★ Oneself ★

 気がむいたら何か書きます

 

□ ご迷惑をおかけしております!!

2001.09.25

 反省してます。皆さまの顔を直視できません(見えないんだった!)ごめんなさい。怠けてました。更新してないのに、順調にカウンター上がってました。見捨てずにいていただけて、まことに光栄です。

 で、でも、ひと言、言い訳させてもらえば、今年の夏は諸国巡業の当たり年で、たびたび有田を留守にしてました。シンポジューム、研究会、遺跡見学などなど、この成果は、きっと、たぶん、もしかしたら、本文に反映できるかと思います。

 本当に巡業だったの?もしかしたら、書けないもんだから隠れてただけじゃないのっていう疑り深い方のために、使えるかな?って思うものを一、二。

 一つは、愛媛県の重信町ってとこにある西岡焼に関するシンポジュームで、パネラーやってきました。高台内に「豫州松山」、「与州松山」銘を入れた陶器や磁器が出土する窯で、もしや藩窯?ってことで、位置付けを考えるシンポジュームでした。まだ、窯の調査は行われていませんが、表採資料で製品や窯道具を見る限り、18世紀末頃からの窯で、肥前系の磁器の技術が導入された可能性は高いだろうと思います。実は何を隠そう、わたしこの窯場、パネラーのご依頼をいただくまで知りませんでした。もちろん、こういう場合、小倉と松山を結ぶフェリーの中で、ひたすら一夜漬けです。深夜までかかって“よーっし!ばっちり!!”と思ったのもつかの間、な、な、なんと5時にはフェリーが付いてしまうという過酷な条件。眠い…!だ、大ピンチ!!というさわりで、詳しくはまた後ほど。

 もう一つは、現在、韓国で梨花女子大学校がやってる広州郡分院里の窯の調査に行ってきました。あの18・19世紀の李朝官窯があったところです。意見が聞きたいということでしたので、当然、気分はもろ見学者です。ところが、何の因果か物原の調査方法を実際に指導するってことになり、本当に肉体労働してしまいました。ちょうど運悪く韓国もその日が梅雨開け。暑いの何のって…、鈍りきった体にはちと堪えました。
 この窯の調査は、当初10月いっぱいの予定でしたが、シンポジュームを11月中頃に行う予定になったため、最近聞いたところではその頃まで続けるそうです。自由に見学できるようになってるので、訪れてみられてはいかがでしょうか。ただし、日本語通じませんので、あしからず。

 それから、ついでといっちゃーなんですが、掲示板リニューアルしました。無料レンタルでしたので文句も言えませんが、前のが突然繋がらなくなってしまいました。しばらく辛抱してましたが、別のに変えました。当然、無料レンタルですので、また繋がらなくなるかもしれませんので、お早めに書き込みをお待ちしております。

 


□ “けいじばん”を加えてみました

2001.01.28

 “けいじばん”を加えてみた。深い意図はない。ただ、徐々にではあるが、立ち寄っていただける人も多くなってきたし、どんな人達が見てくれているんだろうという興味がないと言えばうそになる。それに、ちまたの関心がどこにあるのか知るためにも、多少役立つかなとも思った。しかも、議論とまではいかないまでも、読者の質問に別の読者が答えていただけるようになれば、さらに嬉しい。もっとも、実際にはどんな方向で展開するのか、まったく分からないが。まあ、それもいいかもしれない。
 ただし、CGIを自由に操れるほどの腕はないし、頭の中では多少理解できても実際にサーバーにアクセスするほどの度胸もない。よって、先々のことはおいおい考えることとして、当面は安直にはやりのレンタルで対処することにした。しばらく書き込みがないと閉鎖されるらしいので、立ち寄ったついでに、何か書いといていただけると助かる。“暗中模索”の状態だが、まあ何とかなるだろう。

 


□ 明けまして、おめでとうございます。

2001.01.06

 明けまして、おめでとうございます。

 このページに書くのも久しぶりである。特に理由なし。まあ、しいて上げれば、精神的な余裕の無さに尽きるのだろう。実は、昨年はちょっとゆっくりしてみようと勝手に思っていた。時々頭の中の熟成期間も必要だからだ。だが、現実はそれほど甘くなかった。止まると溜まる。その繰り返し。現実の厳しさをひしひしと感じるが、年頭にあたり、今年こそは、と懲りずに思う。
 一つの難事といえば、天狗谷窯跡の保存・整備事業が本格的にはじまったことだろうか。これが予想以上に頭が痛い。本業の発掘調査などの部分はさほど問題ないのだが、土木・建築に関わる部分が殊の外やっかいである。とにかく、手続きの進め方すら満足に分からない。費用の積算などともなると、まったくお手上げである。建設課の手を借りてアップアップの状態で進めてはいるが、もちろん応用はまったくきかない。予定では残り8年の長丁場。まあ、そのうち慣れるだろうと、無理やり思うしかない。
 先日ご紹介したが、もしかしたらもうじき新しい発掘調査がはじまるかもしれない。幸平遺跡である。遺跡の重要性という点では、1番手のグループとはいかないまでも、2・3番手には確実入るものであろう。それそのものは小さな遺跡で調査が予定されている面積も少ないが、以前調査した赤絵町遺跡の比較材料ができることもあり、ことのほか興味深い。まだ、調査が確定したわけではないが、実現すれば17世紀後半の輸出色絵の調査研究に一石を投じることとなるのは間違いないだろう。ただし、今更いったいどこに予定が入れられるの?、というのが正直なところである。“しばらく日程が詰まっているので、何ケ月後にしてください。”なんて一度言ってみたい。この業界、特に末端にいる者は、ひたすら受け身である。
 昨年10月に、中国の景徳鎮に行ってきた。詳しくは、またこのHPでもご紹介してみたいが、製品はともかく窯体などに関しては、まだほとんど全体像の解明が進んでいないというのが実情のようだ。肥前の生産技術とは、やはり違いの方が目立つが、ちょっと確認してみたいこともいくつか思い当たった。それにしても、やはりその環境にじかに触れることにより、頭の中で個々に独立していたパーツが、すんなりと繋がってくるのは不思議である。
 ということで、今年もよろしくお願いいたします。

