第381回 念仏者の生活


  平成12年 5月11日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
蓮如上人の五百回遠忌を記念して、お聖教の
現代語版などの出版が行われていますが、
その中に、朗読法話集というものがあり、今回
その二巻目が発行されました。


今回は主に正信偈の内容をやさしく解説して
いただいたものですが、その中で、こんなところが
ありました。


『念仏者の生活』というところです。

「名号のいわれを信じ、お念仏を称え、お浄土に
生まれる身になる、このように申しますと、それまでの
私とすべてがすっかりかわってしまって、まるで仏さまの
ような心になるように思いますが、一体どうなるの
でしょうか。


 私たちは、ご信心をいただいても、死ぬまで
『 欲も多く、いかり、はらだち、そねみ、ねたむ心 』
は なくなりません。

ですから、私たちの本性はかわらないのです。
かわらないこの身のままで、仏となるべき身に
していただくのです。


それなら、ご信心をいただく前も、ご信心を
いただいた後も、少しも変化がないのかというと、
そうではありません。


親鸞聖人が、

  ふかくちかひをも信じ、阿弥陀仏をも
  好みまうしなんどするひとは、もとこそ、
  こころのままにてあしきことをもおもひ、
  あしきことをもふるまひなんどせしかども、
  いまはさやうのこころをすてんとおぼしめし
  あはせたまはばこそ、世をいとふしるしにても
  候はめ。

        (註釈版聖典・七四〇ページ)

と、いわれたように、

阿弥陀如来の本願を信じ、お念仏を申す人生を
歩む人は、これまでの、自分勝手なわがままな心や、
他人に迷惑をかけるような行いを自省して、自らを
あらためようと心がけて生きるようになるのです。


人生を正しく、明るく生きる、それが阿弥陀如来の
本願を仰ぐ人の人生です。 」


このように朗読法話集には、『 念仏者の生活 』を
やさしく説かれています。


お念仏をする人生は、それまでと変わっていない
ようで、実は変わってくるものです。


想像するだけでなく、自分で実践することが、
お念仏に生きることなのです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

次回は、五月一八日に新しい内容に変わります。