第566回 阿弥陀さまのおはたらき

 平成15年 11月27日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

来年2月に佐賀教区の仏教壮年会の20周年大会が
開かれますが、そのご講師をつとめていただく、
足利孝之先生がお書きいただいた冊子に
「死んだらどうなるの」という冊子が出版されています。


先日の法座で皆さんにお渡ししましたが、
その冊子の中にこんなところがありました。

親鸞聖人は浄土とは、自分の迷いに気づかない
私たちのために、迷いの世界に生きて苦しんでいる
私たちのために、阿弥陀さまが建立下さった世界であり、
私たちをまことの国に生まれさせたいという願心によって
成就された世界であるとみられたのです。


 だからといってこの娑婆の世界は、つまらない厭うべき
ものであるから、浄土を願うということではありませんし、
またこの世は思い通りにならない世界であるから、
思い通りになる世界を求めるということでもありません。


阿弥陀さまが浄土を建立してくださったお心をいただく
ことによって、私たちの人生の帰するところは阿弥陀さまの
浄土であると知らされるならば、なおさら、この世のいのちが
阿弥陀さまのみ光に照らされた尊いものであることが
味わえるのであります。


 浄土を抜きにして、私の救いは成り立たないのであり、
浄土とは私の命の帰る所、別れに対して会える世界、
私の心の依りどころとなる世界であるといえるのです。


 私たちは、浄土に生まれることの意味と、浄土から
この世に還ってすべての衆生を導くということの深い意味を
考えてみなければいけないでしょう。


 曇鸞大師は「浄土に向かう者が、この世ですべての衆生に
功徳を振り向けて、ともに浄土に往生しようとすることが
往相であり、浄土に生まれた後に、心静かな境地、物を
正しく観察する境地を得て、迷いの世界の林に入って
衆生を導き、共に仏道に向かうことが還相であると
述べられていますが、


 親鸞聖人は、往相と還相の廻向は、人間が行ずるべき
ものではなく、阿弥陀さまから振り向けられる、おはたらき
であるとみられたのです。


 回向ということを、それまでの見方とは大きく転換され、
大悲のおはたらきであるとみられたところに聖人の
ご苦労があります。


 救われようのない私が、仏のさとりを得て、それだけに
とどまらず、人々を導くために、はたらくことができるとは、
まことに大悲のおはたらきを喜ばずにはおれません。

お念仏を申す人生とは、阿弥陀さまのおはたらきを
喜ぶ人生なのであります。


と、お書きいただいています。

阿弥陀さまのおはたらきを喜ぶ南无阿弥陀仏のお念仏の
人生をおくらせていただきたいものです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、12月3日に新しい内容に変わります。

 発行 百華苑  平成16年度用
  足利孝之師著 「死んだらどうなるの」より 一部抜粋