(平成11年 7月22日〜28日まで)
妙念寺電話サービスお電話ありがとう
ございました。
仏教は、生老病死の解決のために、
御釈迦様が説かれたものです。
ところが、老化現象も病気も死も、
今では、仏教とは関係いなく、病院や
健康薬品等が主流となってしまっています。
しかし、そのお医者さんの中にも、医学だけでは
人間の本当の救いはないという方もいます。
高齢者で寝たきりのお年寄りや回復の見込み
のない患者さんに「お浄土があってよかったね」と
いいながら、共に、お念仏を喜んでいる
お医者さんがいらっしゃいます。
茨城県の宮崎病院の副院長、宮崎幸枝先生が
その方で、女性の先生です。
私はしゃべるのではなく、聞くのが専門と
おっしゃるこの先生は、患者さんと三つの
よかったねを話すといいます。
一つは、人間に生まれてきてよかったね。
人間に生まれるのは、なかなか大変な
ことであると知らされると、人間でよかったね。
二つは、今まで長生きで、しかも、仏教に
会えてよかったねと。若い人は、自分は
長生きではないと思っていらっしゃるでしょうが、
小児科が専門のこのお医者さんからみると、
無事に大人になるだけでも、大変にありがたい
ことだと知らされるといわれます。
そして、三つ目は、人生いろいろあるようですが、
よく考えてみると、二つの生き方しかない。
仏様の考えで生きるのか、それとも自分の
考えで生きるのかの二つだけである。
言い換えると、真実に生きるのか、実態の無い
ものを頼りにして生きるかの二つであると。
病院で患者さんを見ていると、だれもが不安で
孤独で、周りに頑張れ頑張れと言われ、何かを
つかもうと努力し,目標を求めて,その目標をやっとの
ことでつかむと、もう次の新しいものがほしいという,
空しい生活を繰り返しているようです。
これは,患者さんだけではなく、看護婦さんも
お医者さんも,患者の家族もみんな、そのような人生に
見えると言います。
本当の幸せは,人間に生まれてきた意味は,何か。
人間にとって本当に価値あるものが分からずに
空しい人生を送っているのです。
南無阿弥陀仏に出会うと、条件付で、特に
選ばれた人だけではなく、能力のある人もない人も、
努力できる人も、努力できない人も、一人残らず
仏にしなければと言う阿弥陀如来の願いに、
無限の命に出会うことで初めて、人間に生まれてきた
意味が、人間の本当の喜びが味わえるのです。
お医者さんでさえ本当の救いは、医学だけでは
無理であり、お念仏に、南無阿弥陀仏に出あわ
なけれが救われないとおっしゃいます。
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は,7月29日に新しい内容に変わります