 


□ 写真を拡大できるようにしてみました

2000.07.12

 しばらく晴天が続き、また今年も、「梅雨はもうすでに空けていました」となるのかと思ったら、また数日前から雨ばかりである。どうせ室内で仕事をしているので関係ないようではあるが、こういう時期には、なぜか何をやるにも勢いがでない。まあ、発掘中、毎日天気にピリピリしているのと比べれば、どうってことはないが。
 ところで、試しに「Materialホール」で紹介している写真を拡大できるようにしてみた。以前から、知りあいに言われて気にはなっていたのだが、サーバーの容量などとの兼ねあいから踏み込みきれずにいた。しかし、そろそろどうせ古いものは、掲載を終了させないといけなくなりつつある。思い切って試してみた。たしかに、わたしはいつもその大きさから縮小しているし、現物を目にしているので気付かなかったが、並べて比べてみるとずいぶん情報量としては違うようだ。手間に大きな違いはないので、しばらく続けてみるつもりである。

 


□ LINKページが完成しました

2000.07.01

 「LINK」のページを作ってみた。1年が過ぎ、ようやく当初予定した項目が全部揃ったことになる。一安心。この間、いろんなHPがあっという間に増え、それぞれ趣向をこらしたリンクページが用意されているため、どうにも方向性を決めかねていたのだ。早々とリンクしていただいていた方には失礼と思いつつ、準備中のまま1年間が過ぎてしまった。でも、ようやく決めた。何も考えないことに。とにかく、とりあえずページを作ってみることにした。そのうち何とかなるだろう。これから、おいおい案をねっていくとしよう。
 次に漠然と考えているのは、「質問」ページである。ご覧いただいている方のニーズが把握できるため、こういうのもおもしろいかとは思う。ただし、いろんな質問にその時々に興味を持って対応できるのか、ちょっと心配ではある。遺跡の出土品なら真贋がからまないが、写真で伝世品を鑑定してくれと言われるのもちょっと困る。とりあえず、もう少し考えてみたい。

 


□ あらためて…、よろしくお願いします。

2000.06.10

 HPを公開して、はや1年が過ぎた。といいつつ、ここ2ケ月近くは更新を怠っていた。正確にいえば、更新したくてもできない状況が続いていたのだ。
 その最も大きな理由は、職場のOA環境の一新。ずいぶん便利にはなったが、まともに機能するシステムが再構築できたのはようやく最近のことだ。インターネットに接続できない期間も一月以上続いた。
 内容からもお分かりいただけると思うが、このHPは職場のOA環境と無関係というわけにはいかない。むしろ公式的なHP公開の環境がまだ整わない中、それを補う目的があることもいうまでもない。それまでにノウハウを蓄積する意味もある。
 しかし、最も重要なことは、さまざまな資料や調査・研究成果を広く公開することにある。昨今の時流だからというわけでもないが、資料はただ収蔵庫に眠っていても一つは一つ。できるだけ広く活用されるに越したことはない。調査・研究成果も自分の頭の中に止めていたのでは、極めてレアな情報を入手できる立場にいるだけに、情報の私物化といわれてもしかたがない。この程度のマイナーなHPでどれだけ貢献できるかははなはだ疑問だが、少しでも陶磁器に関して興味を持つ人の裾野が広がり、徐々に全体的な知識のレベルアップが図れれば、と思う。
 とはいっても、正直なところ、私的な時間を割いての更新は、負担でないといえばうそになる。しかし、場合によっては、公開した資料に関して何らかの新しい情報が提供され、より付加価値の高い資料となることもある。普段なおざりにしがちな基礎的な課題について、あらためて自らの捉え方を自問自答してみるチャンスでもある。
 公開当初は、デジタルメディアは単なる紙のメディアの代り、という意識がなかったといえばうそになる。しかし、徐々にまったく別ものであることを痛感するようになった。
 紙のメディアでは、文章の流れや形を整えるために、どうしてもこぼれてしまう共通した部分がある。特にこまごまとした基礎的な内容。それが学術寄りの文章の場合、論旨を的確に捉えるため、あるいは系統的に内容を捉えるためには重要と分かりながら、ついつい天秤にかける段になると落ちてしまう。原稿を依頼する側にも、それ自体インパクトに欠け、複雑であることが多いため、どちらかといえば敬遠されがちだ。実力不足といえばそれまでだが、一般的にそういう傾向はないとはいえない。その点、こうした電子メディアは概して気楽である。ある面では、やはりバーチャルだ。無責任で済むということではないのだが、「半永久的に残る」という紙のメディアに感じるプレッシャーは、意識の有無に関わらず相対的に希薄である。そういう意味では、よそ行きの紙のメディアに対して、より普段着のままといえるだろうか。
 一方通行になりがちな紙のメディアに比べて、リアルタイムな反応が期待できる点もやはり異質である。“静”の紙に対して、“動”のメディアといっていいかもしれない。ここ1年の間に、さまざまな方からのご質問やご助言もいただいた。ただ、必ずしも十分な対応ができないことには、申し訳なさも覚えるが。
 20世紀最後の節目の1年。自分でもこのHPがどういう方向に進むのか皆目見当もつかないが、できるだけ、普段着のままでありたいとは思う。

