第553回 はい 喜んで

 平成15年 8月28日 〜

妙念寺電話サービスお電話有り難うございます。
こんな文章を読みました。


よく出掛ける大衆酒場で、とても珍しい所がある。

何を頼んでも「ハイ、喜んで」と答える店である。
例えば「8人だけども入れる?」とたずねると「ハイ、喜んで」。


「ビール3本に、あとお酒」「ハイ、喜んで」こうして注文した
ときだけではなく。

「テーブル早くふいてくれる」と言えば「ハイ、喜んで」と
いった具合です。


ちょっと、わざとらしいようですが、言われた人は、
悪い気はしません。


 これを、会社などの人間関係にも応用すると、面白いことに
なりそうです。上司の指示に対して、どうせやらねばならないことなら、
「ハイ、喜んで」といった方が気持ちよいものです。

相手が気持ちいいだけでなく、そう言った本人も気持ちが
良くなるものです。 
これを、歴史上では、木下藤吉郎がこの原理を、うまく活用したのでは
ないでしょうか。

藤吉郎は、人の嫌がる仕事、台所担当の奉行とか、手柄がたてられない
仕事にも精一杯頑張り、また、命懸けで墨俣に三日で城をつくり。
負け戦のしんがり等を進んで勤めました。 

上司が、信長でなくても、積極的に仕事を買って出て、楽しく仕事を
する人間に、同じことなら任せたいものです。


 なんでまた、こんな話をするかと言えば、浄土真宗の信心を
いただい人の生き方は、念仏行者の生き方は、まさにこの
「ハイ、喜んで」と生活させて、いただくことではないかと、思います。


 自分の得になろうと、なるまいと、今やるべきことを進んでやる。
自分が死のうが生きようが、精一杯「ハイ、喜んで」やらせていただきます。

藤吉郎の相手が、主君である信長に対してですが、私たち念仏に
生きる人びとの場合は、阿弥陀如来さま、はい喜んでやらせて
いただきますという生き方ではないでしょうか。


 たとえ、命があろうがなかろうが、成功しようが失敗しようが、
やるべきことを喜んでやらせていただきます。


この精神が、念仏の教えのすべてだと思います。
ただ、そうは思っていても、ついつい世間の波に流されて、世間の
損得の話や、雑音に惑わされて、ふらふら、いらいら自分を失って
しまうこの私に、念仏を称えることで、呼び戻し、呼び覚まし、
「ハイ、喜んで」を思い出させていただくのだと思います。


「ハイ、喜んで」この生き方こそ、妙好人、因幡の源左さんの
「ようこそ、ようこそ」と共通の言葉、共通の味わいではないでしょうか。

 いかなる苦難にも立ち向かっていく。

自分に都合の悪いことにも、ようこそようこそ、そうすると、悩み悲しみ
苦しみが喜びへと転じられる。


悩み悲しみ苦しみが無くなるのではなく、転じられるのが念仏であります。

お念仏の声に、自分で称えるお念仏の声に呼び覚まされながら、
力いっぱいの人生をおくらせていただきたいものです。


妙念寺電話サービスお電話有り難うございました。
次回は、9月4日に新しい内容に変わります。