではいかない。
 このアンバランスさには、ちょっとした種明かしがある。実はこの素地、同じものがあの南川原の柿右衛門窯跡で出土している。もちろん高台内に残るハリ跡もごく小さく、当時のバリバリ高級指向の同窯の製品と考えて、ほぼ間違いない。色絵製品が相対的には付加価値が高いということは理解していても、“まあ、これじゃ上絵がない方がいいかな”と、正直思ってしまう。
 もっとも、ちゃんと落ちがあって、よく見るとこの素地は窯割れしている。上絵で割れた部分を塞いでいるのである。だから、くれぐれも、南川原の素地も上絵付けは内山で行われたなんて結論を急ぐことのないように…。

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