 


□ もうすぐ1周年

2000.03.31

 いよいよ平成11年度も今日で終わり、明日からは新たなスタートである。無意識に節目を感じられたのは、いつの頃までだっただろうか。ちまたでは年中無休、24時間営業のコンビニが流行っているが、そこまではいかないにしても、かなり近い。少なくとも節目を実感できないのは、やはりどこか病んでいる証拠なんだろう。
 このHPもあと一月あまりで1周年を迎える。この内容の硬さにしては、ずいぶん多くの方にご覧いただいたと思う。しかし、ふとした思いつきがこんなに大変な結果になるとは思ってもいなかった。本当に続けることは難しい。でも、こんなHPの潜在的な読者層にインターネットが本格的に普及するのは、実はこれからなんだろうとも思う。その意味では、本番はこれからである。
 そこで、最近、ちょっと気になっているのが、どうも当初の意図に反して各項目の内容にメリハリがなくなってきたことである。項目間の明確な内容差がなくなっているということだ。まだ進行中で完結していない項目もあるので気も引けるが、いっそのこと当初の意図に沿って思い切って一新してみようかと思う。
 もうすぐ1周年。積極的に節目を意識してみたい。

 


□ これからの10年

2000.02.19

 何だか、毎回更新が滞った時の言い訳を書く場みたいで気が引けるが、またちょっと怠けてしまった。前回書いた九州近世陶磁学会前後の処理で、完全に生活のリズムが崩れていたためだ。
 今年の学会はちょっと驚き。何と260人もの方々にご参加いただいた。とりあえずぎりぎり400冊だけ製本を間に合わせた10周年記念誌も初日には軽く300冊を超える売り上げ、急遽印刷屋さんに頼んで休日返上で製本してもらう始末であった。嬉しい誤算だが、これだけの人数はまったく想像だにしていなかったため、かなりご参加の皆さんには迷惑を掛けたのではと思う。
 この10年間を振り返ってみると、本当に近世陶磁の調査・研究に携わる方々の増加は目を見張るものがある。考古学でも「専門は?」と聞かれて、堂々と「近世」と答えられる時代になったのだから開いた口が塞がらない。少なくともまだ10年前には、珍しい人種がいるという程度であった。その前は、完全に変人扱いだった。何ともすごい時代がやってきた。
 この近世陶磁が考古学の分野で注目されはじめた画期は、1984年に九州陶磁文化館で開催された『国内出土の肥前陶磁』展である。これによって消費地を含めて、肥前陶磁に関する認識が深まった。あれから16年、かなり基礎的な知識を身に付けている方は多くなった。しかし、現在盛行している各地の調査・研究の内容は、肥前という単位で括られる、各地の窯場の共通要素を超える場面が多々見られるようになってきた。
 これからの10年。キーワードは「地域差・窯差」。再び生産地と消費地が連携して、『国内出土の肥前陶磁』を見直す時期がきたのかもしれない。

 


□ 九州近世陶磁学会というもの

2000.02.06

 ちょっと更新が滞った。九州近世陶磁学会の準備と、締切り間際の原稿に追われていたからである。原稿、学会の10周年記念誌の校正、展示、発表要旨など、ドタバタと終わらせて、ようやく今日は一段落。ホッとした気分だ。ただそれもつかの間、2・3日すると、大会準備が大詰めを迎える。
 展示や記念誌もベストにはほど遠いが、みんな時間を見つけてアップアップ状態でなんとか完成にこぎ着けたというところか。記念誌である編年の本も当初の300頁の予定を大きくオーバー、400頁を超えたらしい。4,000円という価格はちょっと高い気もするが、内容はともかくコピーするよりも安いので、まあ妥当な線なのかもしれない。後は早めに売れて、一刻も早く借金財政から開放されることを祈るばかりである。 
 ところで、大会の参加者は例年百数十人。年々少しずつ増えており、昨年は150人を上回った。有田の人はごくわずか、おそらく九州一円を加えても参加者の3分の1にも満たないだろう。大げさにいえば遠路はるばる、全国津々浦々からということだ。北は東北から南は沖縄まで、やはり考古学関係者が多いが、ほかの会に比べ職業もさまざまである。たかが百数十人とはいっても、都会の近郊と違いバックに人口を抱えていないため、かなりの健闘ではないか。嬉しい限りだが、今年は10周年企画ということもあって、どうやら参加者もぐっと増えそうである。
 この会が、各地の人が有田を訪れる一つのきっかけとなっていることは間違いないだろう。この会がなければ、生涯有田と縁のなかった方も多いのではないか。これは地元にとっても望むべきことではないかと思う。もはや、たんに焼物という“ものの供給”が目的となる時代ではなく、その文化とセットで“満足を売る”時代だと思うからだ。実際に有田を訪れてもらうということは、そこに付加価値を取りこめる可能性がある。直接その場でお金が落ちなくとも、これも一つのビジネスチャンスといえるだろう。ましてや、焼物に興味があって集まる人たちである。わずか年に百数十人ほどとはいっても、口コミの力は計り知れない。この機会を活かすも殺すも、有田の人たちの心がけしだいである。

 


