第456回 遇ひがたくして

 平成13年 10月18日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

先日、こんなお話を聞きました。
親鸞聖人が、おっしゃっている
「遇ひがたくしていま遇ふことを得たり」という言葉が、
少しは味わえるようになったと言う方です。


若いころ、年寄りたちや親たちが、たびたびお寺に
出かけているのは知ってはいましたが、自分には
まったく関係ない所だと思っていました。


どうせ、老人クラブか親睦会のように暇な人だけが
集まる所だろうと思っていました。


しかし、出かけるときのいそいそする姿が気には
なっていました。


また、親たちが毎朝お仏壇の前でおつとめしているのも、
よくやるなあと感心はしていましたが、年を取って、
眠れずに困ってのことだろうと思っていました。


 ところが、自分も年を取り、お寺にお参りし、お話を
聞くうちに、少しずつ親の気持ちが分かるようになって
きました。


仕事でも遊びでも感じることのなかった喜びが
感じられるのです。今まで知らなかった充実感が
あるのです。


またお寺で出会う方は、どことなく今まで出会った
ことない温かさを持った方々が多くいらっしゃるのです。


お話を聞くようになって、感じるのは、これまでよりも、
どうも前向きに積極的に生きているように思えるのです。

もう年だからとかあきらめたり、体が思うように
動かなくなったと嘆いたり、物忘れが多くなった、
耳が遠くなったと、くよくよしていた自分が、
それを忘れて、にこにこしているように思えます。


近頃あんまり腹がたたなくなってきたようにも思います。

これが、お念仏に出会ったことなのでしょう。
親鸞聖人がおっしゃった「遇ひがたくしていま
遇ふことを得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを
得たり」ということなのでしょうね。 とおっしゃいます。


そして、その喜びに出会うことが出来たのは、
祖父母であり、両親のお蔭であった。


最も有り難いものを、私に残し伝えて頂いたと
喜べる様になりました。これが南无阿弥陀仏の
教えなのでしょうね。


お念仏するということでしょうね。
と、おっしゃっていました。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、10月25日に新しい内容に変わります。