第439回 降る日も照る日も

 平成13年 6月21日 〜


妙念寺電話サービスお電話有り難うございます。

ところで、浄土真宗は言葉で伝わる教えです。
修行をして、体で悟る教えでも、頭で考えて理解する
教えでもありません。


南无阿弥陀仏のお念仏と、南无阿弥陀仏のこころを
お聴聞し、生きがいある充実した人生を体験出来る教えです。


ところで、そのお念仏の教えに出会うために、親鸞聖人は、
20年の間、修行をしておられた比叡山を降りられて、
法然上人の元を訪ねられました。


このことを奥様の恵信尼さまのお手紙には、

「法然上人にあひまゐらせて、また六角堂に百日籠らせ
たまひて候ひけるやうに、また百か日、降るにも照るにも、
いかなる大事にも
まゐりてありしに・・・」と書かれています。

 親鸞聖人は、法然上人が説かれる、お念仏の教え、
他力の教えに出会い、それまでの価値観から、転換される
までに何と百日間雨の日も照る日も通われ、お話しを聞き、
やっと納得されたようです。


 真実を求めて、必死に比叡山で修行された方でさえ、
疑いの心、疑問の心があって、百日間お聴聞されたとあります。


自分で修行する価値観から、新たな価値観に転換される
ために100日、聴聞して初めてうなずかれた。


言い換えると自力の価値観から、他力の価値観へ転換される
ために百箇日も連続して聴聞されてやっとうなずかれたのです。


 まして、私たちのように、損得、勝ち負け、自己中心的な教育を
受けてきたものが、三日や四日、十回や二十回、お聴聞しても
親鸞聖人が喜ばれた真実の喜びを、体験出来るとは、なかなか
思えません。


 何度も何度も疑問を持って、聞くことで、自分の持っている
価値観を転換させられて、初めて味わえるのがお念仏の
教えだと思います。


片寄った常識を、片寄った価値観を転換される。
それが、お念仏の教えではないかと思います。


 お寺での法座。家庭での法座でのお聴聞で何を聞くのか、
弥陀の生起本末、阿弥陀如来の願いを味わい うなずき
実践することだと思います。


しかし「仕事をしているのでとても無理、そのうち」と若い人は
いいますが、仕事をして忙しい人こそ、 家庭での生活の時間が
少ない人こそ、子供たちの将来の幸せのことを思うと、
お聴聞することの重要さがあるのではないかと思います。


 仕事で社会に出ている人は、それだけ競争社会の論理に
汚染されています。


その意味からも、忙しい人こそ、常識を持っている人こそ、
社会的に地位のある人こそ挫折を知らない人こそ、お聴聞して、
お念仏の教えに出会うことが重要だと思います。


聞かせていただくより他に、これを知る方法を他にないのではないか。

近道は他にないのだと思います。
 同じ門徒の家に生まれ、生涯お念仏に出会うことなく
過ごすことは、空しい一生を送ることになるのではないか、
まことにもったいないことです。


 妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、6月28日に新しい内容に変わります。