第512回 恵まれた いのち
平成14年 11月14日〜
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
ご本山、西本願寺から一枚の冊子、一語法話というものが出されています。
みなさんもお受取になった方があると思いますが、最新の55号に
こんな文章がありました。
中央仏教学院の院長さん北畠晃融先生の「いのち」という文章です。
“いのち”は本当に不思議なものです。
私の“いのち”の流れを考えると、両親をはじめ、いくら遡ってもはかりしれない
“いのち”の繋がりがありました。
しかもこの“いのち”を保つために、他の“いのち”の犠牲の上につくられる食事
一つでもわかるように、様々なお育てがあるのです。
つまり、決して私がつくったようなものではなく、過去、現在の様々なご縁が
より集まって、この私の“いのち”が恵まれているとしか考えようがありません。
すべての“いのち”は、小さなはからいを超えた大いなる願の中で恵まれた
“いのち”なのです。
ところが私達の生き方はどうでしょうか。
何でも自分の望み通りにできると、決め込んだ生き方をしていないでしょうか。
その自分中心のおもいが実現しなかった時、自分の“いのち”に自信をもてずに
自暴自棄になったり、またその責任を他に転嫁して他の“いのち”までも、
うらんだり、粗末にするような生き方をしていないでしょうか。
“いのち”の本当の価値が見いだせないということは、人生を空しく生きることに
なってしまいます。
自分勝手な思いで生き、本当の“いのち”にめざめられずにいる私に、
「そのままで終わっては空しいですよ。
あなたの“いのち”は引き受けました。
どうぞ安心してあなたの人生を精一杯歩んでください」と、この私の“いのち”の
方向を定め、私の“いのち”に価値ありと見てくださっている方が阿弥陀仏
という仏様なのです。
この阿弥陀様のお心を聞かせてもらう中で、今まで粗末にしていた私の“いのち”も、
他のすべての“いのち”も、願われつづけている、かけがえのない尊い“いのち”
でありましたと、拝むことのできる世界が開かれてくるのです。」
こういう文章です。
このままで終わっては空しいですよ。
との仏さまの呼び声を聞かせていただく毎日でありたいものです。
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、11月21日に新しい内容に変わります。