第382回 念仏者の生活A

   平成12年5月17日〜

妙念寺電話サービスお電話有り難うございます。
先日出版された 「 朗読法話集 」 を前回から
ご紹介していますが、今回も、 『 念仏者の生活 』 と
いうところをご紹介します。


「 ご信心をいただいても、煩悩にみちみちた私たちで
  あることには、かわりはありません。しかし、自らの
  生活を謙虚にふりかえって、人間として正しく生きて
  いこうと努力する姿勢に自ずからかわっていくのが
  念仏者の姿です。



    ところが私たちは 『 どうせ、凡夫だから 』 とか、
  『 しょせん、人間のすることだから 』
 と、少しも
 自省心ももたない、横着な態度になりがちです。

 信心をいただいて、お浄土に生まれる身になると、
 人間の本性までかえることはできませんが、自らの心、
 自らの行動をふりかえって、生き方を見直してゆく姿勢、
 つまり、自らを律するきびしさが生まれてきます。

 お念仏のみ教えを聴聞する人は、自らの心や行いを
 み教えに問いただして、他人が見ていなくても恥ずべき
 行為をつつしむようになります。

 もしも恥ずべき行為をしたときには、自らをふりかえって
 反省し、二度と同じあやまちを繰りかえさないように努力
 していく、それが念仏者の姿です。

 そのようになるのも、まったく阿弥陀如来のお力に
 よるものです。


   聴聞する心がおこったのも、自分の生活をふりかえる
 ようになったのも、ひとえに阿弥陀如来のお育てによる
 ものと、よろこびの中にこの人生を歩んでゆけるよう
 になります。

 現実と未来の生活の充実を確信して生きる人生、それが
 念仏者の生き方です。 」



念仏者の生活について、朗読法話集を執筆いただいた
三宮義信先生はこのようにお書きいただいています。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、5月25日に新しい内容に変わります。