第415回 お聴聞

 
平成13年 1月 4日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

浄土真宗の教えは、お聴聞に尽きると言われますが、お聴聞、
お聴聞とは、いったい何ですかとの質問を受けました。


聴聞、聴く、聞くと二重に聞くと書きますが、何を聞くのか。
私たちは毎日、他の人の話を聞いたり、おしゃべりしたり、
一日中、忙しいことです。


しかしその話は、いかにもうかるか、いかに健康になるか、
人を出し抜いてでも、自分だけ得をするのかを基準に、
興味をもって聞いています。


幸せになりたい、自分と自分の仲間だけは、誰よりも
幸せになりたいと、聞いています。


お聴聞とは、こうした話を聞くのではなく、仏さまの話を
聞こうということです。


浄土真宗では、お念仏の話を、仏さまの話を聞こうということで、
南无阿弥陀仏というのは、どういうことなのか、南无阿弥陀仏を
口にし、聞くと、どうして救われるのか。

救われるということはどういうことか。

そうしたことを聞くことを、聴聞と言います。
これは、お寺にお参りして、ご法話を聞くか、法事などを
ご縁として、お話を聞くしかありません。
日ごろの講演会や、テレビや、学校の先生からは
聞くことのできない話です。



 世間の常識では、よい学校よい就職、高収入こそが、
幸せの基本であり、人生はすべてそれで決まるように
思い込んでいます。


経済的に豊で、しかも健康で、それさえあれば、人間は
幸せであると考えています。


ですから、病気にならないよう、健康で豊な生活をしたい。
それも、人よりは少しでも上を、望んでの競争が続いています。


しかし、健康で経済的に豊であれば、すべてが幸せとも
決していいきれません。


また、どんなに努力し苦労しても、自分の期待どおりには
行かないことが現実です。


お聴聞とは、南无阿弥陀仏を聞くということは、今私たちが
持っている常識では、かわいそうな病気でも、経済的に
豊でなくても、地位や名誉がなくても、人間は豊かな生活が
できるということを教えていただくことです。


 幸せとは何か、何が喜びか、救われるとはどういうことか、
仏様の働きとは何か、そうしたことが味わえると、特別なことが
手に入らなくても、いまここで、このままで、もっともっと
喜べることが、いかに多いのか、自分ほど幸せな人間はいないと
気づかせていただき、積極的に喜びを持って生きて行く力を
与えられるのです。


南无阿弥陀仏で、この私ほど、幸せな人間はいないと
味わうことが出来る生活をいただけるのです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
尚、妙念寺のご正忌報恩講は、1月13日と、14日
午後1時半からです、ご予定ください。
次回は、1月11日に新しい内容に変わります。