一般的にいいますと、まず仏の教えを信じ、教えの通り修行すれば、さとりをひらき仏になることができるのであって、これは道理としては、よく納得ができます。
しかし現実をみつめるとき、なかなかその通りにはいきません。
肉体をもって生きてゆく人間には常に迷いと悩みがつきまとい、仏のさとりに達することなど、とうてい不可能なことであります。
何の気なしに考えますと、われわれは仏道の修行をすれば、それにつれて次第に心の霧が晴れるように思います。
しかし実際は修行をすればするほど心の霧は濃く、底知れぬ闇の深さに気付かされ、自分で自分をどうすることもできなくなります。
したがって自分で願いをおこして仏になるということは理想としてはたいせつなことですが、実際は残念ながらできません。
その悲しい人間という存在を哀れんで、成仏することをわたくしが願うのでなくて、仏が願っておられることを説いたのが『大無量寿経』であり、この教え以外にこのわたくしが仏になる道はないので、これを「真実の教え」と親鸞聖人はいわれたのであります。