第1010回 呼び続ける親 重誓名声聞十方〜

 
平成24年 5月 31日〜


 日曜学校の子どもたちに、こんな質問をしたことがあります。
「みんなは、お父さんやお母さんのことを、いくつの時から、
<お父さんお母さん>と呼ぶようになったのかなあ。

子どもたちは口々に、「そんなん覚えてないわ」と言います。
そこで、「覚えてないくらいの小さい時やのに、なんで、<お父さん、
お母さん>やと わかって呼ぶようになったんやろ?」
とたずねると、全員がきょとんとしています。中には「だって・・・」

と答えかけて「なんでやろ?」と首をひねっている子もいます。

しばらくして、一人の子が「お母ちゃんが自分で言うたんや!」と
顔を輝かせて言いました。
ニコニコして「正解!」と答えると、みんなで「なーんや」となりました。


 親は、物心のついていない赤ちゃんに向かって、「お母ちゃんですよ」
「お父ちゃんだよ」と言い続けます。それがあったからこそ、
やがて子どもの口から「お父ちゃん」「お母ちゃん」とかわいい声が出てきます。

そして子どもは、時として「お父ちゃん」「お母ちゃん」という
言葉そのものにも、特別な響きを感じたりします。

それは、親が言い続けた言葉の中に「育ってくれよ」という思いが
込められているからでしょう。

もっとも、子どもの心を傷つける思いや願いを親が持ってしまうことが

ままあるのは、人間の悲しさなのでしょうか・・・・・。


 阿弥陀さまは、阿弥陀さまのことも知らないし阿弥陀さまの願いにも
気づいていない私たちに向かって、「阿弥陀ですよ」と呼び続けられます。
私たちが横を向いていようが背を向けていようが「こっちこっち」
と呼び続けられ、気づかないことがあってはと心配し
「名号をすべての世界に聞こえさせよ」とされるのです。


 阿弥陀さまは、なんとしてもあらゆる人々を救おうとしていきいきと
はたらかれるのですが、その活動のすがたが「南無阿弥陀仏」の
お名号なのです。

ですから、「南無阿弥陀仏」は阿弥陀さまのそのものといってよいのです。


 四十八の誓願をたてられた後、名号のことをもう一度
「重ねて誓われた」のは、この名号のはたらきによって救うことに、
 四十八の願いは要約されるということなのです。


重誓名声聞十方 ・・名号をすべての世界に聞こえさせようと
     重ねて誓われたのである。「教行証文類」現代語版143ページ
         ひらがな正信偈 森田真円師著 本願寺出版社発行

妙念寺電話サービス 次回は 6月7日に新しい内容に変わります。

         


           私も一言(伝言板)