第449回 仏教は 成仏の教え

   平成13年 8月30日〜 

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
ところで、簡単に仏教といいますが、いったい
どんな教えなのでしょうか。

仏教とは、「仏」という言葉と「教」という言葉との二つの言葉で、
構成された合成語です。
この合成語を分析してみますと、どうも三つに分けられるようです。

一つは、「仏之教」、仏陀の教え、釈尊の教えといってよいでしょう。
この場合教えの主である仏陀釈尊に、その中心が
置かれているわけです。

二つに、「仏即教」とは、「仏陀がすなわち教え」
「教法(真理)の宗教」といってよいでしょう。
この場合は、教法(真理)に中心が置かれているように思えます。

三つには、「成仏教」、「仏に成る教え」ということです。
誰が仏になるのかといえば、それは衆生です。
簡単にいってしまえば、「衆生成仏の宗教」といってよいでしょう。
そこで成仏を実現する衆生は、仏道を実践しなければならず、
このような実践者たる仏教徒は、おのずと衆団を形成し、
仏教特有の僧伽(そうぎゃ)を成立させます。

そこでこの場合は、仏教徒衆団に中心があると考えられます。

 釈尊は、法(真理)を自覚されて仏陀になられたわけですから、
仏陀の自覚された内容の本質は、法(真理)そのものであります。

 もともと「法」というのは、仏陀がこの世にお出ましになろうが
なるまいが、厳然と存在している普遍の真理のことであります。

したがって、真理は釈尊によって創造されたものではありません。
釈尊が真理(法)を体験し自覚されて、仏陀になられたのです。
ですから仏教ではあくまでも、真理あっての仏陀ということに
なるわけです。

釈尊はあたかも草むらに覆いかくされていた古い道を
みつけだされたように、ひとり真理への道に目覚めて、
仏陀になられたわけです。わたくしたちも、仏陀の教法に
したがって仏道を行ずれば、覚者になることができます。

いいかえますと、すべての衆生が、仏陀の教えを仰ぎ、
仏教徒として仏道を修すれば、仏になることのできる教えが、
仏教ということであります。

そこで、仏教は成仏の宗教、衆生成仏が目的ということを、
抜きにしては、仏教の意味が失われてしまいます。
「成仏教」の「成」が略されたものが「仏教」といっても
過言ではないと思います。


 そして、この私は、末法の時代に生き、修行の出来ない
この私は、南无阿弥陀仏の名号で、お念仏で必ず成仏出来る
ということを教えていただいたのが、親鸞聖人です。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、9月6日に新しい内容に変わります。


仏教の基礎入門
北畠典生師著 永田文昌堂刊を意訳