第1023回 迷惑でも 〜子どもに伝え残すこと〜

 平成24年 8月30日〜

 テレビや新聞で、「子どもに迷惑をかけたくない」と、樹木の元に
埋葬する墓地が注目を集めていると報じています。
東京都が新たに計画し募集したところ、応募者が殺到したということです。

子どもたちには 子どもたちの生活があるのだし、迷惑にならないように

葬儀も簡単に、その後の埋葬、年忌なども質素に、省略しようとする人が多いと
耳にします。

大変なこと、イヤなこと面倒なことはなるだけ避けて、出来るだけ楽をさせてやりたい
との親心からでしょうが、はたしてこれで良いのでしょうか。


これは、子どもが大変そうだからといって、宿題を親が勝手にすませてやり、
それを学校に持って行かせるようなもの、子どもが忙しく健康診断の時間がないので
親が代わりに受診するようなものではないでしょうか。

それでは 子どものためには ならないのではないかと思います。
大変なことでも苦労が多いことでも、子どもの将来のことを考えれば

自分でやらねば自分のためにならないことが、沢山あるのではないでしょうか。

苦労することの目的や意味合いが よく理解出来ないために、やっかいなこと

無駄なこととして切り捨てて、子どもが大きく成長し、人間として生きていくのに
必要な知恵を体験する大事なチャンスを逃してしまっているようです。


近頃、お通夜や お葬式で感じるのは、子どもさんたちが親と別に生活して

いるために、親の気持ちや親の生活や、お付き合いの方々や、その内容
お世話になった方々のことなど、まったく分かっていないことです。

まだ、お友達が多い世代では、子どもさんたちが予想もしない沢山の方々が

参列されて、亡き人の思い出を種々聞かされて、驚かれていることです。

子どもたちが知らなかった親たちの様々な世界を、ありありと見せつけられること

親の人生の豊かさを知らされることがよくあるものです。


親は 子どもたちに 健康な身体や、教育や 財産を残すだけでは無く

人間として一番大事な生きることの意味、いのちには限りがあること
多くに支えられて生かされていることなど、自分が体験したすべてを
伝え残す、最後の大仕事があるのではないかと思います。

子どもに迷惑をかける、かけないの問題ではなく、自分の命の終焉を通して
ちゃんと気づかせ体験させる、それが 葬儀であり、お墓であり、年忌であり
そのご縁を通して、蓄積された仏教的な智慧 豊かな知識を受け継いで
行くべきではないでしょうか。

苦労して育てて来た 子どもに、日ごろはともかく、自分がいなくなった後は
ちゃんとしてくれ 受け継いでくれと言い残すことが、最も親の勤めを
果たしたことになるのだと思っています。

元気なうちに、南無阿弥陀仏に出会って、先輩たちが蓄積してきた
大きな智慧の財産を、定期的に縁を結んで、絶やすことなく正確に子どもへ伝えて
いくこと、これが、最も大きな宝ものを相続させることになるのでは
ないでしょうか。

子どもや孫たちが本当の喜びに、幸せに出会えるように、工夫し努めることが

最も大事な親の仕事であると思います。

 妙念寺電話サービス 次回は、9月6日に新しい内容に変わります。


         


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