□ あけましておめでとうございます

2000.01.08

 2000年問題は大きな事故もおきず、ひと安心といったところか。しかし、わが家の2000年問題は電気製品ではなく、小学校2年生になる長女に突然おこった。年末に何の前触れもなく壊れてしまい、入院してしまったのだ。おかげで新年のカウントダウンは病室のベッドの上…。まあ貴重な体験といえばいえなくもないが?
 5日には無事退院できたが、今度は自分が風邪でダウンぎみ。本当に一年の幕開けとしては少々縁起が悪い。でも、普段は縁起なんて担がないのに、こういう時だけ持ち出すのも変か。逆に最初につまずいておいたので、後はいいかもしれない。
 縁起は担がないといいながら、実は職場の自室は“招き猫”でいっぱいである。ついでに“福助”もあるし、中国の開運の札も貼ってある。カレンダーも“大黒”だ。俗に右招きは金を招き、左招きは人を招くなんていわれるが、どうも右招きとは極端に相性が悪い。一向にご利益がないのだ。あるいはそう思っているだけかもしれないが、これがご利益のある状態だと思うのもちょっと怖い。いずれにしても、左団扇だけはにはまったく縁がなさそうだ。
 と、たあいもないことを考えつつ、また新しい年を迎えられたのだから、本当に平和である。“あけまして、おめでとうございます!!”

 


□ 写真整理

1999.12.26

 またまた久しぶりの更新になってしまった。12月は本業の方が忙しいせいもあるが、中国旅行の写真整理に手間取ったからである。できるだけ記憶の鮮明なうちに早く整理を終えたかったため、どうしてもHPの更新に時間を割くことができなかった。
 しかし、先日ようやく完了した。ほっと一息である。8日間の旅行中に撮影したフィルムは18本、650枚以上の写真を撮っている計算になる。もちろんその多くは、出土品や遺跡、展示品などである。だが、訪問した各地域やその途中の風景、料理など、一見なんの関係もない写真もやたらと多い。
 だが、こうした一見無駄とも思える写真の存在は重要だ。やっぱり窯跡の理解には環境を知ることが第一。それに目的のものだけ撮っていると、後でその時の状況が思い出せなくなってしまう。とにかくこうした調査旅行の場合、旅行中の成果を後から使えて“なんぼ”である。それで、復習の意味も込めて、関連資料も加えて、できるだけ詳細なアルバム整理をすることにしているのだ。
 これでようやく中国旅行も終わった。

 


□ 調査旅行

1999.12.12

 久しぶりの更新である。中国旅行から帰ったらすぐに手を加えようと思っていたが、そう都合よくは運ばなかった。
 中国と日本の時差は1時間。日本の方が少し早いが、時差ボケを伴うほどの問題ではない。しかし大陸ボケはなかなか直らない。極度の緊張感から開放されたところに、たまった仕事がどっと押し寄せてきて、まだ完全に日常的な流れに復帰できていない。今、いわばリハビリ中である。
 旅行といえば、ある面で非日常的な空間を楽しむ、ということが一つの目的といえるだろう。たとえば慰安旅行などは、日常からの開放がその大きな意図である。しかし、調査旅行の場合は、これとはちょっと楽しみ方が違う。日常への素材のフィードバックを主眼とするため、気を抜くことができないのだ。
 慰安旅行の場合は、旅行中は「日常」という器に蓋をしている状態といっていいだろう。しかし、調査旅行の場合は、逆に普段以上にその口を大きく開けて素材を取り込み続けている。だから、常に五感を目一杯働かせておく必要があるし、メモや写真なども欠かせないので肉体的にも忙しい。しかも、帰ってからも、その素材を活かすため、資料整理は欠かせない。これが完了して、はじめて旅行が終わったといえるのだ。
 いつ終わるのか分からないが、目下のところ資料の整理中。整理を終えたら、このHPでも紹介してみることにしたい。 

 


□ 腐ったパイナップル

1999.11.23

 一昨日、自由にはなったが、することが思いつかないと書いた。自分でも何とも無趣味な人間だと思っていたが、よく考えたらパソコンでいろいろするのも趣味といえば趣味といえなくもない。このHPもそうだ。好きなジャズやフュージョンでも聞きながら書いているんだから、むしろ目一杯贅沢なのかもしれない。それに、文章を書くのも嫌いな方じゃない。ただ、趣味と仕事の境目が曖昧なだけだ。そう考えると、別に好きでこの仕事をしてるんだから、仕事そのものが趣味なのかも…?メリハリがないなーと思いつつも、何かほかに無理やり趣味を探すというのもむしろ変だ。当分はこの状態が続きそうである。
 明日から中国に行ってくる。12月2日までだ。中日陶磁国際学術討論会への参加と、古窯跡の見学などが主な目的である。昨年の夜の不動のミーティングメンバーは、今年も全員健在。持参するアルコール類は、間違いなく1・2日のうちには底をつくはず。後は現地調達。でも、ターゲットの紹興酒は、福建省の田舎ではなかなか手に入らない。身振り手振りで店の人に説明するが、箱の中はいつもコウリャン酒。パイナップルの腐った臭いのする豪快な代物だ。“くさや”の酒バージョンみたいなものといえばいいか。おかげで昨年は、帰りの機内食では誰もパイナップルには手が出なかった。そういえば、さすが本場、紹興酒もさまざま。醤油味あり、ソース味あり、日本に輸入されているような高級品とはわけが違う。1本数10円だから贅沢もいえないが。でも、腐ったパイナップルのことを考えると、これが妙にうまく思えるから不思議である。

 


□ 自由にはなったけど…?

