第450回 深く生きる人生

   平成13年 9月6日 〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
今回で、このご法話、ちょうど450回目を迎えました。
今後もよろしくご利用ください。

さて、皆さんにお配りしています法話のカレンダー、
今月は、「深く生きる人生 それは目覚めて生きる人生」と
いう言葉が書かれています。

深く生きるといえば、親鸞聖人が比叡山をおりて、吉水の
法然上人をたずね、真剣にお聴聞なさったのはなぜか、
“生死いずべき道”を問うことであったと言われます。

これは人間として生きるものの究極の課題であります。
仏教では「生死一如(しょうじいちにょ)」といって、
生と死を切り離しては考えません。ところが、現代人は、
生だけを見つめて死を忘れて、あるいはことさらにさけて
過ぎようとしているのではないでしょうか。

 これは現代日本人が、宗教心に乏しいといわれて
いることと関係があるようです。

数年前のオウム真理教事件の始めに、マスコミからの
電話取材を受けた宗教評論家の山折哲雄さんが、
「あなたの宗教は何ですか?」と反対に質問したところ、
「私は無宗教です」という返事ばかりが返ってきて、
唖然としたと語っておられます。

世界的に見ても、現代日本人の宗教離れは著しいと
いわれていますが、今日頻発する社会的不祥事件は、
このこととあながち無関係とは言い切れないと思われます。

このところマスコミの話題は、未成年者の凶悪犯罪と
自殺者の増加が目を引きます。
「人間なぜ人を殺すのか」「なぜ人間は自殺するのか」と
考えざるをえません。

「いのち」の尊厳がそこなわれてきているようです。
「死んだらおしまい」何もかもが終わってしまうと思っている人が、
あまりにも多いようですが、仏教は「生死一如」を説く教えです。

深く生きる人生 それは目覚めて生きる人生
同じ人生なら、親鸞聖人のお勧めいただくお念仏に出会って
深く豊かに生きたいと思います。
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、9月13日に新しい内容に変わります。


  本願寺出版社 信心ーめざめー より