第467回 野菜さま 魚さま

  平成 14年 1月 3日〜

妙念寺電話サービスお電話有り難うございました。

ところで、こんな文章に出会いました。

『あるお寺さんから、野菜に「さま」をつけて食事をされる
ありがたい人がおられる。と聞いたことがあります。
それから「さま」ということを思いだし喜んでいます。


 私は少し野菜を作っているものですから、食事の前に
野菜をとりに行く。白菜が大きくなったなあ、と思っていると
「よとう虫」が食べている。
どうしようかなあと思いながら「すまないね」と言って
殺していると、白菜さんが「あなたはどうせ私をたべるの
でしょう」と言っているように思う。


しかし、野菜も生きている。どちらも生かそうと思えば
私が生きてゆけない。
所詮、生きていることは矛盾をかかえずには一日たりとも
生きてゆけない。


 親鸞聖人が「愚禿悲嘆述懐讚」に

   小慈小悲もなき身にて

    有情利益はおもふまじ

    如来の願船いまさずは

    苦海をいかでかわたるべき

と言われ「小慈小悲もなき身にて」どうして有情を救って
あげることができるでしょうか。

しかし、


   如来の作願をたづぬれば

   苦悩の有情をすてずして

   回向を首としたまひて

   大悲心をば成就せり

と、苦悩の私、罪を造らねば生きられないいのちを
そのままに生かし、救いたいという如来の大悲心が
成就されている。
そこから「ありがたい心」をいただき、いのちに「さま」を
つける心をいただくのです。


野菜さま、魚さま、人さますべてのものに「さま」を
つける心こそ

自分につかれない力をいただく
いきていることはありがたい不思議であります。』

という龍谷大学の徳永道雄先生の文章です。

動物にも植物にも、生きているものすべてのお世話に
なっている私たちです。

人間だけではなく今日から試して「さま」をつけてみたいものです。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、1月10日に新しい内容に変わります。


        ーー 月間 大乗 1月号 法味随想よりーー