第1024回 声の仏さま 〜南無阿弥陀仏のお念仏となって〜

 平成24年 9月6日〜


 浄土真宗本願寺派、福岡教区のホームページに こんな法話がありました。

 ある会社が敬老の日に、高齢者の方々にこんなアンケートを
したそうです。

「敬老の日に何が欲しいですか?」するとほとんどの方々が

「物とかお金とかは要らない、やさしい言葉が欲しい」と
答えられたそうです。

 中国の諺(ことわざ)に「人間は冷たいお茶やご飯は我慢できても
冷たい眼差しや冷たい言葉には耐えられない」とあります。
冷たい言葉、ぬくもりのある言葉と、言葉には温度差があります。


 世界で一番、誰もが喜ぶ短い言葉は 返事だそうです。
挨拶をだれのためにするのか?
それは相手のためではなく自分のためです。


かけた言葉が、そのまま返事となって自分に来たときに人は、
自分の存在を確認できます。


 「念仏(南無阿弥陀仏)は親の呼び声、子の返事」といいます。
阿弥陀様という仏様は、いつでもどこでも誰にでも声をかけて

くださっています。

 その声(南無阿弥陀仏)、言葉の内容は「たとえどんなことが
あっても、あなたを見捨てないよ、あなたと私はいつもいっしょだよ、
だから何の心配もせずに堂々と自分の人生を歩んでいきなさい」

とおっしゃっています。


 作家の藤本義一さんは、母親からいつもこう言われたそうです。
「うんと勉強して 財産は自分の頭の中に作りなさい、これなら

災害がきても泥棒がきても無くなることはない、
盗られることはないよ」と。


 阿弥陀様はいつも、どこでも私と共におられます。
そしていつも「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」のお念仏、
私への呼び声となって、私の口から出てくださいます。
その声を私の耳で聞いていくとき、私と阿弥陀様はひとつとなり、
まわりの人々とともに人生が広がるのです。

苦難にみちた人生をわかってくださる阿弥陀様と いつも一緒ですから、
悲しみは半分に喜びは倍になるのです。

南無阿弥陀仏の声となって寄り添ってくださる仏様です。

                 福岡教区 御笠組 石松 昭信師(栄法寺)

 妙念寺電話サービス 次回は 9月13日に新しい内容に変わります。


         


           私も一言(伝言板)