第1014回 天与のオモチャ 〜榎本栄一さんの世界〜

 
平成24年 6月28日〜

榎本栄一という方がいらっしゃいました。
お念仏を喜ぶ詩を数多く作って下さった方です。
その中に、こんな詩があります。ご紹介します。

「ボロ」

日の光に 照らされたら 私が着ているのは ボロ着物でございました。

「大悲無倦」
蜘蛛の張る網のように 私の中の我執が ありあり見えるのは

なも 大悲無倦の御光照(おんひかり)

「木の上」
うぬぼれは 木の上から ポタンと落ちた

落ちたうぬぼれは いつのまにか また 木の上にのぼっている。

「桜」
ここ二、三年 桜見るのを忘れていたが あるがままの自分を
見ているのが一番たのしい 自分のなかには
桜よりも おもしろみのある花が 次々に 咲く。


「オモチャ」
すこし耳は遠いが まだ頭ははたらいて 目はみえる
これはまったく まかふしぎな 天与の オモチャである
私は このオモチャをあやつって 終日 あきることがない。

「特別番組」
これは如来さまが 私にだけお見せくださる

宿業という特別番組で あちこちには深い渦が巻き ときどきお光がさす。

「渡り鳥」
いちばん恐ろしいのは やはり人間ですと この北国からの
渡り鳥が云いました。

「手ぶら」
私は手ぶらで 今朝も如来の家へ あがりこみ
微風をいただき 日のひかりをいただき。

「布を織る」
私はひとりの 老職人 かの土をたて糸にし 娑婆をよこ糸にし 
ふしぎな布を織っている。

「足を讃嘆」
どんな文明の乗り物よりも どうにか動いてくれる
父祖伝来の この足を まず讃嘆もうします。

「御はたらき」
人間の内臓が 夜ひるうごいてやまぬのは
形なき なも不可思議光仏さまの 御はたらき。

「無辺の手掌」
確かに死ぬる 人間なれど
よくみておれば みんな仏の手掌で暮らしている。

「ご覧くださる」
世の人びとは 私の一部分をごらんくださる
その背後に在す ほとけさまは 私の一切をごらんくださる。

「業の落葉」

私のなかに業がふりつもり 業の落葉がふりつもり
腐植土のようになり ながいとし月には 私の肥料になり。

「苦をたまわる」
南無大悲の如来さまは 私を無限に お育てくださるか
つぎつぎと苦をたまわるので 眠りこけておられず。

「足音」
夜 かすかな雨の音 風の音 これは仏さまが

この人の世を おあるきになる 足音です。

妙念寺電話サービス次回は 7月5日に新しい内容に変わります。

(スペースの関係で 段落を大幅に省略しています。正しくは著書を
  購入しご確認ください。)
   法蔵館発行 「妙好人の世界」 より抜粋

         


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