第542回 生きていますか

 平成14年 6月12日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

ところで、こんなことをおっしゃる方がありました。宗教は恐い、
戦争を起こして人を殺している。仏教だけは戦うことをしないので、
これから仏教が求められていくのでないでしょうかと。


確かに、仏教は争うことをしません。お釈迦さまは自分の国が
攻められたとき、力でそれを阻止することはなさらなかったといいます。 
人を殺すのは良くないことと分かっていながら、国家の名のもと、
正義のため、権力の維持とか、あらゆる理由をつけて戦争という
殺しあいをしているのが現実です。


ところで、日本はこの数十年、戦争という悲劇には直接
巻き込まれずに済んでいます。


しかし、日本人は人を殺すことはしていないものの、人間を
本当に生かすことはどうも忘れてしまっているようです。


殺さないが、生かすことを忘れている。
人間として生きることよりも、動物として生きることが幸せと、
国民あげて子どもたちを教育し、大人たちも実践して
みせているようです。


人間として生活するよりも、動物として生きることが理想の
ように感じて生活しています。 美味しいものを食べて、
健康で長生きして、我が身を楽しませることこそが、人生の
目的のように感じて努力しています。


本当の喜びは、我が身を楽しませるだけではなく、周りの
多くの人びとと共に喜び、共に楽しむことが大事なことでは
ないでしょうか。 
お釈迦さまが説かれた教えは、親鸞聖人が伝えていただいた
教えは、本当に人間を人間らしく生かすこと、であったに
違いがないのに、今私たちは、間違って受け取っているようです。


いや、受け取る受け取らないではなく、そういう教えがあることを、
知らずに生活している人が大半です。今も昔もこれからも決して
変わらぬ真実の教え、お念仏の教えに出会うことが出来ず、
我が身を楽しませるため、我が身ひとつを喜ばせることだけに、
夢中になっているように感じています。


南无阿弥陀仏の教えは、人間がもっとも人間として喜べる教え、
それは生きている今このときはもちろん、これから将来永遠に、
すべての人が喜べる教え、そういう教えだったと思います。


例え命が終わっても終わることのない喜び、それこそが人間を
生かす教えであると感じます。殺すことはしないものの、
生かすことを忘れていることに、気づかせていただきたいものです。


それには、お念仏に出会うこと、南无阿弥陀仏と口にするとき、
はじめて味わえる真実だと感じます。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
次回は、6月19日に新しい内容に変わります。