第1061回 こころと身体 〜疑いなく信じれば〜

 平成25年5月23日〜

奥様は 仏教婦人会に所属しておられるものの、 ご主人は 
なかなか仏縁がなく、忙しくいつも自宅にはおいでにならない方も
多いものです。

 ところで、自転車の事故が発端で、救急車で救急病院に搬送、
精密検査が必要と大学病院へ移され検査と治療がすみ、

新たに見つかった慢性的な病気の治療は 近くの病院に入院するようにと
紹介状をもらって転院する予定だった方が、
若いお医者さんの治療の説明に どうしても納得いかず、
そのまま自宅に 帰ってこられたという80歳代の男性のお宅に 
月命日に お参りしました。


 奥様の心配をよそに、今朝も自転車に乗って、出かけられ残念ながら
一緒にお勤めをし、お話をすることができませんでした。

マラソン選手のようなもの、わき目も振らず一生懸命に働いてこられた

世代は 途中で少しでも休むと もうこれまでの努力が無駄になると、
自分を奮い立たせて、外出されたようです。


このことから、こころと 身体の関係を考えるご縁をいただきました。

梅干しを見れば 唾液が出て来る方も多いものでしょうし、
お昼時になると 本人の意思とは関係なく、人前でもお腹が

鳴ったりするものです。

暑いときには 自然に汗が出、寒いと鳥肌が立つ、
脇の下など、コチョコチョされると、子供のとき
耐えられないものでしたが、いま自分で触ってみても何とのないもの。


少し多くの人の前に出る時や、はじめて経験する時、緊張し赤くなる人
呼吸が乱れて、暑くもないのに汗をかき、あがってしまう人、
こころと身体は微妙に関わっているようです。



浄土真宗は 「遊びの精神」とおっしゃる方がありますが、
漫画本は退屈せずに、いつまでも見ることができるのに、同じ本でも
教科書となると、なかなか気が進まず すぐ飽きてしまう人が
ほとんどでしょう。

人生経験豊かな方は 思い当たると思いますが、若い時、命令されて仕事を
していた時より、自分が責任者になって、計画して仕事を割り当て
進める時とでは、同じ仕事でも 意気込み、疲れ、喜びが違うものです。


どうも人間は、こころの有り様で同じ行動でも、体は微妙に違った
受け取り方をして、ストレスに感じたり喜びに感じたり、
神経のはたらきや血液の流れ、免疫力などにも大きな違いが出てくる

もののようです。


領解文には、もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて 一心に ・・・・と

あります。
また、南無阿弥陀仏のお念仏は いただいたお念仏 
報恩感謝のお念仏とも言われます。


そして、お念仏の生活をしている人は、やがてお浄土に生まれ
仏となって、この迷いの世界に還って 人々を救うはたらきをするのだと。
生きている今は もう仏になることの出来る仲間であるとも説かれています。


身近な目先の目標ではなく、死んだらすべてが終わりではなく、
将来、間違いなくお浄土へ生まれ仏になり、活躍できる私である
との思いが芽生えたとき、人生は大きく変わって 見えてくるのだと思います。

これまでも、試験に合格し学校に入学が決まったとき、結婚すると決めた時
親になると分かった時、責任者になると決まった時、はっきりと新たな目標が
定まった瞬間の、こころのあり方を思い出してみると、それまでの思いとまるで
違ったものだったと 感じられるでしょう。

同じように、自分の損得を忘れて、多くの人のために 無心に はたらく
仏になるのだと はっきりと味わえたとき、
私たちの生き方は、今までと まるで違ってくるものです。

こころが はっきりと決まってくると 体もそれに従って
自然に 変化していくものなのでしょう。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏を口にし、耳に聞きながら
仏になる身であることを、かみしめて喜ばせていただき、
思いのままに 自然にのびのびと、報恩の行動をさせていただきたいものです。

まずは、報謝の南無阿弥陀仏を声にしながら、やがて、仏になって 
はたらくことの意味をしみじみと、味わさせていただきたいものです。


妙念寺電話サービス 次回は 530日に新しい内容に変わります。

 

         


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