植物の生き方

 

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

11月の1日2日の秋の法要、多数お参りくださいまして、

有り難うございました。

今回、残念ながら参拝いただけなかった方は、次回は是非、お参りください。

さて、妙念寺の電話サービス、お蔭様で、今回が250回目にあたります。

毎週、木曜日に新しい内容に変更しておりますが、

皆様の励ましで、250回の節目を迎えることができました。

今後もどうぞよろしく、ご聴聞ください。

 

ところで今日のお話しは、木の生き方、植物の樹木の木、

木の生き方というお話しです。

 

鹿児島県に、沈寿官という焼き物をなさる方が陶芸家がおられます。

今から400年前、豊臣秀吉が朝鮮に兵を送った時に、

朝鮮から薩摩に連れて来られた子孫の方ですが、

司馬遼太郎さんの小説にも出てくる個性的な方です。

 

この沈寿官さんが、第二次世界大戦中の中学3年生のころの話です。

そのころの中学生は、自分から志願して、士官学校や幼年学校に入り

国のために死ぬことが、若者の努めと思い込んでいた時代です。

 

同級生たちが、こうした自分の決意を順番に力強く語っていき、

沈さんの順番になってしまいましたが、両親のことを思うと自分も

志願すると大声で言うことが出来なかったといいます。

 

同級生は、沈さんのことを無視して、次々に決意の述べていく、

それは、天皇は神であり、自分たちは神の子供であり、

先祖が朝鮮人である沈さんとは違うのだと、

皆が思っているように思えて、悔しくてならなかったといいます。

 

家に帰り、しょげ返っている沈寿官さんに、父親が庭の縁に

座って言ってくれたことが、いまだに忘れないといわれます。

 

人間には、動物の生き方と、植物の生き方がある。

動物の生き方は、自分で目標を決めて、自分で歩いて行き、

腹がすけば、動物を捕まえて食べ、力の強い相手がいれば、

闘ってそれを倒し、もし力及ばないときには、そこで死んで行く。

 

男らしい生き方でもある。

ところが、この庭のあの木は、自分でここに望んで生えたわけではない。

山に有ったものを遠い祖先が掘り起こして、

ここに植えたのか、あるいは風に乗って飛んで来たのか。

 

自分の意志でここに、はえているのではない。

しかし、いったんそこに根を下ろしたら、そこを死に場所と決めて、

全力で大きく根を張り、水や栄養を吸収し、枝を拡げて

太陽の光をせいいっぱい受けて、力の限り生きるための努力をする。

 

しかも静かに、努力する。これが植物の生き方である。

この植物の生き方は、志もなく、勇気もない弱い生き方のように

見えるが、実は大変に努力がいることである。

 

動物的な生き方は、すばらしいようだが、大地に根を張り、

自分の置かれた環境で精一杯いきている植物の生き方も、

またすばらしいのではないか。

 

 とお父さんが話してくれたといいます。

 

その言葉の通り、沈寿官さんは、鹿児島の地で、

薩摩焼の第14代の沈寿官を襲名して、精一杯焼き物つくりに

励んでおられるのです。

 

私たちも、今置かれているこの場所で、しっかりと根を張り、

いっぱいに太陽の光を受け、命の限り生きることの

素晴らしさに気づかせていただきたいものです。

 

そのまんま来いとの阿弥陀如来の声は、動物的な生き方の

出来ない私たちに、植物のように、その場、その場で、

今置かれた環境の中で、命の限り生きて、そして、

命終われば必ずお浄土へ迎え取るとの言葉でしょう。

 

いまこの瞬間瞬間を、すぐ身近で出来ることから

一つずつ実行し、お念仏の声に励まされて、力強く、この人生を生きて

いきたいものです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

次回は、11月13日に新しい内容に変わります。

この法話電話とともに、佐賀0952の24の1188のご文章電話も

ご利用ください。お電話ありがとうございました。

 
  ( 平成 9年11月 6日〜 第250回 )