第1025回 ただ念仏 〜信心決定こそが大事〜

   平成24年 9月13日〜

念仏さえすれば 浄土に往生出来ると 理解している方にお会いします。
「いつもお念仏が出るように心がけています」とおっしゃっています。

ホームページ書き込み欄の中にも、念仏だけで救われる有り難いとの記述もあります。

しかし、どこか違う気がします。
南無阿弥陀仏と称えるだけで お浄土に往生出来る
 法然上人は 念仏往生と 
おっしゃっているではないかとの意見に、

これは、浄土真宗の教えと、どこか 違和感があります。


このことを解決する言葉が どこかにあったと思いつつ ご文章に行きつきました。
ご正忌に拝読する ご正忌章 5帖 11通の内容です。
そのご文章の大意を現した文章には 次のようにあります。


親鸞聖人の御正忌にあたって報恩謝徳の思いから 参詣された人々のなかには、
信心を得た人も 得ていない人もあるでしょうが、
信心のことはなによりも大事なことです。

というのは、信心を決定しなければ、このたびの浄土往生は定まらないからです。
ですから信心を得ていない人はただちに信心を決定してください。

 人間界は無常の世界であり、浄土は常住の国 ですから、無常の人間界を離れて、
常住の浄土を願わなければなりません。
それで、浄土真宗においては、信心がなによりも大事であるということを
知らなければなりません。
ただちに信心を決定して浄土往生を願うべきです。

世間の人は信心がなくても、ただ念仏さえしていれば 浄土に生まれるように
思っていますが、それはおおいに疑わしいことです。

 他力の信心を得るということは、南無阿弥陀仏の 六字のいわれを
よく心得ることであり、このことを信心が決定するというのです。

信心とは、経典には、
「聞其名号信心歓喜」と説かれています。

善導大師は、
「南無というは帰命、またこれ発願回向の義なり。
 阿弥陀仏というは、すなわちその行」と
釈しておられます。

「南無」とは、自力にたよることをやめ、疑いなく、一心に阿弥陀如来を
たのみおまかせすることであり、「阿弥陀仏」とは、一心に阿弥陀如来を
たのみたてまつる衆生をお救いくださることです。

このように南無阿弥陀仏のいわれを心得ることを、信心を得るというのであり、
このように心得ている人を、他力の信心を得た念仏の行者というのです。
                     (五帖第十一通)

http://www2.saganet.ne.jp/namo/sub12.htm#gosyouki

世間の人は信心がなくても、ただ念仏さえしていれば 浄土に生まれるように
思っていますが、それはおおいに疑わしいことです。信心を決定することが

大事だと 言われています。

これが 浄土真宗の教えです。

 妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。
 次回は、9月20日に新しい内容に変わります。


         


           私も一言(伝言板)