第1049回 念仏の行者 ~お礼を言うという仕事~

 平成25年 2月28日~

親鸞聖人は お念仏の人のことを 念仏の信者とは
仰せになりませんでした。

信者ではなく 行者 念仏の行者と 仰せになっています。
仏道を修行する人のことを 行者といいますが
念仏の行者とは 他力の信を得て 念仏を喜ぶ人は行者である。

行動する者 はたらくもの 念仏の人には はたらきがあると

お示しなのでありましょう。


こんな話を聞きました。


日頃よくご聴聞されていた男性の方、どの法座でもお姿が見えないと
思っていましたら、ご家族の方が お見えになり
今、入院中であり もう長くはないと。

最後に お話を聞きたいと本人が言うので ご足労ねがえないかとの
ことでありました。
早速 病院を訪ね 看護師さんに、「何分ぐらいいいですか」と
聞くと「5分にしてください。5分間で堪忍してください」
ということでした。


枕元で あなたとは 20年のお付き合い、何も言うことはないが
一つだけお願いがある。聞いてくれませんか。

親鸞さまも蓮如さまも 我々のことを 念仏行者とお示しである。

念仏のものは はたらいてくれとおっしゃっている。
念仏するものは 死ぬまで仕事が あるんだと思いますよ。
はたらいてくれよと おっしゃる。

我々は 念仏行者なんだから いのちの尽きるまで はたらかして

もらおうではありませんかと 申しましたら、
自分は身体が 動かない もう何も出来なくなってしまった
はたらいてくれるのは 看護師さんであり
お医者さんであり 女房であり、倅であり、
もう死んでいく自分に どんな仕事があるんですか。

何ができるのですか。何もできませんと、涙を一杯ためて申されました。

そこで、その方のやせた手を握って 申しました。
仕事がありますよ、それはお礼を言うという仕事。

お礼をいって 言い過ぎということはない、言えば言うほど

足りないと気づくもの。

口で言えなくなれば 目でも 手でもいえるのではないですか。
今出来る仕事は お礼の気持ちを表すことですよと。


 二日後 その方は 往生の素懐をとげられましたが、

お葬式の後、奥さんが喪服のまま ごあいさつに来られたということです。

お蔭さまでありがとうございました。わが夫ながら なんと素晴らしい人

だったんだろうとつくづく思います。

この二日間、主人は別人のように明るく 言葉をかけてくれました。
お医者さんにも看護師さんにも、夜訪ねてくれた長男にも
「仕事で疲れているだろうに ありがとう、ありがとう 大変だったね」
私にもやさしいことばを かけてくれました。

本当にありがとうございました。何も思い残すことはありません。
あんなやさしい すばらしい主人の姿を決して忘れることはないと思います。

お念仏の教えとは 本当に有難いものですね。
私もこれからは お聴聞させていただきます。
何はともかく お礼に伺いましたと。・・・・

南無阿弥陀仏は 仏さまの呼び声、南無阿弥陀仏は 有難うございますとの

感謝の言葉、体が動かなくても、時間が無くても いつでもどこでも
味わえる有難いことばです。
どうか、念仏の行者としての毎日を送らせていただきたいものです。

 妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

  次回は、37日に新しい内容に変わります。

 

         


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