山辺田遺跡と古九谷 |
所 在
地:佐賀県西松浦郡有田町黒牟田 |
前回、山辺田遺跡から出土した古九谷様式の台鉢片をご紹介した。この山辺田遺跡が、先日新たに周知の遺跡として登録された。そこで、引き続き今回はこの遺跡について少し詳しくご報告しておくことにする。 |
(近景) |
山辺田遺跡は、その名のとおり国指定史跡山辺田窯跡に近接した遺跡である。有田町の北西部黒牟田地区に位置しており、おそらく陶磁器工房跡と推定される。 調査可能な面積が300Fほどと小さかったため、遺跡の広がりなどは不明であるが、調査地内では柱穴や土壙などが多く検出されている。
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(調査区全景) |
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(黒牟田地区の遺跡) |
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【色絵陶片の出土している町内遺跡】
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色絵素地 |
山辺田遺跡で出土した色絵や素地には、以前出土したものも含めて、相当にかたよりがある。 山辺田窯跡では、これまでに公表されているだけでも、1号、2号、3号、4号、7号窯跡で色絵素地の出土が確認されている。実際には窯体と帰属する製品の関係はもっと複雑なのだが、これについては別の機会に譲ることにしよう。とにかく、この中で山辺田遺跡で出土するものは、7号窯跡の出土品と共通性が高く、中には同じものもある。これは、山辺田窯跡に関わった業者の一軒であったと考えれば不自然ではなかろう。
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(梅沢記念館蔵:『日本の陶磁11』中央公論社1975より転載) |
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出土した色絵製品や素地の特徴としては、まず、圏線などの染付を入れた素地と無文の素地が共伴していることである。 山辺田窯跡の色絵素地の変遷を考えると、まず染付を伴う素地にはじまり白磁との共伴に進むため、最も早い段階の組み合わせではない。しかし、染付を伴う種類の素地に上絵を付けたものには、いわゆる幾何文手が多いため、古九谷様式の製品としてはそれほど時期的に下がるタイプではない。 なぜならば、一つは幾何文手の伝世品には陶器質のハリを用いたものがあり、このハリは山辺田窯でも早い段階にしか使用されていないものだからである。ここで詳しくは触れられないが、こうした製品は1650年代前半前後に生産された可能性が高いものと推定している。 ちなみに「承応貮歳」(1653)高台銘の伝世品が、以前紹介されている例もある。(久志卓真「承応弐歳銘古九谷樹下人物図鉢」『陶説』第67号 日本陶磁協会 1958)
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(MOA美術館蔵:『世界陶磁全集9』小学館1983より転載) |
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染付の入らない種類の素地は、いわゆる五彩手と青手の両方が出土している。 この中で青手は比較的多く出土しているが、種類はみなほとんど同じである。すなわち、外面胴部に小さく丸い唐草をびっしりと配し、体部全体を緑絵具で塗り潰して、高台内は共通して白地を残している。内面は緑と紫絵具を使用して草花を描き、すき間を花などの地文で埋めて黄色で塗り潰している。 こうした特徴を持つ製品は、東南アジアに伝世しているものが二例紹介されている。これまでのところ国内で出土・伝世している例は知らないが、比較的類似した特徴を持つ中皿に「承応貮歳」(1653)の高台銘を配したものがある。
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(ジャカルタ国立博物館蔵:『海を渡った肥前のやきもの展』九州陶磁文化館1990より転載) |
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