地獄村と極楽村
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
こんな文章を見つけました。
地獄村と極楽村という文章です。
地獄村という村が、どこかにあるそうです。
この地獄村の住民たちは、自分たちこそ現代の先端を
歩いているという誇りをもっているから、
自分たちの住んでいるところを、地獄村などと耳にしたら、
カンカンになって怒り、理屈攻めに論議をふきかけるに決まっています。
この地獄村の人たちは、自分ほど偉いものはいないというふうに、
大変いばって歩いています。
その目つきが、すごく鋭いので、何か人の欠点や
あら捜しをしているようで、別に悪いことをしていないのに、
何か疑るように冷たいものを感じます。
非常に我が強いので、争いごとが絶えません。
小さなことから大きな争いになることが多いのですが、
素直に謝るという心がありません。
ちょっとバスの中で他人の足を踏んでも、
素直にあやまらないで、人の通るところに
足を出している者が悪いと主張し、じきに口げんかになります。
名誉や出世ということには、きわめて執着が強く、
この世に生まれてきたからには、立身出世をしない者は、
どうかしているという意識が強いのです。
さらに、これが延長されて、目的のために手段を選ばず、
入学試験や議員に立候補する場合など、すぐにお金にからんでくるのです。そうです。
お金に対する気持ちは、大変なものです。
争いになれば裁判、裁判には金です。
交通事故でも、金さえ高額に保険を掛けておけば
安心だという考え方で、他人の命には尊厳性を
認めていないとしか思われません。
いわんや人間以外の鳥や獣に対してはなおさらです。
お金に関してもっといえば、楽してもうけねば損だ、
まともに働くものはどうかしているという考え方が強くて、
人の健康をそこねてしまう麻薬を売ったり、
青少年に有害な出版物が街にはんらんしており、
それに刺激されて、非行に走る生徒たちもたくさんいます。
ここにも宗教施設はありますが、ポックリ祈願・合格祈願・
各種の安全祈願ばかりです。
一方、極楽村は、地獄村と正反対です。
極楽村では、「 罪業深重 」 とか 「 おはずかしゅうございます 」
などという言葉が、自然と出てくるそうで、
寺の鐘を聞いても 「 ご恩・ご恩 」 と喜ぶ人が多いということです。
地獄村と極楽村、皆さんはどちらにお住まいですか。
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、2月25日に新しい内容に変わります。
本願寺新報 リビング法話
昭和58年5月1日号 土岐慶哉師
( 平成10年 2月 19日〜 第265回 )