なつかしい響き
親鸞聖人は、今から、およそ800年ほど前の
1173年にお生まれになり、
私たちに伝えていただきました。
私たちの教団を統一していただいています。
私たちは、御門主さまご門主さまと親しく、お呼びしています。
「一語法話」というパンフレットの、ちょうど50号目の節目に
あたりますので、それを記念して、「なつかしい響き」という文章を
お書きいただきましたので、ご紹介します。
「キミョームリョージュニョライ」(帰命無量寿如来)という
「正信偈」のお勤めの声に、何を思い起こされるでしょうか。
連なったなつかしい方々を思い出されるのではないでしょうか。
日々のお勤めに「正信偈」と「和讚」を採用されました。
口にして、暮らすことには、まことに大きな意味があります。
知らず知らず、阿弥陀如来さまのおこころが染み込むからです。
ふるさとや幼なじみが理屈ではなく、なつかしいように。
一方、浄土真宗は聴聞がかなめです。
「神も仏もあるものか」という声が聞かれます。
そこには、自分が災難に遭わないようにしてくれるのが、
神や仏であるという、先入観があります。
知らされると同時に、そんな私を心配し、常に離れず、
喚びつづけていて下さるのが、
お念仏が口に出ます。
現代日本語では「光といのち限りない如来さまに帰依します。
したがいます 」 となります。
います。
お勧めいただいた通り、正信偈とご和讚のお勤めを
毎日させていただき、親鸞聖人が真実の教えと言われる、
お念仏の教えの喜びを味わわさせていただきたいものです。
妙念寺電話サービス、お電話ありがとうございました。
次回は、11月6日に新しい内容に変わります。