卒業生からの手紙
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3月卒業式の季節ですが、こんな文章に出会いました。
ある女子学園の園長さんが話して下さったことです。
最近、一人の卒業生が手紙をくれました。
開いてみると、校長先生、その後お変わりありませんか。
私は先生にどうしても聞いていただきたいことがありましたので、
筆をとりました。
先生は、卒業式の日、卒業証書をくださいます時
「 皆さんは、これを家に持って帰って、お父さんや
お母さんの前に置いて、 ありがとうございましたと
一言お礼が言えなかったならば、
この卒業証書は何の値打ちもありません。紙屑であります
」 と
おっしゃいました。
私は、聞きながら、折角の卒業証書を紙屑にしては
なさけないことであり、一言お礼を言おうと思いました。
しかし、日々の日暮らしを振り返ってみると、
そんな殊勝なことを、まだ一遍も言ったことがありません。
また、そんなことを言えば、きっと父は
「 いつもと違うじゃあない、雨が降るよ 」
と、ひやかしそうです。
どのようにお礼を言おうかと考えながら、帰りました。
母は 「 お帰り、卒業おめでとう 」 と言ってくれましたが、
そんなことは耳に入らず、だまって中へ、つかつかと入って行きました。
母は心配そうに後からついて来ました。
私は父の部屋に入り、座って、そこに卒業証書を置き、
さて 「 ありがとうございました 」 と言おうと思うのですが、
どうも照れくさくて言えません。
しかし、先生の言葉に励まされて、下に向いたままではありましたが、
とにかく 「 ありがとうございました 」 と言ったのです。
そろそろ 「 雪が降るぞ 」 と父のひやかす声が出るころなのに、
その日は、なぜか、いくら待っても、ひやかす言葉が出てきません。
変だなと思いながら、下からチラッと父の顔を見ました。
父の目には涙がいっぱいうかんでおりました。
そして、たった一言 「 ご苦労じゃったね 」
と言うのです。
母の方を見ると、母は堪え切れなくなって、
目からポトポト涙をこぼしているのでした。
私は、ハッとしました。この卒業証書は、私が勉強し、
私が努力をしてもらったものとばかり思っていましたが、
とんでもない大間違いだったのです。
これは、本当は父や母がもらわれるべきものでありました。
私は、初めて親心に遇った思いでした。
現在、親元を離れていますが、いつも父や母の方に向かって
手を合わせております。と書いてありました。
「 ご苦労じゃったね 」 の一言を聞いたそのまま、
大きな力が子供の心に恵まれていくのです。
阿弥陀さまの 「 まかせよ、必ず救う 」 の呼び声をその通りに聞くのです。
聞いて何かをするのでなく、聞いたそのまま、
わが力は全く間に合わなかったと知らされて
「 ようこそ 」 と
如来のお慈悲ひとつに満足し、落ち着かせていただくのであります。
これを他力の信心となづけて、往生の正因とするのであります。
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、3月12日に新しい内容です。
本願寺出版社 リビング法話1 武田公丸師 「ひかり来て闇なし」より
( 平成10年 3月
5日〜 第267回 )