第371回 ナモとは

      平成12年3月2日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
3月の声を聞くとともに、夕方の太陽の入りが目に見えて
遅くなりました。


今、巡番報恩講の記念事業で本堂の修復工事をして
いただいていますが、日が長くなり大工さんの仕事が、
はかどっているようです。


まだ寒さは残っているものの、太陽の光りは一日一日
春を告げているようです。


 さて、妙念寺では昨年の夏から、インターネットの
ホームページを開設して、浄土三部経や歎異抄、
蓮如上人御一代記聞書などの現代語版を掲載していますが、
そのホームページの表題は、「何で何でナモなの」
としています。

ナモとは南無阿弥陀仏の南無のことですが、何で南無なのか、
仏教は、南無阿弥陀仏であったり、南無釈迦牟尼仏であったり、
南無妙法蓮華経であったり、ナムとかナモが最初に来ています。


南無とは、たよりにする、たのみに思う、信ずる、帰依するなどの
意味があります。


ですから南無阿弥陀仏というのは、阿弥陀さま、あなたを信じ、
たよりにします。といっていることになります。


しかし、親鸞聖人は迷える私たちには、信じ、たよりにする
などという殊勝な心があるわけではなく、つまり、ナモもすでに
如来によって完成され、名号の中に含まれ完全な救いの
原動力となって、はたらきかけているのであると教えて
いただいています。


親鸞聖人は、「ナモ」とは、わたくしが如来に帰依し信ずるに
さきだっての、如来からのよびかけであったと、受けとって
おられます。

すべての人を救わねばおかないとの願いを完成された
阿弥陀如来、その阿弥陀如来を褒めたたえる、
讃嘆する言葉が、南無阿弥陀仏。

仏にしなければおかないという阿弥陀如来の呼びかけの
言葉が南無阿弥陀仏。


むずかしい事を言っても実行できない人間のために、
お念仏一つで必ず救うと、与えてくださったのが南無阿弥陀仏。


そして、お念仏の生活をする人は、目に見えない方々から
護られ、この上もなく尊い功徳が身にそなわり、諸仏に護られ、
諸仏にほめたたえられ、阿弥陀如来の光明につつまれて、
つねに護られ、心が真のよろこびに満たされている。   


如来の御恩を知らされ、報謝の生活が出来、如来の大悲を
人に伝えることが出来る。


そして、仏に成る仲間である正定聚の位に入るのだと、
教えて頂いています。


お念仏に出会うことで、南無阿弥陀仏に出会うことで、
この人生を力強く精一杯生きていくことができるのです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、3月8日に新しい内容に変わります。