第1037回 ほめ称えずには おれない 〜大いなる恩に報いる〜
 
  平成24年 12月6日〜

子どもがまだ4、5歳の頃だったと思うのですが、動物園で
気づいたことがあります。
同じような年頃のほとんどの子どもが、象の近くにやってくると、
「あっ、象さんだ!」と 大きな声を出します。

中には、嬉しそうに走り寄って行く子もいます。
あの「象さんだ!」という声は、自分よりもはるかに大きい存在に

衝撃を受け、思わず口から出た言葉であって、そこにはきっと
「すご〜い」とい称讚の意味が込められているに違いありません。


 おもしろいのは、その「象さんだ!」という声を聞いただけの
他の子どもも、すぐに反応をみせ、キョロキョロと辺りを見回して
象を捜しはじめます。

そして、見つけるやいなや同じように「象さんだ!」と大きな声を出すのです。
人間は、自分を超えた大いなるものに出会って「すばらしい」と思ったら、
それをほめたたえずにはおれないものなのでしょう。

そして、おもわずそのものの名前を呼ばずにはおれないのかもしれません。
流れ星を見た人が「あっ流れ星だ!」というように・・・・・。



 親鸞聖人は、「尊号真像銘文」というお書物の中で、
「南無阿弥陀仏と阿弥陀さまのお名前を称えることは、阿弥陀さまの
徳をほめたたえさせていただくことになる」と述べられています。

阿弥陀さまの徳とは、どんな愚かな者でも必ず摂め取って仏にしよう

という徳です。
そのお徳に出会って阿弥陀さまの名前を称えるわけですから、当然、
私のような愚かな者をお救いくださる「大いなる慈悲」への感謝の

気持ちが表れたものと言えるでしょう。

そして、その称名は、私が称えてはいるものの、阿弥陀さまの
お徳によって、私の口から出たものに違いありません。


 また、称える私自身は愚かであっても、阿弥陀さまのお名前が
他の人に聞こえることは、知らず知らずのうちに、阿弥陀さまの
お徳が広まっていくことになります。

「象さんだ!」と言った幼子は、誰かに聞かせようとして
言ったのではなく、思わず言ったのです。

 けれども、声を聴いた他の子どもにも、象の存在がしれることになり、
次の「象さんだ!」になったのです。
それは、声に表れた象の偉大さが、なし得たことなのです。

 それと同じように、阿弥陀さまのお徳が表れたお名前は、
自ら広まっていくものなのですが、私たちがお名前を称えることが、
知らず知らずのうちに阿弥陀さまのご恩に報いる行為にも
なっているのです。

そこで「・・ただ常に阿弥陀仏の名号を称え、本願の大いなる慈悲の

恩に報いるがよい」と述べられているのです。


     ひらがな正信偈 森田真円師著 
         「唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」解説 より

 妙念寺電話サービス 次回は 1213日に新しい内容に変わります。


         


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