蓮如上人にみちびかれて
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神埼のご住職から 「 まことのひかり 」 というお寺で
発行されている冊子を送っていただきましたが、
その中に来年春の巡番報恩講に神埼に来られる
中西智海先生の文章がありました。
「 蓮如上人にみちびかれて 」という文章です。
蓮如上人がおっしゃるには、
親鸞聖人の御一流は信心、すなわち 「たのむ」
一念ということが肝要であります。
ですから信心、すなわちたのむということを
代々よく告げられてきました。
しかし、くわしくどう信じ(たのみ)何を
どのように信ずる(たのむ)のか、そのいただきかたが
示されていなかったといえましょう。
そこで蓮如上人は 『ご文章』 をお書きになられて
「 雑行をすてて後生たすけたまへと一心に弥陀をたのめ 」 と
述べられ、「 たのむ 」 の内容、信心のいただき方を
明らかにしてくだされたのであります。
後生たすけたまへの 「後生」 とは、めざめのない迷いの
来世のことを強調されているのではなく、永遠の、
無量寿の世界、すなわち、永生の楽果、常住の世界に
生かされることを、ていねいに示されたのであります。
「 たすけたまへ 」 については、その頃、たすけてください、
というこころで念仏していたので、蓮如上人は、
そのいただき方は、いけないといましめられています。
ところで、有名な 『 猟すなどりのご文章 』 には、
「 たすけましませ 」 と表現されています。
これが蓮如上人のご了解であります。
すなわち 「 必ずたすけるぞ 」 と誓われたよびごえを、
「 はい、その通りにおたすけくださいませ 」 と言う心であると、
述べられているのであります。
そして、その上で、再び 「 たすけたまへ 」 という言葉を
用いられたのでありますが、その意味は、
「 そのとおりおたすけくださいませ 」 という、
許して承諾するという 「 許諾(こたく) 」 の意味であることを、
正しく示されたのであります。
「 たのむ 」 は、請求、祈願の意味ではもうとうなく、
信順、よりどころにする、まかせきるというこころであると、
くりかえし示されているのであります。
ご遠忌である今年こそ、ご一緒にまことのみ教えに
遇うことのできたいのちを、確かめさせて
いただきたいものであります。
中西智海先生の蓮如上人にみちびかれてという文章の
一部をご紹介しました。
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、7月23日に新しい内容に変わります。
( 平成10年 7月16日〜 第286回 )