1999.11.21

 久しぶりに、ここに何か書こうかと思い立った。もう、ひと月以上も書いていない。理由は、毎度の事ながら忙しくて、精神的にも肉体的にも余裕がなかったからだ。なんとかこのHPの更新だけは、2日に一度のペースが守れた。“Material ホール”ばかり更新していたのはお分かりであろう。あれが一番手っ取り早いのだ。
 その元凶は、何といっても九州近世陶磁学会の10周年記念誌、九州陶磁の編年の本だ。私の担当は「色絵」。“Material ホール”で、赤絵町の資料を盛んに掲載していたのはそのためだ。机の周りは色絵の陶片だらけ。掲載資料には事欠かないが、とにかく何かのゲームみたいに、一歩一歩足場を探しながら歩かなければならないのには、我ながら閉口した。きっと、つまずいて転ぶと、まず破片でケガをし、その上から本がドサッ!と頭の上に落ちてきただろう。考えただけでも恐ろしい。
 でもようやく終わった。妥協の産物というやつか。自分で全員のレイアウトの統一原案を作っておきながら、自らほとんど崩してしまっているのだから戦犯に値するが、印刷屋に出してしまえばこっちのもの。今さら、大きな変更なんぞできませ〜ん。まあ、色絵の編年はこれまで誰もできなかったんだから、形になっただけでもましだろう…と自ら慰める。
 とにかく、これでしばらくは自由。この原稿に備え、今年はほかの頼まれ原稿は早々と済ませていたので、この時期にしては珍しく一つも原稿を抱えていない。実に晴れ晴れとした気分だ。しかし、ふと考えると、部屋の片付けをして、床屋にいくことくらいしか、することが思いつかないのはなぜだろう。そろそろ心のリハビリが必要なのかもしれない。

 


□ ひさびさに面白い展覧会

1999.10.10

 いよいよ九州陶磁文化館で、「柿右衛門−その様式の全容−」展がはじまった。普段陶磁器関係の展覧会に足を運ぶことは少ないが、ひさしぶりに燃えさせてくれる展覧会だ。仕事がらか、名品展には興味がない。陶磁器は歴史を研究する材料という位置付けが、自分の中でできているからであろう。歴史展という性格を持つものでも、最新の問題提起がなされないものでは興味が沸かない。だからなかなか実際に展示を見る機会は少ない。
 しかし、今回の展示はひさびさに面白い。物そのものというよりも、柿右衛門様式をどう位置付けるかという点に関してである。突き詰めれば、普段伝世品という高級品に偏ったものを中心に研究している立場と、考古資料という並の製品を中心に研究している立場の違いであろう。まったく見解の分かれる部分も多い。たとえば、典型的な柿右衛門様式の製品が、酒井田柿右衛門家で作られた可能性が高いことに異論はない。おそらく将来はそうなるだろう。だが、現状で南川原の窯跡で出土するような製品をかなり強引(?)に酒井田家に結びつけることには違和感を覚える。もう少し各地区の窯場の比較検討、南川原の窯場内での製品の幅など、その前提として解明しなければならないことが多いように思う。これでは再び、当初の酒井田家の製品を柿右衛門と呼ぶという状態に逆戻りしかねない(それを狙っているのかもしれないが)。しかし、それははたして「様式」という枠組みで捉えるべきものだろうか?
 いずれにしても、議論できる展覧会というのは面白い。いずれ、ここでも柿右衛門様式については取り上げる必要があるので、その時詳しく述べてみよう。

 


□ リンクしてくれる方はいませんか…?

1999.10.07

 先日、更新記録のページを作ってみた。最近頻繁に更新しているからだ。MENUの項目では最新更新日しか記録できないので、数日内にどこを更新したのか各ページまで移動しなければ分からない。これでは不便だろうと思ったのがきっかけである。
 HPを公開してはや5ケ月。やはり変更しなければならない部分も目立つようになってきた。最大の誤算は、ありそうなことだが、最初にはりきり過ぎたことか。あまりにも更新に手間の掛かるページばかりで、片手間にしては負担が大きかった。特に原稿を抱えている最中に、HPの原稿も書かなくてはと思うと、ちょっと、いや、かなりしんどい。
 Materialホールを出土品紹介中心に変えた。これでずいぶん楽になった。Discover有田に先日まで掲載した天狗谷窯跡の発掘調査報告もそれほど大きな負担にはならなかった。けっこう新しい試みだとは思うが、天候やその日の作業によっては、書くことに困ることもあった。もちろんまったく筋書きのないドラマなので、ちゃんとした落ちがつくかどうかも分からない。やはり、今回もちょっとコケた。でも、昨日実測作業を終え、今詳細な検討を進めているので、数日中にちゃんと落ちを付けるつもりである。
 残る最大の検討課題は、最初から項目だけは作っているのに一向に完成する気配のないリンクページである。ある程度掲載予定サイトを準備してからと思っていたら、ほとんど増えないまま今日を迎えてしまった。ページレイアウトそのものは、すでにほとんど完成している。ただ、肝心のリンクページが揃わない。なんとも締まらない話しだ。内容は特にこだわらないので(同じ写真いっぱいのHPとは言え、アダルト系はちょっと困るが)、とにかく募集中。どなたかこんなHPでもリンクしてくださる勇気のある人はいませんか…?

