第391回 昨日と違う今日

  平成12年 7月20日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

ところで、各地の神社では夏祭りの季節ですが、
近くの神社からの案内を、お寺にもいただきました。

それを見ておりましたが、

「 毎日の生活で常に正しい生活をしようと心がけながら、
 それと知らず罪を犯したり、やむを得ず悪いと知りながら
 罪を犯してしまうことがあります。


 こうした罪を祓い去るための夏祭りですと、書かれていました。

 どことなく汚れたものをクリーニングに出して、奇麗にして、
 またそれを着ようというように聞こえます。

 自分自身の本当の姿に気づかずに、誰かに頼んで、
 とりあえずごめんなさいをしてもらい、自分自身は昨日と
 まったく変わらない毎日をおくろうとしているように思えます。


 また、神社からのその案内には、こんなことも書かれていました。

 私たちは、日常よく 「 お蔭さまで 」 とあいさつします。

 はたして誰のお蔭をくり返し感謝しているのでしょうか。・・・



 私たちが今ここに生きているのは先祖からの命をゆずり受けた
 お蔭です。
 人間の命ほど尊いものがないとすれば、ご先祖様ほど尊い
 存在はありますまい。・・・・・



 また仏教では、これをホトケサマといい、日本民族の信仰では、
 これをカミサマと呼びますと、書かれておりました。



  浄土真宗以外の仏教のことはよく分かりませんが、
浄土真宗では、ここに書かれていることとは大きく違って、
自分のご先祖のことだけを仏様といっているのではありません。


お釈迦様がおっしゃった仏様は、浄土三部経に説かれている
阿弥陀如来は、すべての人を、人間だけではなく、すべてのものを
平等にすくい自分と同じ働きが出来る仲間にしようとの働きです。


南无阿弥陀仏に出あい、阿弥陀如来の願いがうなずけたとき、
この私が転じられる。


自分中心で、自分の利益だけを考える私たちを、転換させるために
働かれるのが、仏様であり、仏教の教えでありましょう。


誰かの力で、罪が消してもらって、無反省にまた、同じ過ちを
繰り返すのではなく、転じられることで、昨日と違った新たな、
人間らしい生き方がさせてもらうのがお念仏の教えです。


自分勝手な我がままを黙って聞いてくれる。どんなことも、
頼めば許してくれるのが仏様ではないようです。人間として、
人間らしく、力強く生きる力を与え、どんな苦難も乗り越えさせ
ようとするのが、南无阿弥陀仏の仏様です。


妙念寺電話サービス次回は、7月27日に新しい内容に
変わります。