第411回 のちの煙にそれと知れ
平成12年 12月7日〜
妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。
さて、先日この妙念寺の開基、小倉の局(おぐらのつぼね)の
352回忌の法要をお勤めいたしましたが、今、ちょうどテレビの
日曜大河ドラマ徳川三代が放送され、家光をわが子のように
育てた、春日局が登場しています。
ここ妙念寺が建立されるご縁をつくっていただいた、小倉局も
同じように、鍋島藩の二代藩主、光茂候の乳母でありました。
徳川家光の光の一字をいただいて、光茂と名乗ったとも伝え
られていますが、父親が早く亡くなり、父親の弟さんが藩主と
成ろうとしたとき、長男が相続すべきと、守り抜いてくれたのが
大伯母でもある小倉の局でした。
成人して無事、佐賀鍋島藩の藩主になった光茂候は、
小倉の局が亡くなった後に、この妙念寺を建てて、
恩ある人を偲んだといいます。こうした事情は、武士道の
指南書ともいえる聞書「葉隠」に詳しく書かれています。
葉隠といえば、佐賀藩の武士たちの間で、密かに読み継がれて
きたものでしたが、第二次世界大戦の頃、全国的に有名に
なりました。
「武士道というは、死ぬ事と見つけたり」ということで、
国の為に命を投げ出すことが武士道のように理解されてきました。
しかし、武士道とは、死ぬことも恐れず、困難に立ち向かって、
お役にたとうという事だったようで、どんな境遇にも不足を言わず、
日夜怠りなく積極的に生きていく、今日が討ち死に今日が
討ち死にと、一日一日を大事に生き抜く、それが本当の
武士道だと説かれているようです。
ところで、葉隠には「忍ぶ恋」というところがあります。
同じく武士として生きて行く姿を表した歌があります。
「恋ひ死なん のちの煙にそれと知れ
つひにもらさぬ 中の思ひは」 と いうものです。
恋い心に例えて、武士としての勤めの極意を表した
ものでしょう。
死んで火葬のときに、その煙をみながら、あの者は、
本当の忠義者であったと言われるように、ご恩ある
主人のために、人知れず尽くそうというものです。
これは、阿弥陀如来の御恩に対しての報恩感謝の
生活によく似ているようにも思います。
こんなことではあいすまぬ、申し訳ないことと、その御恩を
味わい、生きがいをもって積極的にお念仏の生活をする
「念仏の行者」の心意気に近い気がします。
お念仏をして何かを求めていくのではなく、報恩を喜び、
感謝の生活を送りたいものです。
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
次回は、12月14日に新しい内容に変わります。