 


□ 倉田さんのこと

1999.10.03

 先日、駒沢大学名誉教授の倉田芳郎先生に、天狗谷窯跡の調査指導に来ていただいた。昭和40年〜45年の発掘調査の際に、三上次男団長の元で調査主任をしていた方だ。こう書くとよそよそしいが、実は大学時代の恩師である。この子弟関係を説明するのはちょっと難しいが、落語家の師匠と弟子みたいなもんか?時として緊張感がないわけではないが、OBが数人揃うと本人の前で“葬式はどうしようか”なんて話しにもなる。もちろん普段は“先生”ではなく“さん”付けだ。
 この先生、常人には理解しがたいが、小難しいことは分かるが意外なことが分からない。石油ストーブに灯油が入れられない。電球の換え方が分からない。電車の切符の買い方が分からない…。上げて行くと切りがない。でも、今回は一人で飛行機と電車を乗り継いできたので、大変な進歩だ。以前挑戦した時には、電車を乗り間違えて同僚が途中の駅まで迎えにいった。今回“倉田さんもやっと大人になりましたね。”というと苦笑いしていた。
 天狗谷窯跡の物原を見るまでは死んでも死にきれないという人なので、今回の結果はちょっと残念だったようだ。しかし、とりあえずは久しぶりに芝生や草木に覆われた姿ではなく、天狗谷の生の土層や遺構を見ることができ、大変嬉しかったようだ。飲み屋で本当に嬉しそうに話しているのを聞くと、いくらかでも恩返しができたような気がする。来年また調査する予定なので、今度こそは物原を見せてあげよう。

 

□ 久しぶりの渋谷

1999.09.23

 数ケ月ぶりに東京へ行ってきた。東京そのものは学生時代8年間住んでいたし、年数回程度は行く機会があるので、それほど変わった印象はない。しかし、今回、久しぶりに学生時代のテリトリーであった渋谷、それもセンター街にいった。もう場違いも甚だしいようだ。気のせいかもしれないが、以前は大学生が多かったが、今はもっと年齢層が下がっているのではないか。それとも、自分が年をとっただけなのか…。
 とにかく、日本にいるような気がしない。かといって、外国のどこかの街という感じでもない。統一性のない無国籍な街という印象だ。ちょっと見、まったく何人だか分からない若者。どぎついまでに氾濫するネオンや看板。意味不明なものも多い。別に都会が時代に敏感なのは、今はじまったことではない。だから、別に街が刻々と変わっていくことそのものに、驚きも憂いもない。だが、外国に行った時くらいしか意識しない、“日本人”という自覚を何となく感じるから奇妙だ。あるいは、普段島国の村社会の中に、どっぷりと浸かって暮らしていることとのギャップがそう感じさせるのかもしれない。
 しかし、この無国籍な街に何ら違和感を感じない状態も悪くはないとは思う。ようやく日本も、本当の意味で開国できる準備が整ってきたのかもしれないからだ。

 


□ 更新をちょっとさぼります

1999.09.15

 最近、毎日更新を繰り返している。明日も更新する予定だが、17日、金曜日からちょっと出張、お休みをいただく。次は22日か23日から再開の予定。こんなペースがいつまでも続くはずもないが、これからもできるだけ頻繁に更新して行きたいと思う。
 しかし、今回の出張はあまり気が進まない。別に目的の問題ではない。天狗谷の発掘が一番の佳境に入っているからだ。現場そのものは同僚がいるので、なんなく進むはずだ。しかし、E窯の土層を自分で掘ってみたい。こんな気分は、おそらくはじめてではなかろうか。たぶん大学時代に天狗谷窯跡の存在を知らなかったら、近世考古学はしていなかっただろう。おそらく、今ごろ別の職業についていたはずだ。成果はどうであれ、とにかく自分で掘ってみたいのだ。明日もう一日ある。今のペースでいけば、少なくともA窯の作業段くらいは出せそうだ。あわよくばE窯の層まで行けるかもしれない。問題は天気。もしだめなら、半分だけでも残しといて、と同僚にいっておこうか…。
 

 


□ 伝 統

1999.09.12

 佐賀県立有田窯業大学校の陶磁史の非常勤講師をしている。前期だけの科目であるため、先日試験を行った。例年、アンケートのつもりもあって出す問題がある。「有田の窯業の過去と現在の長所・短所」、「これから有田の窯業はどのような方向へ進むべきだと思うか」という、自身の意見を述べる2問である。せめて何か書いて欲しいが、ほかができない学生に限ってここも空欄。内容に関わらず配点は一律なので、頭がいたい。
 毎年、大半を占めるのが“伝統に縛られ過ぎ。もっと新しい技術や製品を開発すべきだ”という答えである。つい教え方が悪いのだろうかと悩んでしまう。伝統と開発を、対極にあるものとして捉えているからだ。実は、自らに伝統という狭い箍をはめ、自身を縛っているだけではないか。たしかに、ひたすら意識して技術を守る必要のある伝統も多い。しかし、その多くはすでに技術としては命脈を保っていても、産業としては生き残れなくなったものだ。有田は違う。この不況で落ち込んでいるとはいえ、まだ十分に力がある。ならば、有田で蓄積された技術を身に付ければ、どんどん攻めればいい。伝統なんてあえて意識する必要もない。体は正直だ。これは、有田の陶磁史が物語っているではないか。たとえ中国製品の模倣であろうと、ちゃんと有田らしい製品として消化している。逆にまったく新しい突飛な製品に見えても、必ずそこに繋がるノウハウがある。頭でどうこうするものではないのだ。
 どの分野でも同じだろう。それが知識であるうちは、まだ出口は遠い。

 


□ 突然ですが2!!

1999.09.11

 “Materialホール”の内容を変えることにした。作成に時間のかかるページばかりで、なかなか更新が思うようにできないからだ。出土製品で目についたものを、とりあえず手当たりしだいにご覧いただくことにした。詳しい説明もやめた。また、文章を考えるのに時間がかかるからだ。このHPで文章を書く作業、他に原稿を抱えている時には思いっきりしんどい。しかも、原稿は抱えていない時の方が珍しい。とりあえず、どんなものが出土しているかご覧いただきたい。詳細な説明が必要なものについては、また別なページで改めて取り上げることにしたい。

 


□ 突然ですが!!

