第560回 本願力に遇いて

 平成15年 10月16日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
岡崎の本宗寺さんが正信偈をやさしく意訳していただいたものを、
ご紹介しましたが、続きが知りたいとのお便りをいただきました。


前回の続き、能発一念喜愛心のところから、ご紹介します。

本願力に遇いて喜ぶ心が発起するならば、煩悩があっても
それに邪魔されることなく無上涅槃に至るであろう。


凡人も、賢い人も、仏法をそしる悪い人も心をひるがえして信を
得たならば
 もろもろの水が海に入りて一味なるがごとく如来の中に
おさめとられる。

おさめとって捨てることのない如来の光が常に我らを照らし
護っていて、

すでに無明の闇が破られているといえども、
我らの心にはむさぼり、怒り、憎しみの雲霧があって
いつも真実信心の心をおおっているのである。

しかし、たとえ太陽が雲霧におおい隠されても、その雲霧の
下は明らかで闇がないように、むさぼり怒りに信心が覆われても
往生には障りがない。


信心を得れば、仏を敬い、大いに喜ぶ心がおこり、自然に地獄、
餓鬼、畜生、人間、天上の五悪道の絆が横ざまに断ち切られる
のである。


自分を善人だと思っている人も、悪人だと思っている人もすべて、
弥陀如来の広大な本願の誓いを聞信すれば、
仏はこの人を真実の道のわかった、すばらしい人とほめたたえられ、
この人を泥沼から咲き出てくる最高の華「白蓮華」にたとえられる。

如来の本願の御名(なもあみだぶつ)を、
誤った考えや、我ひとり善しとする、おごりの心を持った衆生が
信じ喜び、それを、持ちつづけることは、はなはだ難しい。

難しい中でもこれ以上難しいことは、ないのである。

印度に出られた龍樹、天親菩薩
中国の曇鸞、道綽、善導、日本の源信、源空などの高僧方は、
釈尊がこの世に出られた真実の目的は、弥陀如来のお誓いが
我ら凡夫にふさわしい救いであることを明らかにし、それを万人に
知らせることであった。・・・
と続きます。

正信偈を分かりやすく意訳していただいた、岡崎の本宗寺さんの
現代語訳をご紹介しました。


本願力に遇いて喜ぶ心が発起するならば、煩悩があっても
それに邪魔されることなく無上涅槃に至るであろう。
遇えてよかったと味わえる人生を送りたいものです。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、10月23日に新しい内容に変わります。