天国か、浄土か
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さて、僧侶という職業柄、亡くなられた方への
お別れの言葉を聞く機会が多いものですが、
地域の老人クラブの会長さんの弔辞では、
「 安らかに、お休みください 」 という言葉が必ず出て来ます。
可愛いお孫さんたちは 「 天国にいって、お星さまになってください 」 といい。
テレビを見ていても、「 ご冥福をお祈りします 」と、必ず結びます。
浄土も天国も冥土も、同じような意味で
使われているのが現代のようです。
これではいけないと、浄土真宗の 「 浄土 」
のことを、
お伝えしようと悪戦苦闘しますが、お念仏を知らない一般の人とは、
どこか、すれ違っていることを感じます。
お念仏で救われるといいますが、この 「救われる」 という言葉も、
自分にとって都合よい願いがかなうこと。
試験に無事合格したり、健康を取り戻したり、
予想外のお金が入ってきたりするという、
自分の勝手な欲望が、ちゃんと満たされた
イメージで受け取られているように感じます。
ご遠忌を記念して新しく出版された、
やさしい意訳の浄土三部経を見て、感じました。
「 お浄土 」 は、世自在王仏や、その他の二百一十億の仏国の、
優れた所だけ、四十八項目選び出された法蔵菩薩が、
長い厳しい修行の結果、完全に整えられた最も優れた仏の国。
この四十八の願がすべて備わる国に、
一人も漏らさず生まれさせ、救くおうと説かれています。
大無量寿経のこの四十八願を見ていくと、
往生して浄土で与えられる数々の超能力は、
自分自身の幸せを獲ることが出来るための能力ではないようです。
仏さまと一緒になって、悩み苦しむ人びとを、
一人も漏らさず救う働きに、参加出来る行動力を与えられると、
読み取れます。
「 私を幸せにして下さい 」 という、願いでなく、
すべての人の苦しみ悩みを取り去るために、
働き続けられる仏様の仲間に成していただくのだと、
味わえます。
そう考えると、「 仏さまの廻向で、浄土に往生できれば、
還相の廻向の働きができる 」 という言葉もうなずけます。
四十八の願いが、全部そろっているのは、
阿弥陀如来のお浄土だけです。
他の仏さまの国には、存在しない働きです。
誰かに与えてもらわなければ、喜べない私が、
苦しみ悩む人びとを、救うことが喜びの仏さまの
仲間にしていただける。
そのお浄土にはお念仏一つで、やがて生まれさせていただき、
仏さまと共に働くことが出来る能力を与えられる。
このことに気づいたとき、自分中心であった毎日が、
こんなことではあいすみませんと、素直にお念仏でき、
自由自在に行動できる私にしていただくのだと思えます。
お浄土は終着駅ではなく、出発するための駅でもあるのです。
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次回は、5月22日に新しい内容に変わります。
( 平成 9年 5月15日〜 第225回
)