1999.09.04

 突然、発掘調査の経過を発信してみることを思い立った。別に何かあったわけではない。突然だ。でも更新が大変そうなので、ちょっとためらいがなかったわけではない。でも、こういうのが本当の情報公開かもしれない。普段は、調査者以外は、発掘調査報告書という形でしか、発掘経過を知ることはできない。でも、調査終了後に作る報告書は、あくまでも調査結果が分かってから作るものだ。だから、途中の紆余曲折はなかなか伝わらないし、少なからず形合せはすることになる。でも今回は、当然明日のことは分からない。もしかしたら、さしたる成果がないまま終わるのかもしれない。しかし、それも現実だ。
 とにかく、どれくらいの間隔で更新できるか分からないが続けてみよう。

 


□ 蚊取り線香

1999.07.29

 今日も雨。どこがと言いたいが、いよいよ梅雨もあけたらしい。嬉しいような、悲しいような。いよいよ暑い夏。夏といえば発掘。想像しただけでも、今から汗が吹き出してくる。
 でも、有田では、窯跡の調査がほとんど、もっと深刻なことがある。やぶ蚊だ。ひどいところでは、やぶ蚊をかき分け穴を掘る。ちょっと大げさだが、パッと腕を広げただけでも片腕数匹はかたい。蚊取り線香は必需品だ。蚊取り線香といえば、ゆらゆらとした風情のある煙が思い浮かぶが、そんなもんじゃ、まぐろ漁の網でめだかを捕るようなもの。もくもく、もくもく…!!あたり一面、あちこちの蚊取り線香の頭と尻尾(?)から立ち上る白い煙。山火事とまでは思われないだろうが、新ら手の宗教だと思われるのはちょっと怖い。たしかに服装もかなり怪しい。とてもまっとうな現代人には見えないだろう。一番それらしく見えないのは、当の公務員らしい。
 そういえば、こういうこともあった。職場にきた営業マンが私の前をす〜っと通り過ぎ、アルバイトの人に「職員の方ですか!」と言いつつ、営業をはじめた。「…?、…?」。同僚も隣に座っていたので、こいつのせいだと我が身を納得させる。だが、きっと同僚もそう思っただろう。
 長年国庫補助事業で窯跡の試掘調査を行っていたが、一つだけ、ついに果たせなかった心残りがある。一度も補助対象として、大量の蚊取り線香を計上できなかったことだ。発掘調査の需用費に蚊取り線香…。文化庁は認めてくれただろうか?

 


□ 井の中の蛙

1999.07.17

 先日の話しだ。有田は久しぶりという同業の友人が千葉から訪ねてきた。10年ぶりくらいにもなるだろうか。私は有田もずいぶん変わったと思うのだが、都会(?)の人から見れば、これくらいは変わったうちには入らないようだ。それほど田舎は時間の進むのがゆっくりしているということか。そういえば、今でも安政6年(1859)の絵図を片手に町中を歩いても、それほど迷うことはない。
 でも、我が職場を訪れて、出土資料がずいぶん増えていたのにはさすがに驚いたようだ。ざまーみろ!!有田焼の陶片に関しては、どこの都会でもかなうまい。
 でも、これを整理しなければいけないと思うとぞ〜っと!する。整理作業が進むよりも、貯まるスピードがはるかに早いのだ。小さな町なので、埋蔵文化財担当は二人である。一度に作業できるスペースや環境も限られている。一昨年水洗いを終えた小溝上窯の出土品は、コンテナ約5,000箱、洗うだけで3年も費やした。これでは発掘調査報告書の刊行まで、いったいどれくらいかかるのだろうか?
 職場は泉山にある。磁石場を訪れた方はお分かりだろうが、長い間陶石を採掘してたため、すっかり一山なくなっている。これが全部磁器になったかと思うと、発掘資料などわずかなもんだと思えてしまうのは、有田に染まってしまった証拠だろうか。

 


□ Winの壁

1999.07.02

 この欄の文字を大きくしてみた。二、三の方からご忠告をいただいたからだ。どうも、このHPには読みにくい部分がいくつかあるらしい。自分では気付かないので、こうした助言は大変ありがたい。これから徐々に改善していくつもりである。
 原因はいくつか考えられるが、最も大きいのはWinとMacの違いらしい。たしかに多少文字や色調などが異なって表示されることは、知識としては知っていた。しかし、そこは一般的な使用には問題にならないようなことでも、仰々しく取り上げるパソコン業界のこと、それほど本気にしていなかったというのが本音だ。
 だが、この違いを確認することは、少なくとも有田近辺では容易ではない。身近にWin使用者がほとんどいないからだ。もちろんこれを作成しているのもMacである。仕事がらかもしれないが、近辺の同業者間では現実的にWinでのデータ交換は不可能といっていい。世間のMacユーザーが感じている肩身の狭さは、有田周辺に限れば皆無である。Appleに表彰してもらいたいくらいだ。
 しかし、なんとか改善できる部分は改善していこうと思う。これからも、読者のご助言をお願いしたい。

 


