第1008回 生まれてきてくれて ありがとう 〜子どもへの願い〜

 
平成24年 5月17日〜

「本願寺新報」という、本願寺派の新聞に
「親としての歩み 一緒に考えましょう。」 との記事がありました。

お念仏の教えを示してくださった親鸞聖人のご誕生をお祝いする
「宗祖降誕会」が行われる季節ですが、この「ご誕生」にあわせて

初参式(初参り)をする寺院もあります。

新しいいのちの誕生は、同時に「親」としての歩みがスタートすると

いうことです。
子どもの誕生をお祝いするこのご縁を通じて、「親」とは何かを考えていただき、
あらためて自分の生き方を見つめ直していきましょう。・・・・


との前書きの後、横浜の早島大英さんの「降誕会によせて」という
文章が掲載されていました。ご紹介させていただきます。

〇 子どもの自立をさまたげる親の思い


子どもが誕生して、親も親としての歩みが始まります。
すくすくと育ってほしいとその成長を願うのは、親なればこそです。
しかし、その親の願いが子どもの成長をさまたげていることも

しばしばあります。

 こうしろああしろと親の思いを押しつけてばかりいると、
子どもは自分でものごとを判断したり、自発的な行動をとることが
できなくなってしまいます。

あるいは、子どもがなすべきことを親がやってしまうと、いつまでたっても
なすべき能力が養われないし、それどころか親にしてもらうのが
あたりまえになっていきます。


こんな具合で、親の側の自分勝手な願いが、子どもの自立をさまたげて
しまっていることを、私は自分の子どもたちから教えられました。



〇 自立ということ

親として子に対して願うべきことは、自立した人間になってもらいたいと
いうことでありましょう。自分で考え、自分で行動し、他者への配慮も出来る、
そういう自立した人間になることを願うのが親の役目だと思うのです。

  私は、自立には三つの要素があると考えています。
まず一つは「報恩」です。ありがとうと感謝する人間になることです。
多くの恵みやおかげによって生かされているわが身に気づくこと。

それが自立には不可欠です。大人の方から「生まれてきてくれてありがとう」と、
成長していく折々に子どもたちに言葉をかけていきましょう。


二つには「利他」です。自分さえよければよいとする利己心を離れ、
他者のために行動することです。

人それぞれ能力や性格に違いはありますが、必ずその人なりの

持ち味というものがあります。それを活かすところに利他行があります。
「やってもらう」立場から「してあげる」という行動へ、さらには

「させていただく」といいう意識への転換です。

そして三つには「慚愧」です。
「慚は人に羞づ、愧は天に羞づ」と示されます。私はこれを、
慚は人様に対して恥じ入ることで、愧は自分を越えた存在や哲理に

対して恥じ入ることだと理解しています。

私たちはみな自分中心の心を持っています。
人のためにと思ってしたことが人を傷つけることもあります。

そんな思い通りにならない世界にあって、「申し訳ない」と慚愧する心が
芽生えたなら、それはまさしく自立にほかなりません。


〇 真の自立は 仏さまの願いを実感できる人間になること


ただし「報恩」「利他」「慚愧」とい自立心を自分一人の力で身に
つけるのは至難のわざです。

しかしありがたいことに、南無阿弥陀仏のお念仏は、仏さまの

大慈悲心を生きる支えとしてわが身に実感していくものです。
そのお慈悲の支援により、親子ともども「報恩」「利他」「慚愧」の

意識をもてる人間へとお育てにあずかります。

お念仏の教えをお示しくださった親鸞聖人のご誕生を、
心から感謝しお祝いいたします。


という文章です。お互いに仏さまの願いが実感できる毎日を
送らせていただきたいものです。

妙念寺 電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、5月24日に新しい内容に変わります。


         


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