第1022回 見えぬものでも 〜仏さまは光りとなって〜

   平成24年 8月 23日〜

 「めぐみ」という仏教婦人会の機関誌に、こんなところがありました。

見えぬ   けれども

あるんだよ

見えぬ
 ものでも

あるんだよ

             金子みすず


先日 お寺の本堂で7回忌の法要がありました、がんを患って64歳で
ご往生された母親がよほど忘れられないのか、娘さん2人はお参りの間中

ずっと泣いておられました。

そこで読経の後にお話をしました。

「悲しいことですが、もうお母さん本人にはお目にかかれません。
しかし、親鸞聖人は見えないものでもあるのですよと教えておられます。

春は見えませんが、山が緑になり野に花が咲くと春だと感じます。
やはり春はあるのです。


幸せも見えませんが、今日一日よかった、ありがたかったと感じる時
幸せはあるのです。

仏さまもそうです。
目には見えませんが、いつでもどこでもだれにでも
仏さまは光となってはたらきかけてくださっています

どうぞこれからは仏さまになられたお母さんに感謝して、お念仏申して
いきましょう」

日本人は昔から冥加または冥利ということばを知っています。
「おかげさま」と何気なく使っていますが、そこには深い意味わいが

あるのです。

             岐阜教区東陽組教泉寺住職 近藤利尊師

お念仏と共に 仏さまのはたらきを 感じ味わえる人生を
送らせていただきたいものです。


妙念寺電話サービス お電話ありがとうございます。
次回は、830日に新しい内容にかわります。

         


           私も一言(伝言板)