第459回  すくわれる

    
平成13年 11月 8日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

アメリカでのテロ事件に宗教が関わっていると聞き、
「宗教はこわいものですね。」という意見や、「どの宗教も
人間を幸福にしてくれるものであれば結局同じでしょう」とか、
「御利益の多い宗教が良い」とか、聞くことがあります。


これは、宗教とはこの世における人間の欲望を満足させる
ことであるとの考えから出ているようです。


御利益とは、幸福とは、経済的に豊かになること、地位や
名誉を得ること、健康を維持することと考えているからでしょう。


しかし、それらはいずれも限りあるもので、やがてはなくなったり、
くずれたりして、いつまでも自分の思いどおりになるものでは
ありません。


かえって、なくなるのではないかとの不安に常におびえ
なければなりません。


 多くの宗教は、私たちの願いが満たされ、自分の祈りが神や、
仏に通じたときに救われたというようです。


ところが、仏教の救いは、自らの目覚めをぬきにして説かれる
ことはありません。


自分の上に何の目覚めもなく、自らをそのまま安易に肯定して、
すくいを語ることはありません。


また仏教はいろいろなものに束縛されている私たちを解脱させる
ことを目的にした教えですから、あらゆる束縛から解放させるのです。

現代の私たちは、自分の煩悩に執着して、煩悩の底無し沼に
沈んでいきます。


自分の貪りを当然と受けとめ、自分の瞋り(いかり)を正当化して
いくのが私たちです。自分の煩悩を当然と受けとめ正当化していく、
それが煩悩の底無し沼に沈んでいく姿なのです。


南无阿弥陀仏の真実の、み教えを聞くことによって、
こんな自分の姿が知らされ、こんな自分を案じて抱きしめて
くださる阿弥陀如来に目覚めるとき私たちは、自分の煩悩を
正当化出来なくなります。

自分の煩悩を正当化する「我」がはたらかなくなると、阿弥陀如来の
働きによって、自然に煩悩の沼から解放されるのです。


南无阿弥陀仏にであって、阿弥陀如来のお心に遇って、まもられ、
すくいあげられお浄土への人生を歩ませていただけるのです。


南无阿弥陀仏は、私に生きる力を与えていただくのです。

妙念寺電話サービスお電話有り難うございました。
次回は、11月15日に新しい内容に変わります。


秋の法座は、11月17日18日に予定しています。
お揃いでお参りください。