第425回 感謝の人生か、不平の人生か

   平成13年 3月 15日〜


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
こんな文章に出会いました。
仏教の第一歩・感謝の人生か、不平の人生かという文章です。

「 二人の青年が山へ登りました。やっと頂上にたどりつきました。
 のどがかわいて、からからです。あいにく水筒は空っぽでした。


 ところが都合よく、一人の男が岩に腰をかけて水筒の水を
 飲んでいました。

 二人の青年は、その男に、水をすこし、いただきたいと、
 たのみました。

 男はこころよく二人に、紙コップを渡して、水を半分づつ入れて
 くれました。


 一人の青年は、「ありがとう、おかげでたすかりました」と、
 おいしそうに飲みました。


 もう一人の青年は、「なんだ、半分か」と、ぶつぶつ不平を
 いいながら、不足そうに水を飲みました。


 コップ半分の水を、よろこんでおいしく飲む人と、不足に
 思ってまずく飲む人、一人は感謝の人生を歩み、一人は
 不平の人生を歩むことでしょう。



大和郡山市に住む一女性が、

自分という名の鎖であまりに心をしばりすぎるから、
人はかえって自分自身が、みえなくなるのでしょうか。
持っているのに不満を抱き、持っていないことに不平を抱き、
やがてうらむ気持が頭をもたげてくる。


とうたっています。

 自分という名にとらわれている私、自分以外のことには
目がとどかないようです。


自分さえよかったらと、自分のことだけを考えている、
そして思うようにならないと、不平不満を抱き、
あげくのはては、自分の不始末をたなにあげて
他人をうらむ・・・。


他人をうらむ前に、自分をみつめる心がけがほしいものです。

看脚下、脚下照顧(かんきゃっか、きゃっかしょうこ)といいます。

自分の足もとを見ようという意味です。
自分をみつめようということです。

夜もすがら仏の道を求むれば 
わが心にぞたずね入りぬる

仏の道とはなにか、ひたすら学び求めたら、結局自分を
みつめること、わが心をみつめることであったのです。


自らをみつめる、これが仏教の第一歩です。」

という文章です。


南无阿弥陀仏のお念仏は、自分自身を知らせて
いただく仏様の呼び声です。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、3月22日に新しい内容に変わります。 



     仏教のおしえ 浄土真宗入門法話百選 上
         仏教文化研究会編  28頁