第392回 自分こそは

    平成12年 7月27日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
佐賀地方には、各家庭を訪問しての月忌参りという伝統が
残っています。


ほとんどのお宅では、留守番のお祖母ちゃんかおじいちゃん、
あるいは若奥さんの一人だけが、代表してお勤めについて
いただきます。
ところが、中には有り難いことに家族揃ってお参りいただく
ところも何軒かあります。


そうしたお宅の中で、先日こんなことがありました。

ガンの為に若くして亡くなられた北海道の坊守さん
鈴木章子さんのお話をしたときのことです。


長い間入院しておられた50歳代の息子さんが、無事退院して、
皆さんと揃ってお参りいただきましたが、まだ完全に良くなった
わけではなくて、あちこち痛みやしびれがのこり、思うように
動くことができないものの、病気をしてはじめて、家族や
友達の有り難さが分かった。



本当にありがたかった、とおっしゃるとともに、いままで
自分ほど親不孝な子供はいない、我がままだったと、
繰り返しおっしゃいます。


そして、こんな親不孝な自分は、地獄しか行くところは
ないでしょうね。ともおっしゃいます。


入院中みんなに世話になって、はじめて知らされて、
教えられたと何度もおっしゃいます。それを聞いていて、
思いました。


自分がどんなに世話になり、迷惑をかけたかをなかなか
自覚できないものですが、それを、はっきりと言える人は、
素晴らしい人だと思います。



そして、第18願の信心のすがたを明らかにされた、
二種深信の言葉に、


一つには、わが身は今このように罪深い迷いの凡夫であり、
はかり知れぬ昔からいつも迷い続けて、これから後も
迷いの世界を離れる手がかりがないと、ゆるぎなく深く信じる。


二つには、阿弥陀仏の48願は衆生を摂め取って
お救いくださると、疑いなくためらうことなく、阿弥陀仏の
願力におまかせして、間違いなく往生すると、ゆるぎなく
深く信ずる。


という「二種深信」の言葉です。


自らが地獄一定の存在であると、機の真実を信知することで、
本願はそのような人をまちがいなく救う法であると、知される
ことであるとの言葉に、思い当たりました。


自分だけは大丈夫ではなく、自分こそ地獄にしかいけない者
であったとのうなずきは、お念仏にであってはじめて、
味わえるものだと思います。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、8月3日に新しい内容に変わります。



 二種深心 教行信証現代語訳173頁