第1059回 花は 菊だけ ?  〜仏法は 聞く一つ 聞くだけ〜

 平成25年 5月9日〜

 「お仏壇の花は 何の花をお供えしても良いんですか?

 「色んな花をお供えしても良いですが、棘があったり、
  毒のある花は お供えしない方がよいでしょうね。

  お花は仏さまのお慈悲を表わしており、人を傷つける花は
  ちょっと問題、それに お花が人生の儚さを
  教えてくれるもの、だから造花は どうも・・・」

 「菊しか ダメなんですか?

 「菊だけでなく、本堂のお花も色々使って活けてある」

 「うちのばあちゃんが 『ほとけさんの花は菊に決まっとる。
  他の花は供えられん。』 と、口癖だったんですが・・・・・

 「なんで そう言ってらっしゃったんでしょね。?

その時は、そこで会話は終わりました。
後で思いついたことは、良くお聴聞されていた
そのおばあちゃんの家のお仏壇の花は、
いつも菊だけがお供えされていたことです。

そして、口癖が「仏法は聴聞にきわまる。
闇く一つやんもんなたー。」


おばあちゃんの工夫でした。
お仏壇の花を見て、語呂合わせでも
「菊だけ、聞一つ」 と気づいてくれよということだったのでは
ないのか。

 親鷺さまは一念多念文意(註釈版678)

  きくといふは、本願をききて疑ふこころなきを「聞」といふなり。

と 自分のはからいで、自己流に理解しないで、アミダさまの
必ず救うというお働きに遇わせてもらっていることを、
素直に受け入れることだとおっしゃっています。

歎異抄(註釈版831)

 弥陀の本願には老少・善悪のひとをえらばれず

とあるのを聞いて、単純に 「どこの誰でも、何をしていても、
仏さんは救ってくれるとでしょ。」


と味わう方が多いと思います。

もちろん、すべての人を救うという阿弥陀さまの大悲を表わして
ありますが、私一人の救いを表わしてあることを聞き漏らしてはいけません。

 老少・善悪をえらばないとは、ピチピチと働き回る若い時の私も、

年老いて足腰かなわなくなった時の私も、
他人のために見返りを求めずに
 働く時の私も、
欲にとらわれて相手を踏みにじるような時の私も、


縁に触れたら何をしでかすか知れない弱く悲しい人間である私を、
お前が目当てだよと届いてくださった阿弥陀さまであったと

聞かせていただきます。

 お念仏の教えは 聞く一つ 聞くだけ 菊だけ・・・・ だと。

  (佐賀教区ホームページ 白石組 西光寺  西昭文師の法話 アレンジ)

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次回は 5月16日に新しい内容に変わります。

 

         


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