第570回 あなたのいのちを

 
平成15年 12月 25日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

時代に適した伝道のあり方を考えようと、佐賀には
伝道懇話会というグループがあります。
そのグループの例会で、いのちの尊さを考えるTV番組を
見せてもらいました。


近ごろ若者達が自分の命を粗末にしたり、理由も無く人を
傷つけたり、悲しいニュースが氾濫していますが、
お隣の福岡県の久留米にある高等学校で、鶏を育てて、
それを解体する授業を記録した番組です。


 もともと農業高校だったというこの高校では、農業の基礎と
いうことで、ブロイラーの飼育の技術、解体して肉にする
授業が行われてきました。


それに加えて、卵からヒヨコにし、それを育てて、時期が
来たらそれを解体し、試食するということを通して、
「いのちの教育」を始めた先生がいました。


定年近い高尾忠夫先生で、いのちの教育は、
心の教育であり、愛の教育である。


自分たちが生きていくには、必ず他の生き物の命を
奪って、それを食べて生きていることを、教えようと
されたものです。


平成8年から行われているこの授業は、自分たちの手で、
生徒の数と同じ、38羽のヒヨコを2カ月間育てて、ペットの
ように可愛くなった12月の上旬に、自分たちの手で、
その鶏の命を奪い、肉にするということを、経験させるものです。


3分の2は女生徒ということもあり、どうしても命を奪うことが
出来ないと、泣き叫ぶ子供たちがほとんどです。


しかし、自分が命を奪わなくても、誰かが命を奪い、人間は
それを食べることで、生きていることを、身をもって体験させる
授業です。

近ごろの子供たちは、魚は切り身でパックに入って泳いで
いると思い込んでいる子もいるといいます。
命あるものを食べて生きていることが段々と忘れられて
いるようです。


 可愛がった鶏の肉を水炊きにして、試食した高校生たちは、
それからは食事の前に手を合わせて「いただきます」という
意味が、大きく違って、「あなたの命をいただきます。
あなたの命の分まで私は頑張ります。」という気持ちが
持てるようになったと答えていました。


 一昔前までは、どの家にも鶏を飼っていて、その卵を食べ、
お客さんがあったときなど、その鶏を締めて御馳走にしていました。


子供たちには、人間が生きて行くということが、食べるということが
どういう意味なのか、体験することが出来たのですが、
今はまったく、それが見えなくなっています。


食前のことば、いただきますは、料理を作っていただいた方
だけではなく、多くの生き物の命をいただいていることへの
感謝の言葉であることを、忘れない生活でありたいものです。

妙念寺電話サービスお電話有り難うございました。
次回は、1月1日に新しい内容に変わります。