□ “0”が消える日

1999.06.10

 「窯跡基礎知識」をアップロードし、ようやく予定していた本文はすべて完成した。公開からひと月、これでなんとか格好はついた。後ははリンクページである。でも、まだ構想がまとまらない。別になくて困るものでもないので、遅れついでにゆっくり考えるとしよう。
 ところで、5月27日に「Yafoo!」の“今日のおすすめ”に取り上げていただいた。そんなページがあることも知らなかったのだが、おかげでアクセスカウンターも、この堅苦しい内容で、この公開日数にしては少し見栄えが良くなった。
 たしかに、あまり先頭に近い桁に、“0”が並んでいるのは気持ちいいもんじゃない。早く消えてくれることを切に願うが、こればかりは電話代をつぎ込むのもばかばかしいので、おとなしく時を待つしかない。野球の9回裏じゃないけど、あと二つと思えば気が楽なのかもしれない。だが、我が家の貯蓄じゃありえないように、二ケタ増というとやはりちょっと遠い気がする。まあ、減らないだけましだが。
 次の“0”が消える頃は、きっとまだ今と変わらない生活をしているだろう。だが、頭の“0”の消える頃はいったい何をしてるんだろうか。まさか年金生活まではしていないだろうが、今の世の中何が起こっても不思議じゃない。でも、やっぱりあいかわらず陶片と活字に苦しめられているのかもしれないが、それまでこのホームページが続いているかが一番心配である。

 


□ 田舎もんのたわごと

1999.05.23

 5月6日に公開して以来、いつの間にか半月が過ぎてしまった。まだ、完成していない部分をなんとかしなくてはと思いつつ、暇がない。本当に暇がない。自分の筆の遅さを恨みつつも、少しずつ書きためて、ようやく「Materialホール」は立ち上げることができた。でも「窯跡基礎知識」がまだだ。
 リンクのページも作ろうとは思っているけど、意外に興味をそそるHPが見当たらない。別に内容の種類にこだわっているわけではないのだが、どうしても自分では似たようなものを探そうとしてしまう。自力では無理そうなので、どなたか推薦していただきたい。
 最近、ぜひHPで公開して欲しいと思うのが、消費遺跡の発掘調査情報だ。特に、各地で出土した年代の押さえられる資料や、発掘調査報告書の出版情報などが分かれば大変ありがたい。今では各地に近世考古学の研究会ができているので、地域ごとなら情報収集できる体制はできているはずだ。でも、その主要メンバーを思い浮かべてみても、やはり文系そのもの、という人が多い…。誰かお願い!!
 というのは、別に仕事がらみのことだけではない。今般の世情を反映して、田舎では地域内での情報収集の機会は確実に減少している。もともと選択肢が少ない上に、企業は次々に撤退、増えるのは空き店舗ばかりだ。これからは、田舎ほど、こうした電子メディアの活用が必要なんだと思う。
 これまでの施策によって、田舎でもすでにハード面での社会資本整備はかなり進んでいる。いや今般の不況によってますます公共投資が増え、過剰とも感じる箱ものや道路が増えつつある。このまま進めば田舎は小さな都会と化し、地域色を失うのは確実だ。いくらこうした公的な資本を投資しても、投資効率の悪い田舎では、もはや民間資本がそれを有効に活用することは難しいように思う。これからの田舎の活性化に役立つのは、運輸・交通などのハード的な投資ではなく、主として距離が関係しない通信分野やソフト的な投資ではなかろうか。こうした変革には、やはりそれを印象付けるだけの内容が必要だ。しかし、インターネットに限っても、まだ帯に短し襷に長しで、それを急速に促すだけの強いインパクトはない。
 思わず大それたことを書いてしまったが、それほど深い意図があるわけではない。とりあえずは、仕事に使えそうな情報を簡単に入手できる環境が整備されればと思っただけである。関係者のみなさんよろしく!!

 


□ ようやくできました!!

1999.05.06

 HPでも作ろうと思ったのはいつの頃だっただろうか?特に強い願望があったわけではない。むしろいつも原稿に追われて苦しみもがいているのに、自ら墓穴を掘るようなことをする必要もないと思う。
 よく好きなことで食べられてうらやましいと言われる。でも、どこまでが仕事でどこまでが趣味なのか実に曖昧模糊とした生活を送っていると、逆に純粋に息を抜いて呆けられる時間は見つけにくい。だったら、いっそのこと毒食らわば皿までだ。もっと与えられた環境の中で楽しんでみよう。これが、HP作成を思い立った一つの理由である。
 幸いパソコンを扱うのは嫌いな方ではない。自分でプログラムを組んで楽しむような趣味はないが、道具としては何とも面白い不思議な物体だ。単なる器械なので、用法さえ誤らなければ命令どおりに動いてくれそうなものであるが、おっとどっこい、これが一度へそを曲げるとてこでも動かない。もうこうなると子育てと一緒だ。なだめすかしたり、脅したり。本当にもっと素直に育って欲しいと思う。
 それに、有田の窯業史について触れたHPは意外なほど多い。だが、現在の調査・研究レベルに耐えうる質の高いものは知るかぎり皆無といっていい。多くは観光案内的なものや、昔の本からそのまま転載したようなものである。それはそれで目的が異なるのだらか構わないとは思う。しかし、せっかく一歩一歩積み上げてきたものが、いとも簡単に逆戻りしていくのを目の当たりにするのは、自分の立場としては辛い。そうした流れが否応にも敏感に察せられてしまう立場にいるため、よけいに感じるのかもしれない。それほど、電子メディアの影響力が大きくなってきたということであろうが、ならば逆に自分でもそれを活用してみよう。本当は、これがHPを作った一番大きな理由なのかもしれない。
 ところで、同業の知りあいも何人かHPを公開している。趣味系、情報系人それぞれだが、何となく人のしていることは楽しそうにみえるものである。自分でもとうとう踏み込んでしまったが、今更ながらこれからのことを考えると気が重い。まだできあがっていない部分もある。本当に更新するような暇なんかあるんだろうか?

 





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