第539回 気づかなくても

平成15年 5月 22日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

朝、歯を磨いているときに、思いました。

もう何十年も頑張ってくれているのに、どの歯がどんな
形をしているのか、どんな大きさなのか考えても見て
いないことを。


歯が痛んだときとか、物が挟まって気持ちの悪いときには、
舌でさわったり、ツマヨウジを使ったりして触ってはいますが、
いったん痛みがなくなってしまうと、もう歯の存在を
忘れています。


毎日毎日黙々と働いてくれている歯のことも感ぜずに、
その働きを良く知ることも感謝することも忘れていることに
気づきました。


何か、いつもと違うことが起こったときに、その有り難さを
知り、痛みやかゆみがなくなると、もう当たり前になって
いることを。


お参りしているとお年よりの人が、足が痛い、腰が痛い、
耳が聞こえない、すぐ疲れると、身体の苦しみを
訴えられます。


その度に、自家用自動車でも10年も使えばもう充分で、
新しい車と買い替えたり部品を交換したりするのに、
何十年もの長い間使い続けているのですから、
どこかは故障したりガタがくるのも当然でしょうね。
よくもっていてくれる方ですよと、お答えしています。


私たちはいつまでも変わることなく、自分のために
黙々と働いてくれるものだと思い込んでいます。


不平不満はいうものの、感謝も喜びも覚えていません。
これと同じように阿弥陀さまはいつもこの私のために
働きかけておられるのに、この私はそれに気づかずに、
都合の良い時だけ思い出しています。

悲しかったり苦しかったり、いつもと違う時だけ思いだし、
助けを求めています。


私の身体のすべてが、心臓も腸も胃も、足も手も口も目も、
私が思いだした時だけではなく、もくもくと働き続けている
のと同じように、阿弥陀さまは私のために働いていて
くださるのです。


私が忘れていても黙って働きつづけ、この私を守り
育んでいただくものがある、もっとも近いところでは
私の身体であり、私の周りの人びとであり、自然であり、
すべてこの世に存在するものでしょう。


そして、この私には見えない、感じられない気づかない
ものまでが、この私を生かすために働きつづけていることを
味わうと、こんなにのんびりしていていいのかと、思えます


いつでもどこでも、この私のために働き続けている方が
あることを、しっかりと味わい、感謝し喜び、お念仏と共に
毎日を送りたいものです。


南无阿弥陀仏というその口さえ、聞こえる耳でさえ、
この私の意識を超えて働いていただいていることに
感謝したいものです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、5月29日に新しい内容に変わります。