第551回 お墓の清掃

 
平成15年 8月14日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

お盆や彼岸が近づくと、田圃の一角や小高い岡にある
野墓の草取りをしている姿をよく見かけます。


雑草がよく成長するお盆前は、機械の草刈り機を使ったりして、
汗だくでお清掃をしておられる姿を見かけます。


田圃や畑と違って、石があったり石垣があったり、とても
大変そうに見えます。


ところで、佐賀市内はお寺の境内にお墓があるところが多く、
その点では墓参りもそれほど苦痛にはならないものです。
お寺の境内の墓地には、草が生えないのではなく、定期的に
草取りをしているために、年に数回だけ参拝する人には、
境内の墓地にはまったく草が生えないと思っておられる方も
多いようです。


ところで、お盆前の八月の第一日曜日には、壮年会の方々が、
早起きして墓地の清掃をしていただいています。


参加される方は、地元でしかも、日頃よく自分の墓地に
お参りされる方々ばかりで、ほとんどお参りなさらない
他所様のお墓の周りの草をせっせと取っていただいているのです。


お盆や彼岸に入ってからおいでの方は、境内はいつも奇麗ですね。
と感心されますが、草が生えないのではなく、多くの方々のご苦労の
お陰ということには、なかなかお気づきにならないようです。


本当の親切は、お参りにならない方のところの草は残しておいて、
自分が草取りにいかないと大変だと思えるようにしておくことでは
ないかとも思います。


お墓の花も造花ではなく、生きた花をあげるのも、すぐ枯れて
しまうので、花を代えるためにお墓に行くように、自分が責任を
もたないといけないということがわかった方が、お参りの回数も
増えるのではないかと思います。 


 どちらにしても、自分の気づかないところで、多くの人の親切や、
ご苦労のお陰でいつも奇麗にしていただいているのだと、気づき
感謝することの出来る人生を送りたいものです。


南无阿弥陀仏のお念仏は、私の気づかない間に多くの人びとや
自然、そして仏様が、この私のためにご苦労、ご努力いただいて
いることに、気づかせていただく、目覚めさせていただく言葉だと
思います。


南无阿弥陀仏を口にし聞きながら、遠い過去から現在まで、
この私のためにご苦労いただいている方のあることを、私が気づいた
数千倍数万倍の配慮があることを、有り難く感じさせていただくことが
できたならば、私の生き方が私の人生が大きく変わって行くのだと
思います。


南无阿弥陀仏は、この私を目覚めさせ、気づかせていただく言葉
だと思います。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、8月21日に新しい内容に変わります。